揺らぐ影
デレが私達を案内したのは少し歩いた場所にある大きな池だ。
その道中ネヴィラとカーディーンは他愛ないお喋りに興じていた。カーディーンは護衛も兼ねているので視線はくまなく周囲を見ているが耳はネヴィラに傾けているようで、ネヴィラが自分はどんな色の花が好きだとかペルガニエスのこの料理が美味しかっただとか、つらつらととりとめのない話をしているのを時折自分の好みも答えつつ相槌を打っている。
「カティア様はペルガニエスではどのお花がお好きですか?私はあちらの青い花が綺麗だと思うのですけれど」
あの青いお花は美味しくなさそうだからあんまり好きじゃないなぁ。それよりはその少し隣の薄紅色の小ぶりな花の方が美味しいと思うよ?
私がくぴーと返せばネヴィラはぱっと顔を輝かせる。
「まぁ!カティア様もあの青い花がお好きなのですか!?でしたら王宮に戻ってから庭園にあの花があるか確認いたしましょう」
好きじゃないって!苦いからいらないよ!!
「一番綺麗な青いお花を摘んでこさせますね」
ちがーう!
私がくぴーと憤慨しているのにネヴィラは喜んでいると思っているのか、にこにこと嬉しそうだ。
デレにあるかどうか確認するのをやめてほしい。食べないからね。
リーク、リーク。どうして今いないの!!ネヴィラに話が通じないじゃない!
私が頬を膨らませていると私達のやり取りを何となくでも察していたのか、カーディーンが止めてくれた。
「こちらの水恋花が今一番美しく咲き誇っております」
デレがにっこりと勧める池の中を覗き込む。
といってももはや覗き込む必要もないくらい池の水の中いっぱいに水恋花が咲いている。なんなら葉っぱのいくつかがぴょろっと水面から顔を出している。風がそっと水面を撫でるのに合わせて風とはまた違う流れの水の中で揺れている姿はなんとも涼しげで目に楽しい。
しかしこの水恋花は花弁が白交じりの黄緑色だ。たしか王宮の花はほんのりと淡い赤橙色だった記憶がある。王宮のはこんなに水面ぎりぎりまで咲いていなかったから覗きこまなければいけなかったけど、こちらはたくさん咲いているし水面近くまで顔を出しているので見やすかった。同じ花なのにちょっと違う気がする。
「何度見ても、とても美しい光景ですね。水恋花の色が王宮の花と異なっているようだけれど、同じ花なの?」
「いいえ。どちらも同じ形で水の中に咲くので水恋花の名前がついておりますが、恋人達の恋を祝福する伝説を持つ水恋花は王宮に咲く色の花でございます。恋人達を祝福すると言う伝説こそ持ちませんが、単体でちらほらと咲く赤橙の水恋花と異なりこうして群生して咲き誇ります。丁度花の見頃がよろしかったので王宮のものとは異なった、池一面を埋め尽くす様な美しさをご覧いただければと愚考いたしました」
同じことが気になったのだろうネヴィラがデレに聞いてくれた。
慣れた様子でデレがわかりやすく教えてくれた話を聞いて私はなるほどーとひとつ頷く。これはこれで綺麗だもんね。覗きこまなくてもよく見えるし。
ちなみに見たければもう少し離れた別の池に伝説のある水恋花もあるらしい。
「確かに、美しい花だ」
カーディーンはそう言葉にしていつも通りの無表情に見えるが、なんというかこう、食べた花に味がなかったというか……むしろ味のない花を作業的に食べているとかそんな感じの、なんとも言えない表情で花を眺めていた。
一度ちらりとデレを見て、いつのまにかその近くにいた自分の従者を見てからどこか仕方なさそうにくすりと笑い、にこにこと景色とお喋りを楽しんでいるようだ。
ふと池の端に咲く花に目が止まった。その花弁にちいさくにょろっとした芋虫がいたのだ。
たぶん私だから見つけられたのだろう。花と私達の場所は声を張って話すほどには離れているのでネヴィラ達は気づきもしない。
気になるなぁ……あの芋虫。
ちょっとそわそわしてしまい。ぐっと体を低くしていつでも飛びたてる様に足に力が入ってしまった。いや、食べないけれど……。
私がじーっとその芋虫を見ていると、それに気付いたカーディーンとネヴィラが私の意識が向かう花に気がついた。
「あの花が気になるのですか、カティア様?」
「たしかあの花にカティアはさほど興味を示していなかったはずだが……」
ふむと考えるカーディーンとネヴィラが私と花の様子を見守る中、空からひらりと影がふってきた。
あ!
「まぁ!」
「あれは……」
鳥である。
小柄で茶色の、尾羽の先が焦げ茶色をした鳥だ。
その小鳥が滑るようにそっと花の傍に降り立って、ぱくりと花に乗る芋虫を咥え、喉に滑り込ませるように器用に芋虫の向きを変えて上を向き、流し込むように飲み込んだ。
そしてじっと見つめる私達の視線に気づいてばっと飛び立った。その姿はすぐに太陽の影になって小さな点になる。
……皆が何を言いたいかはわかるよ。特にアファルダートの人達からの視線が痛いくらいに私に集まっているし。
緊張をはらんだような空気の中、意を決したようにネヴィラが祈るような表情で口を開いた。
「カティア様は……カティア様は虫をお召し上がりにはなりませんよね?」
ちょっとだけカーディーン達ががくっとした気配を感じた。そういえばネヴィラの前で、虫をつつきまわして遊んだことがある。
食べないよ……という意思を伝える為にふるふると首を振れば、ネヴィラが安心したようにほっと息を吐いた。ネヴィラ的に重要なのはそこだったらしい。
「デレ、先ほどの鳥は一体何だ?」
「あれはただの鳥でございます。庭園や草原などの花咲く場所に、果実や虫を食べによくやってくる姿をこの時期になるとよくみかけます」
ペルガニエスではなんてことのない、よく見る鳥らしい。デレはカーディーンの問いにそう答えていた。
カーディーン達が問いたいことはわかっている。けれどここにはリークがいないので通訳してもらうことが出来ない。
大丈夫だよ、あれは私と同じ砂色の守護鳥ではないから。
何となくとしか言いようがないが、私はあの小鳥と同じではないと本能が告げている。カーディーン達がそわそわするくらいには姿が似ているだけだ。
カーディーンが内心かなり動揺しているようだったので、あとでリークと合流したら忘れずに言っておかなくちゃと思いつつ、私はカーディーンを案じながらくぴーと鳴いた。
「カティア様、どうかそのように悲しまないでくださいませ。お体の大きさが同じくらいで羽の色が少々近いだけです。虫も食べませんし、カティア様の方が先ほどの小鳥よりもずっと愛らしくて素敵ですわ!」
別に私は悲しいわけではないのだけれど……。あと私も食べてないだけで食べることは出来るよ、虫。
ネヴィラの見当違いな励ましの言葉そのものは全く心に響かないのだけれど、でも一生懸命に私を可愛い、素敵だと言ってくれるネヴィラの気持ちはなんだかくすぐったいような感じがして嬉しかった。今だけなら、美しいじゃなくて可愛いでいいかもしれない。
しばらく歩いては花を眺めて、木々にとまる鳥を愛でて、お喋りに興ずるという私にとっては運動にもならないほどのゆったりとした散策をしていた。
さきほどまでは饒舌とまではいかないまでも自分の言葉に心地よい相槌を打っていたカーディーンが少しだけ物静かになり、私がしきりにカーディーンに向かって鳴いていることもあって、ネヴィラにもカーディーンが表情や態度にはほとんど出ていないけれども、実は私より動揺していたことに気がついたようだ。
ことさら明るく様々な話題でカーディーンを励まそうとしている。
「ご覧ください、カーディーン様。池の中に何か生き物がおります!」
「それは魚ですね」
「まぁ、泳いでいる姿をきちんと見たのは初めてかもしれません。灯り魚よりずっと大きいのですね」
ネヴィラの途切れることなくくるくると変わる話題は聞いていて楽しく、カーディーンもすぐに落ち着いたようだ。
まだカーディーンが立ち直ったことに気づいていないネヴィラは、努めて明るくふるまっている。もう大丈夫だよと教えてあげたい。けれどネヴィラのおかげで、明るい雰囲気で散策に戻れそうだ。
「あら、こちらにも素敵な花が咲いております。もっと近くでみてもよろしいですか?」
「ネヴィラ様!石畳から道を外れると……」
「どうしたのデレ?え?きゃあぁ!!」
ふいに草むらへ足を向けたネヴィラに向かって、緑色の虫が素晴らしい脚力で大きく跳躍して迫ってきた。そしてその勢いのままにネヴィラの衣装にぴょいと張りついてしまう。
「いやぁ!カーディーン様、カーディーン様っ!!助けて下さいっ!」
「落ち着かれよネヴィラ殿。もう虫はついておりません。すぐに逃げましたよ」
「とってください!お願いです、お早く!!」
虫に驚いて錯乱し、カーディーンにしがみついて涙目で必死に訴えるネヴィラに、努めて穏やかな声を出しながら一生懸命宥めるカーディーン。
おかしい。先ほどまでは確かにネヴィラが一生懸命カーディーンを元気にしようとしていたはずなのに……。
「もういませんか?どこかに行きましたか?」
「もう虫はいません。大丈夫です」
何度目かになるカーディーンの声にようやく落ち着きを取り戻したネヴィラが、カーディーンと密着していたことに気づいて慌ててしがみついていた手をぱっと離した。
「も、申し訳ございません。取り乱してしまって!私は、その、なんてはしたないことを」
「っふ、ははっ」
湯気が出そうなほど真っ赤になってもごもごと言い訳するネヴィラの表情に堪え切れなかったのか、カーディーンが突然笑いだした。
「ネヴィラ殿の、その様な姿を見るのはあの蛇の時以来です」
私は少し前に蛇と出会い怯えて青ざめるネヴィラを見たことがあるけれど、そういえばその時はカーディーンいなかったっけ。
「お恥ずかしい限りです」
ネヴィラが申し訳なさそうに身を縮こまらせるのをひきとめる様に、カーディーンが言う。
「ネヴィラ殿は怯える姿もとても愛らしくていらっしゃる」
からかうような、どこか楽しげな声音にきょとんとしたネヴィラが、ちょっとだけ拗ねる様な表情のあと上目遣いに反論した。
「カーディーン様は笑ったお顔の方が素敵ですわ」
ネヴィラの言葉にカーディーンがちょっとだけ驚いたように目を見開いて、ネヴィラが「今、驚かれたということは私にもわかりました!」としたり顔で言った。
ぎこちなく繋いでいた手は離れてしまったけれど、小さく笑いあう二人がちょっと仲良くなれたんじゃないかと思う。
小さな一騒動があったことで、ネヴィラの体力を考慮して休憩をしようという話になった。
ネヴィラが従者に指示して、持たせていた絨毯を柔らかそうな草の上に敷こうとするのをデレが慌てて止める。
「あちらに石造りの長椅子がございますのでそちらへ参りましょう!」
貴族の女性が地面に座り込むなんて!と顔を青ざめるデレの言葉にネヴィラが素直に折れて長椅子を目指すことにした。
なるほど。エウアンテスが話してくれた離宮の絨毯や壺などが出来たいきさつは、きっとこんな感じだったに違いない。ネヴィラもそれを思い出したから、素直に長椅子まで歩くことにしたのだろう。
美しい木々の緑を遠くに眺めることが出来る見晴らしの良い場所にある長椅子に、ネヴィラの従者の人が慣れた手つきで絨毯を長椅子の上で綺麗に広げ、ネヴィラがカーディーンを伴いながらそこに座ろうとした瞬間の出来事だった。
尾羽がぞわりとして、私の本能が警戒しろと呼びかける。
「カティア!!」
鋭い声でカーディーンに呼ばれた私がほとんど条件反射でカーディーンの睨む場所へ魔力の壁を作り、いつのまにか剣を構えていたカーディーンがネヴィラを自分の背後に隠す。
ネヴィラと従者の人達を守るようにその周りを同じく剣を抜いたカーディーンの部下の人が囲う。
魔力の壁にはじかれて地面にぽとりと落ちたのは矢だ。
最初の一矢を皮切りに、立て続けに風を切るような鋭い音を立てて五本の矢が魔力の壁にはじかれた。
矢の飛んできた方向をまっすぐに見据えると、木々の間にうごめく影の様なものが見える。あれが矢を飛ばしてきたんだ。
カーディーン達はすでに影を睨みつけているが、影は矢が当たらないことを確認すると木々の向こうに消えてしまった。
それからしばらくじっと耳を澄ますも、草を踏みつけて遠ざかる足音だけが聞こえた。カーディーン達は人数が少ないので追手を出すことを諦めてネヴィラの安全を優先したようだ。
私がふと足元に落ちた矢をよく見れば、矢じりが何か液体のような物で濡れている。それが何かはわからないが、食べたりしてはいけないものだと言うことだけは私の本能が告げている。
防がなければ、この矢はカーディーンかネヴィラのどちらかに刺さっていたことだろう。
「カーディーン様……」
「少なくともこれは王家の災いではない。私かネヴィラ殿かはわかりかねるが、これは明確な襲撃です。この場所では分が悪い。馬車へと戻る。警戒を怠るな!」
カーディーンは周囲に視線を張り巡らせながらネヴィラに告げ、部下達に指示を出す。
小さく震えるネヴィラはカーディーンと私達に守られつつ、警戒したまま足早に馬車へと戻ることとなった。