14話『説得ッ!』
「ッ!?」
切り裂かれた太股。
痛みで体重を支えきれない。
揺れる視界。こんなにも俺は痛みに弱かったのか。
衝撃を感じた。
気づけば視界が横倒しに、そして頬に冷たい土の感触。
――ああ、俺は倒れたんだ。
強烈な熱を感じる太股に手を伸ばす。
しかし触れることはかなわない。
「――ダ――――ら」
痛みに揺れる意識の中、少女の声が断片的に聞こえてくる。
しかしその意味を考えるほどの思考力は残されていない。
俺は痛みで沈むことすら許されない思考の中、少しでも可能性を見いだすため考える。
どうせ気絶は出来ないんだ。なら少しでもその利点を生かして起死回生の一手を打て。
そう考えると俺の意識はだんだんとクリアになっていった。
土の冷たさを再び感じ、草木の匂いを感じ、視界の揺れが収まり、そして周囲の音を拾えた。
そう、彼女の言葉が、拾えた。
「――なの。貴方は、なんで、私を…………」
あのときと同じ、悲しみの海に溺れた、哀しき少女の嘆き。
視線をなんとか上に向ければずっと静かな海のごとく無表情だった彼女の顔が悲しみに歪んでいた。
――あぁ、お前もそんな顔が出来るのか。
そんなことを思うと同時、俺の中で渦巻き始めていた憤怒や憎悪が消え去った。
いや、消え去ったという表現は間違っているだろう。一度奥へと仕舞ったのだ。
俺は聖人君子でも、お人好しでもない。
怒ったり泣いたりもする、ただ物事を否定的に捉えることが出来ない、普通の高校生なのだ。
相手に同情はすれど、許す理由にはならない。
だから憤怒が消え去ったなどあり得ない。
しかし、今はそれよりも優先することがある。
だから俺はそれらの感情を表に出すことはしないのだ。
ではその優先することとは何か。
それは当然自分の安全の確保。
先ほど言ったとおり俺はお人好しではない。
他人よりも自分の方が大切に決まっている。
それは当然、目の前の、可哀想だと言った少女も例外ではない。
だから、彼女の感情だって、思いだって、利用して生き残ってやろう。
俺は痛めつけられたくないし、ましてや死にたくもない。
少女は切りつけたくせに哀しそうな顔をしている。
それはつまり罪悪感を感じているということ。
俺はその隙を逃さない。
思考を巡らせろ、頭を使え。
この隙に何を言ったなら、何をやったなら、俺にとって最も良い展開になるか。
可能性を、起こり得る展開を、見つけ出せ!
やがて、俺は言葉を頭の中で選びつつ口を開いた。
「……お、まえは…………じゆう、か……?」
「ッ!?」
ビンゴ。
俺の苦し紛れに紡がれた言葉に少女は思ったとおりの反応を示す。
悲しみに満ちた瞳は驚愕に見開かれ、更なる哀の海へと沈んでいった。
そしてその動揺は更なる隙を生み、心の弱さを曝け出す。
俺の考えた可能性と全く同じ結果。
俺の異能が上手く言っていることに確かな手応えを感じつつ、俺は痛みにひきつる喉を震わせる。
「…………なにを、いわれた……?」
「……………………」
返ってくる答えは沈黙。
大丈夫、そんなに早く答えはもらえなくていい。
俺は続ける。
「なぜ……あいつの、いいなりに、なる…………」
「………………」
「おま、えは、あいつの……なんだ?」
「…………」
「……おまえは、なにを、したい?」
「……」
「おまえ、は…………あいつの、にんぎょうか……?」
「ッ!?」
地面に横倒れになり、少女を見上げたまま俺は言葉を紡ぐ。
その言葉のどれにも彼女は反応を示さなかったが、最後の人形という言葉には鋭く反応した。
眉を跳ね上げ唇を引き締め、初めてその静かな海を波立たせる。
しかし彼女は何もしなかった。
それもそうだ。今のこいつはただの人形。
自分の意思で行動なんて出来やしない、ただのマリオネット。
何が理由でそうなのか、それは分からないがあの出会ったときに見た二人の立ち位置、言動、瞳、そして声に含まれた感情から結論くらいは分かる。
俺はもぞもぞと姿勢を整えると声を発した。
「……おまえ、は、じゆう、だ」
「…………違う。私は人形。造られしモノ」
シナリオが始まってから初めてまともに返事をした少女の声は震えていた。
諦観、悲壮、無気力。
負の感情ばかりだ。
それだけ彼女は追いつめられた。
そして俺は気付いた。
彼女の言葉の節々から伝わる、自分を否定する思い。
自分は人間じゃない、普通じゃない、この世界にいてはいけないモノ。
そんな思いがひしひしと伝わってくる。
否定が嫌いな俺にとって、その考えは、思いは、俺を苛立たせるには十分だった。
俺は息を吸い、心の奥底にあった怒りを少しだけ解放する。
「ふざ、けるな!」
「ッ!?」
目を見開く少女。
俺は一瞬少女に驚いた反動で攻撃される可能性を幻想したが、それを頭から振り払う。
違う、今捉えるべき可能性はそれじゃない、と。
俺はふつふつとわき上がる怒りを上手く制御しつつ、しかしパンクしないように発散させる。
見上げる俺の視線に少女がたじろいだ。
自分では上手く制御しているつもりだったのだが、少しだけ強かったのかもしれない。
だが今はそんな細かいことは気にしてはいけない。
今この場で大事なのは全てを飲み込む勢いだけだ。
俺は息を吸い、熱を吐く。
「…………なぁ、お前は、自分が、嫌いか?」
先ほどと違って、落ち着いた声が出た。
少女はこの落差に戸惑いつつ、質問に答えるように頭を縦に振る。
ようやく俺の問いに対して肯定を返したな。
俺はそのことに微かな達成感を感じるとともに言葉を続けた。
「そうか、それは、残念だ。人間ってのはな、自分を好きになれる生き物だ」
もう痛みはひいた。
動くことも出来るだろう。
だがまだ動かない。動いてはいけない。
今は話し合って少女を認めさせることが先だ。
少女は俺の言葉にふるふると、弱々しく首を横に振った。
そして口を開いては閉じてを数回繰り返した後、一文字に口を引き絞り、意を決したように言葉を吐いた。
「……………………私は、人間、じゃない」
「そうなのかもしれない。しかし人間と同じ種類の者ではある」
少女の見当違いな言葉に俺はすかさず返す。
その言葉は肯定。しかし俺の主張は変わらない。
「…………私は、造られた、モノ」
「そうなのか。でもだからどうしたんだ? お前はお前であり、人という種類の何かだ。心も体もある、意思ある一つの個体だ」
俺は否定が嫌いだ。
だから少女がどんなことを言おうと肯定する。
しかし、肯定することと自分の主張をねじ曲げることはイコールではない。
「…………ちが……でも……」
「何をそんなに否定する? お前はお前であり、他の何者でもない」
「私は…………否定される、モノ、だか、ら…………」
やはりそうだ、少女はずっと否定されてきている。
だから彼女は自分を肯定すると言うことが出来ない。
自分は生きていい存在じゃないと本気で思っている。
ならば、俺が肯定しよう。
そんなあり方でさえ良いのだと教えよう。
世の中に否定されて当たり前の事なんてない。
全ては肯定されてしかるべきモノ。
だから――――
「――――他の誰が否定しても、俺だけは肯定しよう。お前のあり方も、考え方も、成り立ちも、性格も、身なりも、行動も、感情も、現在も、未来も…………文字通り、全てを」
「ッ」
俺は皮膚が引っ張られる痛みを我慢しながらゆっくりと、少女を刺激しないように立ち上がる。
俺を涙目で見下ろしていた少女の視線もそれにあわせて少しずつゆっくりと上がっていく。
やがて俺と少女の視線の高さが逆転し、俺が少女を見下ろした。
少女は既にいつもの無表情ではなく、今にも泣きそうな、年相応の表情をしている。
助けてと、俺の勘違いかもしれないが、言っている気がした。
だが所詮『気がした』という程度。
どれだけ考えても、伝えてこなければ本心は見えない。
ならば俺は自分の考えを信じて進むだけ。
相手の思いは既に過去のもの、しかし俺の行動によってどういう変化を遂げるかは未来の可能性の一つである。
進め、自分の道を。
歩め、何者にも邪魔されずに。
施せ、自分勝手な思考を相手に押しつけろ。
俺は手を差し出す。
「……………………」
無言で、涙目で、腕を抱え込んで、少女は俺を見る。
しかし俺はただ黙って腕を差し出すのみ。
何も伝えず、相手の反応を待つ。
この手をどういう意味と取るかはお前次第、というように。
「……………………んで」
ポツリと、こぼれる、震えた声。
少女は服の裾をぎゅっと握りしめ、前髪で顔を隠すように俯く。
「…………なん、で…………あなたは…………私を…………認めるの?」
そして紡がれた言葉は疑問。
プルプルと震える拳から、鋭い爪が伸び、少女の手を傷つけ、服を裂く。
しかし少女はそんなことどうでもいいとでもいうように、バッと顔を上げて怒気を露わにした。
「なんで、あなたは私を私だというの!? 私は今まで一度たりとも認められなかった……! 生まれたときから否定されてばかり……どんなに凄いことをしようともどんなに活躍しようとも全てを否定されて…………それでも頑張って…………なのにまだ否定されて……お前は失敗作だって…………なのに……………………」
堰を切ったように少女からあふれ出る言葉。
しかし俺はただジッと手を差し出したまま待つ。
俺は既に判断を向こうへと委ねたものだ。
後は相手が行動するだけ。
少女の独白はまだ続く。
「どうしようもないのに…………あの方が私を造った……私は生まれたくて生まれたわけじゃない……なのに失敗作、不完全、役立たず、出来損ない、欠陥品、不良品、木偶の坊、屑、塵……………………ねぇ、私ってそんなに駄目なの? どうしようもないほどに価値がないモノなの!?」
限界まで張っていた水が一滴の水で溢れ出るように、少女の瞳から涙が零れ落ちる。
その様はただの可哀想な齢十五ほどの少女。
いったいどれほどの間、否定されてきたのだろう。
自分を自分だとすら認識できない。
それはとても辛く、とても怖いことだっただろう。
少女は次第に俺を睨んでいた表情を弛緩させていく。
目は涙で見えないだろう。
口は感情の暴走で上手く動かせないだろう。
鼻はどうにも止まらない鼻水で一杯だろう。
少女はこんな経験をしたことはあるのか?
否定され続けて、自我を失い、感情を殺した少女は。
「ぇぅ、わ、わだ、だっで、もう、ぅやだ、よ、わだじも、な、まで、やだぁ」
支離滅裂な言葉の羅列。
少女は久しぶり、もしくは初めての感情の暴走というこの事態に理解が追いついていないのだろう。
誰だって悲しみが溢れ出せば冷静になんていられない。
だから彼女の涙は正しいんだ。
俺の手の意味を考える前に泣いたことだって正しい。
俺を殺さずに生かしたのも正しい。
全てが、彼女の全てが俺からしてみれば正しいことばかりだ。
「……………………」
「ぇぅ…………わがっだ、わだ、わだしは、じぶん、の、いじで、やる」
未だ満足に言葉を紡げない状態で、しかし少女は決意を示す。
泣きはらした顔を、鼻水を垂らした顔を、目が真っ赤になった顔を、狂気のはらんだ表情で彩りながら。
そして、少女は腕を伸ばして――――――――
「――――ぇ?」
「じぶん、で! わだじは、ぜんぶぅ! 殺すぅ!」
俺は呆然と切り裂かれた腕を見つめ、自分の異能が間違った方向に進んだことを直感するのだった。