違う角度から見えること
う~……うぅ~……。
私はうめき声をあげながら長椅子の背を行ったり来たりしている。
うー……うぅー……!!
「カティア?」
リークがおそるおそる声をかけるが私の耳には入らない。
あーもう!なんだかすっごく腹立たしい気分!
私がくぴーと力いっぱい鳴くと、リークがちょっとだけびくりとした。
「ど、どうしたんだ?」
私はくるりと向き直って高らかに主張する。
なんかあの時は空気に飲まれてへこんだりしてたけど、やっぱり言われっぱなしは我慢できない!なんでカーディーンばっかり責められるの!人間の求婚方法っておかしい!
だって一番悲しいのは誰って聞かれたら私はカーディーンだって思うから。
私が地団太を踏んで憤慨していると、リークがちょっと言いにくそうに切り出した。
「途中で大人しくなったのはなんだったんだ」
リークに呆れたように言われて、私はしゅんと尾羽を下げた。
そもそもの原因が自分の行動にあると気付いたらナーブ達に怒るの間違ってるような気がした……とは言いにくかった。
「まぁリョンド、わたくし達とて割り切れぬ想いなどそれこそいくらでもあるでしょう?カティア様はお優しく聡明でいらっしゃるのですから、わたくし共には及びもつかぬ深い叡慮があらせられるのですよ。カティア様、どうぞ多くのことを見つめてより一層健やかにお育ち遊ばせ」
モルシャが穏やかな声音でそっとリークに、そして私に言った。
割り切れないことってあるの?
私が尋ねるとモルシャは、ほっほっほと柔らかく笑いながら言った。
「恐れながら、割り切れることの方が少ないのではないかと愚考いたします。特に人の心や言葉などは。シャナン様へのわたくしとリョンドの印象が異なった様に、どこから見るか、誰の立場で見るか、どれだけのことを知っているかで相手への印象はいくらでも変化するものかと思います。
どれだけ相手のことを理解したつもりでも、知らぬことなど沢山ございますよ。ゆっくりと絡み合う想いを紐解くように見つめてみることも、時には良いかと存じます」
モルシャも割り切れないことある?
「えぇ、もちろんでございますよ。不肖モルシャはわからぬこと、ままならぬことだらけでございますねぇ。ですがわたくしはほんの少しだけカティア様より長く生きておりますので、時が答えをくれることもございます」
軽やかにそう言って笑うので、私は膨らませていた頬を戻した。
時間が教えてくれるかもしれないなら、今怒っても答えはわからないのかなぁ?
私がまたじっと考えだすと、リークがあーとかうーとか言いながら私に言った。
「それについてはもうあまり考えないことだな。正式に求婚が成立した以上、どうすることもできはしない。散策にでも行くか?」
なるべく話を変えようとしているのが簡単にわかる言い方だったが、宮にいるよりは庭園を飛び回っている方が気分が晴れるかと思い、散策に向かうことにした。
もやもやしていた気分を吹き飛ばす勢いで飛んだので、追いかけるリークがぜぇはぁ言っていたけれど私はちょっとだけすっきりした。
すると向かいの回廊から悲鳴が聞こえた。
そしてぱたぱたと衣を翻す音がして、姿を現したのはネヴィラとその従者達だった。
私がぜぇはぁ言ってるリークの肩に乗ってきょとんと見ていると、私に気付いたネヴィラが慌てた様子で小走りでやってきて、挨拶も早々に切りだした。
「カティア様お逃げくださいませ!蛇が来ますっ!!」
え?蛇!?
涙目で叫ぶようなネヴィラにつられて、ネヴィラがやってきた角を威嚇しながら見つめる。
じっといつでも魔力の壁を張れるようにして待つ。
まだ待つ。
もうちょっと待つ。
…………。
……ねぇネヴィラ、何も来ないんだけど……。
ちろりとネヴィラに視線を送ると、ネヴィラがまだ泣きそうな顔のまま早口でまくし立てる。
「ほ、本当です!嘘ではありませんっ。あっ、ほら来ました!!」
ネヴィラが指さす方向に視線を向けると、角からしゅるしゅると一匹の蛇が現れた。
リークの指先から手首ほどの長さの細くて小さな蛇だ。
……小さい。
「小さくても蛇は蛇ですわ!噛まれたらとても痛いに違いありません!!お早く逃げましょう」
ネヴィラがおろおろと言うが、さすがにあの大きさの蛇には脅威は感じない。たぶん毒もないだろうし、動きものろい。寝ぼけてるのかな?って思うぐらいゆっくり這っている。
私はようやく息が整ってきたらしいリークにお願いする。
リーク、あの蛇どこかに連れてってよ。
「わかった……あとひと呼吸だけ、待って、ください……」
なんとかそう言ってから深呼吸したリークは、私をネヴィラに預けて蛇の所へ向かい、足で素早く蛇を踏みつけた。
ネヴィラが小さく悲鳴を上げて目をつぶる。
蛇が動かないように頭を踏んで固定したリークは、屈んで蛇の首付近をしっかりと握ってから足を外して立ち上がり、曲がり角の向こうに消えた。
しばらくまつと、手ぶらのリークが戻ってきた。
「なるべく遠くに放してまいりましたので、もう大丈夫でしょう」
蛇潰れてなかった?
「本気で踏んだわけではないのであの程度ではつぶれませんよ」
私達のやり取りを聞いていたネヴィラがほっと息をついた。
「もう安全なのですね。カティア様助けていただきありがとうございます」
助けたのリークだけどね。
私が言うと、リークを動かしたのは私だから私が助けたことになるらしい。
そう言うものなのかぁ。
やっぱり人間の考え方って難しい。
私がくぴーとうなだれていると、ネヴィラが心配そうに声をかけてくる。
「あの、カティア様。いかがいたしましたか?蛇はもうおりませんよ?」
うん……蛇はもう平気なんだけどね……。
せっかく気分転換に来たのにまた小さな考え方の違いでもやもやしてしまった。
私がうなだれたままでいると、ネヴィラが困ったように首を傾げた後、思いついたかのように胸元の花をひとつ外して私にすいっと差し出した。
「私が身に着けていたもので申し訳ありませんが、よろしければ召し上がりますか?」
別に私お腹が減って悲しいわけじゃないんだけどな……。
努めて明るい声音でにこにこ笑顔のネヴィラがなぜその結論に至ったのかわからないけれど、お花はありがたくもらうことにした。
せっかくなのでネヴィラと近くの庭園に絨毯を敷いて、少しお喋りすることになった。
色んな見方をするために、今回の話にまったく関係していないネヴィラに話を聞いてみるのもいいかと思ったのだ。
高位貴族で女性の知り合いって私の周囲にはいないので、意外なことを教えてくれるかもしれない。
私はネヴィラが身に着けていたお花をすべて食べ終えて、私が花をもっさもっさ食べているのを可愛い、可愛いと呟きながらにこにこ眺めていたネヴィラを見上げて尋ねた。
あのね、ネヴィラ。ネヴィラはもう噂知ってる?
「噂……?もしやザイナーヴ殿下とシャナンのことでしょうか」
どうやら知っていたようだ。
うん、その噂。それでね、ネヴィラはその噂をどこまで知ってる?
「私が知る噂では、シャナンが伴侶にふさわしいかどうか見定めておられたカーディーン殿下よりも、後からシャナンを見初められたザイナーヴ殿下が先に伴侶にとオーリーブ家当主に手紙を出して求婚をしたと聞き及んでおります」
その噂を元に、ネヴィラは三人をそれぞれどう思った?
私が尋ねると、ネヴィラはちょっと困ったように考え込んでから、ゆっくりと口を開いた。
「そうですね……。私にはカーディーン様がシャナンの一体何を見つめていらっしゃったのかがわかりかねます。カーディーン様はシャナンを好ましく思っていたのではと記憶しておりましたので」
ここでネヴィラにカーディーンの考えを話していいかどうかがわからなかったので、さらに質問をすることにした。
じゃあザイナーヴのことはどう思った?
「貴族の婚姻としては一般的な行動ですね。相手が血のつながりのあるカーディーン殿下でしたので、やはり多少の遺恨は残るかと思われます。私個人としてはザイナーヴ殿下に選んでいただけなかったことが残念ではありますが」
ザイナーヴは「婚姻するのに女性の意思は必要ない」って言ったんだよ。家が許可すればそれが女性の意思でもあると。それが一般的な行動なの?
私が頬を膨らませながらザイナーヴが言っていた女性のあるべき姿と男性のあるべき姿について言うと、ネヴィラは目を丸くして驚いた後、ちょっと眉を寄せた。
「そのようなことをザイナーヴ殿下がおっしゃったのですか?それは少し女性を軽んじておいでですね」
ネヴィラは少しだけ悲しそうに言った。
「確かに婚姻に関して当事者たる女性に決定権はありません。そしてザイナーヴ殿下がおっしゃられた意見は男性的な理想ですね」
男性的な理想?
「はい。確かに全ての決定権は家の長にありますし、女性が家の長に従わねばならないのは絶対です。ですが例えば私がザイナーヴ殿下との婚姻を望んでいたのは父にそう言われたからではありますが、私がザイナーヴ殿下の伴侶になることを拒まなかったからという私の意思も存在します。それに、女性側に全く拒否権がないわけではないのですよ」
勘違いする男性が多く、女性がそれに対して諦めなり妥協なり、よほど意に染まぬ限り拒絶をしないのでまかり通ってしまうだけだと教えてくれた。
正しくは当事者の女性に「特に相手を拒絶するほどの理由がなかった」から「家の長に従った」というのが女性目線での事実だとネヴィラは言った。
私だけでなく、人間の男女でもきちんとわかりあえていないことが多いようだ。
わかっていないのは私だけじゃないんだと思うと、ちょっと安心した。
女性にもちゃんと拒絶することは出来るんだね。
「えぇ。殿方と違いそれこそ命がけの拒絶にはなりますが、拒む方法はあります。女性にそこまで本気で拒まれる時点でその殿方は名誉を著しく傷つけられますので、女性を軽んじると大変なことになりますよ」
ちなみにどうやって拒むの?
「御魂名が同じ方がいると言って断るのです」
御魂名が同じ?
たしか御魂名って伴侶くらいにしか呼ばせない特別な名前だったはずだ。
私もカーディーンの御魂名を教えてもらったことがあるけど……なんだっけ?
その名前が同じだとだめなのかな?
でもそれって人に教えないものでしょ?
「はい。ですが誰かが呼んでいるのを聞く機会はあります。カティア様もカーディーン殿下以外の方の御魂名をいくつかはご存知でいらっしゃるのではないでしょうか?」
そういえばナーブが呼んでいるのでザイナーヴの御魂名は知ってる。守護鳥は御魂名で相手を呼ぶからなぁ。私はもうカーディーンで覚えちゃってそのままでいいかと思ったんだけど。
私がぼそりとそんなことを言うと、ネヴィラが驚いたように目を丸くしながら意外そうな声でぽつりと言った。
「カティア様はカーディーン様の御魂名を他の方に伝えないために、人前ではあえてお呼びになっておられないのかと思っておりました……」
……言わなきゃよかった。
これは御魂名に至っては既に覚えてないとか言えない。
カーディーンが伴侶を見つけたら、伴侶が御魂名を呼んでるのを聞いて覚えておかねばとひそかに決意した。
私がわざとらしくくぴーと鳴きながら続きを促すと、ネヴィラが話を再開した。
「これは娘を送り出す父親の役目の一つなのですが、必ず何らかの方法で相手側の身内、その親兄弟に送りだす娘がいないか確認する義務があるのです。
たとえば婚姻を考えている男性の母親や女兄弟に同じ御魂名を持つ者がいた場合、問答無用でその相手には嫁げません。同じ名を持つ者がいた場合、そのつもりなくとも相手の許可なく御魂名を呼んでしまうことになりますからね。だからその場合は婚姻することが出来なくなります。それを逆手に取るのです」
つまり嘘つくの?
私が確認すると、ネヴィラが慎重にこくりとうなずいた。
「御魂名をかけて拒むのですから命がけなのです。御魂名を偽るのはとても重い罪でございます。御魂名はその名の通り、魂を守る名前ですからね」
ちなみに結婚後も、伴侶を怒らせるととんでもない報復があると教えてもらった。
ネヴィラ曰く、結婚後の夫の服を選ぶのは妻の役目であるらしい。そしてこれに男性は口を挟めないのだとか。
なので女性を怒らせると、翌朝とんでもない色の服を着ろと笑顔で報復行動に出られるらしい。特に身分や役職、年齢が高い男性ほど周囲に示しがつかないため、必死で伴侶のご機嫌とりをして服を選び直してもらうこともあるのだという。
あぁ、軍の人達も時々妙に似合わない服とか変な色の服着てたりしたけど、あれは伴侶を怒らせてたんだね。
カーディーンに変だねって言ったらそっとしておきなさいって言われたのは、あれは怒らせた罰だったからのようだ。
「その報復の為のおかしな色や柄の生地や服を専門に取り扱う店もあるのですよ」
婚姻が決まった女性はこっそりとその店に赴き、最低一着は報復用の服を購入するそうだ。
あえて似合わない服を選ぶと言うのは結構楽しいそうで、女性は嬉々としてわざと夫と一緒に選びに来たり、男性が戦々恐々として伴侶の手に取る服を見ているのが傍目に見てると非常に楽しいそうだ。
ちょっとそのお店に行ってみたいと思った。
怒りに応じて笑われる程度のものから、袖を通すことすら憂鬱になるほどの一品もあるらしい。
女性は男性に尽くすことが美徳とされるアファルダートにおいて、女性側が報復するほど怒りをあらわにすることは珍しいことなので怒らせた場合は、男性は粛々とそれを受け入れるか必死でご機嫌とりをするというのも習慣なのだそうだ。
ネヴィラの母親が父親に怒り、幼い少女のような愛らしい模様を凝らした若い娘の様な色合いの服を笑顔で着せているのを見たことがあると面白おかしく話してくれた。
私が楽しんで聞いているのが嬉しかったのか、ネヴィラは嬉々として様々な報復方法を教えてくれた。
夫婦仲を円満にするためのちょっとした悪戯から、夫に本気で懇願させるための報復方法など、通訳しているリークが真っ青になっていた。
っていうかネヴィラはなんでこんなに報復手段を知っているの。そして面白おかしくたとえ話にしてくれるネヴィラのお父さんは、いったいどれほど伴侶を怒らせたの……。
……とにかく、ひとつわかったのは王族で将軍なカーディーンが伴侶を怒らせるのはまずいと言うことだ。
部下の人達や周囲の人達に示しがつかないし、私はあんな報復やこんな報復をされているカーディーンを見たくはない。
とりあえず未来の伴侶を怒らせないようにとカーディーンに教えてあげよう。
……さすがに私もいやだからね。砂ヤギの糞色の服着たカーディーンの肩に乗るの。
私の為にも、重々お願いしておこう。
未来の伴侶は怒らせてはならない。
こうしてネヴィラに伴侶の報復方法を教えてもらって気分転換をした。
意外なことに、悪いことを考えるのも不思議と気分が明るくなるのだと知った。
あれ?一体何でこんな話になったんだっけ……。
まぁ、すっきりしたからいいかな。