静寂の砂漠
とまぁ意気揚々と砂漠に出てみたものの、私がすることはあんまり変わらない。
トカゲの頭とカーディーンの頭を行ったり来たりしながら時折空に舞い上がってくるくる飛んで、何か見つけたらリークを介して知らせる、といった具合だ。
けれど空から見下ろすカーディーン達の動きはいつもと少し違う。
ネヴィラ達の乗る馬車や、荷馬車を守るように周囲をぐるりと部下の人達が歩いていて、絶えず周囲を見回して警戒を怠らない。
私の空からの目もあり、特に問題なく最初の休憩をはさむことになった。
大きな岩場の周辺を陣取り、いつもより人数が多いので皆で集まる様にして休憩と食事をとることになった。
ただすぐさま誰もが戦える人ばかりではないので、食事はなるべくすぐ終えて、あとはじっと座る様にして少しだけ休んだらまたすぐに出発となる。
休憩前の移動中、前方にみえる狼の群れを避けるべく大きく迂回したので、その分休憩を終えたらなるべく距離を稼がなくてはならないからだ。
私はカーディーンの膝の上でむぐむぐとげを抜いたサボテンを食べている。
この水分がじゅわぁ~っとしみ出す感じがたまらない。貴重な砂漠の水分だ。
そして途中で仕留めたらしい砂ヤギの水肺を配るリークと一緒に密集しながらせわしなく動き回る人達を眺めていた。
今は皆てきぱきと片づけをしているが、手際のよさにびっくりした。
当然と言えば当然なのだが、隣国への移動に際して旅になれた人達なのだろう。みんなくるくるてきぱき動いていた。
あといつもと少し違ったのは部下の人達だ。
彼らもきちんと仕事をしているのだが、交代で小休憩している今は、皆がある一方を眺めている。
グィンシム兄妹の周辺である。とりわけネヴィラ達とその従者の女性達を見ているようだ。
私の耳には「やはり女性が料理に加わると格段に美味い」や「いてくれるだけで張り合いが出るな」などなかなか女性と接点がないらしい部下の人達の妙に心に沁みる様な声が聞こえてきた。
やはり種族が違うと女性として意識しづらいのだろう。彼らにはもう一度、私が綺麗な雌だという認識を持ってもらわなくちゃいけないと思った。
「あら、カティア様!よろしければいかがですか?」
開口一番、ネヴィラが私にナイフで小さく切った果物をくれた。
私は迷うことなく嘴をかぱりとあけて果物を迎え入れる。向きたての瑞々しい果物だ。美味しい。
しゃくしゃくいわせながら頬張っていると、ネヴィラがにこにこ私をみつめながら器用に小さなナイフで果物をむいて、また小さく切って私にくれた。
ネヴィラは刃物とか触らなさそうだと思っていたから、手なれた様子がちょっと意外だ。
ネヴィラ、ナイフとか使えたんだね。
「御前で披露するには拙い腕ではございますが、さすがに旅の途中で自分で果物すら剥けないようでは困りますので覚えました」
にこりと微笑むネヴィラにさらに質問する。
ネヴィラは今回が初めての砂漠じゃないの?
「いいえ。ここ数年は久しく訪れておりませんでしたが、婚姻が間近に迫る年齢になるまでは私も何度か隣国へと赴いたことがございます。隣国についても少しは見聞がございます」
そうなんだ。ねぇ、隣国ペルガニエスって実際どういう国なの?
私も一応カーディーンにこんな感じの国という知識はもらっているのだが、実際に国を歩いたことのあるネヴィラの話が聞いてみたい。
私が尋ねると、ネヴィラがちょっと思い出す様な仕草をしながら私に楽しそうに話してくれる。
「まずなんといっても緑がすばらしく多いと言うのが特徴でしょうか。大地に砂もなければ、夜になると海になるということもございません。アファルダートに暮らす私達にとっては不安になるほど夜がとても静かに感じました」
波の音が聞こえない夜なんて想像できないなぁ。
「左様でございますね。ですがペルガニエス国の中心地に向かえば波の音など聞こえないのです。鳥の鳴き声と風の音しか聞こえません」
ペルガニエスに足を踏み入れたことのないカーディーンが知らない知識だ。
「緑が豊かな理由として、火山と呼ばれる火の神が住まう山があるそうです。その火の神がペルガニエスに豊かな緑と湧水をもたらすと伺いました」
火の神が山に住んでいて緑と水をもたらすの?なんで?火って緑を燃やしたり水をお湯にするものじゃないの?
「私もなぜ山に住まう神が火を司り自然を豊かにするのかはわからないのですが、その火の神は怒ると大地を揺らすのだそうです」
え?何それ地面が揺れるの!?怖い!
「本当に恐ろしいですね。火の神が怒ると大地が揺れ、空が灰に染まるのだそうです。ですが怒るととても恐ろしい火の神は、一度怒りを吐きだすととても穏やかになるのだとか」
そしてその優しさが緑と湧水を育む、というのがネヴィラが聞いたペルガニエスに伝わる火の神の言い伝えらしい。
なるほどとうなずきながら話を聞いていると、リークがそろそろ出立の時間が近づいていると教えてくれた。
もうちょっと話を聞いてみたかったけれど、残念。
じゃあ私カーディーンの所に戻るね。
「はい、それではまたのちほど。お水を分けていただきありがとうございます」
ネヴィラと挨拶をしてまたカーディーンの所に戻った。
休憩を終えて、またすぐに移動が始まった。
暑い。すごく暑い。今日は一段と陽が強い気がする。
陽が高くなるとじりじりと砂が熱を帯びて暑さが一層酷くなる。特に今は風がほとんどないので、まるで砂漠がゆらゆらと揺れているようにすら感じる。
私は日差しを遮るために時折カーディーンの首元の袋に入るのだが、当然カーディーンも暑くて汗をかいているので首元は特に蒸し暑い。
カーディーンは文句を言ったりしなけれど、ただでさえ熱がこもる首元にさらに私という羽毛をもつ存在がいるとたまらなく暑いことだろう。
私もカーディーンの体の熱で暑くて仕方がなかったのですぐにトカゲの頭の上に戻った。
基本的に砂漠でカーディーンから離れたくはないので絶対に口に出さないが、ネヴィラの乗っている馬車に入りたいと何度か考えた。
じりじりと熱に体力を奪われ続けながらもひたすら移動を続け、そろそろ予定していた岩場の影で二度目の小休憩が入る予定だった。
だが私が上空から見つけた物により、事態は大きく急変した。
「大蛇の卵か……このような場所に住処を移して卵を産んだ蛇がいたとはな」
カーディーンが険しい顔で呟いた。
この辺ってあんまり通らないから気付かなかったんだね。
私は考え込むように黙ったままのカーディーンの肩に留まって前方を一緒に見つめた。
休もうとしていた場所に蛇の卵があった。
蛇の卵がある岩場は、昼の砂漠で休憩するならば特に問題はない。
しかし今回は夜を越えようとしているのだ。
夜にこの周囲にとどまっていると卵を守る大蛇に襲われてしまう。
そして私達は夜には身動きが取れなくなってしまうので、移動できるうちに卵から少しでも遠くに行かなければならなくなってしまった。
仕方がないので休憩をとりやめて、ふたつ先の岩場まで急いで移動することになった。
歩き続けている大トカゲや鼠犀達は大変だ。私はカーディーンの大トカゲにくぴーと鳴いて労った。
その後はやや急かされる様な気持でひたすら移動を続け、ふたつめの岩場に到着した頃には完全に夕陽が沈もうとしていた。
途中で夕刻になったからか、砂漠から一切の動物たちが姿を消したので襲われる心配がなかったと言うのが幸いした。
私はやっと到着したと安堵の鳴き声を漏らしたのだが、カーディーン達はそうではなかった。
「準備を急げ!」
カーディーンは大声で指示を出しながら部下の人達を急がせている。
岩場がいくら大きくて広いとはいえ、あそこに荷馬車を全部乗せるのは不可能だと思うのだがどうする気だろう。
そして大トカゲも岩場にあげなければ溺れてしまう。
そうして壁の様な岩場にカーディーンの部下の人達がするすると器用によじ登って縄をかけていく。
濡れたらまずい荷物は縄で人と一緒に上にあげ、多少大丈夫そうな荷物は荷馬車にしっかり固定したまま荷馬車の車輪を器用に外して横たえて固定する。
なんで車輪を横に倒しているの?
「車輪を横に倒して浮かぶようにしているのだ。縄で岩場に括りつけておけば一晩ぐらいなら荷物を乗せて浮かんでいられる」
なるほど。どうやらあの荷馬車は簡易の船になるようにできていたらしい。車輪が変わっているなと思っていたけど、もしかしてあれも浮かびやすいようにする為の工夫なのだろうか?
ちなみに大トカゲは自分ひとりなら海砂に浮かべるらしい。前進することもできず、ただぷかぷか浮かんでいるだけらしいが。よかった。大トカゲはどうするのかちょっと気になっていたのだが、浮かんでいられるなら大丈夫だね。
そうして大事な荷物と人が全員岩場に登ると、どうやら見張り役らしい半数の人間を残して皆が一斉に服を脱ぎ出した。大慌てである。服を脱いで身体を拭いて着替えている。
なんで皆服を脱いでいるの?
同じく私をリークに預けて服を着替えているカーディーンに尋ねる。
カーディーンはてきぱき身体を拭きながら答えた。
「もうすぐ夜がくるからな。夜になれば格段に空気が冷たくなる。その前に昼間の間にかいた汗を拭い、汗を吸った服は着替えて厚手の服に着替えねば身体の熱を奪われてしまうのだ。本来は夕刻前の小休憩の間に済ませておきたかったのだが、予定外の事態があったのでな。夜になる前に全員が夜の備えをすませねばならぬので急いでいるのだ」
あぁ、そっか。私は服を着ていないし、自慢の羽毛で寒さも暑さも過ごせてしまうため忘れがちだが、夜って人間にとってはとっても寒いのだ。
そこに滴るほどの汗をかいた状態で冷たい風を浴びると、最初は涼しくてもすぐに具合が悪くなってしまうらしい。
人間って大変だなぁ。
ちなみにネヴィラ達女性陣は馬車の中で着替えているようだ。
なんとか皆が服を着替え、夜に備えての準備を終えた頃、夕陽はその姿をほとんど隠して空にはうっすらと月の姿があり、夜の色が広がっていた。
「もうすぐ砂漠の夜が始まるな……」
カーディーンが砂漠の彼方を見つめながら静かに言った。
見渡す限り誰もいない夕陽に照らされた砂漠は、不安を覚えるほど生き物の気配がまったく感じられない。
何となくしゃべってはいけないような、不思議な沈黙が広がった。
耳にはびゅおびゅおと大きくはない風の音が聞こえ、それだけが砂漠で聞こえる音だった。
呼吸すら止めてしまいそうな静けさの中で、ゆっくりと空が陰り、砂漠から黄金の色が消えた。
体に受ける風はいつのまにか、冷たくひんやりとした空気を運んでいた。
もうすぐ、夜が始まるんだ。
月明かりが、徐々に青白い光を空からこぼす。
すると夕陽の色を失った砂が、まるでその月明かりを吸い込んだかのようにゆっくりと、沈んだ。
形を失ったかのように沈んで、とぷりと揺れた。
とぷりと沈む様に揺らいだ砂はその振動を丸く周囲に広げてゆく。
布をばさりと広げたかのようにそれは周囲へ広がり、隣の振動とぶつかって、また揺れた。
それが初めはぽつぽつと、次第に広がって互いにぶつかり合って、とぷりとぷりと揺れる海砂はやがて大きなひとつのざざん、ざざぁんと私のよく知る波音となった。
その時にはすでに夕陽の姿はなく、先ほどまで眩しいほどの黄金色に輝いていた遠くにみえる砂漠の縁は、今はほのかな青の様な緑の様な月の輝きを映していた。
そうして、ざぱんと海砂から飛びだすかのように魚が一匹跳ねた。その魚の音をきっかけに、あちらこちらで生き物が泳ぐ音とどこかで鳴き声を上げる海砂の生き物の音が聞こえてきた。
知らなかった。
こうやって砂漠は夜になるんだ。
私はくぴーと静かに鳴いた。
砂漠の夜が始まった。