表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
98/106

夜に迫る影の足音

 一緒にやってきたのはネヴィラの部屋のすぐ近くにあるという中庭だ。中庭に明かりはなく、城から柱のアーチに沿う様に大きく丸く伸びた光が暗い中庭を照らしている。

 月と星明かりと、従者が持つ燭台の光だけでは花の色は見え辛いが、暗く浮かび上がる影の様な中庭は寄せては返す波の音が遠くにあって、波音があるのにどこか静かで穏やかな空気が漂い、遠くから運ばれてくる海の匂いを運ぶ風が心地よく羽に当たる。潮の匂いに混じった植物の香りがよくわかって、なかなか素敵だなと思った。

 私は飛びまわって温かくなった体の熱を逃すように静かに、隣に立つネヴィラも風に揺れる豊かな黒髪をそっと押さえながら穏やかな表情で中庭を眺めて、不思議と言葉がいらない穏やかな時間が流れた。


「花の匂いが風に乗って、よく見えないのに花の存在がとてもよくわかりますね」

 そうだね。やっぱりペルガニエスはどこにいても植物の匂いがするのがとっても素敵。


 そこから和やかな空気のまま、二人で他愛のない話を少しばかりした。

 といっても私が、今風が運んできた花の匂いは強いからきっと花弁が厚くてかみごたえがあるだろうとか、そこにある花はすっぱい匂いがするから口の中がきゅうっとしそうだとかそう言った話だ。

 ネヴィラはころころと微笑むように私の話を聞いて、たしかこの花はペルガニエスで香油によく使われる花だとか、あの花は匂いは素敵だけれど触ると指や服に花の汁がついてなかなかとれないから遠くから眺めるのがいいだとか、それぞれ植物に関する好きなことをお互い好きなようにしゃべっていた。

 噛みあっているようで全然かみ合っていない気がする会話は不思議とよく続いた。


「そういえば……ペルガニエスでは幼い少女達は皆、花で冠や首飾りを作って遊ぶのだそうです」


 花に関して貴族の女性目線で色々な知識を語ったネヴィラが、ふと思い出したように語った話に何となく興味を持った。


 花の冠と首飾りかぁ……とっても素敵だね。美味しそう!!

「ふふっ、カティア様は食べてしまわれますものね。アファルダートでは考えられない遊びです。花の冠と言えば、アファルダートでは高貴な身分の女性が婚礼の際に身にまとう物ですもの」

 へー、そうなんだ。


 言われてみれば、以前離宮で見た肖像画のタンナーナも頭に花冠を乗せていた。たしか花嫁衣装って言っていたっけ。

 私が知っている王族の婚礼と言えばラナーの婚礼なのだが、あの時の宴は初日に少しだけ参加してナーブとうっかり番ってしまいそうになった為、結局ラナーの姿など一度も見ずに終わってしまったことを思い出した。

 そして首飾りに花嫁衣装と言えば、ふと思い出したことがある。そういえば先ほどのクレイウスの話で、クレイウスはナディスにネヴィラへ求婚の為の首飾りを贈ったと、カーディーン達が話していたとリークが言っていたのを思い出した。

 あれ?でもあの話はたしかナディスが断っていたはずだよね……?

 気になったのでせっかくだしネヴィラに直接聞いてみることにした。

 ネヴィラは少し困った様に眉を寄せてから独り言のように教えてくれた。


「確かに首飾りは贈られてきました。兄が断っていましたけれど、どうやらまだ諦めていない様で、あれからもずっと折に触れて求婚の話を持ちかけているようです」


 クレイウス自身が駄目なら、よりネヴィラに釣り合う男性との求婚はどうだと持ちかけるほど熱心らしい。しかしクレイウスとつながりのある男性で、ネヴィラと釣り合いのとれる王族かそれに準ずるほどの身分を持つ男性はいないと、ナディスはその話を交わし続けているようだ。溜息をこぼす様な口調でネヴィラがそう教えてくれた。


「今回の宴もポリオノンテ家に連なる者達による宴でしたから、どちらかといえばアイオヌーン家に縁のあるクレイウス様はあまり居心地のいい場所ではなかったはずなのですけれど、たぶん私達が揃って出てくる宴なのでわざわざやってきたのでしょうね……」


 そしてクレイウスがそこまでネヴィラとの求婚を求めるのは、ネヴィラとの婚姻で得られる様々な権利がクレイウスに莫大な利を生みだすからだと説明してくれた。今現在もカーディーンやナディスは、クレイウスがグィンシム家に介入することで今の政にどれほどの影響力があるのか、それによって今後の国同士の関係にどう影響があるのかということを考えて話しあっているのだそうだ。きっと私が一緒に聞いていたら訳がわからなくなって飽きてしまうか、すぐに眠ってしまうだろう。……だから部屋で遊んでいていいと言われたのか。

 ペルガニエスの身分の高い男性が伴侶を複数持つのは、多くの家と繋がりを持つ為なのだとネヴィラはちょっと寂しそうに教えてくれた。


 そういえばアファルダートも王様だけは伴侶を複数持つんだよね?

「はい、王族は血を絶やしてはなりません。ですがペルガニエスとアファルダートでは貴族と王族の数も、その区切り方も異なりますもの」


 血の災いがある王族ならではの事情で、アファルダートの王族も貴族も結束は固いのだと言う。

 だからこそ、他国からの介入も許さないし、逆に干渉するのも難しい問題なのだそうだ。


「アファルダートの王族は今日に至るまで、ポリオノンテ家の王族と関係を深めてきました。タンナーナ様が嫁がれたこともその大切な繋がりのひとつです。クレイウス様がポリオノンテ家に縁ある方ならばともかく、アイオヌーン家とつながりがある以上、グィンシム家はアイオヌーン派のクレイウス様とは関わりを持つ必要がない、と言うのがお兄様の考えなのです」


 私はふぅんと返事をする。

 家同士のつながりで誰と仲良くしていいとか、だめとか、めんどうだなぁと思う。


 人間が番うのって大変だね

「そう、なのでしょうか……?ではカティア様、守護鳥様はどのように結ばれるのでしょうか?」

 なんか番いたいなぁ~と思ったら……かな?


 ネヴィラがふと気付きましたと言わんばかりに問いかけてきたので、私はくふーと胸を張って答える。ちょっと自信なくて最後まで言いきれなかったけど。

 そんな私の答えを聞いて、ネヴィラはびっくりしたようにころころと笑った。


「守護鳥様の婚姻は女性に婚姻するかどうかの選択があるのですね」

 そうだね。嫌だと思ったら逃げると思うよ。


 ナーブとの一件でびっくりしながらも逃げたことを思い出しながら答えた。

 ネヴィラは「素敵ですね」と相槌を打って微笑んだ。


 アファルダートの話をしてたらなんだか帰りたくなってきたなぁ。


 私が呟いた丁度その時、ひと際強い風が吹いて、月明かりの花の影が波の様に揺れた。


「まるで月の光に揺れる海砂のよう……。見慣れた砂一面の海がなんだか恋しくなってまいりますね」


 揺れる影を眺めて二人で郷愁に駆られていると、私の耳にとてもゆっくりとした足音が聞こえてきた。


「カティア様、ネヴィラ様。……庭園の散策でしょうか?」

「あら、エウアンテス様。月の美しい夜ですね」


 ネヴィラが振り向いた先にいたのは占い師のエウアンテスだが、今日は珍しいことに占い師の恰好をしていなかった。

 いつもの被り物もないので顔がよく見える。いつもと同じ堂々としたゆっくり具合だが、やはりあの占い師独特の一風変わった雰囲気のある衣装とやたらと混ざり合ったきつい香の匂いがなければ気品のある若い青年といった風貌だ。まぁ香の匂いはかすかに髪に残っているので足音とあわせて誰が来るかすぐにわかったのだけれど。


「今夜は星が少ない……。この庭園は形も色もさまざまな花が咲き誇っているのですが、この暗がりではあまり花は見えないのではありませんか?」

「そうですね。花そのものは見えませんが、風に乗った香りを楽しんでおりました。カティア様の教えてくださるお花の香りから想像する花はとても美しいのですよ」

「それは楽しそうですね。私もぜひお聞きしたいものです」

 エウアンテスもお花に興味あるの?いいよ。お話しても!


 私がくぴーと鳴いて匂いから想像する花の形を語り始めると、それはおそらくこの名前の花でしょうとエウアンテスが答えた。こういう由来があるだとかネヴィラよりも詳しく教えてくれる。

 やっぱりエウアンテスの語り口調ってどこか聞きやすくて好きだなぁ。


 へぇ、エウアンテスはお花に詳しいんだね。

「私は占い師ですから……。ある意味、植物は仕事道具なので幼いころより色々と学びました」

「私も幼いころにマスイール邸にて様々な植物が描かれた本を読んだことがあるのですが、覚えきれないほどの草花に驚いたことを今でも鮮明に覚えております」

「そう言っていただけるとペルガニエスの民として誇らしい気持ちになります。……ですが、アファルダートも、植物はとても神秘的で美しいものがたくさんありますね」

 そうなんだよ!私が一番好きなのはムーンローズっていう花なの!


 私はムーンローズが月夜で輝く絨毯の様に光り輝く花蜜を溢れさせてどれだけ美味しいか、珊瑚樹林の二枚貝の実がきらきらと輝く丸い石のようでどれだけ美味しいかを一生懸命エウアンテスに語った。


「私もこの旅で初めて珊瑚樹林が出来るところを近くで見ました。とても……とても不思議で美しい光景でした」


 ネヴィラも供に見た珊瑚樹林の光景を思い出したかのようにうっとりとした表情で遠くを見つめながら私の言葉に同意する。

 思いだしたらなんだかますますアファルダートに帰りたい気持ちが強くなった気がした。モルシャに会いたいなぁ。


「それはぜひ……私も見てみたかったです」


 そんなネヴィラを眩しそうに見つめながらエウアンテスがそっと囁いた。


 ペルガニエスにもムーンローズみたいなお花はある?


 私がわくわく尋ねると、エウアンテスは少し考えた後ゆっくりと口を開いた。


「我が国の植物は燻すと不思議な匂いや色のついた煙を出す物はございますが、基本的に変わった育ち方をするものは少ないのです。

 ……あぁ、でも、ひとつ珍しい花はございますよ」

 珍しい?光るの?

「光はしませんが、……そうですね我らの間では『歌う花』として親しまれる花がございます」

 歌う?花が?


 私がきょとんと言葉を繰り返すと、エウアンテスが私にゆっくりと頷いた。


「正しくは花が音を出している、と表現すべきなのですが、見た目はあまり美しくないとよく言われる変わった花です」


 エウアンテスの説明によると、その花は輪の様な薄黄緑色の形が特徴の花で、その輪を強い風が通り抜けると音が鳴るのだと言う。

 海辺の近くにある風の通りが良い丘などに咲いていて、群生しているような場所では強い風で一斉に陶笛の様な音が響き渡るのだそうだ。

 輪の大きさや茎の長さ、太さによる揺れ方などで音色がそれぞれ異なり、重なるような音がまるで歌う様に響く様からつけられた名前らしい。


「鳥の鳴き声の様にも聞こえるので『鳥鳴き花』という異名もございますが、『歌う花』の方が一般的と言えます。

 一輪で鳴くのも大変愛らしいですが、丁度良い風が吹いた時の群生した歌う花は例えることが難しいのですが、とても心地よい音を奏でますよ」

 へぇー素敵!聞いてみたいなぁ~!!


 私が兄妹全員で鳴く感じだろうかと想像してわくわくしていると、一緒に話を聞いていたネヴィラもその様な花は聞いたことがありませんでしたと相槌を打つ。


「……お二方さえよろしければ、私が……」

 え?

「エウアンテス様……?」


 私達二人の視線を受けて、エウアンテスはどこかはっとしたような表情をしてから、ぎゅっと口を引き結んだ。


「私が……大叔父上に話を通すこともできますが、ポリオノンテ家の外交使にお話を通すのがよろしいでしょう。私が御案内させていただきたかったのですが、それは叶わないでしょう……」

「……エウアンテス様のお気持ちはとても嬉しく思いますわ。ありがとうございます」


 それは柔らかな声音だが、どこか絞り出すような表情で紡がれた言葉だった。答えるネヴィラの声も、どこかつられた様に少しだけ固く響いたように感じる。

 私には、エウアンテスが本当は何か違う言葉を言いたかったように感じられてならなかったが、たぶんこの雰囲気では聞いちゃいけないのかなと思いもやもやした想いを乗せてぴぃ~と小さく鳴いた。

 ほんの少しだけ感じた緊張の空気はしかし、すぐに霧散した。


「おぉこんなところにいたか!探したぞ、エウアンテス。やぁ、これはこれはネヴィラ様、月夜の下でも変わらぬ美しさですなぁ!!」


 静寂を破るような大声でざかざかと足音を立ててやってきたのはクレイウスだった。

 相変わらず大仰な仕種でまずネヴィラに挨拶をして、手の上にいた私に今ようやく気付いたかのように「おや、守護鳥様もいらっしゃったようで」と口にした。


「失礼ながらお二人の会話が風に乗ってこの耳に届いてしまいまして、どうやら歌う花に興味がおありだと言う。ならばぜひ私がお連れしたく存じますな。エウアンテスを案内に立て、お誘い申し上げよう」

「大叔父上……どうか、おやめ下さい」

「占い師たる我が甥の身分ではお気持ちをお汲みしても叶えて差し上げる立場に立てませぬ。しかし麗しい女性が願うのならば叶えて見せるのがペルガニエスの男として当然の務め!無論、望まれれば私が御案内することもやぶさかではございませんが」


 腕で大きく悲しみを表現するクレイウスの言葉にぎゅっと眉を寄せるエウアンテスだが、発した言葉にクレイウスをとめる力はなかったようだ。


「あいにくですが……私は一度たりとも見てみたいだとか、行ってみたいとは申しておりません」


 ネヴィラも少し眉を寄せてきっぱりと言えば、クレイウスは腕の動きをぴたりと止めてから、今度は私を見た。

 突然クレイウスの視線が私の方を見たことに、思わずびくりと小さく飛びあがってしまった。


「おや、そうですかな。ですがこちらの麗しき守護鳥様は気になるのではないですかな」

 え……私?


 私がどことなく発せられるクレイウスからの圧力にひるんでいると、リークをひと睨みした後、すぐにクレイウスはエウアンテスに視線を向けた。


「どうなんだ、エウアンテス。守護鳥様は行ってみたいとおっしゃったのではないか?」

「……歌う花の音を、聞いてみたいとはおっしゃいました」


 どこか私達に遠慮するようにエウアンテスがクレイウスに告げると、クレイウスはにんまりとしながらそうだろうとうんうん頷いた。


「ならば僭越ながら私が守護鳥様の願いを叶える助力をさせていただこう」

「いえ、私達にも予定がございますのでクレイウス様のお力添えは不要です」

「そうおっしゃらず、皆さま方のご予定は私も存じ上げております。可能な限り手間を取らせることなく本来の予定から少し寄り道をする程度で済むよう私の方でもお力添えをさせていただこう。麗しきお二方に歌う花をお見せしたいと思う我が甥の気持ちを汲んでいただきたく願います。あぁ無論ナディス様の許可をいただくことから始めましょう。その辺りはお任せ下さい!それではさっそく話をつけてまいりましょう。さ、では行くぞ!エウアンテス」

「お待ちください大叔父上!カティア様、ネヴィラ様失礼いたしますっ」


 そういって大きな声で笑いながら去って行ったクレイウスと慌てた様子で挨拶をして後を追うエウアンテスを見て、私は茫然としながら呟いた。

 なんだかものすごく強引に約束を取り付けてこちらの言葉を待たずに去ったと言った感じだ。


 これ……どうなるの?


 強引に話を勧められたネヴィラも完全に不機嫌な顔になっている。


「こちらが明確に断っているのに、カティア様の言葉を使って無理やり割り込んでくるだなんて!

 とにかく、戻ってまずは兄とカーディーン様にお知らせしなくてはなりません。あちらの話もそろそろ終わるころでしょうし、私達も戻った方がよろしいかと」


 ネヴィラがそう言い、リークも控えめながらそうするべきだと私に言ったので、私達は急いで部屋に戻ることになった。

 背中に当たる風が冷たく、庭園から伸びる草花の黒い影がまるで私達に迫ってくるかのように見えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ