重ね、近寄る距離
しっかりと日除けの薄布を被ったネヴィラと、静かにネヴィラの隣に並ぶカーディーンと、その肩でウキウキしている私のお忍びの旅である。
リークは人数を減らす為に、馬車と一緒にお留守番となった。よって私はおしゃべりが出来ない状況だ。
さっそく出発した私達だが、ネヴィラもカーディーンも街について詳しくないので、案内してくれるのは世話役の女性デレである。
「今の時間ならば、市が人もまばらでのんびりと品物を見ることが出来てよろしいでしょう」
デレがそう提案し、やってきたのは大きな広場の様な場所だった。何かあった時に人々が集まる場所なのだそうだ。
ちなみに移動の際は男女が腕を組んだりして歩くものだとデレは言ったが、基本的に未婚の男女が接触することは淫らで望ましくないとされるアファルダートの風習が強いネヴィラとカーディーンが、デレの案をやんわりと拒否した。
妥協案としてカーディーンがネヴィラの手を支えて歩くと言うことになり、ネヴィラの手はカーディーンの手の上に乗っている。
こうみると二人の手の平の大きさって全然違うんだなぁ。
二人は……というか主にネヴィラの方が緊張していた。一見優雅に歩いているように見えて肩がこわばっている。
こわばっていたネヴィラの緊張をほぐす為どうしようかと考えて、こんな時はと思いついた私は重なった二人の手に飛び乗ってくぴーと鳴いた。
私も一緒だよ!
そんな私の声は届いていなかったが何かしら思いは伝わった様で、少し緊張していた空気が柔らかになり、二人に小さな笑顔が見れた。
木を組みたてた上に布や板を被せて日除けにした屋根付き机の上に壺、大きな麻袋に入ってずらりと並んだ色とりどりの香辛料、木箱の中には果物や野菜に吊り下げられた獣の肉や魚、それを吟味する人々や値切り交渉をしたり、楽しげにお喋りしたりしている人もいる。
デレの言う通り人の少ない時間なのか、売る方も買う方もどこかのんびりとした空気で会話を楽しんでいるように見える。
あちらこちらに人が売り物を広げてずらりと並んでいる様は、活気や人や店の雰囲気は違えど、カーディーンと見た夕長の祭りをどことなく彷彿とさせた。
私達はあちらこちらの店をのぞきながらそぞろ歩いている。
ネヴィラはずらりと並ぶ商人達が珍しいのだろうあちらこちらの店を眺めて楽しそうにしている。
ネヴィラが眺める細工や壺の良しあしはわからないけれど、私にもひとつだけ理解できることがあった。
ペルガニエスの市場は果物が沢山あって素晴らしい!
私は珍しい果物や美味しい果物の匂いを感じて、目線の高くなるカーディーンの肩に移動してきょろきょろと探しまわってはそわそわとしてしまっている。カーディーンから「ネヴィラ殿と同じだな」とからかわれた。
デレによれば、ペルガニエスの貴族が人のまばらな時間に市井を歩くことはさほど珍しいことではないらしい。自分がいかにお金持ちかを知らしめるために、美味しい食べ物や珍しい物を購入して自分の屋敷に運ばせるのがペルガニエスの貴族なのだそうだ。婚約を考えている男女ならば、男性が女性に様々な物を買い与えるのも甲斐性の見せどころらしい。だから貴族が足を運ぶような大きな市場の商人達や、そこに買い物に来る人々は貴族に慣れているのだと言う。とはいえあからさまに異国の風貌でお金持ちに見えるらしき私達は、人目を引くのか広場にいた多くはない人々の注目を集めていた。
デレの話になるほどと返事を返しながら、人々の注目を気にするでもなく店を眺めて歩くネヴィラとカーディーン。きっと注目を集めることに未だなれないリークがこの場にいたならば、動揺すること必至だったことだろう。
「まぁ、これは何でしょう。果物?」
「これは美しい異国風のお嬢様。こちらは緑の黄金と呼ばれる果実です。ご覧ください、この鈴なりの果実を。この黄緑色は口の中にたっぷりと甘さが広がりますよ!種もありませんし皮はうすくて剥きやすくなっております。おっしゃっていただければお屋敷にお届けさせていただきます」
「いやいや、そんな食べればなくなってしまう果実よりも美しいお嬢様にはこっちの装飾品の方がお似合いになるさ!見て下さいこの細やかな細工を。きっとお嬢様が身につければその美しさはペルガニエスの誇る海の輝きすら色あせてしまうことでしょう!」
商人が恭しい手つきで皮をむいた緑の黄金を差し出してきたので、私はいそいそとネヴィラの手に飛び乗って果実を啄ばんだ。
おいしーい!
くぴーと鳴けばネヴィラはにこにこしながら私を見、宝飾品を掲げる商人を見て口を開いた。
「市で売っているにしてはとても細工が精巧ね。でも宝石は持っているから必要ないわ。この果物を一箱マスイール邸に届けて頂戴」
ペルガニエスの市場の商人は貴族にも人懐こいようだ。ネヴィラが鷹揚に応える様子をみると、失礼にならない程度に声を張り上げてネヴィラの注意をひこうとし始めた。
私が商人達の差し出す果実をかじっても彼らは動じることなく「いかがですか小鳥様?」と笑顔だ。私が気に入った果実はネヴィラの方に振り向いて、くぴーと鳴いてみせればネヴィラはそれを気に入ったと見なして気前よく買ってくれた。商人達は私が気に入ればネヴィラが買うと理解したのだろう。私にどうぞどうぞと果物を差し出してくれる。
ネヴィラは自分の手に乗って商人が差し出した果物をかじってはおねだりを繰り返す私に相好を崩し、私はあれもこれもとネヴィラに珍しい果物をおねだりした。
ネヴィラが大好きになりそうだ!
きっと今、私は商人達からネヴィラの飼い鳥扱いされているのだろう。ネヴィラはその事実に少々恐縮しているが、それでも一向に構わないと思えるくらい私は珍しい果物をたくさんつまみ食いさせてもらう。
しかし調子に乗った私と、笑顔で私を甘やかすネヴィラのやり取りはそう長くは続かなかった。
「ネヴィラ殿、そろそろマスイール邸が果実の箱で埋め尽くされてしまいます。カティア一人で食べきれるわけでもありませんので、その辺りになさった方がよろしいかと」
声音だけは普段からは考えられないほど穏やかに、しかし目が完全に「いい加減にしなさい」と訴えているカーディーンの一言である。
カーディーンからの無言の圧力につまみ食いをしていた私と、商人から果物を受け取って嬉々として私に与えていたネヴィラが途端にしゅんとなった。さきほどまで集まっていた商人達はと言えば、まるで初めからいなかったかのようにそっと元いた場所に戻ってお店を再開している。いっそ見習いたいほどの変わり身であった。
普段私の食事を管理するのはリークやモルシャの役目なので、カーディーンはどちらかといえば私の好きにさせてくれていたのに突然どうしたのかと思ったが、そういえば今はリークがいないのだ。
私はならば仕方ないとちょっと尾羽を下げて反省してますの鳴き声を返したがネヴィラは違った。
「も、申し訳ありませんでした。カティア様の喜ぶような御姿についはしゃいでしまい……」
おろおろと言い訳しながらカーディーンに謝罪している。
カーディーンがびくびくしているネヴィラの表情にぎくっと言った風に小さく肩が揺れた。
たぶんカーディーンとしてはそんなに強く怒ったつもりはないはずだ。事実私は反省しつつも怖いなどとは思わない。カーディーンの部下の人も怯えるネヴィラの姿にびっくりしているし、逆にデレはネヴィラ側のようで、なるべくカーディーンの視界に入らないよう気配を消して立っている。
きっとネヴィラはカーディーンの目が怖かったのだろう。凄むと迫力があるしね。
カーディーンの周囲にいる人は慣れているし、ネヴィラは割と最近までカーディーンをちょっと怖がっていた節もある。最近必然的に一緒にいることが多くなって怖い人と言う印象は薄れてきたようだが、それは単純にカーディーンが怒ったりするような場面に一度も出くわしたり、あまつさえ自分が怒られたりするような出来事がなかったからということが大きい気がする。
私はどちらかと言えばネヴィラを叱っている時のナディスの方が怖かったけれど、やはりそこは慣れや親しみの差なのだろう。
「申し訳ない。ネヴィラ殿を怯えさせてしまうつもりはなかったのですが……」
「いえ、カーディーン様が正しいのですもの。どうか謝罪なさらないでください。私がいけなかったのです」
カーディーン自身もなかなか動揺しているようだ。私から見るとわかりやすく困った眼差しでネヴィラを見つめているのだが、残念なことにあまり表情に出ていないのでネヴィラには伝わっていないようだ。
ネヴィラ、カーディーンはそんなに怒ってるわけじゃないから気にしなくてもいいんだよ?
と言ってはみたものの、リークがいないので私の言葉は届かない。くぴーと私の声が響いただけだった。
リーク……やっぱり無理を言ってでも連れてきてもらえばよかった。私の尾羽がますますしゅんとした。
ふとそこでカーディーンが部下に声をかけてから少しネヴィラのそばを離れた。
どうしたのだろうとネヴィラと二人首をかしげて待っていれば、すぐに戻ってきたカーディーンが手に持っていたのは小さな花束である。
「私からこれを。ネヴィラ殿の悲しい顔を見つめているのは心苦しい」
どうやらカーディーンはこれを買いに行っていたようだ。カーディーンの向かった方を見れば花を売っている商人がいた。こちらをみてほくほくとした顔である。そばには同じように女性に花を贈る男性もいた。こちらは花冠にして女性の頭に乗せている。よく見れば茎の部分を束ねただけと言ったなんとも庶民的な花束だ。大小の瑞々しい花々が瑞々しいので小さくても見栄えがするけれど、アファルダートでは考えられないほど粗野な花束である。アファルダートならば一輪だとしても美しい布で包んだり綺麗な装飾をしたりするものだ。そういえばペルガニエスだと花は庶民でも出来る手軽な贈り物なのだっけ。
けれど庶民向けなお手軽花束でもカーディーンにとってはなかなか高価な贈り物である。そして贈られたネヴィラの価値観でも同じだ。
「まぁ!この様に可憐な花束をこのようなことで……その、よろしいのですか?」
完全にご機嫌取りとして贈られた突然の高価な品物に、先ほどまでの気持ちがすべて吹っ飛んでしまったネヴィラが、思わずと言った様子でカーディーンを見上げた。
「ネヴィラ殿に笑顔が戻るのであれば」
「あ……」
カーディーンが柔らかく目を細めた。カーディーンは目で語ることが多いので、その目をまっすぐ、よく見つめないと気付けない。
カーディーンを見つめていたネヴィラもちゃんとその変化に気付いたのだろう。
「それに、ペルガニエスではそれこそ気軽に男が女性に贈る物です。受け取っていただけますか?」
「はい。ありがとうございます、カーディーン様」
ペルガニエスの女性に倣うかのように、気負うことなく花束を受け取ってそっと胸に抱きしめるネヴィラ。ほんのりと頬を染めて、にっこり笑ってお礼を告げるその表情には、思わずこちらまでつられて笑顔になりそうなほどの喜びがあふれている。
ネヴィラの花が咲いたかのような笑顔に今度はカーディーンがびっくりしている。が、こちらはほとんど表情に出ていないのでにこにこしているネヴィラはきっと気付いてないだろう。
目で語り表情が動かないカーディーンと感情が全部顔に出るネヴィラ、まったく正反対な二人だなぁと私はネヴィラの花束に狙いを定めながら考えていた。