月と砂の違い
「…………カティア、そのようにそばにいなくとも大丈夫だぞ」
ベッドの上で書類の報告を受けていたカーディーンが、耐え切れなくなったように私にそう言った。
私はくぴーと鳴いてその意見を無視した。
私はカーディーンの肩、というよりほぼ首の根元にへばりつくように寄り添っている。
それだけならばさしてめずらしくないことなのだが、さすがに私が四六時中へばりついていると、カーディーンも私が意識的にそこにい続けているのだろうと心配になったようだ。
カーディーンの目が覚めた時点で、私は自分が守護鳥として活躍してみたいと不満に思ったことや、そのせいでカーディーンが波にのまれてしまったのだと、自分の気持ちを全部カーディーンに打ち明けた。
「カティアが愚かだったことは、私がどれほどカティアという守護鳥の存在に救われているか知らなかったことだ。しかし、私もカティアへの感謝を見える形で示したことがなかったかもしれぬ。よって二人とも愚かだったのだ。今後は共に気をつけてゆけばいい」
そう言ってカーディーンは、二人で反省しようと言った。私はその言葉を聞いて、反省を今後につなげればいいんだと、カーディーンのそばを離れない。それはもう、へばりついている。
カーディーンがちょっと困ったような表情でモルシャに視線を送った。
そばに控えていたモルシャは、いつも通りの穏やかな声音で私に言った。
「カティア様、そのようにずっと寄り添っていらっしゃっては、息が詰まってしまいます。適度に気を抜き、適度に寄り添う。それが長く守護鳥でいる為の秘訣ではないでしょうか。歴代の守護鳥様もたまには加護の王族とケンカをなさったり、時には家出などされる守護鳥様もいらっしゃったと聞きます。それでも必ず仲直りして相手の元へと戻られると伺いました。何事も極端すぎるのは返って毒になると申します」
そんな守護鳥がいるのだろうか。私が言うのもなんだけれど、守護鳥としてどうなんだろう。
モルシャは私の長所は身体能力が優れていることなのだから、飛行能力を磨くのもいいかもしれないと言った。もしくはリークと一緒に、魔力の膜を効率よく使う新しい方法を考えてもいいと勧めてくれた。
息抜きすることでカーディーンを守ることに繋がると言われたので、カーディーンを視野に入れることの出来る範囲で遊んだり、空中で旋回したり、別のこともするようになった。そうしたら、なんだか楽しくなってうずうずしたので、夢中になって遊び場で綱渡りとブランコをしてしまった。
遊び疲れてカーディーンの元へ戻り、膝の上に無造作に置かれていた手の平の下にもぐりこんでにぎにぎを催促すると、苦笑しながらにぎにぎしてくれた。
くぴー。
体から力を抜いてうっとりしている私に、カーディーンがちょっと安堵して笑っていた。
「守護鳥ナーブ様よりカーディーン様とカティア様にお手紙が届きました」
従者の人がそう言って一通の手紙を差し出してきたのは、丁度私がカーディーンの手の平で飛び跳ねて、私が跳んでる間にカーディーンがすばやく手の平を裏返す、という遊びをしている時だった。
ナーブからの手紙?
従者から手紙を受け取ったカーディーンがぱらりと中身を改めたが、そのまま固まってしまった。
「カティア、読めるか?」
カーディーンから見せられたナーブの手紙には、荒々しい足跡がのたうちまわっていた。
さっぱりわからない。
私とカーディーンが謎の手紙に首をかしげていると、今度はいつもそばに控えている私の鳥司がやってきた。
「ナーブ様がお越しになられました」
困惑したような鳥司の差し出された両手には、ナーブが我が物顔で鎮座していた。
カティア、しばらく世話になるぞ!
偉そうに言いきったナーブの頬はぷくーっと膨れていた。
レーヴとケンカしたんだ。今回はあまりにも腹が立ったから家出してきた!
ナーブは憤慨しながらそう言った。ちゃっかりとリークの肩に留まっている。
いた。加護の相手とケンカして家出する守護鳥が、ここにいた。
ちなみに先ほどの手紙は先触れの手紙だったようだ。……手紙と一緒にやってきたら先触れの意味がないと思う。しばらくしてザイナーヴからカーディーンに正式なお詫びの手紙がきたらしい。
私はリークの肩に留まりながらナーブに尋ねた。
なんでケンカしたの?
レーヴに似合いそうな花を見つけたから、摘んでレーヴに贈ったんだ。きっとレーヴによく似合うと思ったから。そうしたらレーヴが怒った。
花を食べもしないでザイナーヴを飾るために贈る所に、ナーブの深い愛情を感じた。
私なら迷わず食べる。
せっかく食べないでお花を贈ったのに、怒っちゃうなんてザイナーヴって酷いんだね。
レーヴを酷いとか言うな!
同意したのに今度は私に怒りだした。威嚇されたので威嚇し返す。リークを挟んでナーブと威嚇し合っていると、モルシャが微笑ましそうに私達を眺めながら食事の時間を告げた。
食事の時間は散々だった。ナーブとぎゃあぎゃあ奪い合うような食事をした。以前と違って私も学習したので、自分のご飯を咥えて、飛んで逃げ回るという手段をとった。
ナーブは私に追い付くことが出来なかったのだけれど、私もひたすら逃げ続けなければならなかったため、ゆっくりと食事をすることが出来なかった。せっかくの勝利のご飯を、味わって食べることが出来なかったのは残念だった。
食事の後は少し遊んでから、だらだらお昼寝した。今はまったりとお喋りしている。
私はカーディーンににぎにぎしてもらいながら、ナーブは相変わらずリークの手に鎮座している。
そういえばナーブがここにいるのは、ザイナーヴとケンカしたからだったと思い出したので、人間の意見を求めてみることにした。
ねぇ、カーディーン。ナーブがお花を贈ったことに、なんでザイナーヴは怒ったの?ザイナーヴってお花贈られるの嫌いなの?
レーヴは花も好きだ。俺がいつも花を贈ったら、ちゃんと髪に挿してくれる!花を飾ったレーヴはとても美しいんだ!
月の三の姉ナヘラも、ラナーとお揃いで宝石を飾るのが好きだった。守護鳥は根本的に加護の相手を飾るのが好きなようだ。
私は……リークになら自分の羽飾りを贈ったことがある。あとモルシャにも石飾りを贈った。…………今度、カーディーンにも何か贈っておこう。
ナーブの意見は無視してカーディーンを見上げると、カーディーンが言葉を選ぶようにしながら言った。
「確かにナーブ殿だけの意見を聞けば、怒ったザイナーヴの気持ちがわからないだろう。だが、一度ザイナーヴの事情を聞くと、また違う意見になるかもしれぬな」
そう言って、ザイナーヴから届いたらしい手紙を持ちあげた。
「この手紙に書かれたザイナーヴの意見では、ナーブ殿が摘んだ花はザイナーヴの妹姫が育てていた、大切な花だそうだ。勝手に摘まれてしまった妹姫が泣いて悲しんでいたので、ザイナーヴは感情的になって怒ったのだと言っていた」
…………ナーブが悪いんじゃないの。
ナーブはふいっとそっぽを向いた。
ねぇ、ナーブ。ザイナーヴと仲直りした方がいいんじゃないの?
私がおそるおそる言うと、ナーブは頬を膨らませたまま答えた。
俺がレーヴに謝っても、レーヴは許してくれなかった!
一応謝ってはいたらしい。私はなんで許してくれないんだろうと考えた。
ナーブも一緒に考えている。仲直りはしたいらしい。
「順を追って二人の意見を合わせてみるとよいかもしれぬな」
カーディーンがそう助言をくれたので、ナーブと一緒にすり合わせてみることにした。
えっと、ナーブがザイナーヴの妹が育てていた大切な花を勝手に摘んじゃった。そしたら妹が泣いて、だからザイナーヴがナーブに怒った。
「悲しんでいるのは誰だ?」
ザイナーヴの妹。
……アーリヤ。
どうやら妹姫の名前はアーリヤと言うらしい。
「ではナーブ殿が悲しませたのは妹姫のアーリヤということになる。ならば謝るべき相手は誰になるだろう」
アーリヤだね。
……謝るべき相手がアーリヤなのはわかった。だがなぜ、アーリヤが悲しいのにレーヴが俺に怒ったんだ?
ナーブは首をかしげて尋ねた。
俺はレーヴが怒ったのは俺がレーヴに何かしたからだと思っていた。だから謝ろうと思ったのに、その理由だと俺に怒るのはアーリヤで、レーヴじゃない。なんでレーヴが怒ったのかわからない。
ナーブは心底不思議そうにそう言った。
私は何を言っているんだろうとナーブに言った。
ザイナーヴが怒ったのはアーリヤの為でしょ?ナーブがアーリヤを泣かせたから怒ったんだよ。
なぜレーヴがアーリヤの為に怒るんだ?
ザイナーヴがアーリヤのこと大切だからでしょ?妹なんだし。
私の発言に、ナーブは首をかしげた。どうやらそこがわからないようだ。私も困って首をかしげた。
私達兄妹が一緒に首をかしげて困っていると、リークがナーブに尋ねた。
「ナーブ様はカティア様が何者かに傷つけられたら、そのものを腹立たしく思われませんか?」
しない。カティアの怪我が早く治ればいいと思うだけだ。
ナーブのきっぱりとした返事に、カーディーンとモルシャは苦笑し、リークはきょとんと眼を見開いてしまった。
「心配したり、傷つけた相手を許せないと思ったりなさらないのですか……?」
しないな。俺はカティアだろうが他の月の兄弟達だろうが、傷ついても気にしない。飛べなくなれば可哀そうだと思うし、怪我をすれば早く治るといいと思うが、それだけだ。
私は何とか出来るならなんとかしてあげたいけど、他の月の兄弟はたぶん同じようには考えないだろうね。
私とナーブの意見を聞いて、リークは価値観の違いにびっくりしているようだった。
「カティア様と月様方には性格に違いがあるとは伺っていたのですが、価値観から大きな違いがあったのですね……」
なんだ、リョンドは知らなかったのか?守護鳥にとって大切なのは加護の相手ただ一人だけだ。それ以外はたとえ兄弟だろうが親だろうが、皆さほどかわらない。カティアのことは妹だと思っているし、一緒に遊ぶが、ある日死んでも遊べなくなることを残念に思うがさほど悲しくはない。むしろ加護の相手でもないレーヴの母親の為に、葬儀にまで出たと言うカティアの方が、守護鳥として変わっているんだ。
私はカーディーンが一番だけどモルシャもリークも、ファディオラやスーハも、もちろん兄弟も好きだからね。カーディーンの次とか、次の次だけど。
守護鳥に一番なんてない。守護鳥にあるのは唯一だ。一番とか二番があるカティアの方が変なんだ。
兄弟の中で私が変わり者なのは自覚しているので、気にしない。別にいいじゃない。好きなものが沢山あるのっていいことだと思う。
私がそう言うと、カーディーンが私をちょいちょい撫でて、モルシャが穏やかに笑っていた。リークは初めて月と砂の違いを実感したようで「こんなに違うんだ……」と呟いていた。
二の句が継げなくなったリークに変わって、モルシャが言葉を引き継いだ。
「リョンドの例えが悪かったようですねぇ。話を戻しましょうか。ナーブ様、ザイナーヴ様が誰かに傷つけられたらどうされますか?」
許せないっ!
ナーブは頬を膨らませて怒っている。
「傷つけられたのはザイナーヴ様であってナーブ様ではございません。ですがナーブ様はご自身が傷つけられたよりも、ザイナーヴ様が傷つけられた方が、お辛いことでございましょう。ザイナーヴ様にとっては、アーリヤ様がそれと同じ状況だったのでございます。アーリヤ様が傷つけられたこと、そしてアーリヤ様と同じくらい大切に思うナーブ様が、アーリヤ様を傷つけたことがお辛かったのでしょうねぇ」
モルシャがそう言うと、ナーブはしゅんと尾羽を下げた。ようやく理解が追い付いたようだ。
私はナーブの隣に移動して、ナーブに尾羽をすりすり合わせながら話しかけた。
アーリヤに謝って、ザイナーヴとも仲直りしようよ。
私が言うと、ナーブは尾羽をしゅんとしたまま「レーヴに会いたい」とぽつりと漏らした。
じゃあザイナーヴの所に戻ったら?それにこうして離れている間に、加護のない状態のザイナーヴに何かあったら心配だよ。
加護のないレーヴ?何を言ってるんだ、カティア。レーヴにはちゃんと俺の加護がかかっているぞ?
え?だって離れちゃったら加護がなくなっちゃうじゃない。
私が離れていて、加護がなかったからカーディーンは危ない目に会ったのだ。私が砂じゃなかったら、もしかしたらカーディーンの発見が遅れて、助からなかったかもしれなかった。
しかし私の考えは、ナーブの言葉によって大きく意味を変えてしまった。ナーブはきょとんとしながら私に言った。
離れたくらいで加護はなくならない。血と魂の加護だからな。今もレーヴはちゃんと俺の加護で血の災いから守られている。
私はその言葉を理解できないでいた。
離れていても、加護はなくならない……?だったら……。
茫然としている私に気がつかないまま、ナーブは続けた。
だいたいそばにいなければ加護が与えられないだなんて、本当の意味でずっと一緒にいなきゃならないじゃないか。レーヴのことは大好きだが、常に肩に留まっていてはつまらない。少し離れて遊んだりすることも大事だろう?
それは…………。
私は、震える声でカーディーンとの出来事をナーブに話した。
私の話を聞いたナーブは、ちょっと私に同情するような様子で、すりすりと体を寄せて、優しく教えるような感情を込めて私に告げた。
本来、守護鳥の加護はほんの少し離れたくらいでは消えたりしない。守護鳥の加護は、それこそ守護鳥が死んでもなお、加護の相手を守り続けていると言ってもいい。
ナーブはそこで言葉を区切って私に静かに言った。
カーディーンの加護が弱いのは、おそらくカティアが砂だからだろう。
ようやく砂だからこそ出来ること、助けられたことに自信をつけていたところだったのに、根本的な原因は、私の加護が弱いせいだった。
私が砂だったから、カーディーンの加護が弱いのだと。
尾羽の震えが止まらなかった。
心が夜風にさらされたかのように、冷たくなった。