雨降って、森
雨が降ると砂漠は白い森になる。
私が新しく知ったことだ。
着替えをしながら、カーディーンが私に森のことを教えてくれる。
「正確には珊瑚樹林と言う名の森だ。アファルダートには年に数回ほどしか雨が降らない。しかし雨が降ると、あのように砂漠が森になる。野菜や植物の大部分を隣国との交易で得ている我が国としては、自国で植物が大量に確保できるこの珊瑚樹林の出現は、喜ばしい出来事だ」
そう言っているカーディーンは、あんまり喜ばしそうじゃないね。
私が言うと、服に袖を通しながらカーディーンは答える。
「収穫は砂漠へ赴くことの多い軍と漁師の仕事だからだ。今日は丸一日ひたすら果実を収穫せねばならない」
他の国民も手伝ったらいいんじゃないの?
「無論、国民からも人手を募る。ただし夕長の暦とは違い、多くの危険な獣達がいる」
募った国民をいくつかのまとまりに分けて、軍の人間を先導役にして砂漠に国民を連れていき収穫させる。そして収穫の間は少ない人数で獣を警戒し、狙われれば国民を守って逃がすなり、獣を討伐するなり対処しなければならない。軍の一人一人にかかる負担がとても大きいのだ、とカーディーンは言った。
そして国民は往復する人間を分けることで交代するが、案内する軍の人間は交代が出来ない。なのでほとんど丸一日気を張り続けなければならないのだ。
でも夜は砂漠が海になるから、国民は連れていけないよね?じゃあ夜までの辛抱なんじゃないの?
私が尋ねると、カーディーンはさらにめんどくさそうに違うと言った。
「夜になれば確かに国民は連れてゆけぬ。しかし夜は夜で収穫は続けねばならない。そうなると今度は漁師と軍の者だけで夜通し収穫作業だ。珊瑚樹林は雨が降り終ってから丸一日で元の砂漠に戻るからな」
少しでも沢山の植物を確保しなければならないらしい。なるほど、それは大変だ。
今日まで大蛇の事件にかかりきりになって気を張り続けていたのに、さらにこの森のせいでやることが増えるのだ。軍の人達が憂鬱そうな顔をしているのは、夜を徹しての作業が待っているからのようだ。
時間が惜しいとばかりにカーディーンはいつもより少し早めの歩調で廊下を急いでいる。
カーディーンが軍門に到着する頃には、部下達の人達がきちんと整列していた。どことなく、達観したような表情だ。皆、珊瑚樹林の収穫経験があるのだろう。国民として参加したことがあるらしいリークは、現在は嬉々とした表情だ。
カーディーンは部下の人達を数人ずつに分け、指示を出した。
そして門に向かうと、国民の人達が大きな籠を背負って待機していた。
二十人ほどの国民の集まりに部下の人数人を先導役にする。そして漁師の人達と、アファルダートに丁度滞在していたスーハ達渡しの一族が数人いたので、彼らも先導役に駆り出されていた。
こうして収穫の為に砂漠に向かった。
いつもは太陽が突き刺すような眩しさの砂漠だが、今日は白い葉の隙間から、光が零れるように降り注いでいる。
珊瑚樹林は不思議な色合いだ。
幹が赤や青緑や白色で、石の様にごつごつとしている。そして生えている葉は基本的に白色だ。
まっ白なものもあれば、葉の筋だけが赤くなって、脈の様に浮かび上がっているものもあるし、葉全体がほんのり桃色に染まっているものもある。たまに魚のひれの様なつんつんとかたい透明な、葉と呼んでいいのかわからない代物もあるし、どうみても硬い石……カーディーン曰く「貝殻」にしか見えない葉もあった。
あまり緑や茶色が存在しないので、まるで森ではないかのように錯覚してしまう。
カーディーン、これは植物なの?
私は自分の知っている森との違いに愕然としながらつぶやいた。
「珊瑚樹林と言われているからには森なのだろう。私もこれが植物かと言われればよくわからないのだがな」
そう言いながらずんずん森となった砂漠を歩いていたカーディーンは、収穫物が沢山ある場所に来たのだろう。国民に周囲を収穫するように命じた。
カーディーンはその様子を確認しながら周囲を見回している。先導役の軍の人達は腰に小さな袋を提げているが、収穫の手伝いはしなくてかまわないらしい。
じゃあその腰の袋は何のためのものなの?
「これはつまみ食いする収穫物を入れておく為のものだ。収穫の際、国民は収穫物を勝手に食べてはならないというきまりがあるが、軍の者は自由に好きな時に食べていいとされる。これは軍の特権だ」
実は特権と言うよりは、単純に食事の時間を作れないので、各自手が空いているときに食べろと言うための決まりだ、とカーディーンは言っていた。
そんな話をしながらも、カーディーンは時折周囲を睨んで、石の様な枝をぽきりと手折って投げつける。すると何やら獣の声がするので、様子をうかがっていたのかもしれない。
いつもの砂漠と違って、周囲が見渡しにくいね。
私は感じたままを素直に告げてみた。
カーディーンも同意する。
「砂漠とは違い、近距離まで接近に気付けぬことも多い。だからこそ珊瑚樹林は危険が多いのだ」
そしていつも目印にしているサボテンなどがわかりにくいので、あまり遠くへは行かないらしい。可能な限り近場でひたすら収穫をするそうだ。
カーディーンがひとつの木に近づいて、貝殻の葉っぱを短剣で切り落とした。貝殻は二枚が重なっていて、これが貝殻の木の実なのだそうだ。貝殻が二枚合わさったこの実を貝と言うそうだ。私はカーディーンが手に持つそれを肩口から一緒に覗き込む。
貝は、波打つ襞の様な形をしているのに、二枚がぴったり合わさるように口を閉じている。
波打つような口の間にカーディーンが今日に短剣の刃を滑り込ませ、ねじるようにして貝殻の口を開けた。
かぱりと口を開けた貝の中には、緑色の輝くように半透明な丸い果実が零れるように詰め込まれていた。
きれい……宝石みたい!
「国民はこれを、一度湯にくぐらせて食べるのだ。湯にくぐらせると透明ではなくなるが、緑が強くなる。生でそのまま食べられるのは、鮮度が保証されている軍の者だけだな」
食べるか?とカーディーンが私の留まっている肩まで貝を持ちあげたので、私はくんくんと匂いを嗅いだ。
森の植物とは違うけれど、確かに植物の匂いがした。一粒口に含むと、口の中でぷつりと弾けるように果汁が飛び出した。
おいしーい!
私がもっさもっさとぷちぴちの感触を味わっている間に、貝の開け方をカーディーンから教わって、リークも初めての生を味わっていた。
貝に口をつけて、中身をすするように口に流し込んでいる。噛んで口の中で弾けるように実が潰れたことに、ちょっとびっくりしながら食べているのが面白い。
カーディーンはたまに自分も貝をすすり、少し残して私に残りをくれながら、周囲を警戒しているようだ。他の部下の人も似たようなことをしているらしい。ご飯を食べながら周囲を見るのって大変そう、と貝の実を食べるのに夢中になっている私は思った。
朝の収穫が恙無く終わり、昼は何度か獣を追い払い、二度ほど戦闘になったけれど、問題なく勝利した。私もちゃんと活躍した。生き物の音を拾ってカーディーン達に伝えるのだ。
隠れる場所のない広く見渡せる砂漠と違って、接近に気付きにくいので背後を狙われやすいのだ。カーディーンはそうやすやすと背中をとられたりはしないけれど、カーディーンの背中は私が守るよ!
もうすぐ夕方になるので、一度国民達を帰す為に門へと戻る。
国民の収穫した籠の中には、沢山の果実や木の枝が、ぎゅうぎゅうになるまで詰め込まれていた。葉は腰に下げた別の袋に束ねて入れているらしい。すごい荷物だ。
珊瑚樹林は木の枝や、葉までもが加工して使うことが出来る様だ。葉の一枚、一枝にいたるまで価値がある。まさに雨の恩恵と呼ぶにふさわしい。
収穫に出ていたすべての国民が、疲労をにじませつつも誇らしげな表情で、互いに籠を見せあいながら話をしている。
そんな国民をしり目に、カーディーン達は砂漠が海に変わるまでのほんのひと時休むと、すぐに亀鯱達を呼んで、今度は収穫の為に海に出なければならない。
先導役として参加しているリークがかなり疲労を滲ませていた。
「……雨が降らない日々に感謝しそうになる日が来るなんて、思ってもみませんでした」
「リョンドも軍に慣れてきたということだ」
表情だけはいつも通りだったけれど、同じく疲労をにじませた声でカーディーンが呟いた。
まだ、夜はこれからなのだ。
亀鯱に乗ったカーディーン達は、またいくつかの塊に別れて珊瑚樹林に向かった。夜も昼の様にばらばらに移動するようだ。
ねぇ、もう先導する必要はないのに、なんでばらばらに行くの?危ないんじゃないの?
私が尋ねると、カーディーンが答える。
「珊瑚樹林のせいで隊列が組めぬのだ。大きな幅の場所に亀鯱を一頭通すことが出来るかどうかと言うほどだ。さらに収穫の為に亀鯱に小舟を繋いでいることを考えれば、少人数で行動した方が動きやすいのだ」
さらに言えば、襲ってくるような大きな生物は、亀鯱同様せいぜい一匹通れるかどうかになるので、少数でも対処が可能らしい。
カーディーン達は手近な木を槍で叩いて実や葉をおとしたり、亀鯱の胴に立って腕を伸ばしたり、気によじ登ったり、様々な方法で収穫していく。
周囲の警戒も怠っていないし、昼間より人数が圧倒的に減るので作業の速度はやや遅いが、着々と小舟に収穫物が積まれてゆく。
夜の収穫の戦力はカーディーン達軍ではなく、漁師の人達だと教えてもらった。彼らは小さな小舟を連結して、櫂一本で蛇のようにくねくねしながら、亀鯱では入れない狭い幅の木々を収穫できるのだと言う。狭い場所は警戒する生き物が減るし、そちらの方が実も沢山あるのだと言う。
それでもカーディーンは自ら率先して収穫に当たっているのだからすごい。カーディーンって王族で王子様なのに、びっくりするほど多芸だよね。
そして意外なことに夜の収穫で活躍しているのがリークだ。お昼の収穫に参加していたことがあるからか、収穫がとても手慣れていて早い。周囲を気にするのはカーディーン達に任せているようなので、速度が段違いだ。するすると木登りして上から収穫していた。お昼の時は、リークは先導側の立場だったので、収穫しても腰の袋の分しか集めることが出来なかった為周囲の警戒をしていたが、今は小舟があるので収穫物をどんどん積み上げていっている。私も負けてられない!
ということで、私も黙々と収穫しているカーディーンに付き合ってお手伝いをしている。カーディーンが腰に下げた袋に葉っぱを詰め込んでゆくのだ。
一枚千切って咥えて飛んで、腰の袋に顔ごとすぼっと葉を入れる。また一枚千切って咥えて飛んで、すぼっと入れる。千切って飛んでずぼ。葉っぱばかりだと面白くないので、実も収穫して入れておいた。あとでおやつに食べよう。葉っぱ、葉っぱ、実、実、葉っぱ、実、実、実……。
……違うよ、これはカーディーンにも分けてあげる分だからね!
一人でそんな言い訳をしながら、ぽいっと咥えていた実を袋に放り込んだ。袋がいっぱいになったので、口の紐をきゅっとひっぱってカーディーンに締めてと催促すると、見もしないで片手できゅっと結んでしまった。器用だね。
私はやり遂げた達成感で、くぴーとひと鳴きした。
…………収穫って疲れる。