小さな冒険のあとの小さな成長
今日も太陽が……眩しすぎる……。
アファルダートは朝と昼は砂漠と太陽が支配する国だ。
一応私は宮殿暮らしなので、王宮には至るところを水が巡り緑を植えてわずかながら涼をとっているけれど、それは宮殿だからこそ叶う贅沢なのだそうだ。
モルシャに森の緑を国中に植えたらいいじゃないと言ったら、街の土は太陽で熱されていて種も種を育てる虫達も、熱くてすぐに弱ってしまうのだそうだ。だから土には栄養と水分がなくて、余計に植物も虫も住めなくなると言う悪循環なのだそうだ。
街にまったく緑がないわけではないのだが、それは過去の人々の様々な努力でなんとか大きく育てることにこぎつけた大切な緑なので、この国には緑や、緑を守り育てる虫を傷つけることは下手をすれば、死罪に当たるほどの大きな罪になるのだと教えてもらった。
なるほど、私が宮殿にどこからか入ってきた虫をちょっとした好奇心で食べてみようと追いかけまわしていたら、鳥司が泣きそうな顔で走って来て「どうかおやめ下さい!」と懇願したのはそういう理由か。たぶん緑を育てる虫もとても大切な存在として扱われているのだろう。だから私達の食事は厳選された木の実を砕いたり花の蜜を絞ったものなのだ。虫が出てきたことはない。実や花もかなり好きだから、無理強いしてまで虫を食べたいわけじゃないし、いいんだけどさ。
そんな話を聞いたので、私はよく宮殿を散策するようになった。守護鳥の巣は遊ぶのに困らないほどとっても広いけれど、どうせなら冒険したいのだ。
大抵はモルシャを伴って散策するのだけれど、モルシャは歩くのがゆっくりなのでつまらない。かといって若い鳥司がついても私が落ち着かない。
そこで私はついてこなくてもいいと鳥司を置いてくることにした。一応モルシャに守護鳥の巣の区画の外には出ないで欲しいと懇願されてしまったので、そこは守るつもりだ。モルシャとしても私がまださほど長距離を飛べないからこそ許してくれたのだと思う。もともと王族と寄り添うように生きる守護鳥は王族を守る魔力や加護、知能が優れている代わりに、野生動物としての運動能力は劣っているのだ。半分飼われている生態系なので段々退化していったと聞く。
なので雛の私がさほどかからずへばって動けなくなると思ったのだろう。私が楽しく宮殿散策をしていると、後ろからさりげなく追いかけてくる鳥司達がちらちらと見えるのだ。
私はちょっとむっとして、むきになって彼らを振り切ろうと全力で飛んだ。
これは私の数少ない兄弟達より誇れる部分なのだが、どうやら私は兄弟達より飛行能力が優れているらしいのだ。
守護鳥として魔力が少ないから、それを補おうと私の野性が頑張ってくれたようだ。私の野性の本能も捨てたものじゃないな!
そうして私の野性が本気を出した結果、見事鳥司を撒くことに成功した。
心地よい達成感と疲労感に満たされたので、少しその場で休憩しようと中庭に出て、手ごろな木の枝にちょこんと座りこんだ。
いつもと見える風景も少し違うし、見たことのない花や実がついた木、虫。廊下に並ぶ調度品など、見て楽しいものがたくさんあった。
それらを見たり、時には触れてみたりしながらそのまま少しゆっくりして、さぁ戻ろうかと思い来た道を引き返した。
引き返している途中でハッと気がついた。
ここ守護鳥の巣の区画外だ……。
モルシャとの約束を破ってしまった!
私は慌てて早く帰ろうと宮殿の廊下を飛んでいく。大丈夫、来た道はちゃんと覚えている。
そうしてしばらく廊下をひたすら飛び続けて……引き返している途中で疲れて廊下にちょこんと着陸した。
どうしよう……。もうしんどい。動きたくない。
あまりにも遠くまで来てしまったようで、体力も気力も十分だった行きはよかったのだけれど、帰りの今は疲れてしまってもう飛びたくない。
仕方ないので宮殿の廊下をぴょんぴょんと跳ぶようにして移動する。けれど遅いししんどい。
私の足は歩くためではなく何かにつかまることの方が得意なので、歩みは遅々として進まない。宮殿の廊下が長く感じる。
誰かー!疲れて動けないよー!迎えに来てー!
私は廊下の真ん中で立ちつくし、鳥司が近くに来てくれていないかと声をあげてピーピーと鳴いてみた。
しばらくすると、廊下の向こうから足音が聞こえた。
「誰かいるのか?」
廊下の曲がり角から一人の人間が、上半身だけをのぞかせるようにして私のいる廊下を見ていた。
私はここにいるよと鳴きながら、羽を広げて自分の存在をアピールした。廊下は真っ白だから、砂色の私は目立つだろう。
今だけは、兄弟達と同じ白色じゃなくて良かったと少し思った。
廊下を見ていた人の視線が私にとまり、少し早歩きで私の元まで来てくれた。屈んで掬うように私をそっと持ちあげた。私は大人しくその手のひらに乗る。
「見たことない小鳥だな。お前はどこから来たんだ?」
私をまじまじと見降ろすのは、太陽の様にきらきらと輝く銀の髪と色の白い肌を持った青年だった。
美形が好きな兄弟の中でも、とりわけ美形に煩い月の一の兄の世話係が世話係の中では一番美しいと言うのが、私達兄弟の中では共通の認識なのだけれど、この男はその世話係よりも美しい気がする。
私はお前じゃない!この国の守護鳥なんだから!
私がむぅっと頬を膨らませて主張すると、青年はちょっと笑って私の膨れた頬を指でつついた。
つつくんじゃない!私怒ってるんだからねっ!
「あぁ、ごめんな。それでお前、なんでこんなところにいるんだ?」
飛ぶの疲れて動けなくなったの。
「お前どうみても雛だもんな。あまり遠くにいっちゃだめだぞ。親鳥はどこにいるんだ?帰る場所はわかるのか?」
この人私が守護鳥だというのを信じていないな。確かに壁画に残る守護鳥はみんな白いからね。私のこと野鳥だと思ってるんだ、きっと。
まぁいいや。帰り道は知ってるからちょっと運んでほしいの。
「何がいいんだ。……俺も用事があるんだが、仕方ない。あんまり遠くにはいけないからな?俺が勝手に入ってはいけない場所とかあるんだからな」
大丈夫。途中まででいいから。
たぶん巣の区画には入ってはいけないと思う。この人は鳥司のみんなと同じ服着てないし。
青年は私を手の平にのせたまま、私の指示に従って巣の区画に向かってくれた。宮殿の奥に向かうにつれて、何度も青年が本当にこっちであっているのかと確認してきたけれど、私は絶対こっちであっている!と主張して巣の方に向かってもらった。
後、角を三つ曲がって大きな庭を抜けると巣に到着すると言うところで、私は青年にここでいいと言った。
ありがとう。ここまできたらもう一人で帰れるから平気。
「そうか。ならよかった。正直これ以上先に進めと言われたら断っていたところだ」
俺の身分ではこんなところまでくるのはかなり怖いんだ。と青年は困ったように笑って言った。
もしかして……怒られる?
「いや、ここまでならたぶん大丈夫だ。もし衛兵に会ったら迷子になりましたって言えば許してくれるさ。俺はまだ新人だしな」
へぇーもし怒られたら私に言ってね。私が怒らないでって偉い人に言ってあげる!
私は守護鳥なので、その気になれば王様に怒らないでって言えるんじゃないかと思い、私は胸を張って青年に言った。
「はいはい。貸しひとつな。その時はよろしく頼むよ。じゃあな、小鳥」
青年は本気にしていないようで、私にひとつ貸しを作って手を振りその場を去った。
私は青年が去るのを少しだけ眺めた後、ひょこひょこと巣に戻った。
困り顔のモルシャや他の鳥司達にとても心配されてお説教されてしまった。モルシャは私を怒らなかったけれど、約束を破ってしまってモルシャを悲しませたことが何より堪えたので、ごめんなさいと謝った。
道中何かございませんでしたか、とモルシャに尋ねられたので、親切な青年が私を見つけてここまで運んでくれたのだと話をした。
兄弟達も私の小さな脱走劇に興味を示して一緒に話を聞いていたのだが、私が月の一の兄の世話係よりも綺麗な人だったと話すと、兄は自分の世話係の方が綺麗だと言って私とケンカになった。
自分の世話係の方が、あの青年の方が、世話係は喋れるし気が利く、青年も私の話を聞いてくれたし優しかった、とぴーぴーぎゃーぎゃー騒いでいると、モルシャがなだめるように割って入ってその場を収めてくれた。
私がモルシャに本当だもんと力説すると、モルシャはほっほっほ、と笑って信じてくれた。
「砂様がおっしゃるのでしたらきっと綺麗な青年なのでしょうねぇ。わたくしも会ってみとうございます」
と言ってくれたので、私は満足して本日も砂風呂を堪能した。
疲れた全身を丁寧に砂で洗われて、マッサージしてもらった後は兄弟達と籠で就寝だ。月の一の兄とは一番離れたところに陣取って、他の兄弟にくっついた。
就寝の挨拶の前にモルシャが、あと一月たつといよいよ王族との顔合わせがあるのだと教えてくれた。
加護を与える王族を選んだら、王族の部屋に移り住むのでもう兄弟達と一緒にはいられなくなる。全ての行動を加護を与える王族に合わせるからだ。
そう考えるとご兄弟でこうやってひとつの籠で眠るのも、今のほんのひと時だけなのですよ、とモルシャは言った。
私はその言葉を聞いて、月の一の兄をちらりと見た。あと一月で離れ離れになってこうやってくっつくこともなくなるのに、兄とケンカしたままお別れするのは嫌だな……と思った。
すると、少しむすっとしたような顔で、月の一の兄が私のそばにもぞもぞと移動してきた。
私はちょっとだけ頬を膨らませた。月の一の兄も同じように小さく頬を膨らませた後、もぞもぞと居心地悪そうに羽を閉じたり開いたりしている。
少しだけ頬の膨らみを保ったまま、私がおずおずとそばに寄りそうと、月の一の兄は私の額に自分の額をぐりぐりと擦りつけてきた。月の一の兄より小柄な私はそれを真似しようとしたけれど、兄は私よりずっと大きいので仕方なくお腹のあたりにぐりぐりと額を擦りつけた。もう私の頬も月の一の兄の頬も膨らんではいなかった。
一緒に寝るぞ。
うん、寝る。
そう言って他の兄弟達も一緒に、月の一の兄と私はぴったり寄り添って目を閉じた。
それを見ていたモルシャが無言で柔らかく目を細めて、就寝の挨拶をしてくれた。
その日はみんなで一緒に砂漠を飛んでいる夢を見た。とても楽しかったから、朝起きたらみんなに話してみようかな。
同じ夢を見ているといいなと思った。