閑話:名もなき砂色の鳥の話・上
連続投稿その一。
カティアの話ではありません。
「はぁ……はぁ、す、砂様ぁ~。砂様、どちらにいらっしゃるのですかぁ~」
遠くの後ろからぜぇぜぇはぁはぁと掠れた声で、私を呼ぶ声がした。
私はその声に振り返り、ぱたぱたと彼女の元まで舞い戻った。
エーラ、エーラ大丈夫?
私が地面に降り立ち小首をかしげて見上げると、私のお世話係になったエーラは、はぁはぁと息を整えながら答えた。
「も、申し訳ございません。だ、大丈夫です……。砂様、お願いですからあまり遠くに行かないでくださいませ。危険でございます」
エーラの必死のお願いに、もうちょっと飛びたかったんだけど……と思いつつも、私を追いかけなきゃいけないエーラが苦しそうなので、諦めた。
エーラ、ごめんね。ちょっと楽しくなっちゃった。エーラの息が整ったら、巣に戻ろ?
エーラはありがとうございます、と苦しそうにその場で四つん這いになりながら、ぜぇぜぇしていた。最近飛ぶのが格段にうまくなって、兄弟の中でも私が一番飛ぶのが上手なのだ。それが嬉しくて、ついつい色んな場所に行ってみたいと思ってしまうのだが、私を追いかけなくてはならないエーラのことを、すぐに忘れてしまうのだ。エーラはあまり走るのが早くないので、いつも必死で私を追いかけているのだ。エーラ、本当にごめん。
でも羽が生え換わったら今よりもっと飛べるようになるらしい。早く成鳥になりたいな。
でもそうしたら今度こそエーラが私を追いかけてこれないかもしれない。どうしよう。
私は悩ましい問題については、成鳥になってから何とかすればいいやと、さっさと忘れた。
ある時、いつもより真剣な顔をしたエーラが、私に大事な話があると言った。
私は砂風呂の沐浴を終え、くったりと体の力を抜いた状態だった。
エーラ、話って何?
「砂様、もうすぐ王族との顔合わせがございます」
王族?だったら私も、いよいよ守護鳥として王族を守るんだね!
私はわくわくして尾羽をふりふりした。かっこよく、王族を守るんだ!
兄弟の中で、私が一番小さいからとからかわれてケンカになったりしたけど、ちゃんと守護鳥になったらもっと大きくなって、一番すごい守護鳥になって兄弟達を見返すんだ!
私が意気込んでそう言うと、エーラはそうですね、と朗らかに同意した後、ちょっと言いにくそうに告げた。
「その顔合わせなのですが、加護を与える王族は、砂様方守護鳥様が選ばれます」
ふぅん。ちなみに王族って何人ぐらいいるの?
「……顔合わせに今回お越しになられる王族は、二十名と伺っております」
え?ちょっと待って。私達兄弟全員で五羽しかいないんだよ?全然数があわないよ!
エーラは悲しそうな顔をした。
「左様でございます。砂様は二十名の王族からたった一人、加護を与える王族を選ばれるのです」
選ばれなかった他の王族はどうなっちゃうの?
私が尋ねると、エーラは唇をぎゅっと結んでから、落ち着いた口調で答えた。
「選ばれなかった王族は、己の力で生きていかれるのです」
でも、でも!王族は一人で生きていけないほど体が弱かったり、怪我をしたりするのでしょう?だから守護鳥は王族を守ってあげるって、エーラは言ってたじゃない。
「当代の守護鳥様は過去にもないほど、少なかったのです。通常は十羽前後、多くて十七匹ほどお生まれになられます。わたくし達鳥司は守護鳥様が卵をお産みになられる間、森への立ち入りが禁じられておりますゆえ、森で何があったのかはわかりませんが……」
エーラ達が守護鳥の数が少ないと言っていた理由はここに関係があるのか、と私はやっと理解した。
加護を与えるのは一人だけ、つまり私達の代は五人しか王族に加護が与えられないのだ。
王族は年をとるごとに呪いが強くなるって言ってたけど、私達に選ばれなかった王族ってどんどん呪いが強くなるってことだよね?
「……はい」
それっていつか呪いに負けてしまうってことだよね……?
「左様でございますね。次の守護鳥の顔合わせまで生き残ることが出来れば、もう一度守護鳥様と顔合わせの機会があると伺いました。ですのでそれまでひたすら、生き残り続けるしかないようでございます」
王族の義務は、まず命を繋ぎ続けることですから、とエーラは言った。
私は怖くなって、尾羽が震えた。
エーラ……私、どうしても選ばなくてはいけないの?私が選ばなかった王族は、死んでしまうのでしょ!?
怖い。純粋に怖いと思った。
「砂様……砂様がお選びになられなかった王族の方は、月様方のどなたかが選ばれますよ」
エーラがなんとか私をなだめようと、あたふたと言葉を紡いだ。
私はエーラの嘘がつけないほど正直に全部顔に出るところが大好きだけれど、今に関しては、まったく安堵出来なかった。
それって私にも月の兄弟にも選ばれなかった王族は死ぬってことだよね……。
「…………王族の方々は守護鳥様に選ばれずとも、決して砂様方をお怨みすることはございません。たまたま今回、その方に加護を与えるべき守護鳥様が、いらっしゃらなかっただけなのです」
私はエーラの言葉に、納得できなかった。
私は兄弟達にも同じことを尋ねてみた。
ねぇ、月の一の姉は顔合わせの話は聞いた?
月の一の姉は楽しそうに尾羽をふりふりしながら言った。
もちろん!王族って美しいって聞いた。私はどんな王族を選ぶのかなー?
月の二の姉も寄って来て、わくわくと翼を閉じたり開いたりしながら言った。
一番美しい王族って誰なんだろう?私一番美しい王族がいいなー。
でも!選ばれなかった他の王族は、死んでしまうかもしれないんだよ?怖くないの?
途中で話に加わった月の三の兄が、偉そうに胸を張りながら私に言った。
砂はそんなことを恐れているのか?砂の考えてることは、いつもよくわからないな。加護の相手たった一人が無事ならいいじゃないか。
兄弟達はそうだそうだと言った。
私にはその感情がよくわからなかった。
エーラは「砂様はお優しいのです。わたくしはそれをとても素晴らしいことだと思います」と言ってくれたけれど、兄弟達との違いを魔力以外でも感じたようで、ちょっとさびしかった。
もしかしてこんな考え方だから私の魔力は増えないのだろうかと悩み続けた。そして悩み続けたけれど、結局王族を選ぶことに対しても、兄弟達との差に対しても、答えらしきものは何も浮かばなかった。
そして私がもやもやとした気持ちを抱えたまま、王族の顔合わせの日がやってきた。
私は憂鬱な気分でエーラの手の平に乗って、顔合わせの場所へと移動した。
初めての守護鳥の巣の区画からの移動だと言うのに、私はちっとも心躍らなかった。
他の兄弟は朝からそわそわして毛づくろいを入念にしていた。私は尾羽を下げたままため息代わりにくぴー……と鳴いた。
そんな私を、エーラを始め私の鳥司達が、一生懸命褒めちぎって元気にしようとしてくれた。
「まぁ、砂様。今日はとてもお美しい王族の方々が沢山いらっしゃる場所に向かいますよ!皆様、砂様の愛らしさに夢中になることでしょう」
「本日も砂様はとても愛らしくていらっしゃいます。きっと素敵な王族に巡り合えますとも」
「砂様、その様に塞ぎこんでいらしては、せっかくの艶やかで愛らしい羽が陰ってしまいます」
エーラも負けじと私を讃える。
「砂様はいつでもとても愛らしいです!」
エーラ、私可愛いじゃなくて美しいって言われたいんだけど……。
私が不貞腐れたように言うと、エーラはあわあわしながら一生懸命、私の美しさを讃えてくれた。
……なんでエーラの褒める私の美しさは、羽の艶やかさ限定なのか疑問だったけれど。私はもっと全体的に美しいもん!
エーラのちょっと私の琴線を外した褒め言葉に憤慨しながらも、なんだかちょっと元気が出た。やっぱりエーラとお喋りしてると楽しいなぁ。
そして私は兄弟やエーラ達鳥司と一緒に、謁見の間に到着した。
広間にはふかふかの絨毯と、沢山の人がいた。
絨毯の上にのっている人が、今回の顔合わせで守護鳥に選ばれる王族の加護候補だと聞いた。
兄弟の数匹は真っ先に好みの王族の元へ向かったが、どうしたらいいかわからなかった私は、とりあえず残った兄弟達と一緒に、全員の王族とおしゃべりをすることにした。
どの王族も大変美しく、私達と出会えたことを心から喜んでいた。
けれど、私には誰を選んだらいいのかわからなかった。だって、一人を選ぶと言うことは、その他全員を見捨てなくちゃいけないってことだからだ。
そう考えると、心が一段と沈んだ。
その時、小さな悲鳴が上がった。
声のした方に驚いて振り向くと、絨毯の向こう側で人が倒れていた。
びっくりして慌てて飛んで近づくと、従者らしき人にそっと起こされたのは長い輝くような金髪が美しい、とても小柄な女性だった。まだメスとしては子供かもしれない。身体が小さいし、たいそう美しいが頬には子供のような丸みが残っており、どこか子供らしさを感じた。顔色が悪いのにこれほど美しいのなら、元気な時はどれほど美しいのだろうとふと考えた。
あの……大丈夫?
私が声をかけると、慌てて私についてきたエーラが通訳をしてくれた。
エーラの通訳で私に声をかけられたことに気付いたその小柄な女性は、鮮やかな青い瞳を零れ落ちそうなほど見開いて私を見つめた。
「……守護鳥様?」
そうだよ。
「わ、私……このような間近で、守護鳥様の御姿を拝見することが出来るだなんて……まるで、夢のようです」
夢見るように軽やかな心地よい声音で、柱と同じくらい白い頬を赤く染めてふわりと笑うこの女性が、なんだかとても気になった。
ねぇ、なんで絨毯の上にいないの?王族じゃないの?
従者の人に支えられて、ゆっくりと上体を起こした女性に私は尋ねた。
「いいえ、私は王族です。ですが、顔合わせには選ばれなかったのです。お騒がせして申し訳ありませんでした。ですが、お声をかけていただけて、光栄です。無理を言ってここに連れて来ていただいたのに、このような騒ぎを起こしてお恥ずかしい限りです。私は自分の宮に戻りますので、砂様はどうぞお戻りくださいませ」
女性は青い顔でそう言いながら、私に戻るように促した。どうやら体調が悪くて倒れてしまったらしい。
私はエーラの手に乗せられて絨毯の上に戻ったが、最後に私に笑顔を残して従者と共に立ち去ったあの女性が気になった。
エーラ、あの人大丈夫かな……?
「宮に戻られましたら、専属の医師が診てくださることでしょう。横になればきっと楽になるはずです」
名前も聞かなかったな……。
「現国王様と王妃様の間にお生まれになった姫君でございます。御名前は……」
エーラ、名前はちゃんとあの人から聞きたいの。お見舞いにいっちゃだめかな?
「……いいえ、きっと御喜びになることでしょう。使いの者を出しましょう」
私がくぴっと上目づかいで首をかしげて尋ねると、エーラはちょっとだけ、困ったような表情で返事をした。
ただ何となくあの人が気になったから、それだけの理由だったのだ。だが、結果的に私はこの時、彼女を加護の候補として選んだのだと気付いたのは、ずっと後のことだった。
私はエーラと共に、さきほどの女性の宮へとやってきた。
「砂様、我が宮によくお越しくださいました。この様な姿でのご挨拶になってしまい、申し訳ありません」
ベッドの上で上半身だけ起こしたまま、さきほどの女性が歓迎のあいさつをしてくれた。さきほどよりも顔色はよくなっていた。
だがしかし、私は初めて見る守護鳥の巣とは全然違う宮の様子に興味が尽きなくて、うずうずと尾羽をふりふり足踏みしていた。
「どうぞ、気になるものがございましたら、お好きなだけ見て、触れてくださいね」
女性がそう告げたので、私は一直線に、沢山置かれたクッションの上に飛び降りた。
ふかっとしたほどよい弾力に身体を押し返されて次のクッションへと移動し、少しことなる弾力にくぴー!と感動し、飛んだり跳ねたりあたりをうろちょろと探索し始めた。
そしてしばらく探索し満足したところで、当初の目的を思い出して、エーラに一番お気に入りのクッションを運んでもらい、女性のベッドに置いて、その上にちょこんと座った。
あのね、私砂って言うの。
「砂様ですね。私はライハーネ・ドゥワ・アファルダートと申します」
えっと……長いね。なんて呼べばいいの?
「ライハーネ、とお呼びください」
わかった、ライハーネ!
「はい、砂様」
ライハーネはにっこりと笑った。
これが私達の出会いだった。