波のように広がる光景
カーディーンとネヴィラを乗せた大トカゲは珊瑚樹林の間を慎重に進んでいる。
大トカゲはやはり平坦な砂の大地の方が歩きやすいらしく、複雑に入り組んだ樹林も相まって進みは遅い。
しかし大トカゲには悪いけどこの樹林を進むと景色が非常にいい。
特に雨上がりの夜明けに出発したので白い葉には雨の水滴が残っていて、それが降り注ぐ太陽を受け止めてきらきらしている。
強い日差しが白い葉に受け止められて柔らかに降り注いでいるのはとてもありがたい。
相変わらず森というには不思議な色合いの空間を、私とカーディーンとネヴィラが大トカゲに乗って移動している。
今までは先頭をカーディーンがあるいていたのだが、ネヴィラを乗せている都合上安全を優先して別の部下が先頭になっていた。
そして大部隊で固まって移動が出来ない為小さな塊に分けて少し広がって移動している。時折木々の隙間から見える仲間と絶えず連絡を取りつつ周囲の警戒をしているようだ。
大トカゲの上で静かにはしゃいでいるのがネヴィラだ。
大人しく丁度カーディーンの腕に守られるように前に乗っているのだが、きょろきょろとせわしなくあたりを見ている。
見るものすべてが珍しいと言わんばかりの表情は見ていてとても面白い。
「これは本当に植物なのでしょうか。私の屋敷にある植物や木々とまるで違います」
「珊瑚樹林と言われているからには森なのだろう。私もこれが植物かと言われればよくわからないのだがな」
私も初めて珊瑚樹林に来た時は不思議な光景に同じような質問をして、カーディーンから同じ言葉が返ってきた様な気がする。
私はふふんと胸を張って、ネヴィラにあれは貝殻というんだとか美味しい実が入っているのはどれだとか、この葉っぱは触るとちくちくして痛いだとか私の知識を披露した。……時々カーディーンから訂正が入ったけど気にしない。
ネヴィラは楽しそうに私の話を聞きながら時折驚いたり、小さな感嘆の声をあげたりしていた。
「さすがにこの速度では休息を取る余裕はないな。食事は移動しながら行おう」
カーディーンがそう判断し、指示を出した。
食事は豊富にある。無論珊瑚樹林の果実を食べながら進むと言うことだろう。
周囲を歩いて移動している部下の人が貝殻や果実をもいでは互いに投げ渡している。
さすがにカーディーンのそばにはネヴィラもいるので私達には手渡しでくれた。
ネヴィラは受け取った貝殻を見て首を小さくかしげている。
カーディーンが器用にぱかりと貝殻を割ってネヴィラに渡す。貝殻の中にはたっぷりと宝石の様な緑の半透明な果実がつまっている。あのプチプチした感覚を知っていると見ただけで口の中にじわりと味が広がるようだ。
ネヴィラは貝殻を受け取ったはいいものの、器も何もない状態でどうやってこの果実を食べればいいのかわからない様で困惑していた。
見かねたカーディーンが自分の分も貝殻をこじ開けて助言する。
「そのまま縁に口をつけて啜るように食べなさい」
「す、啜るのですか!?直接……」
ネヴィラがびっくりしたように聞き返すと、カーディーンは自分の持っていた貝殻を、杯を傾けるように口をつけてずるずると啜った。
少しだけ残して口の中でもぐもぐと食べている。残った果実は私用だ。私はカーディーンの手と貝殻に脚をかけてひとつひとつうまうまと食べている。ぷちぷちの感覚が懐かしい。弾けるように広がる果汁がたまらない。
カーディーンは私が食べているのを確認しながら視線でネヴィラにもやってみろと促す。
ネヴィラはカーディーンを見て、私が食べているのを見て、意を決した様に貝殻の縁を少し指で拭ってからそっと口をつけてゆっくりと貝殻を傾けた。
少し口に含んでからもぐもぐと口を動かし、びっくりしたように口を押さえて目を丸くしている。
口の中で弾けた果実にびっくりしたのだろう。
びっくりした顔のままカーディーンを見ている。
カーディーンは得心が言ったかのようにネヴィラに言った。
「そなたが食べたことのある貝殻の果実は湯をくぐらせたものだろう。あれは弾けたりしないからな。この果実は新鮮なものを生で食べると口の中で弾けるのだ」
「生で食べるとこの様な食感になるのですね。味も少し異なる様に思います。今まで全く知りませんでした」
「そのままにしておくと足の速い果実だ。生で食べることが出来るのは収穫に携わる軍や漁師ぐらいだろう。そなたが知らぬのも無理はない」
生でしか食べたことのない私は知らなかったが、湯がいた果実は弾けないようだ。
でもせっかく新鮮なんだから湯がかずに食べたほうが美味しいと思う。頬いっぱいに詰め込んでむぐむぐ食べているとネヴィラが「可愛い」と呟いてうっとりしていた。反論しようとしたけれど、ネヴィラが自分の分もどうぞと果実を分けてくれたので許した。美味しい。
そうやってちょくちょく果実を食べたり齧ったりして水分と空腹を満たしつつ大トカゲで移動する。森になると水分の補給が楽で太陽の日差しが柔らかくなるのがいいなぁと感じた。
ただしカーディーンに言わせると「奇襲されやすく移動が困難」だそうで、良いところと悪いところが一概に言えないなぁと思った。いいとこ取りは出来ないらしい。
せっかく景色もいいし、私が伴侶にどうかと推しているネヴィラと一緒に大トカゲに乗っているのだから、お互いのことを知るためにもっとお喋りしたらいいのにとぼやいたら、それは翻訳せずに「カーディーン様は仕事中だぞ」とリークが私にだけ聞こえるようにそっと言った。……あんまり平和なんで忘れていた。
移動速度は遅いものの、着実に珊瑚樹林を進むと夕刻間近には珊瑚樹林の終わりが視界に入った。
あ、あそこで珊瑚樹林が途切れてる!
「あそこが珊瑚樹林の終わりだな。私も聞いただけだが、珊瑚樹林は国境沿いには生えないらしい。どちらにせよ何とか間に合いそうだな」
珊瑚樹林を抜けると空が橙色に変わりつつある空と砂の大地があった。半日ほどとはいえずっと珊瑚樹林の中を進んでいたので久々に砂漠を見たような気さえする。見慣れた砂漠が懐かしく感じるだなんて不思議だなぁ。
珊瑚樹林を抜けたところでカーディーン達は大トカゲをとめて皆で固まりだした。
何をするのだろうと思ったら、荷物をまとめ直して祝いの品として贈る珊瑚樹林の葉や枝を集めるのだと言う。
そして今まで徒歩で狭い樹林の中を移動する為の備えをしていたのでまたひと固まりで移動するための備えにしなければならないらしい。大移動とは大変だ。
何度も着替えたり休憩したり、警戒したり地図を確認したりと休める間がまるでない。私は要所要所で休んでいるのだが、それでも少し疲れた。
指示を出すカーディーンと一番大事な要人のグィンシム兄妹は数名の部下の人と共にその場に待機している。
私はカーディーンの頭の上で風を感じたいたのだが、なんだか風に変なにおいが混じっている。
カーディーン、なんだか変なにおいがするよ?
「変な匂い?」
風に乗って嗅いだ事のない匂いが混じっている。なんだろうこれ、変な匂い。
私が言うと、カーディーンが「私にはわからないが」とつぶやきながら何のことだろうかと考える。
私の発言に、兄のナディスがもしかしてと口を開いた。
「カティア様がおっしゃっているのは潮風のことではないでしょうか?ペルガニエスの国境には海があります。それにあの周辺に慣れぬ者が風に変なにおいがするということはよくございます」
「その可能性はあるな」
潮風って何?それに海って聞こえた。
その言葉が気になってまだ見えぬペルガニエスの方角に耳をじっと済ませると、遠くの方でかすかにざざん、ざざんと聞こえる波の音があった。
え?カーディーン大変!波の音がする!!まだ夕刻になりきっていないのに海砂に変わっているの!?
私が焦ってくぴーと鳴くと、カーディーンが私をそっとなだめるように撫でながら言った。
「あれは海の音だ」
え?海?海砂じゃないの?
「カティア様、あの波の音は我が国の海砂の音ではなく、隣国ペルガニエスの波の音です」
何度か赴いたことのあるネヴィラが教えてくれた。
ペルガニエスにも海砂があるの?
「いいえ、ございません。海砂はわが国特有の現象です。もう少し砂漠を越えると見えてくるかと思われますが、ペルガニエスには海という朝も夜も変わることのない沢山の水があるのです。水自体はとてもしょっぱくて飲めたものではないのですが、その水の中に住む魚や海藻などの食材が獲れます。その水を海と呼んでいます」
夜だけ漂う水の様になる海砂はこの海に似ているから海砂と呼ばれているらしい。
風に乗って嗅いだ事のない変なにおいがするのもこの海周辺特有のことで、ペルガニエスではこの周辺の風を『潮風』と呼ぶそうだ。
潮風に長く当たると髪がぱさぱさになってしまうのだとネヴィラが教えてくれた。私の羽毛はぱさぱさにならないか非常に心配だ。
ちなみに海の食材で私が食べられそうなものはある?と尋ねてみたのだが、兄弟二人に「たぶんない」と言われてしまった。残念……。
海にはムーンローズも麦の木も珊瑚樹林もないそうだ。私は海砂の方が好きだなぁ。
ネヴィラやナディスとそんなやりとりをしつつ、部下の人や従者の人達が鼠犀達に丁寧に包んだ珊瑚樹林の恵みを括りつけていくのを眺める。手際の良さがすごい。
「この分だと必要数はすぐに集まるだろう。集まればすぐに出立だな。夕刻まであまり間がない」
なんだかいつもの巡回よりも何事もなくて平和だね。
空を見ながら祝いの品を回収する様子を確認しているカーディーンに私が頭上から話しかけると、カーディーンが窘める様な呆れたような声で、私に返事をした。
「カティア、何かあっては困るのだ。何事もない様に極力全ての諍いを回避しているのだからな」
なるほど!
私とカーディーンのやり取りにグィンシム兄妹が微笑ましそうに笑っていた。
そんなやり取りをしていた直後、樹林の奥から部下の人の「何者だ!」というするどい声が聞こえた。
カーディーンが樹林の方にくるりと向いてグィンシム兄妹を背後にかばう。部下が即座に警戒の構えを見せて、全員に緊張が走る。
「二人とも大トカゲに乗りなさい」
カーディーンが二人を背にしたまま指示を出した。ナディスが大トカゲに乗れるようで、すばやく大トカゲに乗ってネヴィラを鞍の上から引っ張り上げて自分の前に乗せた。
カーディーン達はいつの間に抜いたのか月刀剣をじっと構えて周囲の警戒をしている。
がさがさと争い、戦う音、珊瑚の木々をなぎ倒す音が聞こえて緊張が一層高まった。私もカーディーンの頭上からすばやく首元の袋へ滑るように潜り込み、ふるりと身体を震わせてから頬を膨らませて威嚇の姿勢を取る。
じっと警戒を続けていると争いの音が遠ざかっていく。
しばらくして音が聞こえなくなるまでじっと警戒を続けていると、音の方からカーディーンの部下が戻ってきた。
どうやら隣国の者が勝手に珊瑚樹林の果実や枝を採取している場面に遭遇したらしい。
それなりの数がいたのだが、向こうが逃げることに重きを置いていたおかげで、こちらの被害は小さなかすり傷程度で済んだと言っていた。
こちらにも守るべきものがいたため深追いはしなかったとの報告をカーディーンが受けていた。
「祝いの宴に呼ばれてきてみれば、不穏な風が吹くものだな」
苦々しい顔で呟いて、カーディーンは警戒を続けつつもこのまま急いで準備を整えて隣国へ進むと指示を出した。
今まで想定外だった珊瑚樹林や大蛇の卵以外は特に大きな問題や警戒すべき事態がなかったため、少し気を抜いていたのでちょっと怖かった。
くぴーと息を吐き出すように鳴くと、ナディスに大トカゲからおろしてもらったネヴィラも同じように、静かな安堵の息を零していた。
「ネヴィラ、案ずるな。そなた達には傷ひとつとてつけさせぬ。私はその為にいるのだ」
「……はい。ありがとうございます」
カーディーンはネヴィラに一言柔らかい声音で告げてから、すぐに周囲を警戒したり部下の人に指示を出したりしに戻っていった。私がカーディーンの肩越しに兄と一緒に部下の人達に守られているネヴィラを見たときは、ネヴィラはじっと私達を見ていた。
どうやらネヴィラは背中越しならカーディーンをじっと見つめることが出来るらしいことが分かった。これは小さな収穫だと思う。
ネヴィラは息をそっと零す様な声で、小さくお礼の言葉を告げた。
気を取り直して準備を整え、大トカゲで移動する。
珊瑚樹林でひたすら足を取られていたので平坦でまっすぐな砂漠をすいすいと進むのが心地いいのだろう。疲労は見えるが大トカゲの足取りは心なしか軽かった。
しばらく進むとまず地平線の向こうにそれはそれは大きな岩の塊が見えた。この距離でその姿が確認できると言うことは恐ろしく大きな岩だろう。
大きな岩だねー。
「カティア様、あれが火山でございます」
どうやらあれが山で、さらに山の中でも火山と呼ばれるものだったらしい。ペルガニエスの火の神様が住むというあれだ。
あの山に怒ると怖い神様がいるらしい。怖いから私が近くにいる間は怒らないでほしいと切に願う。
そういえば国境ってどうなっているの?アファルダートの砂漠って夜は海砂になっちゃうよね?
私が尋ねると、その答えはネヴィラがくれた。
「明確に区切られております。砂の大地までがアファルダート、塩の大地のむこうがペルガニエスのもの、その間の塩の大地は両国のかけ橋と決められております」
塩の大地?かけ橋?
塩とは私の知っているあの塩だろうか……?
私がくぴっと小首をかしげると、ネヴィラが小さく笑って教えてくれた。
「カティア様がご想像なさっているあの塩でございます。その塩が大地となって広がっております。塩の大地はアファルダートの神々とペルガニエスの神が互いの国が行き来出来るようにと海の上で互いの腕を結んで生まれた場所と言われております。それゆえかけ橋とよばれておりますが、橋とは思えぬほど見渡す限りに広がる、まさに大地と呼ぶべき大きなものです。とても神聖で美しいかけ橋ですよ」
綺麗なの?
「えぇ、それはもう。普段は規則的な割れ目が走るまっ白な大地なのですが、カティア様の耳に届くほど波が大きく、さらに昨夜は雨が降ったのでもしかしたらまた違った光景が見えるかと存じます」
ネヴィラが悪戯っ子の様な顔で微笑むので私はなんだろうなと思いつつ少しわくわくしながら尾羽をふりふりした。
「塩のかけ橋だ。夜までに間に合ったようだな」
夕陽の中進むトカゲの上でカーディーンがそう言った。
砂漠がだんだんと途切れて見えてきたのは驚くべき光景だった。
地面が空になっちゃった。
私は思わずくぴーと驚きの声をもらした。リークは目を丸くして、私の通訳を忘れるほどだ。
空に流れる雲と夕陽の色が混じった空がそのまま大地に鏡の様に映っているかのようで、まるでどこまでも空が続く空間に閉じ込められてしまったかの様だ。
足を踏み入れることさえためらってしまいそうな光景に、しかしカーディーン達は躊躇なく進んでいく。
大トカゲが一歩足を乗せた瞬間、空に落ちてしまうかもとひやりとした私の心配をよそに、空を歩くかのように一行は塩のかけ橋を進んで行く。
見渡す限りすべてが空だ。夕陽の中に閉じ込められたらきっとこんな感じなのではないだろうか。
大トカゲの足元をよく見ると踏んだ部分から歪んだ波紋が生じて景色がずれた。
水?
「左様でございます。塩の大地にうっすら水が張っているのです。その水に空がきれいに写し取られて、まるで空の中にいるような光景になっているのです。今は夕陽の中ですが朝は真っ青な空の中、夜ならば星の川の中にいるようでとても不思議な空間になります」
ネヴィラがそっと教えてくれた。
それにしても塩の大地は広い。前を見ても終わりが見えないほど長いし、横を見ても終わりが見えないほど遠くまで続いている。
ざざん、ざざんと波の音がしっかり聞こえているので海の上にいるはずなのだが、波が全く見えない。海の姿を楽しみにしていたのにまさか空を見てびっくりすることになるとは思わなかった。
大トカゲが歩いているので揺れているが私やカーディーンの姿も鏡のように映っていた。空の中を進む大トカゲに乗った私達……かっこいい!
私がくぴーと水の中に映る自分に翼を広げると、水の中の私もくぴーと両の翼を広げて応えた。面白くなって色々な姿を映していると水に映るカーディーンがくつくつと笑った。
カーディーン笑わないで!
「すまぬな。しかし水の中の自分も良いが、隣国の姿が見えてきたぞ」
言われて前を向くと、空の終わりの向こうに広がる夕陽に染まった緑色。その緑に点々と混じる小さな白や青は花だろうか。さわさわと揺れて、まるで私をおいでおいでと手招きしているようだ。
圧巻なのは遠くにみえる町を背に、大地一面が緑のじゅうたんで埋め尽くされていることだ。
ならした道以外はすべて無造作と言わんばかりに自然に育まれた種類もわからぬ草花が素知らぬ顔でそこにある。植物が少なく、花が財産とまで言われるアファルダートでは見ることのできない光景だ。
カーディーン!あれ、もしかして!!
「そうだ。ペルガニエスではそこらかしこに植物がある。あの緑はすべて植物だ」
私、空の中よりあの緑の中の方が素敵だと思う!!
私が力いっぱいそう言うと、ネヴィラとカーディーンが堪え切れないように笑った。