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口付けと、瞳に映る姿

ナーブ視点の回想です。

 その後、俺がレーヴと宮殿を歩いていると、時折あの女に会うことがあった。

 どうやらカティアの加護相手と会っているようだ。カティアの加護相手がこの女に求婚しているらしいと言う噂が真実味を帯びていて、レーヴは兄を見て怯えない、むしろ好意的に見ているらしいその女を、ことのほか気に入っているようだ。

 どうやらこの女は貴族の女性としては恥ずかしいことに道を覚えるのが苦手なようで、レーヴと女が出会うのは大抵女が迷って見当違いの場所にいる時だった。

 ある時は衛兵に止められているところを、ある時は衛兵に恥ずかしそうな顔で案内されているところを、ある時は一人、中庭でおろおろと周囲を見回しているところを目撃し、レーヴは快く女を大抵は自分の従者に、時折自ら案内することがあった。

 二人のもっぱらの話題はカティアの加護相手のことだ。

 レーヴは加護相手の良いところや幼いころの自分との思い出話などを女に聞かせた。

 女はそれを楽しそうに聞いたり、相槌を打ったりして微笑んでいた。俺は頬を膨らませて嫌だと主張している。

 俺が頬を膨らませながらレーヴの方が美しいし素晴らしいんだと主張すると、女はそれにまた相槌を打った。

 ひとつわかった。この女は人の話を聞くのが上手いのだと。

 レーヴの美しさを嬉々として語り、それを楽しそうに聞いてもらえるのは嬉しいものだ。隣のレーヴは笑顔を張り付けて辟易としていたが。


 それでな。レーヴの舞は、それはもう美しいのだ!俺はどんなレーヴの姿も美しいと思うが、とりわけ踊っているレーヴはひときわ美しいと思う。


「まぁ、ザイナーヴ殿下は踊りもたしなまれていらっしゃるのですね」


 女は赤銅色の瞳を丸くして、わずかに驚いた声音で言った。


 お前も舞を踊れるのか?まぁ踊れたとしても絶対にレーヴの方が美しいがな!


「ナーブ、女性に踊りを踊れるかと問うのは失礼なのだよ」


 レーヴがやんわりと咎めるように言った。

 女は少しだけ困ったように微笑んでいる。

 俺は首をかしげて尋ねた。


 なぜ?レーヴが踊れることは話していいのに、女が踊ることはだめなのか?


「女性が踊ることを禁じているわけではないよ。男性が踊ることを話すのは構わない。祭りや祝いの時に人前で踊るのは男性の見せ場のひとつだしね。けれど女性の話はだめなんだ。詳しくは後で宮に戻ってから話してあげるから、今はこれ以上追及しないでくれるかい?」


 なんで今聞いちゃだめなんだ?


「ここには男性も女性も両方いるから出しにくい話題なのだよ」


 レーヴが困ったように言うと、女は耳まで赤くして俯いていた。

 恥ずかしい話題の様だ。レーヴが恥ずかしくなっては大変なので追求しないことにした。


 そんなとりとめもない話をしながら回廊を歩いていたのだが、突然レーヴがぴたりと立ち止まり、がくんと膝をついた。肩に留まっていた俺は驚いてひらりとその場ではばたいた。


 レーヴ!


「殿下っ!?」


 レーヴが突如胸を押さえて呻きながら身体を丸めるようにうずくまり、女は動揺しながら同じように膝をついてかがんで肩を支えている。

 それまで平静を保っていたのに、今は先刻までの姿が見る影もないほど汗をかき、呼吸を乱しながらわずかに震えている。


「あ、……は、早く医師を……!!」


 目に涙をためて震える声でそう言った女は、すぐにレーヴの従者を見た。

 従者は女が言葉を発する前からすでにてきぱきと動いている。

 一人は医師を呼びに音もなく消え、一人は女をそっとレーヴから離し、幾人かがレーヴを仰向けにして自分達で支える様にして楽な姿勢にし、汗を拭いたり呼吸をみたりと慣れた手つきで動いている。


「あの……ザイナーヴ殿下はいかがされたのですか……?」


 女一人が動揺して、震える声で誰にともなく尋ねていた。


「落ち着かれますよう。王家の血の災いにございます。ナーブ様がいらっしゃいますので御心配には及びません」


 女を引きはがした従者がなだめるように説明した。

 俺は鳥司のそっと差し出した手の上にふわりと着地し、痛みを覚悟してから尾の鮮やかな青い羽を一本ぶつんと抜いた。じくじくとする痛みをこらえて羽をしっかりと咥えた。

 そのまま鳥司がレーヴのそばに膝をつき、俺をレーヴの顔近くにずいっと近づける。

 俺は咥えた尾羽にたっぷりと魔力を注ぐ。魔力を帯びた青い羽根は灯りクラゲの様に青白く、しかし灯り魚の様に柔らかな光を湛えて始めた。

 見慣れない光景に女が目を丸くしているのが視界の端に映った。

 そんな女を無視して、俺はレーヴの唇にその羽をなすりつける。

 すると羽はまるで花蜜が零れるかの如く、とろりと輝く青い液体になってレーヴの唇を濡らす。

 おっと、このままじゃ零してしまう!

 俺は慌てて羽を、レーヴのわずかに開いた口の中にぐいぐいとねじりこむ。

 意識が混濁しかけているレーヴは口の中の液体を、従者達の補助を受けながら喉に流し込む。

 液体が身体に沁みわたり始めると、レーヴの乱れた呼吸が段々と落ち着きを見せ始めた。今回は胸を押さえていたから胸が痛んだのだろう。早くレーヴの痛みが治るようにと願いを込めて己の魔力を滾々と注ぐ。

 ゆっくりと液体になり小さくなる羽を、魔力を注ぎつつ慎重に、最後はほとんどレーヴの唇に自分の顔を押し付ける様な状態で、もはや羽の原型をとどめていない羽軸の部分を口の中に顔を突っ込む様な形で押し込んだ。

 羽と魔力の全てをレーヴの口に注ぎ終えてくぴぃと大きく息を吐いた。

 レーヴの呼吸も徐々に落ち着いたものに戻っていた。従者達も張り詰めていた空気をふっと和らげた。


「ナーブ様は何をなさっておいでだったのですか?」


 俺達の様子をじっとみていた女が、ひと段落したらしい空気を察して従者に尋ねていた。


「ナーブ様がザイナーヴ様の呪いを癒していらっしゃいました。鳥司達が『守護鳥様の口づけ』と呼ぶ治癒のお力なのだそうです」


 その言葉を何とはなしに耳にしながら、ぼんやりと考える。

 口づけってなんだと鳥司に聞いたら「人間が愛する者と唇を重ねて愛情を示す行動」だと教えてもらった。

 羽を押しこんで飲ませているだけなのだが、人間からはそう見えたらしい。まぁそう見えるのは悪い気がしないのでいい。

 しかしはたしてこれは口づけなのだろうか。

 どう見てもレーヴの唇と俺の顔が重なっているのだが……。むしろ『守護鳥が口の中を覗き込んでいる姿』とか『守護鳥が食べられかけている姿』と呼ぶ方がふさわしいと思う。

 むしろ尻を晒したり尾羽を好きに手入れされたりしている姿の方が、よほど愛情を示す行為だと言える気がする。

 人間達は目が悪い。

 そんなことを考えながらレーヴをじっと見ていると、汗がひいて呼吸が落ち着いたレーヴが意識を取り戻した。


 レーヴ!よかった!!


 くぴーと鳴いて安堵の想いを告げると、レーヴが俺を見て小さく笑った。


「ありがとう。突然倒れたから驚いただろう。踏みつぶしたりしてないかい?」


 大丈夫だ!すぐに飛んだから。


「それはよかった」


 少しゆっくりだが軽やかな声音と言葉に、今度こそ小さく息を吐いた。

 あぁ、よかった。

 その時、安堵の息を漏らしたのは俺だけではなかった。

 目に溜めた涙を一粒そっと零すように、女が息をそっと零した。ほっとした様な小さな頬笑みの横で、涙が頬を滑った。

 その瞬間に女とレーヴの目があい、女は慌てて顔を伏せながら涙を拭った。


 その後、レーヴは宮に戻って医師に診てもらわなければならないため、女の案内は従者に任せることになった。

 レーヴは女が泣いたことについては何も言わなかったし、女もレーヴの体を案じる言葉だけを告げて別れた。

 俺は鳥司の手の上でぐったりとしている。

 魔力を大量に失うと、どっと疲れる。


 宮に戻ったレーヴは医師が去った後、ベッドの上で座るように枕を背にしていた。

 俺はその膝の上にクッションを乗せて、そこに寝るようにじっとしている。レーヴが緩やかな手つきで俺の背を撫でるのが心地いい。寝てしまいそうだ。


「王族としては恥ずかしい姿を見せてしまったなぁ……。未来の義姉になるかもしれぬ女性に」


 レーヴに恥ずかしい姿なんてないぞ!レーヴはどんな姿だって美しいからな。


 レーヴはどこか独り言の様なぼんやりとした声音でそう言ったので、俺は目を閉じたままそこだけは強く主張した。


「ははっ、そう言う意味ではないよ。だが……あんな風に泣かれたのは初めてだな」


 それはあの女が王族の呪いの突然性に慣れていないだけだと思う。

 それに王族とその周りの者達は呪いを悲しんではいけないと教え込まれているのだから、決して涙など見せない。

 呪いは王族の義務であり試練である。

 試練に耐えうる王族を誇らしく思わなくてはならない。


 別にあの女でなくても知らない者は驚くし、慣れてなければ涙ぐらい出るぞ。


 ぼそりと言うと、レーヴはあっさり同意する。


「そうだろうな。彼女が俺の為に涙したのはたまたまそこに俺がいたからだ。おそらく兄上がいらっしゃれば兄上の為に涙することだろう」


 どこか遠くを見て、言い聞かせる様な声音で呟いた。

 俺が涙することができるなら、レーヴの為にいくらでも泣いて見せるのにと小さく頬を膨らませた。







 数日後、レーヴは客人を招く為の部屋で女と話をしていた。

 といってもカティアに似た色の髪のあの女、名前なんだったっけ?セ、シ……シャ、シャン……思い出せないからもういいか。

 この間カティアから聞いたのだけれど忘れた。

 その時はレーヴの会議があって、俺がカティアと遊んだ後に出会った。その時たまたま女の姿を見かけたので、ムーンローズを食べたことに関してちゃんと秘密にしているか確認をしておいた。

 カティアの姿を目にして不安になっていたのだ。女は驚いていたけれど、ちゃんと秘密にしていると笑っていた。

 そのまま秘密にしているようにと念押ししておいた。むしろその後カティアに何の話をしていたのかと尋ねられたことの方がどきりとした。カティアは耳がいいから、話が聞こえてなかったようで本当によかった。

 ……とまぁそんなことを思い出していたが、目の前にいるのはその女ではない。

 レーヴの伴侶を決める為に選ばれた女達の一人だ。

 レーヴは仕事の合間を縫って、女たち一人一人と時間を設けて話をしたりしていた。

 俺も一緒にいたが、だいたいどの女も変わらない。

 レーヴが笑顔を見せれば頬を染めて舞い上がる。少し緊張した様な上ずった声で自分の話をしたり、レーヴが話をするのをうっとりと聞いていた。

 目の前の女だってそうだ。

 毛先だけが波打ったような長い黒髪と豪奢な衣装。

 灰色の瞳に映るのはレーヴが誰にでも向ける柔らかな頬笑み。女はレーヴの笑顔に頬をほんのりと赤く染めて話をしている。

 他の女と変わらない。どれもこれも王族と比べれば劣るのだから。従者達がどれほど美しい女が来ると言っていても、心が騒いだことなどない。目の前の女がどれほど貴族の女性として美しくても、王族には到底及ばない。

 俺はそんな女には興味がないので、レーヴの服の飾り紐を弄って遊んでいた。

 すると珍しく女が思いついたかのように手をあわせて、明るい口調で言った。


「そうですわ、ザイナーヴ様。私守護鳥様がお花を好んで召しあがると伺い、我が屋敷の庭に咲く花を摘んでまいりました。よろしければぜひ、ナーブ様に献上させてくださいませ」


 花?食べる!


 レーヴも珍しく思ったのだろう。許可してくれたので、鳥司の念入りな確認の後、レーヴ達が座る長椅子に挟まれたテーブルに美しく盛りつけられた見たことのない花があった。

 俺はレーヴの肩からするりと降りて、そろそろと花に近づいた。

 中心に向かうほど黄色が鮮やかな白い花はまだ瑞々しい匂いを放っている。

 ぱくりと花弁を咥えてもしゃもしゃと食べる。

 女は祈るように両手を組み合わせてじっと見ていた。


 美味しいな、これ。けど前にカティアに似た髪の女からもらった花の方が美味しかった。


 もしゃもしゃと口に花弁を含みながらそう言うと、一瞬ぱぁっと笑顔になって安堵した女はすぐに悲しそうな、そしてわずかに考える様な表情になった。


「左様でございますか……宮殿には様々な花が咲き誇っておりますものね。ですが我が屋敷の花も気に入っていただけたようで光栄でございます」


 女はすぐに取り繕って微笑んだ。

 ムーンローズは砂漠の花だと思ったが、まぁいいかと放っておいた。

 花は美味しかったけれど、女の話はつまらないし王族ほど美しいわけでもないから他の番いの候補者達と見分けがつかない、レーヴにふさわしいとは思えないと思ったことをつらつら言ったら、女が肩を震わせて悲しそうに目を伏せていた。

 他の女達も俺がふさわしくないと言ったら悲しそうな表情をした。こんなところまで同じなのか。これじゃあ本当にどの女も同じじゃないか。


「ナーブ、あまりきついもの言いをしてはだめだよ」


 女が帰った後でレーヴに窘められた。

 俺はふいとそっぽを向いたまま答えた。


 思ったことを言っただけだ。


「そうは言っても、やはり貴族達にも守護鳥こそが加護の相手の伴侶を選ぶという噂を信じる者は多いんだ。それなのに守護鳥であるナーブにふさわしくないと言われてしまっては彼女達の立場がない」


 でもレーヴだって楽しそうじゃなかった。


 俺が頬を膨らませてそう言うと、レーヴは困ったようにため息をついた。


 それになんだか顔色が悪い。しんどいんじゃないのか?


 倒れたりしないかと心配になって尋ねると、レーヴは何も言わずににこりと笑った。……ごまかしたな。



 女達との退屈な話を終えて仕事の為に廊下を移動していると、また女が水路の庭を歩いているところに出くわした。

 本当によく出くわすと思う。宮殿はこれほど広いのに、なぜこうも二人が示し合わせたように出会うのだろうかと首をひねるほどだ。


「以前は醜態を晒してしまったな。さぞ驚いたことだろう」


 レーヴが笑顔でさらりと言うと、女はレーヴの顔色をじっと窺うように見つめながら尋ねた。


「はい。王族の方が呪いでお倒れになるのを初めて目撃しましたので……私の方こそ取り乱してしまい、お恥ずかしい限りにございます。本日のご容体はいかがでございますか?」


 この女が慕っていると言うラナーや他の王族は、醜態を見せないように万全の状態でしか宮に招いたりしないからな。特に女の王族であれば、無理をするということはほとんどないだろう。

 仕事を多く持つ男の王族は体調の良し悪しに関わらずなさなければならない仕事がある為、調子のいい時だけ動けばいいなどと言うことが許されないのだ。執務のさなかに倒れることはさほど珍しくはない。

 カティアの加護の相手は外からの呪いの働きかけが強い分、内側からの働きかけはほとんどないから目の前で突然倒れたりすることなどまずないだろう。

 身体も丈夫なようだし、命を脅かす様な症状が突然牙をむいて内側から食い破るように、いつ何時己を壊してゆくかもしれない恐ろしさなど知らないのだろう。

 やはりカティアの加護相手よりもレーヴの方が色んな意味で素晴らしいと思うのだ。なのにレーヴはいつも俺にカティアの加護相手の素晴らしさを語ってくるのだから面白くない!

 そんなことを考えて少し不機嫌になっていたのだが、次のレーヴの言葉で俺はすぐに尾羽をぴんとあげることになった。


「あぁ、今は問題ない。私にはナーブがついていてくれるから」


 そう言って肩の俺をちらりと見たレーヴに、俺はくぴーと鳴いて返事をする。

 やはりレーヴに必要なのは俺だな!

 俺が誇らしく胸を張っていると、女は少し照れたような口調で恥ずかしそうに言った。


「左様でございますか……。僭越ながらお顔の色が優れないようにお見受けいたしましたが、私の杞憂だったようで恥ずかしいです」


 女は頬に手を当てて恥ずかしそうに笑っていた。

 意外に思った。この女はちゃんと顔色を見ているんだな。まぁすぐに勘違いと思ったようだから偶然だろう。

 そんなことを考えていたら、女があの災いに倒れた時のことを思い出したように口を開いた。


「王族の皆様方はあのような苦しみと引き換えに、アファルダートをお守りくださっていたのですね」


 祈る様な声音で、敬虔な念を込めた瞳でレーヴを見ながら女は言った。


「それが我ら王族に与えられた義務であるからな」


 レーヴはそれに気負うことなく答えた。

 この、レーヴが自信に満ちた表情で王族の誇りを話す姿が、俺はとても好きだ。

 しなやかでまっすぐで、太陽の光を受けて輝く美しい花の様だ。

 俺は眩しく輝く様なレーヴを、目を細めて見つめていた俺と同じように、女もレーヴを見ていた。

 けれど、俺は眩しく輝くようにレーヴを見つめた頭上に影差す何かを見つけて、ハッとして叫んだ。


 レーヴ、上だっ!!


 レーヴはほとんど反射的に上を見た。

 迫る影は大きな石の塊だった。


 レーヴがとっさに女を腕の中に抱え込んでしゃがむのと、俺が大きく魔力の膜を張るのは同じだったように思う。

 がらがらと音を立てて石はレーヴを潰すように降り注ぎ、俺の魔力にはじかれて砕けて地面に転がった。

 石の崩れる音がおさまったころ、少し離れた場所で頭を抱えてしゃがみ込んでいた従者と鳥司達が俺達に声をかけた。


「ザイナーヴ様!ナーブ様!」


 その声に俺は魔力の膜を消し、くぴーと鳴いて返事をした。


「大事ない。シャナン、もう大丈夫だ。驚かせてすまなかったな」


 レーヴは従者達に声をかけてから、腕の中に抱きしめていた女からそっと離れ、肩を支えながら柔らかな声音で尋ねた。


「今のは……」

「王族の災いのひとつだな。今回は病ではなく怪我の形で訪れたようだ。石が降って来そうだったからシャナンを守るために近くに寄せた。私はナーブに守られているが、ナーブの魔力の膜がそなたまで届くかわからなかったので少々手荒い真似をしてしまった」


 レーヴはそっぽを向いてやや早口でなんてことのない様に言ったが、少し頬に赤みがさしていた。


「あ、……そうですよね。守っていただいたのですね。私ったら助けていただいたお礼も言わずに申し訳ございませんでした。何とお礼を申してよいのか……ありがとうございます」


 同じく頬と耳の赤い女が、慌ただしく立ち上がって深々と礼を述べた。

 何やら二人とも照れているようなので、俺はふとした疑問を述べてみた。


 別にこの女は守ってやらなくても、レーヴから離れていれば怪我などしなかったかしても軽い怪我で済んだのに……。王族の血の災いとはそういうものなのだから。


 現に少し後ろに控えていた従者達は石の大きさに驚き、小さな悲鳴を上げつつ頭を抱えてしゃがんでいたが、怪我をしたものなど一人もいない。せいぜい細かい石の破片がぱらぱら降ってきた程度だ。

 なんなら俺の魔力の膜で女をはじいてレーヴから引き離せば、それで女は安全だったんだと俺が頬を膨らませて言うと、レーヴがぎくりと、女はびっくりとしたように固まった。

 ややしてレーヴが俺に言った。


「それで安全だったのだとしよう。しかし同じことが起これば、きっと私はまたシャナンを引き寄せるだろう。私がこの身で守らなければと思ったのだ。

 シャナンは大切な……兄上の女性だ」


 言い聞かせるようにレーヴはそう言葉にした。

 よくわからない言葉だった。



 結局、降ってきた石は宮殿の壁が一部不自然に欠けたせいだと従者達が言った。王族の災いにまつわる不自然自体はさして珍しいことではないので、レーヴは誰も責任をとる様な事態がなくてよかったと言っていた。

 早急な見直しと修繕、そして宮殿内の老朽化した部分の確認をするよう指示を出していた。

 石の片づけは従者達にまかせて、レーヴと女は廊下を歩いていた。どうやら女はラナーの婚姻の儀にカティアの加護相手と共に一曲披露するので、その練習の為に宮殿に来ていたそうだ。

 背後の従者が弦箱を携えていた。これからその場所に向かうところだったのだと言う。


「カーディーン殿は斜笛の名手と名高い方だ。共に曲をとラナーが言うのであれば、シャナンの弦箱の音も勝るとも劣らぬものなのだろうな。婚姻の儀では楽しみにしていよう」

「微力非才の身ではございますがラナー様にお喜びいただく為にも、カーディーン様の音色に添えるよう尽力させていただきます」


 ふわりと笑って女が答えた。ふと女を見ていて気付いた。

 そのまっすぐに向けられた赤銅色の瞳にはレーヴの姿が映っている。

 女の瞳に映るレーヴの姿は見たことがない美しい表情をしていた。なぜこの女の瞳越しのレーヴはこれほどに美しいのだろう。

 女は別れの挨拶をして静かに去っていった。カティアに似たふわふわした髪が揺れていた。

 その後ろ姿を、レーヴはじっと見ていた。

 何かに焦がれる様な表情はハッとするほどの美しさだった。

 しばらく女を眺めていたレーヴはくるりと踵を返して歩き出した。

 その顔には先ほどの息をのむほどの美しさはなかった。無論、レーヴはいつだってどんな時だって美しいのだけれども。

 そんなレーヴを見て、俺は考えた。

 あの女がそばにいれば、レーヴはこれほど美しい表情を見せるのだ。他の誰にも見せなかった……、俺にすら見せたことのない表情を見せるのだ。

 俺はレーヴの気持ちは理解できない。

 レーヴだけが大切な俺には、弟妹や兄について楽しそうに語るレーヴの気持ちや、俺を好きと言う気持ちと弟妹達を好きだと言う気持ちの違いはわからない。

 だけれど初めて、今レーヴが抱いている気持ちがわかったかもしれない。

 俺がレーヴを守りたいと思うように、あの女を守りたいと言ったレーヴ。

 そう考えれば呆れるほど簡単に、すとんと理解出来た。

 きっとレーヴがあの女に抱いている気持ちは、俺がレーヴに抱く気持ちに似ているのかもしれない。



 そうか、レーヴ。あの女が大好きなんだな。


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