二度目の花
カーディーンに身ぶり手ぶりでなんとか花束をねだろうとしたのだが、「ネヴィラに買ってもらった果実があるだろう」と一蹴されてしまいしゅんとした私と、それをなだめつつ歩くネヴィラとカーディーンを連れて、デレが次に私達を案内したのは広々とした庭園の様な場所だった。
美しく整えられた緑と花々が風に揺れ、そのそばには水路がある。ペルガニエスの王宮にも似たような場所があったなぁと考えていると、ここは貴族やお金持ちの人達が憩うための場所として作られたのだとデレが教えてくれた。王宮の庭園を参考にして作られ、王宮ほどの洗練された美しさはないけれど広さと花の種類は王宮よりも上かもしれないということらしい。なるほど、どことなく似ているわけだ。
花束を片腕にしっかりと抱くようにしてゆったり歩くネヴィラと、その横にそっと並び周囲を警戒しつつもネヴィラを見ているカーディーン。私はカーディーンの肩の上に留まっている。
ネヴィラは時々花束を眺めては、思い出すかのように微笑んでいる。
そんなにあの花束が嬉しかったのだろうか?私もたまにカーディーンからご機嫌取りに花や果実をもらうことがあるが、すぐお腹に入れてしまうので何度も眺めて楽しくなるということがまずない。
「その様な花束、ペルガニエスでなくともネヴィラ殿ならばもっと立派な物を贈られたことがあるでしょう」
デレに持たせることもなくずっと自分で抱いたまま、あまりにも嬉しそうに花束を眺めるネヴィラに照れくさくなったのか、カーディーンがふとそんなことを言った。
まぁ確かに、以前カーディーンがお礼にと贈った花の方が贈り物として見栄えはすると思うし、ネヴィラが花束をもらうことだって初めてではないだろう。
私も確かにと思いくぴーと鳴いて同意すれば、私達の視線を受けたネヴィラがどこかぎこちない口調で切り出した。
「それは……こんな風に突然の贈り物や先ほどのお言葉も、私に対するカーディーン様のお気遣いだと言うことは重々承知しているのですけれど、まるでペルガニエスの恋物語の男女のようで……その……」
「あぁ、そういえばネヴィラ殿はペルガニエスなどの恋物語を好んでおいでだとナディス殿も言っておられましたな」
バツが悪そうに段々と言葉尻が消えていくネヴィラの言葉をカーディーンがかみ砕いて言葉にした。図星だったのだろうネヴィラが恥いる様に頬を朱に染める。
お忍びで男性を伴い町を散策して、その男性から何気なく花束をもらうと言うのがネヴィラの好む異国の物語でちらほらと登場する場面のようだ。まるで憧れていた物語の様な出来事にうっとりしていたということらしい。同じ花束をもらうにしても花の価値観が高いアファルダートではもっと仰々しく渡されるものなので、受け取る側の印象もかなり違うらしい。
ここで私ははたと気付いた。
……え?ちょっと待って。もしかしてネヴィラが今までカーディーンと頬を染めていた時も物語めいた出来事にうっとりしていただけなの!?
私がそわそわと羽を閉じたり開いたりしながら尋ねるも、通訳してくれるリークがいないので私の疑問は誰にも届かない。こういう時、言葉を伝えてくれる相手がいないって不便を感じる。
私の尋ねたくて仕方がない疑問をよそに、言い訳めいた口調でネヴィラが必死に取り繕おうとし始めた。
「誤解しないでいただきたいのですが、私は決してアファルダートの風習を否定するつもりはございません。ですがグィンシム家の者として異国の風習に理解を示すことは大切だと思い、理解を深める為にいくつかの恋物語を読んだのです」
「なるほど」
「物語の中の男女は家の長ではなく『運命』という何者かに命じられて出会い、愛し合うと『恋人』と言う名の関係になるそうです。ですがこの関係は互いの口約束でなれてしまう関係なので拘束力が弱く、この関係を経て最終的には婚姻を結ぶことが必要なようです。物語の中では大抵二人がすんなり結ばれることはなく、家同士の仲が悪いだとか身分が違うなど、様々な試練が降りかかり、二人はそれを愛の力で乗り越えるのです!」
ネヴィラの瞳にキラキラした輝きが、そして言葉には段々熱がこもってきた。下手をすると今までで一番ネヴィラが輝いているかもしれない。カーディーンはそんなネヴィラを何故か微笑ましそうな眼差しで眺めている。
「そして数々の試練を乗り越えて、最後に二人は結ばれるのです。それがとっても素敵だと思ったのです!」
「なるほど、それは喜ばしい」
「えぇ、そうなのです!!」
穏やかな口調で理解を示すカーディーンに嬉しくなったのか、ネヴィラがことさら饒舌に恋物語について熱く語っている。
カーディーンは言葉少なながらもネヴィラの語る話を楽しそうに聞いていた。
一通り語って満足したのか、段々とネヴィラの口調がいつものように落ち着いてきた。
「……もちそん私はアファルダートの貴族として、家の為に、私を見初めて下さった殿方の元へ嫁ぎます。その方を愛し、尽くすことが伴侶としてのあるべき姿だと言うことは変わりません。未婚の女性が家族の男性以外と仲を深める為だけに、こうして外を歩くことが当たり前だと言う文化には物語として魅力を感じても、自分が行うには少々刺激が強すぎると感じることもあります」
ネヴィラがちらりと重なった手を見る。私を乗せたってびくともしない大きな手の上に、乗せているかも怪しいほどそっと置かれた頼りなさげな小さくて細い手があった。それはそのままネヴィラの不安を映しているようだった。
「私が心を捧げて尽くせば、夫となる方は必ず私の想いに応えてくださると、そう言い聞かされて育ちました。私も当然の様に母と父の様な夫婦になれるのだろうと思っていたのです。物語の中にある恋人と言う関係を私は父母の姿でずっと想像してきました」
ただ乗せているだけの手が頼りなさそうで、どうしてカーディーンはネヴィラの手を握ってあげないのだろうと私はずっと不思議に思っていた。
「ですが最近分からなくなってくるのです。私は本当に父母の様な、恋人同士の様な夫婦になれるのだろうかと。愛した方に、愛を返していただけるだろうかと……なんだかとても、不安になったのです」
ネヴィラは少し目を伏せてそう言った。
「心が惹かれあうかの如く出会い、相手の気を引こうと贈り物をしたり甘い言葉をかけたり、『恋人』なる関係は口約束でなれるからこそすぐに壊れてしまう関係なのだそうです。だからその関係を維持するために互いの愛を育み続ける。そんなやりとりが、今の私にはとても魅力的に思えたのです」
アファルダートでの婚約解消からペルガニエスで色んな男性に口説かれていたネヴィラだが、その心境はかなり複雑だったようだ。
「恋人と言うのはなかなかに維持が難しい関係と見えますな」
カーディーンが難しそうな顔で至極真面目に答えている。
「その関係を維持する苦労こそが愛の喜びだと物語の中にはありました」
ネヴィラはその様子にくすくすと微笑みながら答えた。
「この花束はカーディーン様が私を喜ばせる為だけに下さったものです。護衛のお務めには必要のなかった行動で、だからカーディーン様の純粋な優しさの結晶だと思いました。友好関係を築こうだとか、家同士のつながりの為にだとかそう言う目的ではないことが嬉しかったのです」
花束をそっと抱え直して微笑むネヴィラが言うと、怒りすぎてしゅんとしたご機嫌取り目的で花束を贈ったカーディーンが、ちょっとだけバツが悪そうな顔で視線を少しだけ逸らした。
「カーディーン様が私の話を聞いてくださってとても嬉しかったです。私が恋物語の話をしようとしても、ペルガニエスの文化や風習に対して理解がなければ受け入れてもらえませんの。私自身も幼いころから慣れ親しんだ物語や文化でなければ、これほど魅力を感じることは出来なかったかも知れません」
ネヴィラの親しく付き合う中で、ペルガニエスの恋物語を楽しそうに聞いて理解を示してくれたのは一人だけだったと言う。婚姻していないのに男女が密着したり、時には手の甲に口づけするなど、アファルダートの貴族の間では考えられないくらいふしだらな関係だと思われてしまうのだということを、デレやペルガニエスに配慮してかなり回りくどい言い方で説明してくれた。
まるで知らない体でネヴィラの語る恋人という存在を聞いていたけれど、カーディーンは恋人という関係について少なくともネヴィラより詳しいはずだ。部下の人に平民も多くいて、ネヴィラ以上にこっそりお忍びで町を歩いたことがあると言うカーディーンは、アファルダートの若い恋人達が首飾りを贈る話をしてくれたこともあった。
「私も伴侶となる方と恋人の様な関係を築くことが出来ればよいのですけれど……」
書物の中でしか恋人と言う関係性を知らないネヴィラは生粋の貴族の娘で、そんなネヴィラの好きな恋物語が受け入れられないと言うことは周囲の貴族の娘もそんな感じの価値観なのだろう。そしてそんなネヴィラの様な女性がカーディーンと身分的に釣り合いのとれる相手になる。
王子様だけれど、夫婦の価値観が平民やペルガニエスの価値観寄りなカーディーンが、なかなか婚姻に踏み切れないわけだ。まず恋人という関係の説明から始めなくちゃいけないのだから。
私がくぴーと鳴くと、ネヴィラが感情を切り替える様なそぶりで私ににこりと微笑んだ。
「せっかくの散策ですのにこの様な悲しい話をしてしまい申し訳ございません。少し疲れてしまっていたのかもしれませんね」
ことさら明るい声音でネヴィラが言う。
「私のわがままでこうしているのですもの、楽しまなくては!」
ネヴィラの声に私はもう一度鳴いて、カーディーンは頷くようにして歩を進めた。
それからは、デレが時折ネヴィラの質問に答える以外は特にお喋りすることもなくゆったりとした時間が流れていた。
会話はほとんどないけれど悪い沈黙ではなかったので、私はカーディーンの肩で景色を眺めて楽しんでいる。
心地よい風が一筋私達の間を通り過ぎて花束をそよりと揺らし、ネヴィラの長い黒髪がふわりと揺れ、ネヴィラがそっと目を伏せてうなじの辺りの髪を抑える。なんてことのない仕草だが、どことなく艶やかな感じがした。色っぽいってこういうことを言うのかもしれない。
それを見ていたらしいカーディーンがなんとなくついっと視線をネヴィラから外していたのが印象的だった。
「こちらの庭園にも水恋花の咲く池がございます。丁度あちらにみえる池の中です」
恋物語が好きだと聞いたデレが気を利かせたのかなんなのか、そう言ってひとつの池を指して言った。
その言葉にネヴィラがハッとしたかのような表情で慌てて乗せていた手を引っ込める。カーディーンも何かを思い出したかの様に池を見つめていた。
「いえ、これ以上カーディーン様に無作法なことは―――」
「ネヴィラ殿さえよろしければもう一度ご覧になられますか?」
「え?」
ネヴィラとカーディーンの視線が綺麗に交差する。
丁度カーディーンの肩にいて二人の視線の間にいる私は、なんとなく体を低くして二人の視線を遮らないように頑張っている。
「私とは既に一度ご覧になられている、一度も二度も同じことでしょう。ペルガニエスの男性を牽制するのにもよろしいかと」
カーディーンはそこで一度言葉を区切り、それからネヴィラを静かに見つめて穏やかな声で告げた。
「今の私がネヴィラ殿の不安を取り除いて差し上げることは出来ぬでしょう。しかしほんの一時、心を慰めることくらいならば出来るやもしれません」
「カーディーン様?」
カーディーンは一度そこで言葉を区切り、体ごと向き直ってネヴィラにすっと手を差し出した。
「私に恋人という関係を教えていただきたい、ネヴィラ殿。ペルガニエスの思い出に、私とこの一時だけ、恋人の様に過ごしましょう。あいにく私は物語の様な王子ではありませんが、貴女を物語の中の姫君にすることは出来ましょう」
カーディーンはめったに見せない穏やかな頬笑みでそっとネヴィラに告げた。
「一時の……夢なのですか?」
「左様。グィンシム家も私の生まれも関係ない。今の私はネヴィラ殿の為だけに存在する男です。ただのネヴィラ殿の癒しとなる栄誉をくださいますか?」
カーディーンが突然そんなことを言い出した理由がわからないけれど、その瞳にはどこか羨望の様な、懇願の様な感情が見える様な気がした。
「私と花を見ませんか、ネヴィラ殿」
静かにゆっくりと問うたカーディーンの差し出した手に、ネヴィラが静かに手を重ねた。
その手に不安そうな様子はない。
私はもう一度手の上に乗る必要はないかなと頷いて、小さく鳴いた。