巫女商人~ビジネスチャンスは逆ハーレムのあとに~
遠い遠い昔…それこそ神話の生き物が大地を闊歩していた時代。凶悪な獣たちは牙を向き、日照りにより土地は枯れ果て、住む人々は今日の生活すらままならぬ状態。皆、餓えや病気、そして獣たちに蹂躙されながら、怯えて暮らしていた。
もはや国が地図の上から消えるのは時間の問題だろうと、誰もが明日が来ることすら望めず、首を横に振ってこの時代に生まれたことを呪う日々が続く。ありとあらゆる人々の嘆き、悲しみが大地を包み、慟哭となって天を揺るがした。
果たしてその願いが聞き届けられたのだろうか?―――荒廃するわが国に、一人の豊穣の女神が希望とともに降り立ったのはまさにその時である。
◆
静かな執務室では、かりかりと己のペンが紙の上を走る音だけがしばらく響いていた。周りに己以外の気配がしないことがここ最近無かったリンドウェルは、久しぶりに訪れた静寂の時間に、内心安堵している。豪華にして玲瓏、調度品一つ、リンドウェルが使用している机一つにしても庶民にはとても手が出せないだろう高級品を置いているこの執務室で仕事をするようになってから、こうして仕事をする間はあれど、一人で息をつける暇が無かった。
ふむ、と一つ息を吐き、吸う。刹那、鼻腔の中を芳しい花の香りがくすぐった。
香りの出所は机の上に置かれた花瓶の中…綺麗に生けられた花束からである。リンドウェルの執務室には、毎日違う花が届けられ、この華やかな香りが途切れることは無かった。
己も曲りなりに女性であり、花は嫌いではないし贈られることも喜ばしくないわけではない。だがこうも続くと金銭もかさむし何より種類の違う花を見繕うのは大変ではなかろうかと思ってしまうのは職業柄であった。
ふむ、と今一度息を吐く。執務室の扉がノックされたのは、リンドウェルがゆっくりと息を吸った、その時であった。
どうやら一人きりの時間は終了してしまったらしい。意識を切り替え、どうぞ、と入室を許可する声をかけると、複数の足音が賑やかに執務室に入ってくる。ここ数日ですっかり見慣れた青年たちの顔を、リンドウェルは口元に笑みを携えながら出迎えた。
「巫女姫、お茶と菓子をお持ちしました。少し休憩をなされてはいかがですか?」
「ひーめさん!あとで俺の練習試合見に来てくれよ。俺、姫さんのために頑張っちゃうから!」
「邪魔をする…、その、今日も美しい…な、」
「私の姫君、今日は白い薔薇を持ってきたよ。清楚で可憐な貴方にはよく似合うな」
並べ立てられる麗句に一瞬気が遠くなりかけるも、何とか笑顔だけは崩さずに立ち上がり、彼らに挨拶を返す。
「ありがとうございます、コンラート様。一息入れようと思っていたところです。ああ、美味しそうなお茶ですね」
一番初めに声を発した敬語の青年…眼鏡と隙の無いぴっとしわ一つ無い整えられた服装がとてもスマートな彼、コンラートはすっと目元を綻ばせてクールに笑う。彼は王宮御用達の菓子や茶を作る有名な商家の三男坊で、この王国でも名の知れた人物を親に持つ男であった。手に持っている紅茶と茶菓子も、彼の家の商品なのだろう。
「お誘いありがとうございます、エーヴァルト様。あとで足を運ばせていただきます」
はつらつとした声が微笑ましい、二番目に声を発した彼は、この国の騎士…エーヴァルトだ。燃えるような赤毛と日に焼けた肌が目を引く男で、甲冑姿がよく似合う。剣の腕も騎士団長が一番目をかけていると噂で、その名声も名高い。
「第二王子レオンハルト様、勿体無いお言葉、このリンドウェル感激の極みにございます」
三番目の寡黙な青年にだけ、僅かに声と態度を固くしてリンドウェルは頭を下げる。言葉の通り、目の前の青年はこの国…『エルドラド』の第二王子、レオンハルトである。鋭利な視線とどっしりとした体躯はまるで一本の巨木のような男で、王子らしい優雅さは無い。しかし寡黙さの中にも優しさがあり、彼のような主人に仕える従者は幸せだろうと常々思う。
「毎日申し訳ございませんヴィルフリート様。今日のお花も、とても美しいですね」
最後の男は大輪の薔薇をリンドウェルに手渡しながら、垂れ目がちの瞳を細めて華やかに笑った。個性的な服装を着こなし、独特の存在感を見る者に与える彼の名はヴィルフリート。この中では最も年長者で己に対する態度も手馴れている。首都から離れた広大な領地を持つ男の息子と言う話を、リンドウェルは聞いている。
その領地の息子は熱っぽい視線でじっとこちらを見つめ、リンドウェルが何となく嫌な予感に背筋を震わせるのには気付かず、そっとこちらの頬に手を添えてきた。
「ああ、やはり何て愛らしい。姫君の前では、この薔薇すら霞む…」
「…はあ」
「あ!おいこら!何姫さんに触ろうとしてんだこのセクハラ野郎!」
「そうですよ。巫女姫に何か用事があるのなら、まず僕を通していただかないと」
「姫…こちらへ…」
「ちょっと、いくらレオン王子だって、抜け駆けは許さないよ」
己を中心に、しかし己の意思を無視して進む会話に、リンドウェルは開いた口が塞がらない。薔薇を抱えたままあっちへ腕を引っ張られ、こっちへ引き寄せられ、まず何から対応していいかわからない…否、対応することを放棄したい気持ちになっているのだ。
―――茶番だな。
失礼ながらリンドウェルは己が置かれているこの状況をそう名づけた。
そもそもリンドウェルが曰く茶番に巻き込まれることとなった原因は、数ヶ月前にまで遡る。
昔話を語ることとなるが、この小国『エルドラド』には豊穣の女神が荒れ果てた大地を整えて、人々を導いたという伝承が残っている。その伝承が真か嘘か確かめる術は現代に生きる自分たちは持たないが、今でもこの地では50年に一度、豊穣の女神の声を聴く巫女を選び、一年にわたる祈りの儀式を行っているのだ。
この一年は国中が祭りのような華やかさで彩られ、人々は女神を思って祈り、酒を酌み交わし、笑う。女神のおかげで俺たちは今生きているのだと信じて止まない少々狂信的な信者もいて、そういったものは家の中に女神の祭壇を作ってしまうほどだという。
と、ここまで語れば察していただける方もいるだろうが、その女神の巫女に今期選ばれたのが、リンドウェルだったというわけである。
女神信仰が強いこの国では『女神の巫女』に選ばれることは栄誉である。すべての国民に祝福され―――と言うのは大げさすぎるが、名を知られて、羨望の眼差しを向けられる。
女神の巫女に選ばれるのは、本人の意思、または努力によってでは無い。国の抱える高名な占い師が数週間にも天に祈りを捧げ、神託を得て選ばれた娘が巫女として王宮に上がるのだ。
現実主義のリンドウェルにしてみれば、占いや神託など眉唾ものである。もっとも昔からの伝統を否定するつもりも毛頭無いのだが、神の機嫌を取る仰々しい儀式にはちょっと苦笑してしまうのも事実であった。
そんな、合理的で現実主義の己なものだから、国の騎士たちが家に書状を届けにきたときは驚いた。
リンドウェルの実家は最近成り上がってきた商家で、商売も起動に乗り始めていた時期だったので、この話を受けるかどうか僅かに悩んだものの、リンドウェルはとある野望が胸に宿ったことにより、決意する。
―――このリンドウェル。女神の巫女と言う身に余る大役、精一杯努めさせて頂く所存であります。
『エルドラド』の国王の御前で、そう返答したのであった。
「早計だったかな…」
軽い頭痛に苛まれながら、リンドウェルは口の中でぽつりと呟く。陰鬱さを如実に現すその声とは裏腹に、目の前に見えるのは何処までも晴天の空である。その下では鎧を着込む王宮騎士たちが、血気盛んに剣を振るっている。
先ほど騎士エーヴァルトにぜひ来てくれと誘われていた練習試合に、リンドウェルは足を運んでいた。
遠目にも目立つ赤毛の騎士がこちらに向かって手を振ったのに答え、一つため息をつく。空気を振るわせた憂鬱を目ざとく拾ったのは隣で観戦していたコンラートで、彼はこちらを覗きこんで心配げに声をかけてきた。
「巫女姫、どうしました?ご気分でも?」
「いえ、大丈夫です。お気遣いいただき、ありがとうございます」
「何を言います。僕の巫女姫の身体を心配するのは当然のことじゃありませんか?辛かったら運びます。どうぞ僕に甘えてくださいね」
「…」
思わずまたため息をつきたくなった。リンドウェルが巫女の大任を受けたことを早計と考える理由が、彼ら…先ほど巫女の執務室で茶番を繰り広げた面子である。
彼らの口から放たれる甘い言葉…賛辞や社交辞令にしては行き過ぎの美辞麗句に、数日にして辟易してきたというのが己が頭を悩ませる第一の問題だ。
(まさか一目ぼれ…などというものが一度に起こったわけではあるまいに…)
この王宮で巫女の仕事をするようになって、彼ら四人は足しげくリンドウェルのもとに通い、肌がかゆくなるような口説き文句で愛を囁く(?)のだ。理由がわからない。仕事の邪魔にならないぎりぎりのラインで顔を見せるし実害と言えば気が休まらないということだけなので、強く断ることも失礼に当たる。
第二王子という国の中枢の人物は元より、隣にいるコンラートでさえ己にとっては雲の上の人、商いのレベルが違う。そんな人物たちがいっせいにこちらに向かってくれば、理由のわからぬリンドウェルじゃなくとも頭を抱えていただろう。
晴天の空の下繰り広げられる剣のやり取りを観察しながら、ふむ、とリンドウェルは唸り、隣のコンラートへと視線を向けた。
「…コンラート様。大変申し上げにくいのですが、私たちは何処かで顔を合わせていましたか?」
「おや、巫女姫。僕と何処かで出会ったような気がすると…?もしかしたらそれは前世からの運命…」
「あ、いいです、はい」
商いをする同士、何処かで出会い自分が忘れているだけなのではと邪推したが、どうやらそうでも無いらしい。聞こえてきた頭の痛くなるような言葉につい素が出てしまい、コンラートの言葉を遮った。
(何か、理由があると思うんだがなあ…)
リンドウェルを囲う四人の男たちは、国内外問わず、高い評価を得ている者ばかりである。執務室での茶番は流石に頭が悪そうだったが、本来ならば女性に対して軽々しくあのようなことをする青年たちではない。
ならば、リンドウェル自身に何か問題があるのではないかと考えたが、該当する出来事は―――強いて言うなら女神の巫女に選ばれた、ということだろうか?
「女神の巫女には魅了作用でもあるのか…?」
「?どうしました、巫女姫」
「いえ、私事です。…ああ、少々失礼、花摘みに行かせて頂きます」
言ってから踵を返すと、コンラートが「護衛をお付けします」と言うのでそれは丁重にお断りする。考え事をしたいときには一人になりたいものだ。何か言いたそうなコンラートを尻目に、リンドウェルは城内に向けて歩き出した。
(やれやれ、四六時中見られていちゃたまらんな)
晴天の空も眩しい外から一転、冷ややかな空気が漂う廊下を歩きながら、深く息をつく。思いの他大きくなってしまったその吐息に、すぐそばを世話しなく通り過ぎようとしていた侍女がびくりと身をすくませてしまったので、リンドウェルは慌てて彼女に向けて笑みを浮かべた。
が、しかし、侍女は少しだけ困った顔をしたあと、さっと身を翻して走り去ってしまう。むなしい笑顔を浮かべたリンドウェルだけが、その場に残された。
「……うーん」
先ほどよりも更に深い深いため息が、廊下の空気を憂鬱に揺らす。
件の四人を抜いた、城内の人間に邪険に…否、どう扱ったらいいものかわからない目で見られる。これがリンドウェルを悩ます、第二の問題だった。
(それほど、印象が悪いか)
しかし、この現状を見れば仕方ないのだろう。女が一人に、それを囲む男が複数。第二王子から始まって、名のある家の実力者ばかりがリンドウェルを理由も無くちやほやしているという状態である。
手管で男をたぶらかし、意のままに操る毒婦、と見られてしまっても、申し開きが出来ない。そのような者に好き好んで近付こうとするものなど、よほどの物好きだろう。
もしかしたらこの一年、王子たちの美辞麗句に肌をあわ立たせながら、針のむしろの上で過ごさなければならないのか。否、もしこのことが原因で父の商売に支障が出たら…絶望的な想像と憂鬱な気分を抱えながら廊下を再び歩き出し、と、ふと目の端に、愛らしいフリルの塊が、ちらりと過ぎった気がして視線を動かした。
リンドウェルの目を掠めたものは、その視線の動きを感じてかさっと柱の影に身を隠す。明らかにこちらに気取られないよう細心の注意を払っている様子に、「おや?」と首を傾げた。
「ごきげんよう、リトルプリンセス・アンネローゼ。どうかなさいましたか?」
柱の向こうにいる小さな影が、名前を呼ばれてびくりと動く。しかしそれ以上の影が大きく動くことは無く、そしてリンドウェルも特に行動することも無く、笑顔を浮かべながらただ様子を見守っていた。
そのまま柱越しに見つめあいながら、しばらくの時間が経ったあと、リンドウェルは「プリンセス・アンネローゼ」と優しい声を心がけて今一度彼女の名前を呼んだ。
桃色のフリルのドレスが愛らしいその人は、幼い顔に似つかわしくない酷く険しい表情を浮かべて、無愛想に一歩踏み出してくる。リンドウェルは己の腰までの身長しかない彼女へと目線を合わせて、さらに笑みを深めた。
「…」
「プリンセス・アンネローゼ。こんなところでどうしたのですか?訓練試合をご覧になりにきたのですか?」
「…」
薔薇色の頬をぷっくりと膨らませて、彼女―――この国のプリンセス、アンネローゼは喋らない。不機嫌な表情だったがしかし、ビスクドールのような愛らしい少女はそんな表情も様になってしまう。兄上、レオンハルトと同じ痛むことを知らない金髪の髪の毛もまた可愛らしい。
基本的に子供はどう扱っていいかわからないところのあるリンドウェルだが、だからと言って邪険に扱うことは出来ない。このような美しい姫君ならばなおさらである。
無礼にならない程度に彼女の顔を覗き込む、と、アンネローゼは唐突に天使のようなかんばせを上げ、きっ、と視線を強めてリンドウェルを見返した。
「この、アバズレ…」
「はい…?」
何か、天使の口からは出てはならない言葉が出たような錯覚がして、リンドウェルは瞬間、固まってしまう。妙な聞き間違いだ。このような愛らしい姫君がその…あば…なんとかなどと言うはずもないのに。
動けぬリンドウェルの、錯覚、聞き間違いであってほしいという願いはしかしむなしく散る。次の瞬間、紅も差さぬのに淡く色づく唇からは、信じられないような棘が飛び出してきた。
「アバズレ!売女!尻軽!泥棒猫!金喰い虫!毒婦!!」
「ぷ、プリンセス!?」
「どうして貴女方のような人間が王宮にくるの!?わからない!怖い!怖いわよ!私たちが何をしたというの!?」
「…」
ある種の人間にはご褒美だろう。だがリンドウェルは不幸にもその種にカテゴライズされる人間ではなかった。咄嗟のことについ言葉を選べない己に対し、強気の姫君は―――瞳にたっぷりと涙を溜めながら―――殊更に鋭くこちらを睨みつけ、
「いでっ!!」
「もうお兄様に面倒をかけないで!!」
思い切りリンドウェルの足をヒールで踏みつけた。リンドウェルの履物はつっかけ用のサンダルだったため、ダメージが直に来て思わずのけぞり悲鳴を上げる。その隙に天使のような顔で毒を吐いた姫君は踵を返してたかたかと走り去ってしまった。
あとに残されたのはうずくまりながら「あああああ~!」と唸るリンドウェルと、姫君の言葉の違和感だけだった。
「ぐうう、『貴女方』に、『面倒をかけないで』か…なるほど…ああああ…」
違和感を解決する糸口をつかめたような気がしながらも、しばらくはサンダルを履くのは止めようと心に誓ったリンドウェルであった。
◆
リンドウェルが女神の巫女の大役を承って、一ヶ月が過ぎた。その間に女神に対して祈りを捧げる儀式も何とか済ませ、ひとまずは問題なく任務をこなせるだろうと内心安堵している。
巫女に任せられる事務仕事、祭事のタリスマンやアミュレットの作成、大量の書類へのサインも、父の商いを手伝って育った己にとっては、難なく出来ることだった。神に仕える者特有のお硬くて回りくどい文脈にももうすっかり慣れたもので、今日までに整理しなくてはならない書類は、全部目を通してある。
ふう、と一つ息を吐きながら、リンドウェルは紅茶を一口飲んだ。すっきりとしたマスカットのフレーバーが、口腔いっぱいに広がって、自然と肩の力が抜けていく。
既にルーティンとなったノックの音が執務室に響き渡ったのは、そのときである。いつもよりも気楽な気分で「どうぞ」と彼らを招き入れた。
「巫女姫、今日も紅茶をお持ちしま…、おや、休憩中でしたか」
「いらっしゃいませ、皆様。本日も足をお運び頂き、真に光栄の極みにございます」
立ち上がってこの一か月ですっかり見慣れてしまった面子を招きいれ、厳かに礼をし、席を勧めた。四人が四人、執務室に備え付けられた談話用のテーブルにつくのを確認すると、リンドウェルは彼らに茶を淹れた。
「皆様、どうぞお召し上がりください。皆様のために、実家から取り寄せました」
「ああ…、そうだな。姫の淹れてくれたものだ頂こう」
彼らの前の席に着き切り出すと、王子レオンハルトが一同を代表してか口を開こうとする、が、リンドウェルは柔和な微笑みを形作り、その言葉を遮る。
「そろそろお芝居はおやめになって、腹を割って話しませんか?」
にこやかな笑顔を崩さぬまま告げると、紅茶に手をつけようとしていた一同の表情がぴたりと強張った。ただその中で一人、コンラートだけがこちらを真っ直ぐに見つめる目を細めて、ふむ、と頷いている。
「おわかりになられましたか、『巫女殿』」
「ええ、あのような状況、そうそう起こるわけがありません。何かしら裏があると勘ぐるのが道理」
「なるほど確かに…あれは少々やりすぎました。お心を乱したようで申し訳ありません」
「いえ…まあ、少々、戸惑いましたが。大きな謎かけをいただけたようで、年甲斐も無くわくわくしてしまいましたよ」
「おや、わくわくですか。お気に召したようでなによりです」
「い、いやちょっと待てって!!」
ははは、ふふふ、と和やかに会話を進めるリンドウェルとコンラートに対し、真っ先に反応したのは意外にも騎士エーヴァルトだった。彼は日に焼けた精悍な顔立ちを驚きに彩って、商人二人を交互に見つめる。
「え?あ?ばれてたのか…!?いつから…!?」
「ばれてた、と言うのはわたくしが女神の巫女に相応しいか否か、監視されていたことでしょうか?」
「え、あ、おう…」
エーヴァルトは語気を弱め、居心地が悪そうに眉根を垂れる。
それはそうだろう。理由はどうあれ、彼らはリンドウェルを騙し、試していたのだ。腹芸の得意そうなコンラートはともかくとして、この直実そうな騎士がそれを良いと思っているとは、どうにも思えなかった。
それでもこちらから視線を逸らさぬところに彼の心根の真っ直ぐさを感じ、リンドウェルは自分のぶんの紅茶を口に含みながら、笑みを深くする。
「この一か月でたどり着いた、わたくしの推論を説明させていただいてもよろしいでしょうか?」
「…ああ、構わん」
一同の視線が集まる中、代表して頷いたのは、やはり第二王子である。その返答に一拍置いて、皆の好奇心を受けながらリンドウェルは語りだす。
「まずは、この女神の巫女という職業は神託によって決定されます。確かにこの方法では全ての、どのような女性にもその権利が与えられるようですが、少し問題があった」
「ああ…」
「正しく『どのような』女性でも…このことで過去に、何か問題が…想像するに、王宮の男性が籠絡されてしまうような事態が起こったのではないでしょうか」
レオンハルトの顔が、苦いものを噛み潰したかのように歪んだ。その顔を推論に対する肯定と受け取って、リンドウェルは語り続ける。
「これを反省として、神託による巫女選びをやめられれば良かった。しかし、そうはできない事情が出てきてしまった」
「…神託を行う占い師や熱心な女神信仰家が反論してきてな。国民をあおって暴動を起こそうとしてきたのだ」
「そうよぉ!今も昔も宗教家って頭が固くって嫌だわ!たぶらかされたのは王宮のしつけがなってなかったから、自分たちの神託は間違ってないってね!」
王子の説明を補足するように言葉を発した声にしかし、リンドウェルはぎょっと目を見開いた。野太いがしなを作った声である。そして聞きなれない口調であった。
この部屋にこんな声を出す人間がいただろうか?混乱するまま元凶の声の方角へと恐る恐る顔を向けると…少し垂れ目がちな瞳と個性的な服装が特徴的な、紛うことなき男性がにっこり微笑んで手をてらり、と気楽な調子で振った。
領地の息子、ヴィルフリートであった。
己を口説いていたときとは妙に印象が違う彼に、リンドウェルは開いた口が塞がらない。呆然としたまま動けない己を慮ってか、コンラートが眉根を寄せて、女性のような仕草をするヴィルフリートに言った。
「ちょっと、ヴィルフリート殿、巫女殿が困ってますよ」
「あらあ、いいじゃな~い。この一ヶ月堅苦しかった~!腹を割ってって巫女様も言ってるし、とっとと本性教えてあげたほうがいいでしょ」
「ほ、ほん、しょう…」
あら?もしかしたらヴィルフリート様は『アチラ』の方なのかしらん?会話から察することの出来た事実に目を瞬かせると、テーブルの向こうでレオンハルトとエーヴァルトが心中察するとばかりに遠い目で頷いた。
リンドウェルたちの気持ちに気付かないのかあえてのふりなのか、目の前の―――『オネエさん』は、世間話でもするような軽さで話し続ける。
「お察しの通り、過去に何度か素行の悪い巫女に若い男が犬みたいになっちゃうことがあってねえ。見習い騎士とかならまだ良かったんだけど、王族とか貴族とかもいたらしいのよ」
「いえ察したのはそちらもなんですが…いえ、やっぱりいいです」
「ごほん…しかしその巫女を辞めさせようとすれば占い師たちが自分たちの神託を無視する気かと黙っていない」
「…王族が女一人を囲んで、内乱を起こしかねない場面もあったらしいって聞いたことがあるんだよな。正直、ぞっとするよ、俺」
険しい顔をしながら語るレオンハルトとエーヴァルトに、リンドウェルは表の表情は変えずに、裏では思いきり顔をしかめた。
この国の強い女神信仰を否定するつもりは一切無い。だがそればかりを妄信していては大事なものを見落としかねない。今でさえ女神信仰は根強く、少々狂信的な面があるのだ。過去の『エルドラド』はまさしくその教訓の見本のようなものだったのだろう。
「このままではいずれ、国は女神信仰に潰される。しかし信仰の厚いこの国で、急に女神の巫女選びをやめればまた暴動がおきかねない。そこで…」
「女神の巫女をあえて男で囲い、様子を見させる、という手が取られたのですね」
言葉を引き継いだリンドウェルに、王子はその通りだ、と頷く。
つまり今までの茶番は―――己の目を引くための演技だったということだ。確かに好意を寄せる男性がそばにいれば色目を使いたい女は満足するだろうし、何かを企む本当の毒婦の監視にもなる。仕事に差し支えない頻度でこちらに来ていたし、表面は女神の巫女を褒め称えているのだから、占い師も熱心な宗教家たちも文句は言えないだろう。
納得するリンドウェルに、コンラートが苦いものを多く含んだ顔で笑った。
「…くだらない、と思われるでしょう?」
「いえ、男性からちやほやされて喜ばない女性は少ないでしょう。私も少し良い気分になれましたし」
「えー?困ってたように見えたわよ?」
「ああまあ、はい…正直引きました」
「だよなあ…」
素直に感想を言ったリンドウェルに、「俺もあれはどうかと思う」と頷いたのは騎士エーヴァルト。彼は腕を組みながら唸って、「俺演技下手だったろ?」とこちらに尋ねた。
リンドウェルは苦笑して、首を横に振る。
「エーヴァルト様は、なかなかお上手でしたよ」
「アラ、エーヴァルト様『は』ってことは…」
「こほん…ともかく、わたくしは国王の御前でこの大役を、精一杯努めさせて頂くと誓った身です。名誉にかけて、堕落することなく一年を終えることを約束しましょう」
一ヶ月前にエルドラド国王の前で述べた言葉を、今一度告げる。王とよく似た鋭い瞳を持つ第二王子は、すっと表情を引き締めて、リンドウェルを視線で射抜いた。
「名誉にかけて、か…、その言葉、信じてもいいのだな」
「わたくしは商人の娘。信頼に何より重きを置いております。もし王子のご信用に足りないのなら、この場で血判状を作っても…」
「いやいい。意地の悪いことを尋ねて悪かった。私たちも、君の心を試すようなことをして本当にすまない」
信頼しよう、女神の巫女、リンドウェル。そう言って、第二王子レオンハルトは、こちらに向けて右手を伸ばしてきた。大変な栄誉である。リンドウェルは粛々と、その手を握り返した。
「それと…これはいらぬお節介かもしれませんが、妹様のお部屋へ顔を出していただけませんか?」
「アンネローゼか?何故だ?」
「どうやら妹様は女神信仰、そして女神の巫女で何か嫌な思いをなさっているようです。そのようなことを、仰られてましたので」
握手を終えて告げたリンドウェルの一言に、レオンハルトの目が見開かれる。
彼らの話を聞く限り、城内には女神に対して狂信的な考えを持つものが少なくないのであろう。信仰は無論自由である。だが熱心すぎる信者が、他者を傷つける例は歴史に溢れている。
察するに、アンネローゼはそういう輩に、何事か嫌がらせめいたことをされたのではなかろうか?女神の巫女を第一に考えろと、押し付けられたのかもしれない。己に対する彼女の態度は、嫌悪と恐怖でいっぱいだった。
その意味を含ませて言えば、レオンハルトは察知したらしく重々しく「そうか」と頷いた。
「あの子は強い子だ。だがどうしても我慢しすぎる。私や両親にも滅多に涙を見せない。気付いてやれなかったとは…」
「王子のせいではありません」
「いや、忠告感謝する。リンドウェル。私があの子を守ってやらねば」
言って早々、王子は「来たばかりですまない」とリンドウェルに謝罪をし、立ち上がる。どうやら妹、アンネローゼのことが気になって仕方ないようだ。歳の離れた小さな妹を可愛がりたい気持ちは、自分にもわかる気がした。
他の面子も王子にならい、順々に立ち上がる。一同の顔は、皆すっきりとしていた。言い渡された面倒な役目が軽くなったことに、安堵しているのだろう。
「貴女面白いわ。今度『女同士』ゆっくり話をしましょ」
ヴィルフリートはそう言って長いまつげに縁取られた瞳をばちん!とウインクさせてから、退出した。
一人になれば急に寂しく感じる執務室の中、残されたリンドウェルは、ふう、とため息をつく。やけに大きく響くその残響を聞きながら、口角を持ち上げた。
「これで、私の『仕事』もやりやすくなりそうだな…」
などと、多少物騒なことを呟いてみるが、決してレオンハルト王子との約束を違えるわけではない。先ほども言ったように己は商人だ。交渉相手の信頼を損ねることは絶対にしない。
では己は何を狙っているのか―――それはもしかしたら、己と同じにおいのするコンラートならば気付いているかもしれない。だが特に咎めるようなこともされなかったので、許可されたと思ってもいいのだろう。
すい、と目を細めて商人である自分が女神の巫女の大役を受けた理由を頭の中に思い浮かべ、ソファの背もたれに体を預けた。
女神の巫女になれば、国中に名が広まることは間違いない。それと同時にリンドウェルの父が営む商家の名も。何より、己が望んだのは王宮に強い繋がりが出来ることだ。
(コンラート様とは純粋に交渉が出来そうだし、騎士団はまだまだ伸びしろのある若者が沢山いる…練習用の武具は大量発注が期待できる。それにヴィルフリート様の毎日違う花を用意した手腕…予想以上だ)
彼…否、彼女なのか?の領地は花や薬草が名産だとこの一ヶ月の調べでわかった。それにヴィルフリートの肌のきめ細やかさは女性のリンドウェルでもうっとりしそうなほど整っている。恐らく領地の花や薬草で、化粧品を作っているに違いない。
それを表に出さないということは独自で発展させるつもりなのかただの趣味として作っているのか…ともかく、どうやって口説き落とすかが手腕の見せ所となるだろう。
(レオンハルト様には妹様へのプレゼント…いや、『防犯グッズ』などが喜ばれそうか…)
寡黙で冷静な男のように見えたが、家族愛が強い。妹、アンネローゼの身を案じているようだったので、護身用の商品を取り寄せれば喜ばれるはずだ。
「この一年、彼らが商売相手になるか否か…」
全て己の腕にかかっている。父の商売をさらに巨大なものにする術を頭の中で何重も考えながら、決意も新たにリンドウェルは立ち上がったのだった。
婚約破棄というジャンルがあるのなら逆ハーレム解消というジャンルがあってもいいと思っている。