閑話:名もなき砂色の鳥の話・下
連続投稿その三。
その一からお読みください。
ねぇ、今日もライハーネの宮に行っちゃだめなの?
「ライハーネ様の体調が思わしくないようなのです」
私が尋ねると、エーラも困った表情で返事を返した。
ライハーネの宮へ遊びに行けないので、守護鳥の巣で一人な私はつまらなかった。
退屈だよ……。曲も早く作りたいのに……。
私が頬を膨らませると、エーラがそうだ、と手を叩いて私に提案した。
「よろしければ他の守護候補の方々の所へ行かれませんか?皆様きっと砂様を快く歓迎して下さいますよ」
私はエーラのその言葉で、そういえば私は加護の相手を選んでいる最中だったのだと思いだした。
私……加護の相手を選ばなくちゃいけないんだよね……。
「左様でございます。守護候補の王族の方から御一人だけ、お選びくださいませ。その方が、砂様の生涯寄り添うお相手にございます」
私、候補の王族の人の顔すらもう覚えてないよ……。
会ったのはたった一度きり、そんなに日は経っていないが、ライハーネが倒れたことにびっくりしたという記憶以外、あんまり覚えていない。
みんな金髪で、みんな青い瞳で、とても美しかった。
正直にいえばライハーネだって、真っ青な顔で倒れていなければ、他の王族と区別がつかなかったのだから。
月の兄弟達ほど美に執着がないので、各々のわずかな差異などわからない。倒れたライハーネが物珍しくて、話しかけたくらいだったのだ。
そしてそこからライハーネを認識したのだ。
弦箱がすごく上手で、小さな声で歌う歌がとても綺麗で、外どころか宮殿の中すらよく知らない、顔色が悪くてよく寝込んでいて、私の話をなんでも物珍しそうに聞いて、少しさみしそうに笑うのがライハーネだ。
私がライハーネの守護鳥になったら、ライハーネは元気になるのかな……?
私が呟くと、エーラが少し困ったような表情で私にそっと言った。
「ライハーネ様は守護の候補ではございませんが……砂様はライハーネ様をお望みですか?」
そこでふと感じた疑問を、エーラに尋ねてみた。
どうしてライハーネは守護の候補に入っていないの?ライハーネも王族なのに。
私の質問に、エーラがすごくすごく困った表情をした。最近ずっとエーラを困らせてばっかりだ。私はエーラのよく表情が変わって、よく笑って、嘘がつけないくて、私にちょっと似ているところが好きなのに。
エーラは慎重に、言葉を選ぶようにしてゆっくりと私に告げた。
「……守護候補となるためには、いくつか条件がございます。ライハーネ様は、そのいくつかの条件を満たしていらっしゃらなかったのです」
条件ってなに?
エーラは答えなかった。
私はさらに尋ねた。
その条件は絶対に満たしてなければならないの?私がライハーネの守護鳥になってはいけないの?あんなに苦しそうなんだよ?私が守護鳥になって元気になるなら、私……私、ライハーネの守護鳥になってもいいよ。
尾羽が震えるほどの決意だった。
エーラは何かを言おうと口を開いて、そして何も言えずにぐっと唇を噛みしめて、そして答えた。
「…………いいえ、砂様が望めば、ライハーネ様の守護鳥様になることは可能でございます」
じゃあ、私ライハーネのお見舞いに行きたい。
「畏まりました。でしたら、本日からライハーネ様の宮に泊まりましょう。それで、ライハーネ様が砂様の正式な守護候補だと、周囲に周知することになります。よろしいですか?」
私は鳴いて了承した。
そして、ライハーネのお見舞いに向かった。
ライハーネの宮に向かうと、疲れたような表情の従者の人達が出迎えてくれた。
ライハーネはまだ体調がよくなっておらず、ベッドから動けないらしい。
私が見慣れた寝室までぱたぱたと飛んでいくと、ライハーネは静かに眠っていた。
ベッドに流れるように広がる金の髪は少し艶が失われていた。頬の丸みも少し削がれていた。肌は青白い。
ライハーネ大丈夫かな…………。
私がくぴーと鳴きながらつぶやくと、ライハーネが苦しそうに呻いた。
それまで人形のように眠っていたのに、段々苦しそうな息遣いが増え、額には玉の汗が浮いていた。
全身が苦しいのか、ライハーネは呻き声をあげながら、もがき始めた。私はベッドの上からエーラの手へと移動させられ、従者の人達が数人がかりでライハーネを抑えつけ、必死で声をかけたり汗を拭いたりしていた。医師は何度も何度もライハーネの容体を診て様々な指示を飛ばしていた。
ライハーネ、ライハーネしっかりしてっ!!
私がくぴーくぴーと鳴くと、呻き声をあげていたライハーネがぼんやりと目を開けた。
「あ、……砂、様……ぁ……」
ライハーネの声はかすれてぼろぼろにしわがれていて、声を出すのも辛そうだった。
私だよ!ここにいるよ!大丈夫?苦しいの?痛いの?
私がおろおろと声をかけると、ライハーネはどこか焦点のあわない虚ろな瞳で私を見据え、手を伸ばした。
「か、加護を……わた、私に……早く、砂様の加護を……っ」
ぜぃぜぃとした声で、ライハーネは私に願った。
「姫様なりませんっ!」
「ライハーネ様、おやめ下さいませ!!」
従者の人が、身体を起こして私に手を伸ばそうとしているライハーネの肩を押さえて制した。
「お黙りなさいっ!加護さえあれば!加護さ、えあれば……私はこの苦しみから、逃れられるのよっ!」
獣の様な声で、軋む楽器の悲鳴のような声で、ライハーネは言った。
「砂様、はやく……私に加護を…………そ、すれば、私は元気になって、砂様と、一緒に……、曲を……。私は死にたくない……死にたくないっ!死ぬのは嫌ぁっ!!」
這うようにして、従者達に抑えつけられながら、それでも私に手を伸ばすライハーネの瞳が、死を恐怖し、逃れたいと必死な、鬼気迫るその瞳が怖かった。
加護を求め、死を恐れ、守護鳥を求めるその姿が、怖くて怖くて……。
やだ、……やだっ!怖い……怖いっ!!帰るっ!帰る、帰りたいっ!!
「砂様、これ以上聞いてはなりません。エーラと共に守護鳥の巣へ戻りましょう」
エーラの、柔らかな声音が降って来て、私はそっとエーラの両手の中に包まれた。
私を潰さないように、けれど卵の殻のように守るように、私はエーラに包まれた。
エーラはそのままくるりと踵を返して歩き出した。
「お待ちなさい、鳥司!砂様を返しなさいっ!砂様は私の守護鳥よっ!!」
「砂様は守護鳥の巣にお戻りになります。ライハーネ様の守護鳥様ではございません」
一度立ち止まってライハーネに答えたエーラの声は、落ち着いていて静かだった。
「無礼者っ!王族に逆らう気!」
「わたくしは砂様の鳥司でございます。鳥司が仕えるのは守護鳥様。わたくしどもは、守護鳥様のご命令であらば、国王の御下命であっても拒絶することが許されております」
毅然とした声でそう告げ、エーラはまた歩き出した。一刻も早く、この場から立ち去るように。
しかし私の耳は、ライハーネの死にたくない、死にたくないと泣く声がずっとずっと響いていた。
廊下を曲がって、もうライハーネの声が届かなくなっても、ずっとずっと耳の奥に、しわがれたライハーネの声がこだまして離れなかった。
守護鳥の巣に戻っても、まだぶるぶると怯えている私に、エーラがそっと声をかけた。
「砂様……」
いや!絶対守護鳥になんかならない!!怖い、怖いっ!守護鳥ってあんな想いを背負わなくちゃいけないの!?ライハーネは加護が欲しくて私と仲良くしてたの?みんな、みんなあんな風なら……みんなあんな想いで守護鳥を求めているなら、私は誰も選ばない!
いつも優しく微笑んで、綺麗な音を奏でていたライハーネの心の奥にある想いを知らなかった。
そのむき出しの死への恐怖と、私に縋るような目が、言いようもなく怖かったのだ。
誰かにあんな風に求められることが守護鳥という存在なのだろうか。私は、ただ、みんなで仲良くしていたかっただけなのに。ライハーネと楽しく曲を作っていたかっただけなのに…………。
それから数日間、私は守護鳥の巣にひきこもったまま、塞ぎこんでいた。
そんなある日、ぱたぱたと羽ばたきの音がして、私はふと顔をあげた。
あ、末の妹だ。どうしたの?
私のそばに舞い降りたのは、月の二の姉だった。
私にすりすりと挨拶しながら、私をのぞきこんだ。また大きくなってる……。
私は加護の相手を替えようと思って、しばらく一緒にいたのだけれど、何か違う気がしたから。
気楽にそう言った姉が不思議で仕方がなかった。
私は思わず姉を問い詰めた。
替えちゃうの?その王族は選ばれないってこと?死んでしまうかもしれないんだよ!
私が言うと、月の二の姉はくぴっと首をかしげながら言った。
仕方ないよ。私が加護する相手じゃないと思ったんだもん。すぐにこの王族だ!ってわかる守護鳥もいるし、そうじゃない守護鳥だっているんだよ。私はまだ迷ってるの。
選ばれなかった王族は、なんて言ってたの……?
私はおそるおそる聞いた。
残念だって笑ってた。私が加護すべき相手に早く出会えるといいねって言ってくれたよ?最後にいっぱいぎゅうぎゅう撫で撫でされたけど、それだけ。
それだけ……?ライハーネと違う……。
ライハーネって誰?末の相手?何があったの?
私は、ライハーネとの最後に会った出来事を月の二の姉に話した。
月の二の姉は、ふぅんと話を聞いて、「やっぱり末は変わってるね」と言った。
その王族が末の加護する相手かどうかはわからないけど、私は加護すべき相手にそれだけ求められたら、嬉しいって思うけど。
……嬉しいって思うの?
うん。だってそれが守護鳥でしょ?たった一人だけの為に存在して、たった一人だけを生涯守り続けるの。その守る人が死にたくないって言ってるなら、私は死なせたくない。他の誰が死んでも、その人だけ生きてれば私は嬉しいもん!
胸を張って言う月の二の姉を、遠く感じた。
月の二の姉は、次の候補に会いに行ってくる!と、ぱたぱたと飛んで出て行った。
もう、わかんないよ……。
私はまた一人になった。守護鳥の巣の区画は、広くてさびしい。
エーラの声が穏やかに私に語りかけた。
「砂様、あの時わたくしが砂様にお話しすることが出来なかった、守護候補に選ばれる条件の話を聞いていただけますか?」
嫌!聞きたくない!
それでもエーラは言葉をつづけた。
「候補に選ばれる条件は、まず王族籍にあること。次に命を繋げることが出来る者。これはあまりにも強い災いは、いくら守護鳥様の御力があっても、どうにもならない場合が多いのです。そして強い災いは身体を蝕み、次代の王族を残す力を奪うからです。そして最後に、心の強さです」
私は目をぎゅっとつぶって返事をしなかった。
「ライハーネ様はあまりにも王族として血の災いが強く、そのお身体は蝕まれ、御子を身ごもることが叶わぬのです。そして、ライハーネ様が候補から外された一番の理由が、心の弱さです。
ライハーネ様は幼いころから、あまりにも死に近い状況を数え切れないほど繰り返してきました。苦しみ、痛みで、うなされ続けて夜も眠れぬ毎日は、ライハーネ様の御心を蝕んでゆきました。ライハーネ様は死に対しての恐怖がことのほか強かったのです」
私が垣間見たあのライハーネが、死に怯えて錯乱した姿だったと、エーラは言った。
「ライハーネ様は聡明で、お優しい方です。だからこそ王族として何も責務を果たせず、ただベッドの上で死に怯えながら過ごす己を嘆いておられました。そして、砂様と出会いました」
私はずっとエーラの両手に包まれて、私を呼ぶ声から、耳をふさいだ。
「砂様は、ライハーネ様にとって希望の光だったのでしょう。だからこそ心から砂様を慕い、求められたのです。ですが、その強すぎる想いを受け止めるには、砂様はまだ幼く、お優しすぎたのです」
エーラは私をそっと撫でながら、続ける。
「守護鳥様達はまだ生まれたばかりの雛であられます。だからこそ、王族は守護鳥様達に選んでもらうまでは、決して守護鳥様を求めてはいけないのです。選ぶのは守護鳥様で、王族は選んでもらう言葉を告げてはなりません。守護候補に求められていたのは、守護鳥様が己の手元から飛び去ってしまう時、決して引き留めない、守護鳥様を己から手放す覚悟なのです」
自分を死から救ってくれる存在を自ら手放す。それを出来る者だけが、守護鳥に選ばれる資格がある。月の二の姉を、笑って見送った候補者の様に。己の心を隠して、隠して笑っていなければならなかったのだろうか。
ライハーネは手放すことが出来ないから、候補になれなくて、それでも守護鳥をひと目見てみたいと、国王と王妃に無理を言って、あの場にいたのだそうだ。
そして体調が悪化して倒れ、私がライハーネに興味を持ってしまった。
それはつまり……。
私が、いけなかったんだね……。候補者ではないライハーネに、私が希望を与えてしまった。
きっとあの時、私がライハーネに声をかけなければ、ライハーネは守護鳥を遠くから眺め、守護鳥達に選ばれる候補者達の姿を見て、心に折り合いをつけることが出来たのかもしれない。
私がライハーネの宮へと行かなければ、ライハーネと仲良くなったりしなければ……。
後悔はとめどなく溢れて、心が痛かった。きっとライハーネはもっと痛いんだ。
私が守護鳥となる覚悟も、選び、切り捨てる決意も出来なかった。ライハーネの姿に恐怖したのは、私にたくさんの覚悟の心がなかったせいだ。
「他の候補者の方にお会いしませんか?彼の方々は、ライハーネ様の様なことはございませんよ」
エーラはそう言ったが、私はとてもじゃないがそんな気持ちになれなかった。
選ばれたいのに選ばれないための覚悟を問われるなんて、おかしいよ。それならばいっそ……。
それならばいっそ、私は森へ帰りたい。誰も選ばずに、一人でそっと暮らしたい。そうすれば、それはきっととてもさみしいだろうけれど、こんなに心が痛くなったりしないんだ。
小さく呟いた私を、エーラが辛そうな表情で見つめていた。
数日が経ったとき、それまでただ静かに私に寄り添っていたエーラが、私に声をかけた。
「砂様……わたくしはあの時、やはり何があってもライハーネ様の元にお見舞いに向かうのを御止すべきでした。砂様がこのような苦しい思いをしたのは、御世話係として不甲斐ないわたくしのせいでございます。どのような罰でも甘んじて受けます。ですが、今一度だけ、エーラのお願いを聞いていただけますか?」
そう言って、頭を下げた。
エーラ、……お願いってなぁに……。
私は尾羽を下げたまま、続きを促した。
「一緒に向かってほしい場所があるのです」
そう言ってエーラが私を連れてきたのは、小さな庭だった。
花があって噴水があって、美しいが特別かわったものは何もなかった。
エーラ、連れて来たかった場所ってここ?
「左様でございます」
何があるの?
エーラは答えないまま、柔らかく笑った。
私がもう一度尋ねようとした時、音が聞こえた。
美しい、弦箱の音だった。
尾羽がざわざわした。
弦箱が奏でるのは、私も良く知る曲だ。短い短い、作りかけの……―――。
『金色の砂漠』……これ、ライハーネの弦箱だ……。
どこからか聞こえるその音が、そっと紡ぎ出した。ライハーネが不貞腐れる私の為に作ろうと言ってくれた、大切な曲だ。
短い短い、まだ口ずさむほどしか出来ていなかったその曲が、何度も何度も繰り返すように音を重ね、少しずつ変化をつけて、飾り音が踊るように主音と響き合っていた。
美しい弦箱の音が紡ぎ上げるその曲は、一羽の鳥が砂漠を低く低く、風を切って飛ぶようだった。
鳥は砂漠を飛んで森へ行くのだ。樹木を思わせる音や、葉が風にそよぐ音が聞こえてくるようだった。そして鳴く様な高い音と共に鳥は月に焦がれるように空に舞い上がり、けれどその手は月に届かず、そして砂漠を渡るのだ。
月に恋焦がれる鳥が、けれど、なぜかとても楽しそうに美しい砂漠を低く低く飛ぶのだ。それはまだ見ぬ砂漠を思わせる曲だった。
最後の一音を紡ぎ終え、弦箱の音はそっと消えた。
美しいけれど、とても苦しそうな音だった。
「これが、ライハーネ様が砂様に贈るお気持ちでございます」
エーラがそっと言った。
この曲が、ライハーネの気持ち。月に焦がれて砂漠に焦がれて、とても楽しそうに砂漠を低く飛ぶ鳥の曲。
私と二人で作った、私とライハーネの短い曲。砂色の守護鳥の曲。
「ライハーネ様は、もう二度と砂様にお会いすることはございません。ですが最後にこの曲だけは、砂様に捧げたいのだとおっしゃって、お一人で最後まで作り上げたそうでございます」
ライハーネはもう、二度と私に会わないの?
「左様でございます。ライハーネ様は……おやすみになられます」
そっか、ライハーネがゆっくり眠れるといいな。
「……左様でございますね」
私はライハーネを思い出した。私の知るライハーネは弦箱がすごく上手で、小さな声で歌う歌がとても綺麗で、外どころか宮殿の中すらよく知らない、顔色が悪くてよく寝込んでいて、私の話をなんでも物珍しそうに聞いて、少しさみしそうに笑っていて……それできっと、私のことがとても好きだったのだ。守護鳥としても、友人としても。
エーラ、私は……ライハーネの気持ちに答えることが出来なかったんだね。ライハーネが私を大好きなようには、好きになれなかったんだ。けれど……それでもね、エーラ。私はやっぱりライハーネのことが好きだったんだよ。ただ友人として、好きだったの。けれどそれは守護鳥としては許されないことだね。
守護鳥はたった一人を守る存在だから。
ライハーネと私は、実は似ていたのかもしれない。ちょっと弱いところが、特に。
ライハーネ、大好きになることが出来なくてごめんね。
私はそっと、音の消えた方へ呟いた。
上からぽたり、と水滴が落ちていた。びっくりして見上げると、私を両手に乗せたまま、エーラが静かに泣いていた。
どうしてエーラが泣いているの?
「砂様……森へ、帰ってしまわれるのですね……」
どこか確信を持った言葉だった。
エーラには全部お見通しなのかもしれない。一番私のそばにいたのだから。
うん。私はこれ以上、人を大好きになるのが怖いよ。それに、ライハーネの想いから逃げた私に、守護鳥として誰かを選ぶ資格なんてないよ。
「そんなことっ!!……そんなこと、ございません」
ありがとうエーラ。でも、私だめだったよ。私には月の兄弟達の様に、好きな人達を仕方ないと言いながら大好きな人を一人選びなさいと言われても、出来ない。会ったことないけど、他の森へ帰ったと言う砂達もそうだったのかな……?
エーラは嗚咽をこぼしながら、必死に言葉を発した。
「っ、砂様は、お優しすぎるのです。それの何がいけないというのですか!!そんなの……っ!お優しいがゆえに苦しまれているだなんて……あんまりではございませんかぁ……うぅ、ひっく」
泣かないで、エーラ。ごめんね、私ちゃんと守護鳥になれなかったよ。せっかく御世話してくれたのにごめんね。ありがとう。
「そんな……どうか、謝らないでください。わたくしの方こそ、砂様をお支えしきれず、不甲斐ない御世話係で……ひっく、も、申し訳ございませんでした」
私、いつでも嘘がつけないエーラが好きなの。悲しい時に泣いて、嬉しい時に笑って、困ってるときは困った顔をして、鳥司の先輩に顔に出すなって怒られてるエーラが好きなの。私がいなくなって、もしまた次に砂が生まれたら……その時はエーラが支えてあげて。次の砂が、ちゃんと大好きな人を見つけられるように。私の様に苦しむことのないように、ね。
「はい、必ず……っ!わたくしの全てをかけて、守護鳥様にお仕えいたします。ですが……わたくしの名だけは、わたくしの御魂名だけは、砂様と共に、森に御連れください。わたくしは王族ではございません。御魂名を交わすなどと恐れ多いことなどできません。ですがどうか、わたくしの、エーラという御魂名をお捧げすることをお許しください。わたくしの御魂名が砂様をお守りするように。わたくしが御魂名を捧げてお仕えするのは、生涯であなた様ただ一人でございます」
これだけは譲らないとばかりに、エーラは強い瞳でじっと私を見た。
深い緑の瞳は涙を湛えて、どこか森を思わせた。
わかった、許すよ。エーラの名は、私がもらう。エーラは……ううん、モルシャは今後、モルシャ・カーニャと名乗るの。
泣きじゃくるモルシャにすりすりしながら、私は言った。
モルシャの息が整ったら、巣に戻ろ?
「ありがとうございます……。も、しわけ……ござ、ぃません」
私はモルシャの涙が落ち着くまで、モルシャと一緒に庭にいることにした。
翌日、私は森へ帰った。
成鳥するまでは宮殿で過ごして欲しいという声もあったけれど、私はそれを振り切って森へと帰った。
あそこは守護鳥の巣だもの。守護鳥にならない私はあそこにいてはいけないんだ。
森に行って、いつかは砂漠も飛んでみたいな。低く低く飛ぶの。
ライハーネと見ることは出来なかったけれど、私だけでも見に行こう。金色の砂漠を見るんだ。私とライハーネによく似た砂漠を。
翼は風を切り、耳には風の音がびゅうびゅうとなっていた。
さみしくはないよ。森にはモルシャの色が、砂漠にはライハーネの色があるんだから。
モルシャは、私が見えなくなるまで、ずっと静かに笑って見送ってくれた。
ライハーネは静かに眠りについた。
そばに楽師を置いて、ずっとひとつの曲を奏でさせ続けた。
彼女の作った生涯ただひとつの曲は、楽師を通じて国中に広がった。
けれど、その曲の名前を知る者は、誰もいなかった。