庭で巡り合った母との縁
私がうとうととした意識で近くにあったぬくもりを探して寄り添うようにして暖をとり、またうとうとと眠りにつこうとしていた時、ものすごい勢いで頭が吸引されるように感じ、今度はふぅうーっと風が吹いたことにびっくりした私は勢いよくその場で飛び起きた。
びっくりしすぎて頬どころか全身の毛がぶわりとなっている。
急速に意識を覚醒させた私は、そこがいつもの自分の籠ではないことに気がついた。
あれ、ここどこだっけ……?
薄暗いあたりを見回すと、そばには静かに目を閉じて眠っている人間の男がいた。カーディーンだ。
あ、そうだ。私カーディーンと一緒に眠ったんだったっけ。
石柱のアーチの向こうにみえる空はかすかに薄紫色で、どうやらまだ夜明け前らしい。
そういえば昨日、あれから晩御飯を食べてそれぞれ入浴を済ませて寝ようとなり、モルシャ達鳥司が巣の区画に戻った段階で、私がカーディーンと一緒に寝るんだと主張したんだった。
モルシャがいないので、カーディーンには私が何を言っているかわからなくなっていたけれど、寝ようとベッドに入ったカーディーンの隣にちょこんと身を寄せるように丸くなる私を見て意図を察したカーディーンは、それに反対した。
「寝返りを打って砂殿を踏みつぶしたら洒落にならない」とカーディーンが私をなだめ、鳥司達があらかじめ用意してくれた一人用の小さな籠に私を移したが、私は籠に移されたらカーディーンの枕のそばに飛んで戻り、ここで寝るのだと態度で示した。
それにカーディーンも言葉と行動でだめだと言いながら私を籠に移し、また私が飛んでカーディーンのベッドにもぐりこむというやりとりを何度か繰り返した。
最後の方には私は意地でもカーディーンと寝るんだと頬をふくらませ、カーディーンは当惑の眉をひそめていた。
結局カーディーンが折れてくれて、ベッドではなく枕の上で、体ではなく顔に密着することを条件に一緒に寝ることになった。
それで私はどうやら寝ている間にカーディーンの鼻の下あたりに陣取っていたらしい。先ほどの風はカーディーンの呼吸だったようだ。
私は鼻の下で眠った覚えはないのだが、なぜ鼻の下に移動していたのだろう。私が寝相が悪いのかカーディーンが寝返りを打ったからかは分からない。
カーディーンの唇に私の抜けた羽がくっついていた。
それを見て、カーディーンの方が寝にくかっただろうと思い至り、わがままを通した自分の行動を少し反省した。
そっと抜けた羽を咥えて取り除き、カーディーンの頬にすりすりしてるとカーディーンが目を覚ました。
夢うつつな意識のカーディーンは至近距離すぎて頬にすり寄る私が何かわからなかったのだろう。ぐわしと私を片手ですっぽりと握りこんで持ちあげた。
カーディーンの大きな手に顔以外をほぼすっぽりと握りこまれた私は、びっくりしてされるがままで体の力を抜いていた。
重たい瞼をしかめるように開いて握りこんだ私を見つめるカーディーンと、握りこまれたまま目を丸くしてカーディーンを見つめる私。
カーディーンが事態を把握するまでにたっぷり十秒ほどかかった。
唐突に意識が覚醒したカーディーンががばりと飛び起きて、慌てて手をぱっと開いた。
私は飛ぶことも忘れてそのままぽたりとベッドの上に落ちた。たいした高さもなかったし下は柔らかなベッドだから痛くはないけれど、鳥類にあるまじき失態だ。
「す、砂殿!?すまない!翼が広げられないほど痛むか!?」
カーディーンが私を動かしてもよいのかどうかもわからないままおろおろと尋ねるので、心配させないように起き上がってぱたぱたと翼を広げた。
突然の衝撃に固まっていただけで、別にどこも痛くないし怪我もない。跳ねたり飛んだりして自分の無事をカーディーンに伝えた。
私の様子に、とりあえずは大丈夫らしいと察したカーディーンが大きく息を吐いた。
私はいそいそとカーディーンの手の平の上にのって軽く跳ねる。
カーディーン!さっきの、もう一回やって!
握られた時は思わず「握りつぶされる!」と思ったけれど、カーディーンは私が痛くないけれど動けはしない絶妙な力加減で私を握っていた。
あの感覚が……何と言うか、いい。
ようやく私がもう一度握れと言っているのを理解したらしいカーディーンが慎重にゆっくりと私を片手で握りこむ。
私が恍惚と目を細めているのを見て、少しにぎにぎと緩めたり締めたりと絶妙な力加減で私を包み込む。程良い圧迫感がたまらない。
ふわぁぁ~!こ、小鳥殺しのにぎにぎだっ!モルシャのくふくふに匹敵する!!
カーディーンは数回にぎにぎすると、ぱっと手を放して私をベッドに下ろした。私がもう一度とねだるとまた数回にぎにぎして手を開いて着替えを始めた。と言っても服を着替えるのは従者がやるので、カーディーンが自分でやっているのは額に身長より長い帯を巻いて結ぶことと、首を隠すような金細工の首輪をつけることだけだ。
どうやら首と額だけは従者にすら見せない部位らしい。見せるのは結婚して寝室を共にする相手だけなのだそうだ。私の前で外していたのは、単純に私が人にカウントされないかららしい。
着替え終えたカーディーンにもう一度にぎにぎをねだった。
「砂殿はよほどこれが気に入ったのだな」
カーディーンは呆れたようにちょっと笑っていた。
しばらくしてやってきたモルシャやカーディーンの従者がそれぞれの身支度をしてくれた。といっても私は身支度などほとんどないので、私がカーディーンに我がまま言っちゃったことからカーディーンのにぎにぎがすごく良かったことまでをモルシャに話していた。するとモルシャ曰く、小動物がなるべく身を寄せるように眠るのは外敵から身を守るためと寒い砂漠の夜で体温を維持するため、自分が生きる確率を上げるための本能的な行動だと聞かされて、全てが全て私の我がまま故の行動ではなかったことにちょっと安堵した。
私と同じようにモルシャの話を聞いていたカーディーンも、私を心配してゆえの行動とはいえ頑なに私を一人で寝かそうとしていたことを少し反省していたようだった。
だからそのことについては気にしないでと言うと、カーディーンは「わかった。砂殿の好意をありがたく頂戴しよう」と真面目な表情で、けれど気負いなく穏やかな口調で答えた。ちょっとだけ、カーディーンと仲良くなれたようでうれしかった。
その後、ご飯が勝手に減っていかない素晴らしい朝食をカーディーンととり、そこから仕事に向かうカーディーンと別れた。
どうやら昨日はお休みをとっていたから私を案内できたのだが、基本的に砂漠に巡回にいったりするカーディーンのお仕事にまだ子供で弱い私がついて行くのは危険だと判断して別行動となったらしい。
なので私は、今日は今から自由行動だ。行動範囲も増えたので探検し放題だ!
「いいえ砂様。今から守護のお勉強をしなくてはなりませんね」
モルシャにやんわりと探検を否定された。
ということで王族を選んだあと絶対必要になる守護鳥の必須能力、魔力の守護の訓練をすることになった。
以前から何度も練習しているが、私はこれがなかなかうまくならない。
自分の持っている魔力を体の周りにまあるい膜のように張ることで身を守る守護鳥特有の能力だ。
鳥司が私に軽く放ってくる柔らかい布を丸めた球を、この魔力の膜をはって防ぐという単純な訓練だ。
私だって自分の身を守る膜を張るのはさほど難しい作業じゃない。けれど、これを人を守れるほど大きく張るのが、もともと魔力の少ない私にはかなり難しいのだ。
どうしても膜を均一に張ることが出来ず、膜が弱い部分は少し強めに投げられた球を弾くことが出来ない。
私の訓練に付き合っている守られ役の鳥司は、いつも球をぶつけられている。ちょっと強く投げられた球でこれなら、弓矢やナイフなど簡単に貫通されてしまうだろう。
この鳥司より大きなカーディーンを加護の相手に選んだら、もっと大きな膜を張らなくてはならないのだ。
ただでさえ「砂色」なんだから、守護鳥としてだめだなんて思われないようにしなきゃ!
私はいつもより気合を入れて訓練に励んだ。
が、そもそも私のやる気は基本的に持続しない。気質が鳥なのでそこら辺は仕方ないらしい。鳥司もわかっているので何度も何度も休憩をはさんでくれた。
私どうしてこんなに守護の魔法が下手なんだろう……私だって守護鳥なのに……。
何度目かの休憩の後、あんまり連続してやると疲れてしまうからと、モルシャが少しだけ探索するのを許してくれた。
なので私は若くて体力のある鳥司と、カーディーンからつけられている世話役の従者を一人ずつ連れて宮殿探索に向かった。
私は室内よりも庭の方が見ていて楽しいので、たくさんある庭を順に巡っていった。それぞれ趣の違う雰囲気で見ていて飽きない。失敗続きでへこんでいた気分が少し浮上した。というか食欲を抑えるのが大変だった。お花を勝手に食べちゃだめなんだもんね……。
とある庭で私が芋虫を追いかけて、鳥司が「絶対に食べてはなりませんからね」とはらはらしながら私を追いかけて、それを従者がさらに遠くから追いかけると言う傍目から見たらなんとも不思議な追いかけっこを繰り返していた時、向こう側から沢山の人が現れた。
先頭を歩く人が見えた瞬間、鳥司と従者が背筋を正して動きをとめた。
それにまるで気付かない私は嬉々として芋虫を追い回していたのだが、不意に芋虫がひょいと空にもちあげられ、私は芋虫を取り上げられたことで、ようやく目の前にいた人に気がついた。
「やんちゃな守護鳥様ですこと。かよわき虫を追い回してはいけませんわ。彼らは我が国の緑を育む大切な存在なのですから」
優しくたしなめるようにそう言って手の中の芋虫をそっと緑の葉の上に逃がしたのは、美しい衣装に身を包んだ年かさの貴婦人だった。
だあれ?
私が小首をかしげて尋ねると、鳥司と従者は真っ青になったが、問われた貴婦人はころころと上品に笑い、私を手の平にのせて答えた。
「わたくしは国王の妻、この国の王妃ファディオラですわ。どうぞファディオラとお呼びになってくださいな。砂殿とは初めて顔を合わせますね。わたくしの守護鳥リオラがそなたの母君なのですよ」
そういえばファディオラは王族の顔合わせの時にはいなかった気がする。あと私の母ってリオラって名前だったんだ。父にも名前、あるのだろうか?
そしてファディオラの言う通りだとすると、つまりファディオラは私の母が選んだ加護の相手だ。
「砂殿。ここで会ったのも何かの縁でしょう。よろしければわたくしとお茶をしませんか?あぁ、砂殿にはお茶ではなくて花蜜を用意いたしましょう」
花蜜!?いくー!
あっさり花蜜につられた私は、ファディオラの手の平に乗ったまま一も二もなくうなずいた。
ファディオラがその場にお茶の用意をしなさいと言ってから程なくして、美しい細工のテーブルと椅子がどこからともなく運び込まれて、まるで初めから存在していたかのような佇まいで見事に庭に溶け込んでいた。
ファディオラはそこに優雅に腰掛け、私にも柔らかな薄手のクッションをテーブルの上に用意してくれた。このクッションはファディオラが私の母リオラとお茶をするときにリオラが使っていたクッションなのだと言う。私には少し大き過ぎるそのクッションは、確かにどことなく使いこまれて爪でひっかいたらしき小さな傷跡がいくつもあった。
用意された花蜜は程良い甘さが美味しかった。私がうまうまと食べてちゃっかりおかわりしているのを、ファディオラは目を細めてにこやかに眺めていた。
「リオラも共にこの席につくことが出来たらどれほど良かったことでしょう」
ファディオラは少しさみしそうに笑ってそう言った。
私は産まれたときから母の姿を見たことがなかったので、まるで実感がわかない。ただ、ファディオラがリオラに会えなくてさみしいということだけがわかった。
リオラはどんな守護鳥だったの?
私が尋ねると、ファディオラは懐かしむような口調で言った。
「おしゃれの好きな明るい守護鳥でした。わたくしを選んだ理由は出会った時、わたくしが一番豪奢な衣装を纏っていたからだと言っていましたね」
そしてファディオラと数日過ごし、ファディオラが当時一番衣装持ちで、リオラの好みで服を選んで着せ替えごっこに付き合ってくれたのが決定的だったと言いきったらしい。
そんな軽い理由で守護の相手に選ぶんだ……。顔が一番美しい王子を選んだ月の一の兄は、案外母似なのかもしれない。
私が茫然とした体で呟くと、ファディオラは楽しそうに笑った。
リオラはお茶が好きだったの?
「えぇ、砂殿が飲んでいるその花蜜が一番好きだったのよ」
これ美味しいね。
「そう言ってくれて嬉しいわ。わたくしの庭に咲く花から採れる花蜜なのですよ。そなたが美味しそうに飲んでいる姿を見ると、リオラが戻ってきてくれたような気がするわ」
私……砂みたいな色だから、リオラには似てないと思うんだけど……。
「姿かたちが似ていなくとも、そなたはリオラが命を賭して守り抜いた大切な子供なのですよ」
命を賭して守り抜いた私が砂だなんて……。きっとリオラが知ったらがっかりしただろうね。
しょんぼりとして言う私に、ファディオラは優しく言った。
「守護鳥は子供への愛情が希薄と聞くけれど、それでもやはり愛情がないわけではないと思うのです。産まれた我が子に情がなければ、きっと今頃リオラはわたくしの元へ帰って来てくれたことでしょう。
けれどリオラは戻らなかった。もちろんリオラを失ったわたくしはさみしいけれど……同じ子を持つ母として、次代の王族の守護鳥たるそなた達を守り抜いたリオラはとても立派だと思うのです」
ファディオラは私をそっと撫でる。その仕草がとても慣れた手つきで、きっとリオラをたくさん撫でていたんだと理解した。
「だからもし、そなたが守護鳥として何か不安に思っていることがあるのならば、胸を張ってよいのですよ。あなたはこの国の王妃の守護鳥が産んで守った守護鳥なのですから」
柔らかく、穏やかな声音なのに不思議と力強いその言葉が、まるで私の不安を見透かして背中を押してくれたようだった。
ファディオラ、ありがとうね。
「お礼など良いのですよ。わたくしもそなたに会えてよかったわ。久方ぶりだったけれど、やはり庭に出てきてよかった。リオラの子であるそなたに出会えたのですから」
私がお礼を言うとファディオラはそう言って美しくにっこりと微笑んで、また私を撫でた。私はファディオラが満足するまでいっぱい撫でてもらった。
きっとリオラはファディオラの元に戻りたかったはずなのだ。だけどリオラは私達兄弟を守って亡くなった。
だから私が出来ることは、次代の守護鳥として次代の王族を守ることなんだと思う……たぶん。
帰ったらもう一度魔力の膜を張る訓練を頑張ってみようと思った。
でも、とりあえず目の前の花蜜をおかわりしよう。だっておなか減ってちゃ力が出ないもんね!
ファディオラと別れたころにはお腹が花蜜でたぷたぷになった私は、鳥司に運んでもらってカーディーンの宮へ戻った。
うっぷ、……訓練はお腹が落ち着いてからにしよう。決して怠けたいわけじゃないんだからね!
鳥司の手の平の上でぐったりしながら、私は誰ともなしに小さく言い訳した。