旅の支度と祈りに応じる
アファルダートの国土は隣国の倍以上あるのだが、その大半が砂漠なため他国へと向かうのがとても大変で、特に権力をもった国の代表として赴く規模のものになると準備にとても手間暇がかかる。
カーディーンがマフディル達と一緒に書類とにらめっこをしていたのは縁談話から逃げる為だけではなかったようだ。
ごめん、ちょっと誤解してた。
ところでどうやって隣国まで行くの?
私は定位置であるカーディーンの頭の上に乗りつつ、書類と向きあったりマフディル達に指示を出しているカーディーンにちらりと尋ねた。
普段巡回しているからよく知っているが、砂漠を一日中移動することは不可能だ。
夕刻が訪れると、砂漠が夜に向けて海へと変化するからだ。
そうなれば移動手段や経路、準備する道具まで何もかもが大きく変わってしまう。
どう考えても半日だけで国境まで到達できる気がしない。
「昼か夜かどちらかを砂漠で過ごすのだ。今は陽長の暦ゆえ夜を過ごすことになるな」
カーディーン曰く、集団で移動する時は沢山の荷が固まって移動できる月長の暦の方が楽なのだそうだ。
海砂になれば船が使え、気をつけるのは大蛇と波の高さになる。その気になればスーハのような渡しの一族に案内を依頼することもあるらしい。まぁ船は船で面倒が多いようで一概にどっちがとは言い切れないようだ。
なにせ今回は昼間の移動ということだけ理解した。つまり道中でムーンローズをもぐもぐする機会はなさそうだ。少し残念。
私はカーディーンが広げた地図を一緒に覗き込む。
文字はさっぱりおぼえる気がないが、地図は読み方を少しだけ教えてもらった。とりあえず麦の木林とムーンローズの印だけ覚えている。
私が守護鳥以外の役割を期待されているのが道中の案内だ。
私の野性的な直感を、軍の皆がものすごく頼りにしているのだ。
無論、軍の皆も一人ひとりが常に現在の居場所の把握を怠ってはいないが、常に戦闘やら危険の察知に気を張り巡らせている軍の皆と違い、私はカーディーンのことと自分が今どこにいるかということに集中している。
私も明らかに劣っている守護鳥の能力と違い、自信を持って誇れる方向感覚を信頼されていると言うのは、私自身を認められたようでとても嬉しい。
カーディーンが指さしながらたどる場所の印を確認しつつ、頭の中でだいたいの道筋を描いてみる。
ただしこれはあくまでも予定だ。
地図の上では平坦でも、前日の海砂の荒れ具合によって砂の山が築かれる場所が大きくかわる。
それによって選ぶ道も切り替わるのであくまで「こういう具合に道をたどれればいいなぁ」ぐらいでとどめておく。
そうやって準備を進めていたらあっという間に出発の日がやってきた。
出発の日、私はカーディーンと一緒に日が昇るより早く起きて仕度をし、部下の人達と一緒に軍の区画に集まっていた。
と言っても私はまだ少し眠たかったので、かすかに耳に届く海砂の凪いだ音がゆらゆらと意識を沈め、カーディーンの首の袋で半分ほどうとうとしていた。
次に目を覚ますと見慣れた軍の区画の風景とは別の場所にいた。
あれ、ここどこ?
「起きたのか、カティア。ここは砂流花の門の前。軍の使用する大門ではなく、貴族や大商人などが砂漠を出入りするための門だ」
見知らぬ風景に私がぱちくりと目を開けると、リークの通訳で私が起きたことに気付いたカーディーンが答えをくれた。
確かに目の前にそびえたつ門はずいぶんと立派だ。軍の使う大門は飾り気のない丈夫そうな大きな門だが、この門は大きさは同じくらいでも大門にはない華美な装飾がある。砂に流れる花の意匠だ。他の門もそれぞれ意匠が名前になっているらしい。
軍の大門が殺風景なので気にしたことなかった。だからあの門は大門と呼んでいるんだ、とどうでもいいことを考えた。
薄青の空の端が段々と橙色に変わる頃、門の周囲には沢山の人が何となくそれぞれが区別できそうな塊に分かれて集まっていた。大きな荷物がはみ出すほどに括りつけられたひと際大きくて厚みのある荷馬車や、それを曳く何頭もの角豚。
角豚よりさらに大きな生き物もいた。鼠犀と言うらしい。乾いた砂を固めた様なトカゲとはまた異なる皮膚を持つ、丸みを帯びた耳とつぶらな瞳、鼻先の大きな角が特徴の大型生物だ。
見た目通り力持ちの様で、人が乗っているらしき大きな馬車を曳いている。おそらく周囲にいる人間の服装からしても、あのひと際大きな馬車の中にネヴィラがいるのではないだろうか。
周囲の人達は互いに何やら話しあっている。最終確認かな?
じっと見ているとその馬車の中から従者を伴って二人の男女がやってきた。
旅装ではあるものの、ひと目で上等とわかる布が使われている。触り心地がよさそうな布はすべて上等だ。
私を見て嬉しそうな笑顔を見せているのはネヴィラだ。
いつものきらきらしゃらしゃらとした装飾品はほとんどなく、露出もまったくしていないので私を見てにこにこするまで一瞬誰だか分らなかった。
いつもの頭からかぶっている布は透けておらず、背中もお腹も胸も布に覆われている。
女性も旅装はズボンをはくようだ。しかし腰に巻き付けた布を弛ませたり、さりげない袖の刺繍が女性らしさを出している。
二人はカーディーンと私に丁寧に挨拶をした。
挨拶の内容を簡単に言えば「おはよう。旅の間はよろしくね!」ってことだと思う。長い挨拶で関係ない話も多少あったと思うので私はそこしか聞いていない。
私はネヴィラの隣に立つ男性をちらりと見た。
穏やかな表情でカーディーンと会話しているのはネヴィラの兄ナディスだ。王族やリークほどではないが整った美しさの男性だと思う。
やや気の強そうな印象を受けるネヴィラと比べて見た目は非常に穏やかな印象だ。
顔立ちも何となく似ていて黒髪と灰色の瞳がネヴィラとそっくりなのに兄妹でこれほど受ける印象が違うのは、本当に目がちょっとつり上がっているか下がっているかだけなのかなぁ。それとも私が人間を見分けたりする能力って意外と低いのだろうか。
カーディーンがどんな服を着ていても気付かなかったことはないからそんなはずはないと信じたいのだけれど……。いつも一緒にいてカーディーンが着替えるところを目撃してるからわかっているだけ、とは思いたくない。
そんなどうでもいいことを考えながら、大人しくカーディーンの頭の上でちょこんと座って話を聞いているふりをした。
ちなみに兄ナディスは既に伴侶がいて、その伴侶は蕾の季節にあるようだ。何それってリークに尋ねると「子供がお腹にいるって意味」と小声で教えてくれた。なるほど。
とにかく蕾の季節は大切な時期なので、大変な砂漠を渡る旅は避けることにしたそうだ。
けれど今回は隣国の祝いの宴に出席しなければならない。隣国では祝い事には夫婦で参加するのが習わしらしいので、妹のネヴィラが代わりに出席するという話になったらしい。
三人は基本的にカーディーンとナディスが言葉を交わし、ネヴィラは横で静かににこにこしていた。たぶん私を見つめているのだろう。
時間にしたらほんのわずかな挨拶を終え、ネヴィラ達は自分の馬車に戻って行った。
そしてようやく出発の時である。
大きな旅路の時は門を開ける前に旅の安全を願う祈りの時間があるそうだ。
軍だと砂漠に出るのがいつものこと過ぎて誰も祈らない。まぁ大げさだもんね。
私はカーディーンと門の近くにやってきた。私達はここで祈るらしい。他の皆も手をとめて、私達の方に注目している。
そしてここで、大門ともうひとつ大きく違う点を見つけた。
私達のすぐ目の前に大きな石像がある。
ひときわ繊細な月の意匠を施された台の上、今にも動きだしそうな妙に神々しい鳥の姿。非常に見覚えがある。
私にとっては身近な月の兄弟達の姿である。
ねぇ、月の兄弟達のあんな威厳ある姿、私見たことないよ。
もっとこうくぴーくぴーうるさくて、自分の加護相手にでれでれと尾羽を振っている兄弟達の姿と、目の前にある神々しいまでの守護鳥像が姿のよく似た別鳥の様でむず痒いと言うと、リークがカーディーンにのみ聞こえる小声で通訳していた。
「畏敬の念を抱かれる為に、多少の誇張をしているのだ。親しみではなく、敬意が現れた姿なのだと思えばいいだろう。王族や守護鳥に憧れる国民の夢をむやみに壊してはならない」
こういうのは雰囲気が大事なのだと、カーディーンが同じように像を眺めながら小さな声で言った。
私はわかったと返事をするように小さく鳴いた。
さて祈りの時間だ。
カーディーンに言われて頭上から肩の上に滑り落ちるように移動する。
カーディーンは皆の方を向くと、大きくて良く通る声で告げた。
「これより隣国へ向けて出立する。我らの旅路には月の加護があり、渡り鳥と守護鳥の導がある!太陽の神は風を運び、月の神は道を照らす」
カーディーンがそこで区切って、肩の私の前に手をすっと差し出した。
その手に脚をかけて乗り移ると、今度はその手を守護鳥の石像に向かって高く掲げる。
何となく行けと言われているような気がしたのでふわりと飛んで石像の一番高いところに着地する。周囲が皆私をまっすぐに見上げている。ちょっと気分がいい。
私が着地したのを見て、カーディーンが私を見上げて大きな声で告げた。
「我らの旅路に守護鳥カティアの加護があらんことを!」
『我らの旅路に守護鳥カティア様の御加護があらんことを!』
カーディーンの声に続いて皆が同じ言葉を口にする。
私は雰囲気に任せて両の翼をばっと広げて大きな声で応えるようにくぴーと鳴いた。皆がわぁっと歓声を上げた。
私は自分が一番かっこよく見える角度を探して右に左にくふーっと胸を張る。
皆の視線がまっすぐ私を見つめて、祈りを捧げている姿を見ると不思議な気分になった。
カーディーンが首に緩く巻きつけてある額布を大きく翻してくるりと皆に背を向け、いつもの大トカゲに乗って門の一番先頭に立つ。
私は大トカゲの頭の上に陣取っている。今回もよろしくねと大トカゲに声をかけた。
私の声が聞こえているのかいないのか、理解しているのかどうかはわからないけれど、大トカゲはいつものように泰然としていた。何を考えているのか全く分からないが心強い。
カーディーンの声で門番がゆっくりと門を動かしている。
門が動くにつれ細い縦長の隙間から淡い橙の様な、黄色い光とうっすら青い空が見える。この門の向こうに広がるのは遮るもののない砂漠と空だ。
砂漠に出る直前の、この瞬間が一番好きだ。門を開けると風と共にわくわくが視界と胸一杯に広がってゆく。
今日は比較的波が穏やかだったのだろう。砂漠の砂はややなだらかな波の姿を残していた。
まだ少し冷たい風が頬に心地よい。
「ゆくぞ、カティア」
カーディーンが私にひと声掛ける。
私はふりむいてそれに鳴いて応じた。
「出立するっ!」
いざ、隣国へ!