新たな風を呼ぶ
ある日、起きてみると宮の様子が様変わりしていた。
ねぇ、カーディーンこれ何?すごく煩いよ。
私は顔をしかめながらカーディーンに、目の前の光景について尋ねた。
カーディーンの宮は柱から柱、壁から壁へとあちらこちらに紐が渡してあり、その紐には丸くて手の平で潰したようなすべらかな石が沢山連なっていた。
私が紐に乗ると、私の重みでたわんだ紐に連なった平たい石同士がぶつかりあって、ジャラジャラかちゃかちゃと音を出すのだ。私の耳にはすごくうるさい。
「これは一年の始まりに新しい風を呼ぶ儀式だな。今日から新しい年になり、また陽長の暦が始まるんだ」
二人で月の下でおしゃべりしたり、また雨がもう一度降ったり、野生の砂走りから麦の木林を守ったりと色々あったけれど、新しい年が始まるらしい。
それに合わせてまた私とカーディーンは昼の見回り担当になるようだ。道理でこんなに早い時間に起こされたわけだ。また段々この時間になれなくてはならない。しばらくは身体の時間を合わせる為の御休みがあるようだが、すっかり夜に慣れたところなのに、また朝に起きなきゃいけないだなんて大変だ。
ところでどこからどこまでが古い年で、どこからが新しい年の始まりなんだろう。線引きみたいなのってされてないのかな?私、古い年と新しい年の真ん中に立ってみたいんだけど。
へぇ~、もうそんなに経つんだ。石をいっぱいかちゃかちゃすると風が来るの?
私が首をかしげながらカーディーンに尋ねると、カーディーンは少し違うと説明してくれた。
「石の音が風を呼ぶのではなくて、風が通ると紐が揺れて石が鳴るんだ。つまり石が鳴った場所は風が通った場所ということだ。ここまではわかるな」
うん。
「すると今度はこの説明を逆にしてしまうんだ。風が通った場所は石が鳴る、つまり石が鳴った場所は風が通った場所だ」
う、うん……。
私が何とか頭を回転させていると、カーディーンが紐のひとつに近づいて、その紐を揺らした。石はジャラジャラかちゃかちゃと鳴った。
「そうすると今、この石が鳴ったから、ここには新しい風が通ったということになる」
え?おかしいよ。だって今は風が通ったから鳴ったんじゃなくて、カーディーンが鳴らしたんじゃない!
私がそれは違うとばかりに胸を張って答えると、カーディーンはそうだな、と同意した。
「カティアの言うとおり、今の音は私が鳴らしたものだから風は通っていない。けれど、先ほどの石が鳴った場所には風が通ったという言葉に当てはめると、風が通ったことになってしまうのだ」
ん……ん?
どうしよう。本当にわからない。
私が首をかしげて困惑していると、リークが続けて説明してくれた。
「難しく考えなくていいんだ。これは言葉遊びなんだよ。新しい風はよいことを運んでくれるからいっぱい吹いてほしい。けれどいつやってくるかわからない風だから、石を鳴らしてやってきたことがわかるようにしよう。
つまり石の鳴る場所は風が吹いているってことだから、大切な人のそばで石を鳴らしてあげれば、その人のそばにはよいことが起こるだろう。そういうことだ。風は気紛れだから、自分達でよいことを運んでこようと言う考えだな」
はじまりは昔の人の小さな悪戯だったのだと言われている。とある子供が周囲の人を喜ばせたくて、こっそり石を鳴らしてまわったと言うのが始まりと言われている。あるいは病弱な恋人のそばでこっそり石を鳴らして病弱な恋人を喜ばせただとか、そんな由来があるそうだが、どれが本当なのかわからないらしい。
ただ誰かにいいことがあるようにと、石を鳴らして風を呼んだのが始まりと言うことだけが伝わって今に至るそうだ。
「そういうわけでカティア、少し煩いかもしれないが我慢してくれ」
この新年の風は三日から四日間ほど吹いているそうだ。年によって気まぐれなので、風の気分で儀式の終わりがかわるそうだ。私が飛ばされてしまうぐらい強い風が吹くこともあると言う。どうしよう。空が飛べない!
そう言って、リークの手に乗った私のそばで、手首に巻き付けた鱗石をしゃんしゃんと鳴らした。
「カティアによい風を」
どういう意味?
「いいことがありますようにって意味だ」
リークが教えてくれた。
なるほど。
リーク、私にも鱗石の首飾り着けて!
モルシャがそっと持ってきてくれた。モルシャにつけてもらって私はカーディーンの手に移動する。
カーディーンの手の上でふりふり身体を揺らして鱗石をしゃんしゃんする。
カーディーンによい風を!
「ありがとう、カティア」
今日は親しい人に会いに行って、石を鳴らして挨拶に行くのがならいだそうだ。なるほど、風を呼ぶってそういう意味だったんだね。風が本当に呼べるわけではないらしい。それはそれでちょっと残念だ。
その後、リークとモルシャにもしゃんしゃんした。
二人とも笑ってお礼を言ったけれど、そう言えば二人は石をつけてなかった。カーディーンは鱗石をいっぱいつけてるし、従者の人も手首に石をつけていたけれど、鳥司達はなんでつけていないんだろう。
「実はこの儀式、毎年守護鳥様方はこの時期はとても嫌がられるのですよ。お耳の良い守護鳥様には、あちらこちらで鳴る石がうるさくてかなわないとおっしゃっておいでです。王族の方々は国の代表として儀式をしないわけにもゆきませんので、かわりにわたくし共は音の鳴る石などつけずに過ごして、静かな場であろうと努めさせていただいております」
モルシャがそう答えてくれた。どうしてもうるさくて仕方がなかったら、守護鳥の巣は石を連ねていないので、そこに一時避難すればいいと教えてくれた。
確かに、鱗石くらいならばいいのだが、宮殿のあちらこちらで石がじゃらじゃらされたら私もたまったものではない。
とりあえず貴族は皆、財力と気品を誇示するために鱗石をつけると聞いたので、大丈夫だろうとやや警戒しながらもカーディーンの挨拶巡りに付き合うことになった。
大丈夫だろうと思った数刻前の自分に後悔した。
宮殿中がジャラジャラしゃんしゃんだった。
それはもういたるところに石が連なっているのだ。なんで柱にくくりつける石も鱗石にしないのかとぼやいたら、高価な鱗石は財産なので柱にぶら下げていたら、気の迷いを起こす者達が出てくると言われた。よくわかんない。
私は蜘蛛の巣のごとく張り巡らされた糸に引っ掛かりたくないので、自由に飛ぶこともできない。これにぶつかったが最後、連鎖的にあちらこちらの石がじゃらじゃら鳴りだすのだ。
挨拶に行くために宮殿の廊下を移動していると、カーディーンが小さくため息を吐いた。
どうしたの?カーディーン。
「いや……毎年この挨拶巡りがあまり好きではなくてな」
なんで?
私がカーディーンの頭の上から尋ねると、カーディーンがちょっとめんどくさそうな口調で言った。
「あちらこちらから伴侶を持てと催促されるのが煩わしくてな……」
カーディーン、番うの?
「番えと催促されている状況だな」
番うのっていいことだと思うんだけど、何やらカーディーンはめんどくさいらしい。
「カティアは時期が来たら森で番うのか?」
カーディーンから逆に質問された。私はうーんと考えてから、答えを出した。
カーディーンのそばを離れるのがやだからいい。
いずれは番うことも考えてるけど、今はいいかな。
私は知らないことをいっぱい見つけるのに忙しいのだ!
「今の私はカティアと同じような心境だな。とにかく婚姻を結ぶ気は現状ない」
なるほど。カーディーンは私のそばを離れたくないらしい。
嬉しいのですりすりした。しかし頭の上にいたので、髪の毛の中に隠れたようにしか見えない。まぁいいや。
移動していると、すれ違った貴族らしき男性の人にカーディーンが声をかける。
なんかよくわからない挨拶ややり取りをして、互いに鱗石を鳴らして風を呼んでいた。
難しい話は全く分からなかったけれど、途中の会話でひとつだけわかることがあった。
「私の娘は今年十七になりますが、あいにくとまだ灯り魚を交わした相手はございません。父親の欲目ではございますが、王族の方々には及ばずとも手塩にかけて育てた美しい花でございます。ぜひ一度、カーディーン様に我が家の花をご覧いただく機会を賜りたく存じます」
とりあえずこの言葉が、カーディーンに娘を番わせたいから一度娘に会ってほしい、と言う意味なのだということだけはわかった。というかこっそりリークが教えてくれた。
そういえば以前に、カーディーンから「灯り魚を交わす」というのは婚約を現すと聞いたことがあったんだ。
これに対してカーディーンはよくわからない言葉で、娘と全力で会うことを避けているようだった。芽ぶきの季節はまだ早いとか、儀式クラゲで身を清めるとか、難しい言葉はわからない。
そしてその貴族と別れてまたしばらく歩いていると、また別の貴族と出逢い、似たようなやり取りをしていた。
「私の娘と番いませんか?」以外の言葉がまったく理解できないので、まるで呪文を聞いてるようで眠くなってくる。と言うか眠たい。いつもと違う時間に起きたので、うとうとしているのだ。
私がカーディーンの頭の上でうとうとしていうる間にカーディーンがたどり着いたのは、軍の区画だった。
いつもと違う道を通っていたから、ここに来るのだと気付かなかった。
ねぇ、なんでいつもの道で来なかったの?
「いつもの道だと人の往来が激しく、私は一歩も進めないまま全員の挨拶を受けねばならない」
つまり、今回は遠回りしてでも人の少ない道を選んできたわけだ。
道は覚えたので、今度冒険の機会があったら利用しようと思う。
いつもの執務室にはササラとマフディルがいた。
二人で談笑していたようだが、私達が入るとぴたりと会話をやめて背筋を伸ばした。
そういえばマフディルとササラの二人が一緒にいる光景ってあんまり見ない。まぁ私はカーディーンと常に一緒なので、カーディーンと反対の部隊を預かるササラと顔を合わす機会がほとんどないだけで、ササラとマフディルは一緒にいる機会も多いのだろう。
マフディルは軍の文官なのだし。
それにしても相変わらずマフディルは威圧感を与える巨体とつぶらな瞳の持ち主だ。見た目だけなら隣のササラが潰されそうだ。
「やはりここにいたか」
「はい。カーディーン様、ご無沙汰しております。私がカーディーン様へ、風を呼ぶ栄誉を賜ることをお許しいただけますでしょうか?」
「ササラか、久しいな。許可しよう」
「恐れ入ります。カーディーン様によい風が訪れますように」
「ササラにもよい風を」
ササラに挨拶したら、次はマフディルだ。
「将軍、私も将軍に風を呼ぶ栄誉をいただいてもよろしいでしょうか?」
「マフディル。許そう」
私もカーディーンと一緒に、二人に風を呼んだ。
二人が、特にササラが大げさに喜ぶので、私もとてもいい気分だ。
そしてササラが、少し意を決した様子でカーディーンに告げた。
「カーディーン様、御報告がございます」
「聞こう」
なぜかマフディルがごくりと息をのんだ。
「準備が整いましたので、私は芽ぶきの季節を待とうと思います」
ちょっと頬を赤らめながらも、きびきびとした口調で言いきった。
カーディーンはそれを聞いてなにやら思案顔だ。
「……そうか、それは慶すべきことだ。しかしそなたを理由に私の求婚を断ることがさらに難しくなったな」
カーディーンが少し苦い口調でそう言った。
それに対して、ササラはからからと明るい口調で言葉を返した。
「カーディーン様が一日でも早く灯り魚を交わされることを、部下として心より願っております」
「そなたまでやめよ」
楽しそうなやりとりの最中なのだが、私は全然意味がわからない。
カーディーンの頭の上から降りて肩に移動し、頬を膨らませて講義する。
ねぇ、どういう意味?私にわかるように話して!
知らない貴族とのやりとりは興味ないけど、ササラとカーディーンの会話には興味があるのだ。
ササラに目を向けると、ササラがちょっと慌てた様子で私に答えた。
「申し訳ございません、カティア様。私はこのたび、副官を一時的に退くことになりました。その報告をさせていただいたのです」
なんで退くことが喜ばしいの?
「それは……芽ぶきの季節を待つことになったからです」
その芽ぶきの季節って何?
私がたたみかける様に尋ねると、ササラが真っ赤になりながらどうしたものかとカーディーンを見た。
「カティア、芽ぶきの季節を待つというのは子を作ることを言うのだ」
へぇ、つまりササラは誰かと番うってことだね。
「いえ、私は既に伴侶となっております」
そうなんだ。いつの間に!
「カティア様とお会いするよりも前ですね。婚姻は結びましたが、私が退く間の副官を務める者を育て上げる為に、今まで子をなすことを控えておりました」
なるほど。どうやら子供を作っている間は自由に動けないようだ。
ところでふと疑問に思った。
人間の子供ってどうやって出来るの?芽ぶきの季節って言うからには種をまいたら産まれてくるの?
その場にいた皆の空気が固まった。
ねぇ、カーディーン。
「私は未婚故詳しいことはわからぬな。やはりここは婚姻していて芽ぶきの季節を待つササラに聞くのがいいだろう」
カーディーンは私と目をあわせないようにしながらササラを見た。
ササラー?
「わ、私は恥ずかしながら武一筋でございましたので勉学は得意ではありません。ここは説明の得意なセグォンがよろしいかと!ほら!」
ササラはおろおろしながら、思いついたかのようにマフディルの背中をばしんと叩いて話を託した。痛そう。
「え、えぇ!?クリー、それは部隊を率いる副官としてあんまりだろ!」
マフディルはいきなり話を振られて大慌てだ。乙女の様に顔を赤くしている。痛くなかったのかな?
ねぇ、マフディル……?
「あ、そうですねぇ……。とりあえず芽ぶきの季節と言うのは子を産むことを言い替えただけの表現なんで、種から産まれるわけではないんです」
じゃあ卵?
「それも違います……」
じゃあなんなのー?
私の質問攻めはマフディルが涙目で「勘弁して下さい!」というまで続いた。
そして軍の区画での挨拶が終わり、またカーディーンと一緒に移動していたのだが、ここでまた新たな疑問が生まれた。
そういえば、さっきササラはマフディルのことを違う名前で呼んでいた。マフディルも一度だけだがササラを違う名前で呼んでいた。その後はササラ殿って呼んでいたけれど。
アファルダートの住人には名前がいくつもある。
ねぇ、カーディーン。マフディルとササラは兄弟なの?
「違うな。ササラは貴族の娘。マフディルは庶民の出だ」
でも違う名前で呼んでたよ?
「そういえば先ほど話していなかったか。ササラは既に伴侶となっていると言ったが、相手はマフディルだ」
へぇ~……ん?えぇ!?
ササラの番いの相手ってマフディルだったの!?ということはあの二人が互いに呼びあっていた名前は御魂名だったの?
「そうだ。普段は人前では公名を呼んで使い分けているようだが、二人の時は御魂名で呼びあっているようだぞ。
ちなみにあの二人がカティアからの風を喜んだのは、特別な祝福だと思ったからだ」
曰く、守護鳥は王族に幸福と未来をもたらす存在。それは当然加護の王族の幸運や寿命を差す意味なのだが、もう一つの意味があるらしい。
もう一つの意味って何?私特にカーディーンを守ること以外はしてないんだけど?
「私個人ならばその通りなのだが、大きな意味で見たとき、未来とは王族の血筋の存続、幸福とは次代に続く子宝だ。つまり、王族にふさわしい伴侶や恋愛、子宝の祝福も間接的に与えているのではと言われている」
そんなことを期待されても……。
守護鳥にそれは求めすぎというものだ。基本的に加護の相手を守る能力を持つ以外、私達は普通の鳥なんだけど。
困った私はカーディーンの肩でそわそわと足踏みをしながら言った。
カーディーン、私にカーディーンの伴侶を探せとか言わないよね……?
無理だからね、と念を押して確認しておく。私のいつになく真剣な瞳に、カーディーンが少し笑ったような声で答えた。
「無論、私の伴侶は私が探す。今のは守護鳥の実態を知らぬ民の間に広まっている噂だ。
伴侶とて王族に嫁ぐのは通常とは異なる覚悟を求められるのだから、当然長く生きる可能性の高い守護鳥の加護がある王族の方がよいだろう。だから守護鳥がいると伴侶が得られやすいというだけの話だ。
そこを夢のある誇大解釈した噂なのだろう。ササラが大いに喜んでいたのも、カティアと会う機会が少なく、守護鳥の実態をあまり知らぬからであろう」
なんだ、よかった。
「あの二人の求婚にまつわる事件は軍の者の間では有名だ。ササラが派手に暴れたのでな」
暴れたのはササラらしい。
「あの求婚事件にまつわるマフディルの姿に勝る男らしさはない、とは当時を知る部下達皆の言葉だな。マフディルは砂まみれで地面に倒れ伏し、涙と鼻水でぼろぼろの姿だった…………主にササラのせいで」
カーディーンはしみじみとそう言った。
本当に何があってそうなったのだろう。二人の求婚話がすごく気になる。
今度マフディルに聞いてみよう。