望郷の想いとひとつの命令
部屋に戻ってきた私達は、まずナディス達にこんなことがあったと報告をした。
ナディスもカーディーンも難しい顔で私達の話を聞いて考え込んだ。
「厄介なことになったものだ。こちらが拒み続けているからと強引な真似をなさるとは」
男女の差を考えても国の招いた賓客に対してずいぶんと強引な振る舞いだとナディスは憤慨している。
「グィンシム家は国賓としてこの地へ招かれているのです。ペルガニエスの一貴族が私達に無礼を働くと言うのはひいてはアファルダート王家への侮辱に他なりません!断固として抗議するべきではありませんか。それもカティア様のお言葉を自身に都合よく捻じ曲げるだなんて!!」
ネヴィラが分かりやすく憤慨を示している。私の事に怒ってくれているのがなんだかくすぐったい気持ちになった。
どうやらクレイウスも焦っているのだろうというのがナディス達の見解の様だ。
明日、ペルガニエスの王家にクレイウスの非礼を訴えるという話になった。
なんだか難しい話をネヴィラも一緒に色々としていたが、皆明日も予定があるのでまた時間を作って話しあおうと言うことで私はカーディーンと共に部屋へ戻ることにする。
部屋に戻るとカーディーン宛てにマスイール邸から手紙を持った使者が来ていた。カーディーンが珍しく完全に眉を寄せて睨むように受け取った手紙を読んでいたので私も覗き込んでみたが、文字が読めない私にはこの短い文字の何がカーディーンに睨まれているのかさっぱりわからなかった。
ところで私はペルガニエスに来てからカーディーンの頭に乗ることを控えている。なのでペルガニエスの者がいない今、ここぞとばかりに手紙を読むふりをしてカーディーンの頭上で高い視界と安心する特等席とでも言うべき髪にお尻を置いている。ペルガニエスに来てからずっとつけている鱗石は、就寝の時だけは外してもらっているので今は何もつけていない状態だ。なるべく軽く作られたとはいえ、ずっとつけていると私にとっては重いしつけている感覚が気になって仕方がない。眠る時に外してもらうと、体が軽くなったような気がするから不思議だ。
ちなみにカーディーンはなるべく頭を動かさないよう器用に一人で着替えている最中で、リークは外した鱗石の手入れや私が使う品々、特に爪が引っ掛かりやすい布類にほつれや不備がないかの点検をしつつ、時折カーディーンの着替えの補助をしつつ、私とカーディーンの通訳をしている。
なんだか気の抜けない日々が続くので早く落ち着くアファルダートにあるカーディーンの宮に戻りたくなってきた。
「青と緑であふれた寝台は美しく心地よいが、長く離れると我が宮の赤い絨毯が恋しくなってくるな」
私も丁度アファルダートが恋しくなってたんだけれど、カーディーンもそうだったんだね。リークも?
「そうだな。他の皆もアファルダートの食事が恋しいと言っていたな」
私の言葉にリークがそう言ったので、私は不思議に思って聞き返す。
ご飯はペルガニエスの方が美味しいんじゃないの?私は美味しい花がいっぱい食べれて嬉しかったよ。
「確かに食材や調理法、料理の種類は圧倒的にペルガニエスの方が多いし優れている。素晴らしい料理だと思うのだけれど……」
リークがちょっと困った様に言葉を探していたのでカーディーンを見下ろすと、リークの言葉を引き継いだ形で答えた。
「美味しい料理と慣れ親しんだ味は違う。アファルダートの料理はペルガニエスの料理に比べて、アファルダートでしか採れない香辛料を多く使う。いわばアファルダートでしか食べられない味なのだ。だからアファルダートの味が懐かしく思うのだろう」
ムーンローズは海砂にしか咲かない花なのでペルガニエスで食べることは出来ない。だからムーンローズを食べるとアファルダートにいる感じがする!と言った感覚だと説明されて納得した。
あとリーク曰く「舌の違い」によってどうしても物足りなく感じてしまうそうだ。生まれた国によって人間の舌は種類が違うらしい。同じ国でも身分や、個人でも少しずつ差があるのだが、国をまたぐと大きく変わるのだ。ちなみに鳥と人間は体の作りも違えば当然舌ももっと違うから、私とカーディーン達が食べる物は違うし、同じものを食べても同じ美味しさではないのだそうだ。へぇ~と思いながら聞いた。
もっと味が強ければとても美味しいのだろうと語る。カーディーンはリークの言葉に何も言わなかったけれど、目が同意していたのでどうやらアファルダートから来た者たち全員が同じように考えているらしい。たぶんペルガニエスで一番ご飯を美味しく楽しんでいるのは素材の味をそのまま堪能している私だろうとカーディーンは笑って言う。
ただしこれはペルガニエスの人がいる前で話してはいけないと言われたので私はくぴーと返事をした。
皆美味しいと褒め称えていたけれど、実はちょっと不満に思っていたんだなぁ。
そんな話をしながらカーディーンが着替えを終えてリークが退室し、部屋の明かりが落ちて月明かりが差し込む中でカーディーンとくっついて丸くなる。
いつものようにカーディーンの首横にぴとりとひっついて丸くなった私を指でちょいちょいと撫でながら、カーディーンがゆっくりと深い息を吐く。
「早く、我が国に帰りたいものだな……」
眠りにつく間際の囁く様なかすれた声に、リークがもういないので私は同じように深く深く、くぴーと鳴いて答えた。
翌日もネヴィラは社交に精を出し、カーディーンと私はその護衛として一緒に行動をしていた。不満に思うことがあってもペルガニエスとの友好的な態度を崩してはならないので、ネヴィラもまるで何事もなかったかのように笑顔で話したり聞いたりしている。
お昼終わりに昨日の報告を兼ねてナディスと顔を合わせることになっているので、それまではネヴィラの予定を淡々とこなした。
時間になってお昼を食べ終わり部屋に向かうと、長椅子にゆったりと持たれて何やら手紙の様なものを眺めていたナディスは見るからに不機嫌を隠さない様子だった。
「お兄様どうなさったのですか?」
簡単なあいさつを終えて席に着いたネヴィラが切り出すと、ナディスは一度目を伏せてから飲み物を口に含み、ゆっくりと飲みほしてから言葉を紡ぎ始めた。
「腹立たしいことにネヴィラの予定が動いた。クレイウスの仕業だ」
どうやらナディスはポリオノンテ家の者にさっそくクレイウスの態度について抗議をしたのだが、クレイウスが先んじてネヴィラの予定を組み替えてしまっていたらしい。
そしてそのことに対してナディスに丁寧な言葉でお詫びする旨の手紙が届いたそうだ。さっき読んでいたものだろう。今は投げ出すように机の上に放り出されている。謝罪は予定を勝手にかえたことではなく、報告が事後になったことに対してのものだったようで、あくまでこちらの望みをかなえる為に動いたと言う体なのが非常に腹立たしいとナディスは言っていた。
「いくら大きな権力を持つとはいえ、なぜ一貴族でしかないクレイウス様がこちらの予定を動かすことが出来るのですか。私達はあくまでポリオノンテ家に招かれた賓客でしょう」
「こちらが考えていたよりもクレイウスの力が大きかったようだ。アイオヌーン家に連なる娘を伴侶に迎えてそちらを擁立し、政にも無視できぬほどの権力があるらしい。国内に並ぶ者がいないほど力があるので、ポリオノンテ家ですら力で抑えることが出来ぬようだ」
ネヴィラが不満を隠さない声音でナディスに問うと、ナディスも苦い物を食べたかのような表情で答えた。一緒に聞いているカーディーンも眉間にしわを寄せて睨みつける様な苦々しい表情をしている。
つまり今国内で力が強いのはクレイウスの一族で、そのクレイウスが味方しているアイオヌーン家がかなりの勢いを持っているらしい。
そしてそれを阻止したいポリオノンテ家は、ペルガニエスにとって最も重大なアファルダートとのつながりと言う武器を強固にし、そこからアイオヌーン家の力を削ぎたいと考えているのではないかと言うことのようだ。
その為にわざわざ誕生祝いの宴にカーディーンを王子として招いて対立するアイオヌーン家を牽制したかったのだろう。本物の王家とつながりを深めて関係を強調したかった、ということ……であっているのかな?細かい事情がよくわからないけれどたぶんこの理解であっているはずだ。
「自分達の都合で利用した我らをクレイウスの都合で動かされ、それを阻むこともできぬのだから嘆かわしいことだ」
「その様な勝手な変更でしたら、こちらがそれに従わなければよろしいのではありませんか?」
ネヴィラがおずおずと尋ねたが、ナディスは首を横に振った。
「そうしたいところだが、生憎こちらはそうすることが出来ないのだ」
そこからナディスが私達に説明してくれたところによると、クレイウスは予定を替えたと言ったが、正しくはネヴィラが元々立ち寄る予定だった場所からの帰り道での休憩場所をずらしたらしい。
ペルガニエスの護衛や馬車を操る従者はアイオヌーン派閥の者が多いらしく、クレイウスの意を汲んで動いてしまうようだ。
こうなってくるともうペルガニエスの護衛は信用できなくなってくる。アイオヌーン派も、ポリオノンテ派もだ、とカーディーンが静かに言った。
そもそもなぜアファルダート側がペルガニエスに強く出られないかと言うと、もともとアファルダートはその特殊な大地の事情により、民の食料をペルガニエスとの交易で賄っているところがある。
珊瑚樹林は莫大な実りを齎すが、雨の少ないアファルダートでいつ現れるかわからない恵みを当てには出来ない。
なので大地が豊かで食料が豊富なペルガニエスとの交易がとても大事なのだそうだ。宮殿住まいの私は水も緑も当たり前の様に見ているし、花を主食としているが、アファルダートでは宮殿でしか許されない贅沢で、ペルガニエスとの交易で食料が得られないと困るのはアファルダートの民だ。
昔はそれでもアファルダートとペルガニエスの力関係はほぼ対等だったらしい。海に囲まれたペルガニエスはアファルダートが唯一接していて交流のある国で、しかも海の流れの関係で他国の物を手に入れようとすると、どうしてもアファルダートを経由しなければならないという事情があったそうだ。
しかし近年ペルガニエスは航海技術が高くなり、少しずつアファルダート以外の国と直接交流を持てるようになった。そこに大きく貢献しているのがどうやらクレイウスなのだそうだ。そしてそうなると、両国の関係が大きく変化する。
ペルガニエスがアファルダートから得ているのはアファルダート独特の工芸品であったり宝石、特殊な鉱石が大部分を占める。得られなくなっても貴族の体面は大いに傷つくが、別になくても民が飢えることはない。そのあたりの価値の違いと得られる物の違いが立場の違いにつながっているのだとリークが補足してくれた。
もちろんまだ交流と言う意味でも船での移動と言う意味でもアファルダートとの交易を上回るような大きな益はない。だからこそ、クレイウスはポリオノンテ派の最大の武器であるアファルダートとの交易に食い込みたいのだろう。そしてその手段がネヴィラとの婚姻と言うわけだ。
他国で動かせる手勢も少なく、こちらの自由がかなり制限されて良い様に動かされている上、すべてが後手に回っているような状況で協力体制の派閥は相手に力負けしていると言う状況がもどかしくてならないのだろう。なるほどなぁと思った。
「我らはポリオノンテ家と繋がってはいるが、この国の内乱でどちらかに加担するつもりはありません。なるべく予定を繰り上げて早く帰国すべきでしょう」
ナディスがカーディーンに言い、カーディーンが頷いてから皆ですみやかな帰国のための予定を立て、今日からそれに向けて動くようだ。多少無茶に帰国の予定を立てて帰ってもペルガニエスに文句は言わせないとナディスは言っていた。
私としてはなんならもう今すぐ帰りたいところだが、さすがにそうもいかないようだ。
ナディスの大きな仕事の交流がひとつと帰国のためのポリオノンテ家への目通りと日程の調整、ネヴィラはクレイウスが変更した予定はアファルダートにとっても大事なものなので取りやめることが出来ないそうで、従うしかないとのことらしい。
その後色々とクレイウス対策としてナディスとカーディーンとその他文官の様な人達が話しあっていたのだが、カーディーンは何か深く考え込むように言葉少なに沈黙していた。
一通りの話し合いが終わった後、カーディーンが口を開いた。
「もはやポリオノンテ家からの満足な助力は期待できない。打てる手は、全て打っておかねばならぬだろう」
何か思いつめたような表情をするカーディーンと、静かにカーディーンを見るナディスと、心配そうなネヴィラの視線が重い空気を漂わせている。
そうしてカーディーンは私を見つめてから言う。
「カティア、これから私がとる手立てによって、そなたに今以上の苦難が伴うかもしれない」
大丈夫だよ!私はカーディーンを守る守護鳥だからね!
私がしっかりと胸を張って答えると、カーディーンは小さく笑ってナディスとネヴィラに命じた。