16話『否定』
少女が泣きやんだ後、俺は大分素直になった少女を連れ、皇帝達が待っている場所へと向かって走り始めていた。
その時驚いたのはなんといっても少女の身体能力だ。
障害物などをものともしない軽やかな走り、身のこなし、回避能力。
俺はあっという間に少女に置いてけぼりをくらった。
なお、最後には俺がついてきていないのに気付いた少女が申し訳なさそうな表情で帰ってきていた。
情けない…………
そして森を抜け、眼下に皇帝達が見える位置まできたとき、俺は見てしまった。
皇帝が膝を地に着き、一人がうなだれ、彩禍が倒れ伏す、そんな光景を。
…………いくらなんでも早くない? 多分俺とはぐれてから二十分も経ってないぞ…………
しばらくの間、俺はそんな思いを胸に、呆然と固まっていた。
「………………」
そして俺が固まっている間に黒ローブの男は皇帝へ近寄っていき………………っていかんいかん! 止めをさされちゃうやん!
「ちょっとまてぃ!」
黒ローブが皇帝まであと十mといったところで俺は大声で声をかける。
一応互いの表情が見える程度の距離ということで十分に俺の声は届いたことだろう。
しかし、黒ローブがそれに応じて止まる気配はない。
俺は無視されたという否定に少しだけイラッとしたが、諦めずに声をかける。
「まてぃ!」
しかし黒ローブは止まらない。
「まてぃ!」
黒ローブが懐から刃渡り二十cmほどのナイフを取り出した。
「まてぃ!」
無視。
ずっと無視され続けてだんだんと俺にもいらいらがたまってきた。
てか隣で、何を言ってるの、的な視線をよこしてくる少女の視線が心に刺さる。
……………………そういえばあいつは敵なんだよな。
今更な事を改めて俺は思う。
あいつらが倒れているのだって多分黒ローブのせいだし、ならいきなり俺が攻撃とかしてもそれは仕方のないことであり、肯定されてしかるべき事じゃないのか?
そして、自分の中で自分を認めると、俺は早速異能を発動させるべく思考を巡らせた。
「……あいつの行く先には、戦いの余波で脆くなった道路があるかもしれない。そしてそれを踏んだ瞬間、そこは凹み、足を取られた黒ローブは無様にこける、かもしれない」
内容はただ黒ローブがこけるだけという、ちょっとチキンな攻撃だったが。
俺が異能を発動したときに感じる妙な納得感を感じていると、ちょうど黒ローブが皇帝まであと二mの場所まできていた。
そして…………
「ッ!?」
スタスタと歩いていた黒ローブの足下が急に沈む。
それに驚く黒ローブであったが、しかし回避することはかなわずそのまま前のめりに倒れていく。
ビタンッと顔面から突っ込む黒ローブ。
手をつこうとしたようだが、ローブが邪魔をして出来なかったようだ。ざまぁ。
この場に何とも言えない微妙な雰囲気が漂い始める。
ケラケラと笑う俺。
相変わらず無表情で元主人を見つめる少女。
なんだか可哀想なものを見る目で黒ローブを眺める皇帝。
うつ伏せのまま動かない黒ローブ。いや、よく見たらプルプル震えている。
恥ずかしいのだろうか、恥ずかしいのだろう、恥ずかしいに決まっている!
とてもいい気味だ!
不思議と俺の中で黒ローブを貶めたい感情が沸き立ち、なんやかんか言っていたが、とにかく俺の言いたいことは一つ。
俺を無視するからこうなるんだよ! ざまぁみろ!
「………………ワタクシをこうすることが出来るなんてこの世でただ一人。総輪ただ――――」
「え? 俺のせいだっていいたいの? いけないよ~、そうやって人のせいにするのはさぁ~、自分のミスくらい認めないとこれから先社会でやっていけないよ~。あ、お前は反社会的な思想を持つ輩だったね、そういや。ならちょうどいいんじゃない? 社会に馴染めなくても~、だって今の社会を受け止めきれないおこちゃまなんだもんね~」
「……………………」
俺の精一杯の煽りに黙り込む黒ローブ。
今までのsuzakuとの生活は無駄じゃなかった。
…………いやな部分の影響を受けてしまったものだな…………
と、そんなことを考えている間にも時間は過ぎているわけで。
とっくに立ち上がっていた黒ローブは微妙に睨んでいるようにも見えない表情で俺を見つめつつ、口を開いた。
「……………………貴様、覚悟は出来ているんだろうな」
「覚悟というのは人に押しつけるべきものではないと俺は思うな。いや、その意見もまた一理あるわけでお前の意見を否定するわけではないが」
「………………………………三号、何故そやつを止めておかなかった」
俺の言葉に少しの間黙りを決め込んだ黒ローブは話の矛先を変える。
よし、勝った!
俺は自分の感情がどうにもあいつに反発するのを不思議に思いながら、黒ローブと少女の会話を見守るかどうか考える。
少女はさっきまでただの人形であり、黒ローブを主人としていた。
ならば少女はまた黒ローブの元へと行き、俺に牙をむくのではないか。
しかし、そんな俺の心配は杞憂だったようだ。
俺の半歩後ろで成り行きを見守っていた少女は一歩前へ出て、力強く反論する。
「……私が、決めたから」
「……………………なるほど、貴様が三号を変えたのか。全く、忌々しい」
少女の言葉に黒ローブはやけに素直に引き下がると俺の方を睨みつけてきた。
とばっちりとはこれまた酷い。いや、俺のせいって言っちゃ俺のせいだけど。うん、罪を認めることは正しい。これこそ人間のあり方だな。
と、また思考が逸れた。
俺は取りあえず死にそうになっている彩禍を助けることにする。
彩禍はちらっと見えたのだが、胸の当たりにナイフが深々と刺さっていた。
なら俺はこんな可能性を提示しよう。
もしかしたらあと少しで彩禍は目を覚ますかもしれない。そしてその反動で彼は体をズラすだろう。その瞬間、ナイフの柄がたまたま戦いの余波で割れた道路に引っかかって抜けるかもしれない。そうすれば彩禍は持ち前の再生能力ですぐさま復帰するだろう。
あり得ない、しかしあり得る可能性。
確率の積み重ねの果てにある一つの世界。
俺はそれを望み、提示する。
「ッ! 貴様、今――――」
「ふっかぁぁぁぁああああっっっっっっつ!」
俺が異能が発動した手応えを感じた瞬間、黒ローブが何かを言い掛ける。
しかしそれは復活した彩禍の叫び声にかき消された。
あまりにも早いと思ったが、またこれも一つの可能性だろう。俺は早さなんて想定していなかった。
その想定外が俺の提示した可能性に割り込んできた、それだけ。
俺はそれに続けて皇帝達も動けるようにするため思考を巡らせる。
そして、彩禍が黒ローブを翻弄しているうちに、と俺は下へと降りるため少女の腕へと飛び込んだ。
………………いや、なにも言うまい。
下へ降りれば彩禍は体中にナイフの切り傷を作りながらまだ黒ローブを翻弄していた。
しかし彩禍が黒ローブへとふれているにも拘わらず黒ローブは苦しむ様子はない。
異能が発動していないのだろうか? ならば何故?
「黒ローブの異能に決まっているだろう! それくらい気付け、屑が!」
俺が皇帝の側に降り立ち、彩禍を見ながら首を捻っていると罵倒が飛んできた。
いつも思うが皇帝のこの口の悪さはどうにかならないのだろうか。ならないか。
こんな真剣であろう戦いの中、妙に緊張感のない俺。
しかしそれも仕方のないこと。
俺はこの中で誰一人死ぬことなく、かつ五体満足で帰れる可能性を提示しているからだ。
過程がどうであれ、五体満足でしかも死なないで帰れるのだから緊張感が生まれないのも仕方のないこと。
本当は怪我すらしないようにするため緊張感は持っていた方がいいのだが…………
「……てかあいつも異能とか持ってるんだ。俺達以外にもいるんだな~」
「当たり前だろう。世界は広い。故に俺達と同じ人種は認知されていないだけでたくさん潜んでいることだろう」
ふと思った俺の呟きに皇帝はすぐさま返す。
なんやかんや言いながら俺の疑問にいつも答えてくれるこいつってそんなに悪い奴じゃないのかもしれない。
俺は心にもないことを考えつつ、どうやって逃げようか考え始め……………………
「…………貴様、まさか無事に帰れると思っているのか?」
「……………………思ってるけど?」
「その可能性はワタクシが先ほど『否定』した。貴様等が五体満足で、死ぬことなく帰れる未来を」
「……………………はぁ!?」
突然の殺す宣言。
意味が分からない。ついでになんで彩禍が黒ローブに攻撃を仕掛けないのかも分からない。
俺は俺の死ぬという可能性を肯定なんてしていない。
そもそもそんな可能性なんて考えていなかった。
それもそうだ、そんな自分にデメリットしかない可能性なんて考えたくもない。
しかし、そこで俺は気付いた。気付いてしまった。
俺は俺が死ぬという可能性を否定はしていないということに。
「……………………気付いたようだな。ワタクシは貴様と対をなす異能、『否定』を持っている」
「…………否定、か」
「この世はあらゆる嘘や偽善で満ちている。ワタクシはそれをしょうがないものとして肯定することが大嫌いだ。だからワタクシは否定する。どんなことでも、どうやっても、なにが何でも」
先ほどこけたとは思えないほどの真剣な表情。
雰囲気までそれにつられてか、張りつめていく。
そしてそんな中、彼女は言った。
「………………なら、なんで私も、否定、した?」
それは湖に小石を投げ込むがごとき問いであった。
皇帝達からはどういうことだという視線を、黒ローブからは呆れたような視線を、それぞれ感じながら少女は嘆く。
「なん、で、私を…………」
「何を言っている。ワタクシはいつも言っているだろう。貴様は失敗作であり、この世にいてはならない汚物だと」
「っ!」
隣で喋っていた少女の息を呑む音が聞こえた。
チラッとそちらを見てみれば、少女はあの時と同じような哀しき目をしていた。
自分の存在を否定され、何で生きているのか何で生まれてきたのか分からなくなって、自分ですら自分をあるものと認識できなくなった、そんな哀しい目を。
「…………おい」
その時、激流のような怒りを無理矢理川に押し込んだような、そんな声が聞こえた。
誰がそんな声を、と一瞬思ったがすぐにこの声は自分のものだと気付く。
「俺はな、他人の考えを否定したりなんて絶対しない。全てはあるべきものとしてそこにあるのだから」
俺の口は勝手に言葉を吐き出していく。
うちにこもった熱が言葉とともに漏れ出ていくが、いっこうに冷える気配はない。
「だがな、俺だって人間だ。肯定しつつも感情は別の時だってある」
むしろ言葉を重ねるごとに俺のうちで燃えさかる炎の勢いは増していく。
「それが今だ。俺は今猛烈に怒りを感じているッ」
だんだんと強くなっていく語気。
頭に血が上っているのか、ドクドクと頭皮が波打つのが感じられる。
「お前はさっきからずっと否定しかしていないなッ。俺の大嫌いな否定しかッ!」
そして、とうとう俺は吼えた。
怒髪天を衝いた俺はこみ上げる怒りのまま、黒ローブを肯定する。
「お前のあり方はそれはそれでまた一つの人間というものなのだろうよ。否定して、他人を拒絶し、そんなことをする自分でさえ認めない。見方によっちゃ隠れた英雄でもあるかもしれない」
「……さっきから何を言っている。否定否定と……間違いだらけの人間を否定して何がおかしい?」
「あぁ、確かに人間は間違いだらけの失敗作だよ。だけどな、間違いだらけの失敗作だからこそ、人間は認め合うことが出来る!」
「やはり貴様の言っていることは無茶苦茶だ。間違いだらけだからこそ他人を否定し、拒絶するのだろう。貴様の言ったことはワタクシの意見を無視し、別の視点から物事を捉えただけの偏論だ」
「そうだ、その通りだ。だが物事なんてものの見方によって意見は正反対にもなる。肯定と否定は表裏一体。否定あるところに肯定はある。ならば俺はその肯定だけを選び取り、それは正しいと言ってやろう」
「……………………貴様と話すことが非常に無駄だと言うことに今気がついた。貴様に何を言っても全て肯定され、論争のしようがない。いわば会話のドッヂボールではなく、言葉のピッチングだ。ワタクシからの一方的な投げかけに貴様が聞くだけ」
長い言い合いを終えた俺達は口を噤み、相手の瞳を真っ直ぐ睨みつける。
黒ローブの瞳からは自分の意志は曲げないと言う決意が溢れ出ていた。
やがて、黒ローブは深く、深く息を吐き出すと元の気怠そうな、無機質な瞳を浮かべ、口を開いた。
「…………もういい、やはり貴様とは相容れないようだ。……当たり前なのだがな」
「どういうこと――ッ!?」
俺の言葉をかき消すように飛んでくる一振りのナイフ。
戦いの火蓋が、切って落とされた。