語られる風のめぐりあわせ
回想の形でナーブ視点が入ります。
私達がちょっとだけ絆を深めつつ過ごしていると、ザイナーヴとナーブが戻ってきた。
ザイナーヴは私達を見てにこりと微笑み、カーディーンに向けて言った。
「イリーンが元気そうで何よりでした。しかし……時折見せる羨望の様な切ない表情は思った以上に堪えました」
ちょっとだけ疲れた様な声で言ったザイナーヴを、カーディーンが励ますように労った。
「イリーンを導いてやることも、我ら守護鳥の加護を得た王族の務めだ。そなたが気に病んではいけない」
「はい……。ありがとうございます、兄上」
「ザイナーヴ殿、今は兄上ではない。宮以外では私とそなたは対等なのだ」
「そうですね。失礼いたしました、カーディーン殿」
ちょっとだけ寂しそうに眉を下げて、ザイナーヴはカーディーンの名前を呼び直した。
さっきまでは何も思わなかったやり取りだけれど、もしかしたら公私の使い分けでカーディーンの呼び名が変わるのも、カーディーンの立場と関係があったりするのだろうか。
ザイナーヴ達は、カーディーンのことを私的な空間以外では兄上と呼んではいけないのかもしれない。
私がそんなことを考えていると、ナーブがザイナーヴの関心を集めようと髪の毛をつんつんひっぱった。
さっきからレーヴは何の話をしているんだ?
頬を膨らませて拗ねている。ザイナーヴの話が理解できなかったのが悔しかったようだ。
ザイナーヴが引っ張られた髪を取り返しながらナーブに言った。
「今回の私やカーディーン殿の見舞いは、純粋にイリーンの体調を案じてのことだけではなく。イリーンが守護鳥の加護を受けるにふさわしいかの見極めもあったのだよ。こうして見極めを受けて、ふさわしいと認められれば次代の守護鳥殿との顔合わせに参加することが出来る。私やカーディーン殿が自身の守護鳥を連れて見舞いに行ったのはその一環と言うわけだね」
ザイナーヴの説明を受けて、私も納得した。
カーディーンが『カティアは素直にイリーンの回復を喜んでやってほしい』って言っていたのは、カーディーンは見極めのことを知っていたから、純粋な気持ちでお見舞い出来なかったということだったんだ。
王族って大変なんだと思った。
そして約束通り、私はナーブと一緒に風を掴まえに行くことになった。
私とナーブはカーディーン、ザイナーヴと別れて内緒話の部屋に向かった。
ナーブは行き慣れているようで、ふわりふわりと優雅に飛んでゆくその翼の動きに迷いはない。
……が、しかし。
ねぇ、ナーブ。もうちょっと早く行けないの?
心の声が思わずもれた。
そして私の不用意な一言でナーブが怒って、しばらく回廊の真ん中でぎゃあぎゃあと喧嘩をした。
ようやく機嫌を直したナーブの先導でやってきたのは、四方を分厚い石壁で覆われた宮殿の中では比較的狭い部屋だった。
床が一面背の低い草に覆われているので中庭なのかと上を見ると、空の代わりに高い場所に天井があり、宮殿の他の場所が開放感にあふれる構造をしているのと比べると、なるほど音を外に出さないための空間なのだと感じた。
草の絨毯に覆われた部屋の中央には、人間のお腹より少し背の高い白い石で出来たテーブルと、同じ石の杯が設置されていた。杯からは水が零れている。
零れた水はどこへ行くのかと思ったら、さらに溝の掘られたテーブルを伝うようにして流れていた。流れる水がまるで模様のようだなぁと思いながら、ナーブの真似をして杯の縁に脚をかけた。
部屋に入ってきたときから水の音がするなと思っていたのだけれど、どうやらこの杯から溢れ出ていたようだ。
こぽこぽ、ちょろちょろと流れる水の音が涼しげだ。
ナーブ曰く「風の留め箱」という名前の場所らしい。
この部屋に入ってきたのは私とナーブだけだ。守護鳥同士なので鳥司も必要ない。
なんだかナーブと二人きりになるだなんて不思議だ。
カティアと二人きりになるのは変な感じだな。
ナーブが言い、私も同じことを考えていたとちょっとだけ笑いあった。
少しだけ空気が穏やかになったところでナーブが私に告げた。
俺はえぇと……シャ、シャ……シャナ?
……シャナンって言いたいの?
私が頬を膨らませながら言うと、それだと言わんばかりに顔を輝かせてナーブは朗らかに言った。
シャナンをレーヴの番いにしたいんだ!
私はその言葉の意味を飲み込むのに数秒ぽかんと嘴を開けて、そのあとくぴーと鳴いて抗議した。
何言ってるの!シャナンはカーディーンの番いになるんだから!
私が頬を膨らませて威嚇すると、ナーブも負けじと頬を膨らませた。
だってレーヴはシャナンのことが好きなんだ!だから俺はシャナンをレーヴの番いにしたい。それにシャナンだってレーヴのことが好きなんだからな!
ザイナーヴがいくら美しくても、すべての女性が絶対惚れるだなんて思わないで!
違う!そんなんじゃない!!
互いに譲ることなく、翼を広げて身体を大きく見せて、精一杯頬を膨らませて睨みあう。
だいたいザイナーヴがシャナンのこと好きって言ったわけ?本当に愛してるの?
私は噛みつかんばかりの声で言った。ナーブのことだから、ザイナーヴが普通にシャナンのことを「いい子だね」って言っただけで、番いにしたいほど好きなのだと勘違いしている可能性だってあるんじゃないだろうか。
そう考えて言った言葉なのだが、私の言葉にナーブは急に、しゅんと尾羽と翼を下げながら言った。
……俺だって、レーヴの本当の気持ちが知りたい。だけど、レーヴは俺にすら……いや、きっと俺だからこそ言わないんだ。
どうしたの、ナーブ?そもそも何故ナーブはザイナーヴがシャナンを好きだと思ったの?
その妙にさびしそうな姿に怒りをそがれてしまった私は、ちょっとだけおずおずとナーブに尋ねてみた。
ナーブはため息の様に一度くぴーと鳴いてから、私に訥々と語りだした。
風呼びの儀式の日は挨拶回りがめんどくさい。
俺はこの儀式の日をそう覚えた。レーヴの肩に留まってくわぁと嘴とあけ、羽を一度ほぐすように伸ばした。
レーヴは俺の退屈そうな様子を見て、小さく笑ったけれど気にせずにすたすたと次の場所を目指して回廊を歩いていた。
次は誰に挨拶へと向かうのだったか……俺がそう考えていた時、回廊の中庭に面した場所から何やら嗅ぎ慣れない良い香りがした。
レーヴ、何かいい匂いがする。
「何のにおいかな?ここは花の庭園も多いし、ナーブが気になるのならば少しその花を摘んでいこうか。今日は私に付き合って、ずいぶんと大人しく皆の称賛の言葉を受けていたことだしな」
少しだけ歩調を緩めつつそう言ったレーヴに、歓喜を込めて頬ずりした。
そして何のにおいだろうと風に乗って流れる芳醇な匂いの正体を探していた時、ひときわ強い風が吹いた。
レーヴが目を閉じて目を覆ったのを見て、俺はすぐに魔力の膜を張った。レーヴがその美しい鮮やかな青い瞳を開けて周囲を見た。
従者達は目を強く瞑って手で視界を守っている。周囲では柱から柱へ張り巡らされた紐に結ばれている風呼びの石達ががちゃがちゃ、がちゃがちゃと激しく揺れていた。
そしてその強い風がふわりとひときわ強い匂いを運んできた。
ようやく風がやんだ頃、レーヴの足元には一輪の美しい花が落ちていた。
あ、これがいい匂いの正体だ!
「この花は……」
俺が叫ぶと、レーヴは足元の花をひょいと拾いあげた。
美しい花だった。
白みがかった青の花弁は肉厚で丸い。大きくて重たそうなのに花そのものは清純で軽やかだ。それなのに華やかで存在感があった。
そしてこの心をくすぐる様な匂い。
俺はひょいとレーヴの手に降りて、ぱくりとその花を齧った。
「あ!」
レーヴが驚きの声をあげたが、今はそんなことは気にならなかった。
美味しい!!
夢中ではぐはぐ食べ始めると、誰かが息を乱して走ってくる音が聞こえた。
さすがに食べることに夢中になるわけにもいかず、口いっぱいに花弁を含んだまま音の方向をじっとにらんだ。
俺が睨むとレーヴも何かが来ることに気づいたらしく、同じく中庭の方をじっと見た。
息を乱して走ってきたのは、薄い青の服を身にまとった亜麻色のふわふわした髪の女だった。風に揺れる髪に、末の妹を思い出した。
焦った様な表情で走ってきたと思ったら、俺達を見つけ立ち止まり、レーヴの姿を見て、その手にある半分ほどが食べ散らかされた花に視線を落として、赤銅色の瞳をあらん限りに見開いて驚き、そして悲壮な表情を浮かべてから思い出したように頭を下げた。
レーヴはその女の様子を見て、手の上の無残な花の様子を見、何か悟ったらしく、すたすたと中庭で頭を下げている女の元へ行き声をかけた。
「面を上げることを許そう。これはそなたの花か?」
問いかけると言うよりは確認する様な声音だった。
ゆっくりと顔を上げた女は、一度だけ伺うようにレーヴの顔を見た後、もう一度手の中の花をまじまじと見て悲しそうに眉を寄せた。
「左様にございます」
「その表情を見るに、これは贈り物の花だったのではないかな」
レーヴはさらに確認するように、少しだけ申し訳なさそうな声で言った。
「よければ私がそなたに換わりの花を贈ろうか。謝意を込めて従者に届けさそう」
誘う様にも聞こえる悲しげな声音で、レーヴが言った。
またレーヴが女をからかっているな、と声に出さずに思った。
自分の美貌が相手を、特に異性を惑わすことを知っていて、レーヴはまれに相手をからかう癖がある。
からかったからと言って何があるわけでもなく、内心どう思っているかは知らないがそれで接する態度を変えることもないので、誰もそれを咎めようとしないのだ。
この女も頬を染めて、恐れ多いと言ったり光栄ですと言ったりしながら花を受け取ると思ったのだが、女は小さく震えて青ざめた表情のまま、悲しげな声で目を伏せたまま答えた。
「私などに恐れ多いお気づかいにございます。ですが此度のことはわが身が招いた所業にございます。それに……僭越ながら、花も心も替えのきかぬ唯一のものと愚考いたします」
やんわりとレーヴの言葉を拒絶した女に、レーヴは「そうか」とだけ口にした。
さすがに女の顔色があまりにも青ざめていたので何か言った方がいいかと思い、もごもごと花弁を飲み込んでから言った。
お前の花だったんだな。美味しかった。
ぶっきらぼうにそう言うと、その女は俺を見て小さく微笑んだ。
「守護鳥様にその様におっしゃっていただけたのでしたら、花もきっと本望でございましょう」
「ところでこの花はムーンローズだね。ということはこの花の贈り主は軍の関係者なのだろう。相手は誰だい?」
手もとの花を確認するようにレーヴが尋ねた。
この花はムーンローズと言うのか……。美味しいから覚えておこう。
「先ほどカーディーン殿下からいただいた花です」
女が言うと、レーヴが目を見開いた。
俺もその名前はよく覚えている。その姿も鮮明に浮かぶ。
この花がカティアの加護相手の……贈りもの?この女への?
それを俺は……食べてしまった。
大きな身体と鋭い眼光、威圧感と低い声。思い出すのはカティアを握りつぶさんばかりに大きな手で鷲掴みにしている様子だった。
あの手が俺に迫り、俺を握りつぶさんばかりにぐわりと開いたら……。
背中をよぎるのは恐怖だった。
「これはカーディーン殿からの贈りものだったのか!?」
レーヴが驚いた声で言うと同時に、俺もくぴーと鳴いて羽をばたばたとせわしなく動かした。
どうしよう!カーディーンってカティアの加護相手だろ!?握られる!どうしようレーヴ、握られてしまうっ!!
「な、ナーブ!?大丈夫だから、カーディーン殿下はナーブを怒ったりなどなさらないよ?ナーブ、ナーブ!」
やだ!やだっ!!潰される!にぎにぎされるぅっ!!
俺は恐慌状態に陥って、ばたばたくぴーくぴーとレーヴの手の中で大暴れした。
おろおろバタバタと慌てに慌てて、落ち着かせようとレーヴがなだめようと手を伸ばしたのが想像の中の自分を握りつぶそうとする大きな手と重なって、ますます悲鳴を上げた時、穏やかで柔らかいのにはっきりと耳に届く声があった。
「大丈夫でございますよ、ナーブ様。秘密にいたしましょう」
レーヴの様に聞く者の心を捉えて離さぬ美声でも、相手に言い聞かせる迫力のあるカティアの加護相手のような声でもなく、不思議と相手の心にするりと滑りこむ様な声音だった。
思わず耳に入ったその言葉に、身体の力がすとんと抜けた。
秘密?
俺が惚けた様に聞き返すと、女は柔らかく微笑みながらなんでもないことのように言った。
「私とナーブ様の秘密です。私は花を失くさなかった。そしてナーブ様はそれを食べたりなどなさらなかったのです。だからカーディーン殿下には内緒にいたしましょう。そうして下さいますか?」
幼い子にそっとお願い事をする様な甘い声音で、両手を合わせてそっと目を細めて首を傾けた。
内緒……秘密にする……。
秘密にしたら、カティアの加護相手はにぎにぎしないかな?
「はい、きっと」
わかった!じゃあ秘密だから!言っちゃだめだからな。
「畏まりました」
女はそう言って頭を下げた。よし、これで一安心だ。
ほぅっと息を吐いて広げたままだった翼をたたんだ。俺が落ち着いたのを確認して、レーヴが俺の背をそっと撫でた。
長い指が優しく背を撫でる感触に、俺はうっとりと眼を細めた。あぁ、よかった。
「立ちなさい。私はそなたを罪に問うたりはしない。ナーブの心を静めてくれたことに感謝する。それにカーディーン殿が花を贈った女性を、私に罰することなどどうしてできようか」
レーヴがそう言ったので目を開けると、いつの間にかさっきの女がかたかたと身体を震わせて地面に座り込み、頭を深く深く下げていた。
その時はこの行動の意味がわからなかったのだが、後で聞いたところによると、相手が守護鳥の俺であるとはいえ、下級の貴族である女が王族の目の前で王族に秘密を作ろうなどと、不敬にもほどがある所業だったらしい。
じゃあなんで俺に秘密にしようと言ったのだろう……。
レーヴに促されてそろそろと立ち上がった女は、まだ少しだけ青ざめていた。
考えたらこの女はもらった花を風に飛ばされて、失くしてしまった挙句そのことを隠そうと言ったのだ。俺と同じように、握りつぶされる姿を想像したのかもしれない。
レーヴはと言えば、その女をまじまじと見ていた。先ほどからかった時などとは比べることもできないほど興味を持っている目だった。
レーヴはことのほか柔らかな声で女に尋ねた。
「カーディーン殿の心を射止めたそなたの名を聞こう」
「そんな……射止めたなどと恐れ多いで……す」
真っ赤になって顔を上げた女は、レーヴの顔を見て少しだけ目を丸くしていた。
あぁ、レーヴと初めて会った人間がその美しさに見惚れている顔だ。先ほど見たときは気にも留めなかったくせに、何故今見惚れているのだろう。
まさかレーヴの美貌を見ていなかったのか?
「……シャナン・リダ・オーリーブと申します」
なんとかレーヴの美貌から立ち直ったらしい女は、名を名乗って両手を広げて挨拶をした。
「カーディーン殿のお相手とここで出会えたのも風の巡り合わせだろう。そなたに私からも風を呼ぼう」
「光栄の極みにございます」
そう言ってレーヴはシャナンに何度も見た風を呼ぶ挨拶をした。
シャナンは少しだけ頭を垂れてそれを受けた。
また一陣の風が吹いて、レーヴとシャナンの髪を揺らしてかちゃかちゃと近くで石が鳴った。
本当に、今日はよく風が吹く日だった。