誰とも違う、価値観のありか
連続投稿その4
ねぇネヴィラ。そう言えば今日は宮殿に何しに来たの?ラナーに会いに来たの?
私が撫でられるのに飽きた頃ネヴィラに尋ねてみると、ネヴィラは私を撫でる手をとめて答えた。
「はい。シャナンが今ザイナーヴ殿下と共にいるので、私は少し早く来てここで待っていたのです」
シャナンと一緒にラナーの宮に行くのだと、ネヴィラが軽やかな口調で言った。
私もこの間シャナンと会ったし、シャナンがザイナーヴに会うために頻繁に宮殿に来ていることは噂で知っている。
早く来すぎたネヴィラがここで時間を潰しているのもわかる。
わかるけど……シャナンがザイナーヴと会っているって承知の上で、ここで時間を潰しながら待っているって、ものすごく気まずくないのかな……。
だってシャナンが選ばれたってことはつまりネヴィラってザイナーヴにふられたってことだよね?それも仲良しだったシャナンがザイナーヴの伴侶になるんだし。
ネヴィラはそのことが辛くないのかな?
けろりとしているネヴィラが気になったので、ちょっとおずおずと尋ねてみた。
「私がシャナンやザイナーヴ殿下に複雑な感情を持っていないのか、ですか……?」
ネヴィラは私の言葉を繰り返すように呟いてこてりと首をかしげた。
「いいえ。私は王妃になれなかったことを残念には思いますが、まだザイナーヴ殿下の伴侶候補であることは変わりませんからね。二人に複雑な感情を持ってはならないのです」
え?
私がびっくりして短く鳴くと、ネヴィラは少し視線を私から外すように離れた場所の草木を見ながら答えた。
「父はまだ私をザイナーヴ殿下の伴侶にすることを諦めておりませんし、私も特に異存がありません。シャナンはザイナーヴ殿下の最初の伴侶になることを約束されただけで、ザイナーヴ殿下が次期国王の宣言をなされば次の伴侶を探さねばなりません。私は現在その一番有力な伴侶候補です。
王妃の座にはつけなかったものの、シャナンが私と懇意にしていることは周知の事実です。立場の強くないシャナンを助ける意味でも、ザイナーヴ殿下とシャナンにとって私は次の伴侶に欲しい存在のはず、と私の父も考えていることでしょう。それに……もっと単純に生々しい話をするならば、シャナンとザイナーヴ殿下よりは私とザイナーヴ殿下の方が、王家の血を強く受け継ぐ子が生まれる可能性は高いでしょうし」
ほとんど王族の血が交わることのなかったシャナンよりは、王族となれなかった王族の子や、王族に何度も娘を嫁がせていたり王族になれなかったりした子を伴侶にしているネヴィラの血筋の方が王家の災いを受け継ぐ王族を産む可能性が高い。
現国王と亡き王妃の子であるザイナーヴが次期国王と言われているのでわりと忘れがちだが、アファルダートの次期国王は母親の立場や現国王の嫡子に関係なく、血と資質と守護鳥の加護で決まる。つまりネヴィラが次期国王を産むことも十分にありうるのだ。
その事実がある限り、ネヴィラの父はネヴィラをザイナーヴに嫁がせるだろうとネヴィラは言った。
説明だけ聞けばその通りだ。その通りなんだけれど、私は羽の間になにか違和感を覚えるようにもぞもぞしながら尋ねた。
で、でも……それってシャナンとネヴィラが気まずくないの?
「まったく気まずくないかと問われれば、きまずいですね。少しは……」
ネヴィラはわかりやすく頬を膨らませて面白くなさそうにそう言った。
私はネヴィラが不満をもっていたことにちょっとだけ安堵した。ネヴィラはわりと感情が顔に出やすいところが、すぐ怒ったりするリークに似ていてわかりやすい。嘘がつけなさそうだ。
最近隠しごとの多い人ばっかりとかかわっていたし、カーディーンもなんだか私に隠しごとをしているような感じがするので、こういうわかりやすい反応はすごく安心する。
「ですが私はもとから次期国王の伴侶となるようにと言われ続けてきたのです。夫となる方を私一人で独占できないことは承知の上ですので」
ちょっとだけさみしそうに、ネヴィラがそう言った後、今度は少しだけ明るい口調でにこやかに続けた。
「ですので考えようによってはシャナンが王妃になったことは、私自身が王妃になった場合の次くらいには私にとって都合のよいことなのです。嫌いな相手が王妃になって、その相手と同じ方を愛することを考えれば仲良く出来るではありませんか?嫌いな相手だと毎日喧嘩ばかりしてしまいそうですものね」
……前向きだね。
私はひたすら楽観的であろうとするネヴィラに、とりあえずそう言った。
「ザイナーヴ殿下がシャナンを伴侶にと宣言なさっているので、しばらくは次の伴侶を迎えることはないでしょう。私自身の婚姻が先延ばしになったからこそ、こうして前向きに考えることが出来るのでしょうね」
父の気が変われば他の方に嫁ぐかもしれませんが、とネヴィラは肩の力をそっと抜くように息を吐きながら言った。
どこか他人事な口調だった。
ネヴィラは王妃になりたかったの?
「王妃ならば夫となる方の隣に立てます。王妃とは国王の特別である証なのですから。たとえ一人のものでなくとも、その隣に立つのを許されるのは王妃だけです」
現国王は現在何かの宴があっても、その隣には誰も立たないそうだ。
その隣に立つことを許された王妃の称号を持つファディオラが既に月の元に行ってしまったからだ。そして王妃という称号が別の妃に引き継がれることはないのだと言う。
それほどに特別な称号なのだそうだ。
次期国王になるザイナーヴがシャナンに与えた最初の伴侶という約束は、生涯の王妃であることを意味するのだとネヴィラは教えてくれた。
ネヴィラは王妃になりたくないの?
「私は……夫となる方を愛して愛されて、その方を私のすべてで幸せにしたいのです。私のすべてで……私だけの手で」
どこか夢見るように、ネヴィラはそう言った。
私は同意するようにくぴーと鳴いた。
素敵な考え方だね。
「お褒めいただき光栄です」
にっこりとネヴィラが笑った。
でもそれだけに、ネヴィラが幸せにしたいと願う相手がザイナーヴであることがちょっと残念に思う。
はっきり言ってザイナーヴは誰かに幸せにしてもらわなくても、なんとなく自分で勝手に幸せになりそうな印象が強いのだ。シャナンもいるし。
そして気付いた。
さっきから、ネヴィラは繰り返し『夫となる方』という言い方をしているが、それがザイナーヴであるとは一言も言っていないのだ。
……もしかしたら、ネヴィラ自身もなんとなく感じているのかもしれない。
私はそうまでしてザイナーヴがいいとは思わないなぁ……。他にも王族はいるんだし、別の人じゃだめなの?カーディーンとか、おすすめだよ!!
私がそう言うと、ネヴィラが困ったように笑いながら言った。
「父から殿下に打診している正式な求婚の話です。女性が勝手な都合で断るなど恐れ多いことにございます。それに殿下の名誉を傷つけてまで断ることなど出来ませんもの」
なんでその求婚話、最初に断らなかったの?
「父は最初に私に確認をとっていたのです。ザイナーヴ殿下の伴侶になるか、と。幼いころとは言え、私がそれを受け入れたのです。今さら断っては角が立ちます」
どうやらネヴィラの婚姻は幼いころから定められていたものらしい。
つまりネヴィラは幼いころからザイナーヴが好きだったと言うことだ。
名誉を傷つけることが出来ないから断らないというネヴィラは、一体どれほどザイナーヴのことが好きなのだろう……。
そうであるならば、大好きなザイナーヴがシャナンを伴侶に選んだことは、ネヴィラをどれほど傷つけていたのだろう。
ネヴィラが実は心の奥深くに隠しているかもしれない傷を暴いているようで罪悪感に駆られながら尋ねると、ネヴィラが少し照れたように頬を染めながら言葉を続けた。
「ザイナーヴ殿下は私が父から殿下の伴侶となるかと尋ねられた頃から、それはもうため息が出るほど美しいお姿でいらしたのです!」
ほぅ……と悩ましい吐息を零しながらネヴィラが言った言葉に、私は内心ちょっと呆れてしまった。
違った……。そんな深刻な傷とかなかった。私が考えていたより数倍、あまりにも単純な理由だった。
ネヴィラって本当に可愛いものとか綺麗なものが好きなだけなんだ……。
そりゃあザイナーヴの伴侶になるかと言われて快く承諾するはずだ。
なんか……人間の婚姻ってもっと重いものかと思ってたよ……。
脱力しながらくぴーと鳴くと、ネヴィラがきょとんと首を傾けていた。
「とても重要ですよ?生涯寄り添う相手ですもの。だからこそ沢山の縁談が来るように女性は美しく、魅力的であらねばなりません」
どういうこと?
私がきょとんと首をかしげると、ネヴィラがちょっと胸を張るようにしながら言った。
「女性は自分から殿方を選ぶことはできません。選んでもらうことしか、そして自分を選んだ相手の中から自分を一番幸せにしてくれそうな方を選ばなくてはなりません。素敵な殿方に見初めていただくには美しく、魅力的であらねばなりません」
だから自分磨きには余念がないのです!と自信満々に言うネヴィラになるほどとうなずきながら、あれ?と思ったので尋ねてみる。
ねぇ、ネヴィラ。女性にとっては沢山の縁談の話があることがいいことなの?
「もちろんです。縁談が多いことは家が縁を結ぶ相手を吟味できると言うことですし、評判になればなるほど良い殿方からの縁があります。それにこちらの家から相手に話を持ちかける時も断られにくいですしね。縁談が多いことが女性にとっては良いことです。それに殿方もそれほど多くの縁談の中から自分が選ばれたとなれば誉れとなりましょう?」
にこにこと語るネヴィラに、私はちょっと尾羽を震わせつつ、さらに確認する。
たとえば……例えばの話ね?一人の男性が家に縁談の話もせずに女性を独り占めしようとするのって女性から見てどうなの?
私が尋ねると、ネヴィラが私の言葉にちょっと眉を寄せながら答えた。
「……場合によるかとは思いますが、女性側の視点で見ればあまり褒められた行為ではないと思います。女性側の選ぶ権利を狭めているのですからね」
ネヴィラがそう言ったことに私は飛びあがりそうなほど羽をすくめた。
ネヴィラは私の様子に気づくことなく言葉を続けた。
「あまりないことではありますが、相思相愛ならばそれでよいかと思います。しかしどれほど自分に自信があってもその女性が必ずしもその殿方を好いているとは限りませんので、そう言う意味では逃げ道をふさいでしまうことになりますね」
う……別に嫌ってはいなさそうだったし、家に縁談の話をしてないから逃げようだってあるじゃない。
悔しくなって反論すると、ネヴィラが逆だと言うように首を振った。
「それは違います。女性に選ぶ余地がない以上、男性は己の全てをかけて求婚すべきなのです。約束もなく女性を独占しようとするのはあんまりです。全てをかけていただかないと、男性は女性と違いいつでも簡単に断ってしまえるのですから、女性は不安に駆られます。それに何の約束もない男女が二人きりでいるのはとても外聞が悪いのです。主に女性の……。ですから目に見える証が必要なのです。真剣に将来を考える為に自分の全てをかけて伴侶にと望み、約束をして女性の名誉を守り、その上で見極めているのだと。それが婚姻の作法です」
ネヴィラだって前に話した時はザイナーヴが正しいけど兄弟だから蟠りは残るって言ったじゃない!
私が向きになって叫ぶと、ネヴィラが驚いた様な表情でつぶやいた。
「……今のたとえ話は……カーディーン様のことだったのですか……?」
「わ、私……なんてことを……」と震えながら口に手を当てて真っ青になったネヴィラに、遅ればせながらネヴィラが守護鳥である私の間の前でカーディーンを批判してしまったことになるのだと気付いて、私は慌ててネヴィラに弁明する。
た、たとえ話だから!!誰の話でもないから!カーディーンとかザイナーヴとか、気のせいだから!
「私……私、その……」
内緒だから!このことはここにいる全員の内緒だから!!誰にも言っちゃだめだから、いいね!
泣きそうなネヴィラに、私はあわててその場にいた全員に威嚇するように両の翼を広げて宣言した。
鳥司は静かに、ネヴィラの従者達は青い顔で何度も頷いた。
ネヴィラが泣きそうな顔でこくこくと頷くのを確認し、私は小さく鳴いた。
ネヴィラ……知らなかったんだね。カーディーンとシャナンのこと。
以前噂を知っているような言い方をしたけれど、ちゃんと詳細は知らなかったのだ。
私が言うと、ネヴィラはまだ目に涙をためつつ静かに言った。
「……私はシャナンからこの話を直接聞きました。シャナンは一度もカーディーン様が縁談の話を家にしていないとは言いませんでしたから、正式な求婚の話には至っていなくても、婚姻を前提に見極めをしていると……一言ぐらいシャナンの家に言っていたものと思っておりました……」
シャナンに直接聞いた自分の噂が一番正確だと思っていた、とネヴィラは言った。
おそらくシャナンがわざと言葉を濁して伝えたのだろう。
つまり……家にまったく縁談の話を通していないカーディーンの方法は、シャナンにとって本当に不当な拘束だったと言うことなのだろうか。
だとしたらザイナーヴが、何故一度も正式に話を通さなかったのかと言っていた理由が、少しだけなら理解できる。まぁ女性の価値観に関してはザイナーヴも若干ネヴィラに非難されていたようだけれど。
私だって、女性側から見てそれほど名誉を損なうことをカーディーンがしていたとは信じたくない。
でも愛して欲しいと望んだカーディーンを私は否定したくない。それ自身はとても素敵なことだと思うのだ。
なのに約束を全くしなかったから不誠実だと思われるのは……悲しい。
愛してもらえるか自信がないからまず愛して欲しいと……破ることの難しい約束をする前にお願いすることは、そんなにいけないことなの?
私が尾羽をしゅんと下げながらと言うと、ネヴィラが何度も何度も口を開いたり閉じたりするようにいいあぐねてから、一度呼吸して静かに答えた。
「カーディーン様がそんなことをなさる方だとは思いませんが、女性側からは断ることも選ぶことも出来ない婚姻に関して言えば、約束も証も立てず、他の者がシャナンに求婚することで彼女の選択肢を広げさせることも許さずにいたカーディーン様の在り方は、女性にとって……とても、不安です。家に話を通して、首飾りをわざとゆっくり作らせている間に見極めると言う手段もあったはずです。他の者が縁談を申し込んだとしても、並大抵のものではカーディーン殿下に太刀打ちすることは難しいでしょう。他に穏便な手段はいくらでもあったはずなのです。
それに……女性は選ぶことが出来ないからこそ選ばれた伴侶を愛し、尽くして、幸せになるために最大限の努力をするのです。共に暮らし、同じものを食べて、少しずつ相手の良いところと悪いところを確かめながら、それでも愛することが出来るように、愛されるように努めなさいと、私はそう母から言われて育ちました。選ぶことが出来ぬからこそ全てを相手に捧げる女性の覚悟を軽んじておられるように、私はそう感じました」
ネヴィラは悲しそうにそう言った。
カーディーンが、シャナンを信じなかった。そういう見方もあったようだ。似たようなことをザイナーヴも言っていたが、ネヴィラから言われる方が心に刺さった。
ネヴィラの意見はシャナンの気持ちもカーディーンの気持ちも考慮していない外側からの女性の意見だ。
だからこそ、悲しい。
ネヴィラは母にそう教えられてきたようだが、カーディーンはその愛情が本当にあるものなのか両親から教わってこなかったのだ。
でもカーディーンがどこまでも噛みあわない価値観を持っているのは、カーディーン自身のせいではないのだ。
私はくやしくなって、尾羽をぶるりと震わせた。
だったらなんで誰もカーディーンに教えてあげないの?間違っているって言うばっかりで……誰か教えてあげてよ。カーディーンにちゃんと正しい愛し方と愛され方を。
「カティア様……」
私は人の婚姻というものを知らないから、カーディーンの考え方がアファルダートの一般的なものだと思っていたのにそれは違うと皆が言うのだ。
カーディーンはかなり真剣で重きを置いていたから、私もすごく重要なもののように思っていたのに……誰もが言葉のどこかで違うと言っている。
婚姻って言っても、人によって考え方とか基準とか、全く違うものなのだなぁと強く思った。
婚姻ってなんだろう……もうよくわからなくなってきた。
私はもう一度、くぴーと大きく息を吐くように鳴いた。