焦がれるまなざし
ん、あれ……?婚姻でふと思い出したことがあるので尋ねてみた。
ねぇ、タンナーナってペルガニエスの人と番うためにここにきたんだよね?
「えぇ、ペルガニエスの当時の国王ですね」
じゃあその国王の絵はないの?
私の疑問にエウアンテスがちょっと言いにくそうに答えた。
「かつてはこの絵の隣に国王の絵画もございましたし、お二人が並んで描かれている絵もございました。しかし王妃となってまもなく、タンナーナ様は火の神の腕の中でお休みになられました。当時の国王はタンナーナ様が亡くなられた後、世継ぎを残す為に新たな王妃を迎えられました。この離宮は国王がタンナーナ様を偲んで残され、国王とタンナーナ様が並んだ絵画のほとんどは王宮の画廊に置かれています。その為、こちらにはタンナーナ様の所有されていた美術品のみが残っています」
つまり二人一緒に並んでいる絵画のほとんどは国王の持ち物として王宮に運ばれて、ここに残っているのはタンナーナが一人で描かれている物か、タンナーナ自身が描いたり所有していたりした物だけなのだそうだ。
離宮は基本的に主が亡くなると別の人物に受け継がれると言うので、タンナーナが主の離宮がほとんどそのまま残っているのは、アファルダートとタンナーナに対する敬意と親愛の表れということらしい。後でリークが教えてくれたことによると、離宮にも維持費がかかるので、沢山物を置いておくことは出来ないと言う事情と、新しい王妃への配慮もあるようだ。
エウアンテスから話を聞いてふむふむと頷いている私に、ネヴィラがさらに教えてくれた。
「アファルダートとペルガニエスは昔から何度も友好のために王家のつながりを作ろうとしておりました。しかしあらゆる事情によって、王家同士の婚姻はなかなか実を結びませんでした。そしてタンナーナ様の婚姻によって、ようやく正式な意味での王族同士の友好が結ばれたのです。タンナーナ様は両国の友好を深める為ならば喜んでとおっしゃって、ペルガニエスの国王の元へ輿入れなさったと記録にございます」
ネヴィラが憧れる様な瞳でまっすぐタンナーナの絵画を見上げている。
「アファルダートの王族の方々は生涯城の外にでることはほとんどありません。宮殿でただひたすら太陽神の恵みを国に賜るため、日夜その幸福を捧げてくださっております。
ただそれだけが至上の一族の一人であらせられるタンナーナ様が外の世界へ目を向けて、砂の海を越えて隣国へと友好の手を広げられました」
ネヴィラ曰く、タンナーナは王族間の交流を深める為に私的なやりとりをしませんかとグィンシム家を通じてペルガニエスの王族に手紙を送り、一人の王族と定期的に手紙を送りあったそうだ。
そしてタンナーナが嫁いだのがその手紙の送り主で、国王となったその王子に嫁いだタンナーナは王妃となったそうだ。お互いに政治的な思惑が全くないとは言わないが、残っている手紙の内容は本当に他愛ないことから始まり、互いの教養の深さが伺えるようなやりとりばかりだと言う。
エウアンテスが知らなかったこともあるらしく、ネヴィラの話を熱心に聞いていた。
二人が楽しそうに話しているので、私はそっとカーディーンの元へ戻って構ってもらう。構ってもらいながら話を聞くのだ。
「そして国を越えて結ばれた国王とは、短い間でしたがとても仲睦まじい夫婦でいらっしゃったとアファルダートには伝わっております。タンナーナ様は我がグィンシム家より当時の国王へ嫁いだ妃からお生まれになられました。タンナーナ様が国外へ強い興味を持たれたのも、母君から他国の話をよく伺っていたからと伝え聞いております。
タンナーナ様の婚姻によって結ばれた友好はとても大きなものです。そのような素晴らしい偉業を残された姫がグィンシム家の流れを汲まれていると言うことが、私はとても誇らしいのです。幼いころからタンナーナ様は私の憧れでした。
私がタンナーナ様にご挨拶叶ったことも、全てはタンナーナ様が結ばれた両国の友好が今日まで続いているからこそです。両国の友好をこの身で感じることが出来る私はとても果報者です」
まっすぐにタンナーナを見つめてそう言ったネヴィラの頬は紅潮しており、瞳にきらきらと喜びの熱を湛えて絵画の前に立つ姿には、にじみ出る様な輝きがあった。
後からきちんと教えてもらったことなのだが、実際の所タンナーナの輿入れは、隣同士の王子と王女が大いなる好奇心から始めた文通がきっかけの、可愛らしい事情だけではないらしい。タンナーナが輿入れするにあたって両国の様々な利権などが絡み合い、その結果として友好が結ばれて今日まで守られ続けているそうだ。私に理解しやすい部分で言うと、マスイール家を通しての珊瑚樹林からとれる珍しい食材やアファルダートとの交易品に関する権利の大部分は、タンナーナが輿入れした王の血筋が代々所有して管理しているのだと言う。
ネヴィラが説明したことももちろん本当だけれど、タンナーナを敬愛しているらしいネヴィラがあえて一番素敵な部分だけを集めた国民に聞こえのいい説明を、グィンシム家だけに伝わる詳細も織り交ぜながら、少々詳しく話したものだと教わった。
カーディーンは興味がなさそうな私に一応知っておくべきだと簡潔に説明してくれたが、リークは自分ならもっと血なまぐさい内情も教えてやるぞと私をからかったので、全力で遠慮させてもらった。
私はどうせならネヴィラの説明がいいなと思う。語るネヴィラの表情も、タンナーナと王子のお話もなんだか素敵で夢があって楽しそうに見える。……なるほど。素敵だから国民向けなのか。
まぁ血なまぐさい思惑が裏にあろうとも、二人が仲良く過ごしていたならそれが一番だよね。
ネヴィラはタンナーナが大好きなんだね。
「そのようだな。ネヴィラやタンナーナ殿の一番美しい想いを守ることが私の役目なのだ」
私が感嘆の鳴き声を零すと、気付いたカーディーンが私を撫でて小さな声でそう言った。
「……本当に姿だけでなく、心映えまで美しいのですね……」
「えぇ、本当に。お会いしたことはありませんが、きっと御心も素晴らしく美しい方だったのでしょうね」
エウアンテスは静かにネヴィラを熱のこもった視線で見つめていた。
そんなエウアンテスに気付くことなく、ネヴィラはタンナーナの絵画を見つめてそう返した。
離宮訪問を恙無く終え、離宮から帰る途中で馬車の中のネヴィラがそわそわと外を眺め出した。
そんな報告を部下から受けたカーディーンが、馬を馬車に並走させて窓越しにネヴィラへと声をかける。
「どうかなさいましたか、ネヴィラ殿」
対外用にネヴィラへ丁寧に接しているカーディーンの姿になれないなぁ。
「カーディーン様……その、今は街がとても近くにありますね」
慣れていないのはネヴィラも同じだったようだが、そわそわしている理由は他にあるようだ。ちらちらと街を眺めている。
私がどうしたのだろうと首をかしげて見ていると心当たりがあったらしいカーディーンが、得心が言った眼差しでネヴィラを見ながら口を開いた。
「今の時間ならば人通りも少なく、護衛と供の者は少数でかまわないでしょう。次の予定までかなり余裕を持った時間があるので、この機会に異国の街をご覧になるのもよろしいかと」
「えぇ、ぜひに!隣国の人々の暮らしを見聞するのも大切な交流と言えますものね」
ぱぁっと明るい表情を見せたネヴィラの様子に、遅れて私も理解する。
これは夕長の祭りを見に行ったカーディーンと同じ、所謂お忍びの行動というやつだ。カーディーンは自分で自分の身を守れるので勝手に行動したが、身を守れないネヴィラはもう少し慎重に、きちんと護衛付きで行きたいと催促していたと言うことだろう。おそらく次の予定まで時間がたっぷりあるらしいのも、このお忍びの為なのかもしれない。
カーディーンはネヴィラの返事を受けて馬車を適当な場所で止めて、ネヴィラに準備を促し部下達に指示を送っている。
よどみない作業から、やっぱりこれは予定調和なお忍びの様だ。
それでもお嬢様なネヴィラにとっては大冒険なのだろう。馬車から下りてきたいつも優美なネヴィラの足取りには隠しきれないそわそわっぷりが見て取れた。
ネヴィラのお忍びにはお供としてアファルダートから連れてきている従者の女性と、ペルガニエスで案内や世話を任されている女性、そして護衛のカーディーンと部下の人であわせて四人が付くことになった。
ペルガニエスの世話役はこれでも多いくらいだからもっと減らすべきだと言うけれど、アファルダートの感覚ではかなり少ない方だ。ネヴィラとカーディーンが最低でもこの人数は必要だと譲らなかったこともあり、最終的にこの人数で落ち着いた。
「共に歩く従者がこれほど少ないだなんて幼いころ以来です。とても楽しみですわ!」
「ネヴィラ様、恐れながらペルガニエスの高貴な女性は外を出歩く際は必ず殿方に守られるべきです」
日除けの薄布をしっかりと被って子供の様な表情でそう言ったネヴィラにペルガニエスの世話役が助言をする。
「そうね。やはり護衛の数をもっとふやすべきかしら?」
「そうではありません。並ぶにふさわしい身分を持つ男性、もしくは使用人の中でも特別に選ばれた、連れ歩くに相応しい見目よい従者が必要なのです」
世話役曰く、高貴な女性は一人で歩くべきではないそうだ。それだけならばアファルダートも似た様なものだが、従えて歩く従者ではなく並んで歩く男性が必要なのだそうだ。基本的にはまず夫、次いで身内の男性、もしくは彼らが認めた使用人、あるいはこれから恋仲になることに何も問題のない、むしろそれを前提とする貴族の男性を連れ歩くことが必須なのだそうだ。
その説明を聞いた時、無表情を保ったままカーディーンは目で「なんだそれはめんどうな」と語っていたし、ネヴィラは目を丸くして「灯り魚も交わさずに男女が公然と連れ添って歩くだなんて……」と困惑している。
アファルダートの私達には理解できない文化だが、ひとつ思ったことがある。離宮でエウアンテスが案内役だったのはきっと本人の希望もあるけれど、ネヴィラ一人での来訪だったから案内に連れ歩く相手は男性が望ましかったのかもしれない。
あれ?ネヴィラって基本的にナディスとは別々に行動しているのだけれど、それってどう見られていたのだろう。私とカーディーンは護衛でずっとネヴィラと一緒に行動していたので、ネヴィラがその様な相手を誰も連れていないことはよく知っている。
私が肩の上で考え込んでいるとカーディーンは何か気付いたことがあるのか、気まずいと言った様子で少しネヴィラから視線をそらしていた。カーディーンの視線の意味がわからなかったのでリークを見ると、こちらもこちらでネヴィラとカーディーンを見つめた後、カーディーンの肩にいる私を見て目を大きく見開いたままの表情で、赤から青へと見事に顔色を変えてそのままそっと俯いてしまった。
リークもカーディーンもどうしたというのだろう……?
私がさらに右へ左へ首をかしげて悩んでいる間しばらく悩むように考え込んでいたカーディーンは、ネヴィラに向かって静かに腕を差し出した。
「よろしければ私が供として隣を歩く栄誉をいただけますか、ネヴィラ殿?」
とても穏やかな声音でカーディーンがネヴィラの供を申し出た。
カーディーンならば隣に並んで歩きながらの護衛もわけないだろう。これ以上従者の数を増やせない状況では自然な流れだと思う。世話役も部下の人達も当然だろうという表情をしている。
ネヴィラは差し出されたカーディーンの手を見て、顔をあげてカーディーンを見つめてやはりちょっとだけ不安そうな表情を見せて、世話役の表情で何かに気付いたかのようにハッとなった後、みるみると頬を赤く染め上げた。
真っ赤になった顔のまま、ネヴィラはそれでも一度ちらりと街の方を眺め、それからおずおずとカーディーンの手にそっと自分の手を重ねた。
「どうぞよろしくお願いいたします」