カーディーンと小さな望み
カーディーンは宮に戻ると長椅子にどかっと座ってため息をついた。私はカーディーンが頭を傾けたのでするるーっと頭から滑り落ちたが、きちんと着地点に用意されていたカーディーンの手に受け止められた。……楽しかったからもう一回やってほしいな。
しかしカーディーンは落ち込んでいるようなので、私は遊びたい心を落ち着かせてカーディーンの顔を覗き込む。
……えっと、何がいけなかったの?
私はおそるおそるカーディーンに尋ねてみる。
「私が求婚の話から逃げ回っていたのは知っていることだろう」
うん。
「そんな私の元に妙齢の貴族女性であるネヴィラが訪ねてくると、周囲の者はどう思うだろうか」
カーディーンとネヴィラは仲良し?
「それだけで終わればいいのだが、年頃の人間の男女が仲が良いとは婚約するかもしれないという意味になるのだ」
でも呼んだのは私だし、ネヴィラは私を訪ねてくるんだよ?
「カティアが呼んだか私が呼んだかにはあまり違いはない。問題はネヴィラが私の宮に来ると言うことだ。しかも財産である花を持って帰らせるとなると、本気で私とネヴィラの婚約が決定したと思われるだろうな」
なまじネヴィラがカーディーンの伴侶となるのに何の問題もないからこそ、話が確定してしまうとカーディーンが説明してくれた。
そっか。カーディーンは婚約から逃げているのに、私がカーディーンのそばに女性を近づけたことになるんだ。それが婚約に繋がるかもしれないからカーディーンは困っているんだ。
……ごめんね、カーディーン。
しゅんと尾羽を下げて謝ると、カーディーンは顔を上げてちょいちょいと私の頭を撫でた。
「いや、そなたは悪くない。私が教えなかったのがいけないし、本来なら守護鳥が一人で他の貴族と会うなどと言うことがまずないのだから、カティアが知らずとも当然だ」
カーディーンがしばらく無言でじっと考えだしたので、私はおろおろとカーディーンの手の上をくるくる回るように飛び跳ねていた。
私がそろそろ目を回すかというころに、カーディーンがよしと呟いた。
「ネヴィラと共にいたと言う、シャナンと言う娘も一緒にくるようにラナーの宮に手紙をだそう。せめて二人であればまだ一人で訪ねてくるよりはいいだろう。ついでにその娘にも花を贈れば、婚姻の証とは思われぬことだろう」
カーディーンが従者の人を呼んでせっせとお手紙を書き始めたので、手持無沙汰な私はリークとおしゃべりする。
リーク、私考えたんだけど、そもそもカーディーンの宮で会うのをやめたらいいんじゃないかな?お手紙出してさっきの水路で会いましょうってしたらいいんじゃない?
そんなにネヴィラが宮に来るのが困るのだと言うのならば、場所を変えてしまえば問題ないと私が言うと、リークがそれはだめだと言った。
「カティアが人を呼ぶのに一番上位の部屋はカーディーン様の宮なんだ。ここがカティアの宮でもあるからな」
うん。
「一番いい部屋に来て下さいと言った後で違う部屋に変更すると、なんだか軽んじられているような気がするだろう?」
うん……?
「えーっと……つまりだな。カティアが一番好きな花はなんだ?」
ムーンローズ!
「ではムーンローズを後であげると誰かと約束したとしよう。それなのに、後からその人がやっぱりムーンローズとは違う花をあげると言っても、あまり嬉しくないと思わないか?」
私は目の前でムーンローズが違う花に取り換えられるところを想像してみる。
それは、なんとなく残念な気持ちになる気がする。
他のお花でも嬉しいけど、私やっぱりムーンローズの方が欲しいよ……。
「今回も似たようなことだ。一番初めにカーディーン様の宮に招待したのであれば、変更するならそれよりいいものでなければならない。けれどカティアが人を招待できる場所で一番格が高いのはカーディーン様の宮なんだ。今さら変更したらネヴィラ様は気を悪くされるだろうな。しかもたとえネヴィラ様が怒らずとも、ネヴィラ様の家は外交において最も発言力のある家だから無下には扱えないんだ」
それはよくないね。
謝ってお花渡す為に呼んだのに、気を悪くするのはよくないね。ネヴィラはお花をくれるいい人なんだから。
私が納得していると、カーディーンが手紙を書き終えた様で、従者の人に渡していた。
「さて、ネヴィラに渡す花はムーンローズでいいか。シャナンにも同じものを贈ろう。名目はあくまでカティアから、だ。用意しておけ」
カーディーンが指示を出し、従者の人がばたばたと動き回っている。歓迎の準備も行われ、部屋にはクッションが並べられている。私はちゃっかりお気に入りのクッションをリークに確保してもらった。
「二人に渡すムーンローズはカティアの今夜の食事から差し引こうか……」
カーディーンがちらりと私を見ながらつぶやいた一言に私はくぴぃっ!と悲壮な鳴き声をあげてカーディーンの頬に飛びついた。
必死で頬に額をすりすりしながら謝る。
私のご飯!カーディーン、カーディーン怒ってるの?ご飯消えちゃう!私のご飯なくなっちゃうの!?
私が尾羽をばたばたしながら必死で額をすりすりして謝っていると、カーディーンが冗談だ、と言いながら小さく笑った。
「これぐらいの意趣返しは許されるだろう」
くつくつ笑いながら私をなだめるカーディーンの表情と声が怒っていなかったので、私は安堵の鳴き声をもらした。
「カティア、ネヴィラとシャナンはカティアにはどのような人物に見えた?」
えっとね、派手な美人がネヴィラだよ。お花食べても怒らなくて、胸についてたお花全部くれたからいい人!でも私のこと可愛い可愛いって言うの。シャナンはふわふわしてる美人だよ。私のこと茶色で親しみやすくて素敵って言ったの。二人ともお友達だよ!
「リョンド」
「黒髪で背が高いのがグィンシム家のネヴィラ様です。シャナン様は茶髪で小柄なオーリーブ家の令嬢です」
「…………私は内面的なことを聞きたかったのだが」
「申し訳ございません……」
「まぁまぁ、リョンドには教えるべき課題がまだまだ沢山ありそうですねぇ」
話の顛末を聞いていたモルシャがにこにこ笑ってた。
従者の人がネヴィラとシャナンの来訪を告げ、カーディーンが許可を出すと二人がやってきた。
二人はしずしずとやってくる。カーディーンは長椅子に座って二人を迎えた。
宮に入ってくるとまずネヴィラが挨拶をして、次にシャナンが挨拶をした。ついでにそれぞれ自己紹介をして、名前で呼んでほしいというやり取りがあった。さらに二人がそれぞれカーディーンに風呼びの儀式の口上なんかを述べて、カーディーンが許可してというお決まりの流れを終えて、カーディーンが勧めてようやく二人が目の前の長椅子に座った。椅子に座るまでがすごく長かった。
二人ともちょっと緊張しているようだ。私だけで会った時となんだか空気が違う。やっぱりカーディーンが王族だからかな?
「まずネヴィラにはこの花を、夜の砂漠に咲くムーンローズだ。これはカティアからそなたへの贈り物だ。カティアにグィンシム家の花を贈ったと聞いた。私からも感謝を贈ろう」
お花食べてごめんね、ネヴィラ。
私もカーディーンの言葉に一言添えてみた。
カーディーンが従者の持ってきたムーンローズの花束を、丁寧な仕種でネヴィラに渡す。
「ありがとうございます、カーディーン殿下、カティア様。このように素晴らしく美しいムーンローズを初めて拝見いたしました。とても……とても美しいですね。殿下からお言葉まで賜りまして、私は果報者でございます」
ネヴィラはおそるおそる花束を受け取って、花を見つめながらとても嬉しそうに微笑んだ。
カーディーンは続いてシャナンにムーンローズを一輪だけ渡す。
「シャナン、カティアとそなたの出逢いに感謝をこめて、カティアからだ」
「ありがとうございます、カーディーン殿下、カティア様。身に余る栄誉にございます」
シャナンは花を受け取ってカーディーンににっこりと笑い、次に私を見てまたにっこり笑った。
シャナンと視線を交わしたカーディーンが、ちょっとびっくりしたように目を軽く開いた。
二人がそれぞれの従者の人に花を預け、お茶が運ばれてきて、私が中心になって二人とお話をした。私にお茶がないと頬を膨らませて抗議するも、カーディーンに「カティアは茶が飲めぬだろう」と言われて皆に笑われた。
あとクッションの上に乗った私を見て、ネヴィラが手放しに可愛い可愛いと言うのだけれど、私は美しいんだよ!
私が中心になって色々な話をして、たまにカーディーンが私の話に言葉を付け加え、ネヴィラが質問したりたまに話をして、シャナンはほとんど聞き手にまわっていた。
あとネヴィラの胸元に飾っていたお花は私が全て食べてしまったが、髪につけていたお花もなくなっていた。ラナーの所に行っていたからナヘラに食べられたの?と聞いたら、守護鳥様がお花を食べることを知ったので、到着する前に外しておきましたと言っていた。外したお花、くれないかなぁ。
ちなみに一度だけシャナンが自分の話をした。どうやらカーディーンの部下にシャナンの身内がいるようで、シャナンがカーディーンにその人のことについて少しだけ話していた。
でね、イリーンの祝いの宴でカーディーンが笛を吹いたの。とっても上手なんだよ!
「まぁ、カーディーン殿下は笛の名手でいらっしゃるのですね」
ネヴィラがすごいすごいとカーディーンを褒めていた。シャナンも「さぞすばらしい笛の音なのでしょうね」とわくわくしている。
二人から視線でおねだりされても、カーディーンは素知らぬ顔でお茶を飲んでいる。気づいてないのかな?
カーディーン、二人がカーディーンの笛聴きたいって!私も聞きたい!
私が膝の上にちょんと乗って上目遣いでくぴーと鳴くと、カーディーンがじっと私を見た。無言の攻防が続いたが、やがてカーディーンが大きく息を吐いた。勝った!
私の本気のおねだりにカーディーンが勝ったことなど一度もないのだから!
私はカーディーンの笛の音が素晴らしいことを色んな人に自慢したくてたまらないのだ。それに笛を吹いてるカーディーンはとってもかっこいいと思う。
だっていつもよりあんまり怖くないのだ。目をつぶってるからかな?
観念したカーディーンが従者に斜笛を用意させた。
「そなた達は何か楽器は習っているか?せっかくだ、共に楽の音を奏でよう」
カーディーンが水を向けると、ネヴィラが申し訳なさそうに答えた。
「あいにくと私はお聞かせできるほどの腕ではございません。ですがシャナンは弦箱に通じております。きっとカーディーン様の斜笛の音に劣らぬことでしょう」
「ネヴィラ様!?」
それまでにこにこ話の聞き手にまわっていたシャナンが、目を丸くして隣に座るネヴィラを見た。
「ではシャナン、そなたもこちらへ」
カーディーンが長椅子から立ち上がり、砂漠を一望できる石柱の、一段高くなった場所に笛を持って腰掛ける。
シャナンはカーディーンから適度に距離を保った場所で従者の人が用意したクッションに座り、弦箱を受け取って音を確かめる。
私とネヴィラは音が一番綺麗に聞こえる場所にクッションを用意してもらって、そこに移動して二人の音あわせを待つ。
音合わせが終わったらしく、シャナンが準備が整ったことをカーディーンに目で告げたので、カーディーンが私とネヴィラに向き直って告げた。
「曲はカティアに捧げよう。何か好みの曲があれば聞こうか」
えっとね。何か明るい曲がいいかな。
「でしたら『珊瑚の祝い歌』などいかがでしょう」
私が答えると、ネヴィラが曲の名前を口にした。
カーディーンがシャナンの方を見て、シャナンがこくんとうなずくと、二人で息を吸うように合わせて珊瑚の祝い歌を奏ではじめた。
雨の翌日の森の恵みを喜ぶ歌で、賑やかで明るい曲だった。カーディーンの笛の音に合わせる様に、シャナンの弦の音がいくつもいくつも重なるように響き合った。
一緒に鳴いて歌いたくなるほど楽しい曲だった。
シャナンとカーディーンは、時々お互いの方をちらりと確認する以外は、目を閉じて音を奏でることに集中しているようだった。二人とも楽しそうに演奏していた。
部屋いっぱいに笛の音と弦箱の音が重なって、そして終わった。
すごーい!二人とも綺麗な音だったよ!
私はその場で飛び跳ねて大興奮しているし、ネヴィラは「とても素晴らしかったです」と二人を称えていた。
「素晴らしい弦箱の音だった。弦の姫と謳われても良い腕だ」
「そんな、私などが恐れ多い誉れでございます。殿下の素晴らしい斜笛の音と、音を重ねることが出来て光栄でございました」
シャナンが頬を染めてカーディーンの称賛の言葉を受けていた。
ねぇ、弦の姫って何?
「申し訳ございません。称賛の言葉の様ですが、私は存じません」
リークが申し訳なさそうに言うと、ネヴィラが教えてくれた。
「昔、とても素晴らしい楽の腕をお持ちの、たいそう美しい姫君がいらしたそうです。その姫君が特にお好きでよく弾かれていたのが弦箱だったそうで、弦箱の腕の良い女性はその姫君に倣い『弦の姫』と呼ばれるのだそうです」
へぇ、聞いてみたかったなぁ。
「私も人に聞かせられる腕があれば、共に演奏させていただくことが出来たのですが……とても残念でなりません」
ネヴィラは弦箱弾けないの?
「弾けないわけではございません。ちゃんと音は出せますので」
何やら怪しい返事が返ってきた。
じゃあ今度は一緒に歌おうよ。私も歌いたいし、ネヴィラも一緒に歌えばいいじゃない!
「わ、私の歌などカティア様やカーディーン殿下のお耳汚しにしかなりませんので、どうかお許しくださいませ」
ネヴィラは真っ赤になりながら申し訳なさそうに言った。
楽器が駄目なら歌えばいいと思ったのだが、ネヴィラは楽器も歌もだめなようだ。声は綺麗なのにもったいないね。
というか私がネヴィラとお喋りしてる間に、カーディーンとシャナンがお喋りしていた。
私も混ぜてー!
ねぇ、次は私が歌いたいから何か歌えそうな曲弾いて!
「カティア様が歌えそうな曲……ですか?」
私がくぴーと力いっぱい鳴くと、シャナンが困ったような表情でカーディーンを見る。
「手習い曲がよいだろう」
カーディーンがそう言って、シャナンがとても簡単な短い曲を弾いた。
私は気分よく、それに合わせてくぴーくぴーと鳴いている。楽しい。
「カティア、音が全然あっていないぞ」
「ふふっ、カティア様はとても歌がお好きでいらっしゃるのですね」
カーディーンがからかうように、シャナンが楽しそうな声で私に言った。
楽しいからいいの!シャナン、もう一度弾いて!
「かしこまりました」
そうしてシャナンが曲を弾いて私が歌い、私とかわるようにカーディーンがネヴィラの隣に座って、私とシャナンの演奏をネヴィラと一緒に聞いていた。
モルシャが私の歌う姿を見て、どこか遠くを見ているようだった。いつもにこにこしているモルシャには珍しく、透明で感情の伺えない表情だった。どうしたのって聞いたら、私の歌う姿に見惚れてましたって言って目を細めて笑っていた。
とても素敵ですと言ってくれたので、今度モルシャの為に歌ってあげよう。
そうして私が満足するまで私の歌は続いた。
ネヴィラとシャナンは笑顔で帰って行った。私はカーディーンと一緒に二人を見送った。
宮の中に戻って、長椅子に腰かけたカーディーンの膝の上に乗って、私はカーディーンを見上げた。
ね、二人ともいい人だったでしょ?
「そうだな」
カーディーンもお友達になればよかったのに。
「私は女性とは友になれぬな。私と友になる未婚の女性は伴侶とみなされてしまうし、ササラの様に部下でもない限り、既婚の女性といればよからぬ噂が立つ」
なるほど、だからカーディーンは女性のお友達が作れないんだ。それに、カーディーンは女性が自分を怖がるから苦手だと言っていた。
でもネヴィラもシャナンも、緊張こそしてたけど怖がってはいなかったような気がする。
ねぇ、カーディーン。ネヴィラとシャナンはカーディーンを怖がってなかったね!
きっとカーディーンがとっても素敵な人だとわかったんだと私が尾羽をふりふり喜ぶと、カーディーンが私を撫でながらどうだろうな、と言った。
「ネヴィラは私と初対面ではないのだ。子供のころにあったことがある。悲鳴を上げて気絶されたこともあるな。さすがに今はその様なことはないが、今回も会話をしていて私と目があった時は、時折目を伏せていたぞ」
カーディーン、意外とネヴィラのこと良く見てたんだね。
「どちらかといえば、私はシャナンの方が好ましく映ったな」
私と同じ茶色だから?
「無論それもあるが、私の覚えている限りではおそらく初対面のはずなのに、私の目をまっすぐ見て微笑んだのが印象的だった。初対面の女性が笑顔で私と会話したのはササラ以来だな。しかもササラと違い、武人として私に戦いを挑みに来たわけでもないからな。初対面の印象だけで全てが決まるとは思わないが、初対面で逃げ、以降私を怖がって避ける女性も少なくないのでな」
どうやらカーディーンにとって、初対面で自分を怖がらなかったというのはかなり重要なようだ。そういえば私がネヴィラとお話している時、さりげなくシャナンとお喋りしてた様な気がする。
そうなんだ。カーディーンはよく見てるんだね。
「私も王族としていずれは伴侶を持たねばならないからな。急いでいないのだから、相手を見極めることにはかなり比重を置いている。私は愛した者を伴侶に望みたいし、伴侶には私を愛して欲しいからな」
柔らかい声音で言うカーディーンの言葉は、まるで願いごとのようだった。
でもカーディーン。王族は伴侶となった相手を好きになるものだって言ってなかった?
ラナーの宮で話していたことと違うと言えば、カーディーンは「建前はな」と言った。
「無論立場での婚姻に異を唱えるつもりはないし、必要ならば私は迷わず伴侶を迎えるだろう。
しかし、私は己の両親のような婚姻を結び、己の子に私と同じ苦しみを与えたくはない。だから私はほんの少し婚姻に夢を見ているのだ。叶うか叶わぬかわからぬ、私のただのわがままにすぎない小さな望みだ」
カーディーン、嫌な思いをしたの?
カーディーンはちょっとさみしそうな目で、「いずれ話そう」と言った。
よくわかんないけど、カーディーンの小さな望みがかなえばいいのにと思った。