スーハとスーハの事情
ねぇ『渡し』の一族って何?
カーディーンはスーハと向き合っていたので、私はリークの肩に留まって尋ねた。
「『渡し』は船で砂漠を移動し、人や荷物を運ぶことを生業とした一族だ。彼女の様に褐色の肌と薄い髪の色、頬に白い紋様があるのが特徴だな」
船ならアファルダートの人なら出してたし、昼間の商人も砂漠を渡っていたよ。彼らとは違うの?
「違う。渡しの一族は、夜の砂漠を自由に移動することに長けているんだ。夜軍のカーディーン様達よりも夜の砂漠に関しては、ずっと詳しいんだ。そして彼らは砂漠の上に暮らしているんだ」
え?でも砂漠は昼も夜も人が住むことは出来ないよ?
「その通りだ。だが渡しの一族は住んでいるらしい。現にアファルダートにもやってくることはあっても定住することはない。ふらりと砂漠に帰っていってしまうんだ。そして彼らがどこで生活しているのか決して話そうとしないし、ついて行こうとしても彼らの方が砂漠ではずっと上手だから、途中で巻かれてしまってわからないんだ。一族の秘密らしい」
へぇー、じゃあアファルダートの民ではないの?
「いや、彼らも一応アファルダートの民ではある。砂漠の上とはいえ、彼らが住んでる場所はアファルダートだからな。それに彼らも馴染みは薄いが王家には一定以上の敬意を払っているし、月と守護鳥には感謝と敬意を示している」
なるほどな、と思いながらリークの話を聞いて、スーハの声に耳を傾けた。
「私は今夜一人の客を乗せていた。急いで隣国に渡りたいと言ったので断ろうかと思ったが、前金でなかなかの金を提示してきたので乗せてやった。ところが出発段階になって他に荷物があると言いだした。その時点で断ろうかと思ったが、男がどうしてもとうるさかったし金を釣り上げてきたのでしぶしぶ乗せた。荷物はあまりにも大きかったので、一回り小さな小舟を用意しなければならなかった」
スーハはその時のことを思い出すかのように、杖を握りしめて苦々しい顔をしている。
「途中までは順調だった。今宵は月も出ていて明るい。男はしきりに周囲を警戒していて妙だなと思ったが、周りには漁をする小舟の灯りが見えるほど砂も穏やかで、周囲に危険など迫っていなかったので特に気にしなかった。
途中大蛇の巣穴がある場所に来たので迂回しようとした。すると男が急ぐのに遠回りするなと怒りだした。事情を説明して危険だと告げても聞かなかった。とにかく急げと迫られて、波も穏やかだし大蛇は砂の下深くにいると判断して、上を急いで通り過ぎるだけならおそらく大丈夫だろうと踏んで、警戒しながら急いで大蛇の巣穴の上を通った」
スーハはここで一度、言葉を切った。
「そして巣穴の上を通過して、後はなるべく遠くに離れるだけとなったところで、海砂から大蛇が姿を現した。私はとにかく大蛇の攻撃を避けながら逃げに徹した。大蛇は巣穴からはさほど離れない生き物だ。けれどどれだけ距離を取ろうと大蛇は追いかけてきた。何故だと訝しんでいると、男が荷物の中から抱えるほど大きな物を一つ取り出して、半狂乱でそれを抱きかかえて縮こまっていた。不審に思って奪い取ってみると…………大蛇の、卵だった。男は密輸品の運び屋だったんだ」
大蛇の卵、という言葉でカーディーンや周りにいた部下の人達の表情が変わった。
「大蛇の卵を奪った……だと?アファルダートの法を知らぬのか。大蛇の卵を奪うことは重罪だぞ。卵を奪われ怒り狂った大蛇は目についた全てを喰い殺す」
カーディーンが怒りを静かに押し殺した声で告げた。
ねぇ、大蛇の卵ってどうやって奪うの?
同じように怒りに震えているリークにそっと聞いた。
「大蛇は海砂の中に住んでいるが、卵は岩の上に産みつける。夜は岩に巻きつくようにして卵を守っているが、昼間は卵が無防備だ。野生生物で卵を奪うようなものはいない。そもそも昼の生き物には卵の殻が硬過ぎて歯が立たないからな」
そうやって卵を守るために地上に出てくるから、大蛇の巣穴を知ることが出来るのだと言う。大蛇の卵への執念は恐ろしい。大蛇の卵を奪おうとする者は、愚かな人間しかいないのだと言う。
そして卵を奪われた大蛇が怒り狂う。すると普段は深い深い海砂の底にいて、知らずに巣穴の上をとおってもお腹が減っていない限りは人間を襲ったりしない大蛇が、近寄る生物皆喰い殺すので『砂色の蛇には触れてはならない』という箴言が生まれたぐらいなのだ。
スーハはごくりと、一度唾を飲み込んでから話を続けた。
「…………私はその男に卵を捨てるように言った。荷物と卵を捨てて、大蛇の気がそれた内に逃げ出す奇跡に賭けようとした。しかし男は卵を手放さなかった。大蛇が迫り、私は荷物を乗せた小舟を切り捨てた。どうせ荷物の中身もろくなものではないだろう。男が荷物に気を取られた隙に、抱えている卵も奪おうとした。
しかし男がそれに気づいて小舟の上でもみ合いになった。男の方が力が強くて、私は海砂の上に投げ出された。私はすぐに砂走りに助けられて、切り離した荷物を乗せた小舟に移った。荷物を砂海に捨てた所で男が小舟ごと大蛇にのみ込まれた」
感情を殺したような声で、スーハは淡々と続けた。
「私は男が喰われているうちに急いでその場を離れた。だが、大蛇は私を喰い殺さんと追ってきた。そして私は必死に大蛇から逃れていた。……そこであなた達に出会った」
スーハはそこまで話し終えると静かになった。静かに、カーディーンの言葉を待っているようでもあった。
「お前の話をすべて信じるわけにはいかぬ。共犯者である可能性も捨てられぬのでな」
「違うっ!私は砂漠の教えに背くようなことなどしない!!」
スーハが反論するが、カーディーンの静かな声音はそれを許さなかった。
「お前はその男の依頼を断るべきであった。己の未熟さが招いた結果だ。共に来い。お前の身柄は軍預かりとなる」
スーハは俯いて、悔しそうに唇を噛みながら言った。
「…………一度、我らの里に戻らせてほしい」
「ならぬ」
「な、なんで!仲間が心配する……」
「逃亡の恐れがある」
「そんなことしないっ!」
「信用できぬ。お前の月に祈る心に陰りなければ数日で帰ることが出来るだろう」
それとも我らを連れて里に帰る気か、とカーディーンが淡々と問い詰める。スーハはぐっと言葉を飲み込んだ。
カーディーンにやたらと反論する様子を見ていて思ったことがある。
気丈にカーディーンを睨んで言葉を探している瞳。少し震える握った拳。カーディーンの義妹のイリーンよりももう少し年上だろうと感じた。リークとイリーンの間くらいかな?
スーハって子供?
「子供だろうな」
リークが私に言った言葉に、スーハがぴくりと反応した。
「私は子供じゃない!もう一人で夜の砂漠を案内している立派な渡しの大人だっ!!」
「ならば大人の渡しの一族として責任を果たせ」
不機嫌もあらわに叫んだスーハの言葉尻を捉えて、カーディーンが話をまとめた。スーハは何も言えなくなって、俯いた。
ねぇ、スーハ。あの狼みたいな生き物は何?
スーハは部下の一人が監視についた状態で、一緒に宮殿まで向かうことになった。その気になれば取り押さえることが容易だからであろう。スーハは自分の小舟で移動することを許された。
私が尋ねると、スーハは小舟を率いている狼達を柔らかな目で見つめながら答えた。
「この子たちは砂走りだ。名の通り海砂の上を走るように渡ることが出来るんだ。私の大切な相棒達だよ」
大蛇の襲撃で、初めに乗っていた小舟を曳いていた砂走り達が数十頭死んでしまったと、悲しそうに言っていた。とても沢山の群れを作る生き物で、とっても賢いんだと教えてくれた。亀鯱は砂走りを食べるらしく、先ほどからふたつの生物の間にはじりじりとした静かな緊張感が漂っていた。
すると頭上を飛んでいた猛禽が抗議するかのようにけーんと鳴いた。
「忘れてないさ、お前も大切な相棒だよ。あの猛禽は私に方角や生き物の気配を教えてくれるんだ」
猛禽の機嫌を取るように頭上に笑いかけた後、猛禽の説明もしてくれた。やめてほしい。あんまりお近づきになりたくないのだ。……怖いから。
説明を終えた後、スーハはカーディーンの頭の上に乗っている私を見て言った。
「さっきから気になっていたんだが、その砂色は渡り鳥なのか?その鳥も方向を教えてもらうために飼っているのか?」
その失礼な内容に私がくぴーっと威嚇して頬を膨らませたが、頭上からのけーんという鳴き声に震えが走りカーディーンの肩に移動した。頭上から狙われそうだから、肩の方がまだ安全な気がする。首元に逃げ込みやすいし。
私が憤慨したりおびえたりと忙しく頬を膨らませていると、カーディーンが静かにスーハの言葉を訂正させた。
「カティアは私を守ってくれる守護者だ。渡り鳥でもなければ飼育しているわけでもない。彼女に無礼な口を聞くな」
スーハは静かに怖いカーディーンが苦手なようだ。ちょっと首をすくめて頷いた。
「守護鳥様にあやかっているのか。……なんにせよカティア、だったか、ごめんな。きっと私も、相棒達を誰かに飼育していると言われたら嫌かもしれない」
あやかるっていうかまぎれもなく守護鳥なんだけどね。
相変わらず砂色のせいで認識してもらえない。カーディーンは仕事中の身分は王族ではなく将軍であることを優先するので、私が守護鳥とばれない方がいいのだろう。リークも私の通訳と言うよりは、リーク自身が尋ねているようにしゃべっている。
私の不貞腐れた表情をどうとらえたのかは分からないが、スーハは猛禽を呼んで腕に留めた。
大きい……体も爪もくちばしも、何もかもが大きかった。硬そうな皮を腕に巻いていなければ、スーハの腕が爪でずたずたになってしまいそうだ。
「軍の偉い方だし必要ないかもしれないと思ったけれど、カティアが大切ならば夜の砂漠には連れてこない方がいいって言いたかったんだ」
「そんなことは元より知っての上だ」
「そ、そうだよな……すまなかった」
なんで夜の砂漠に私が来ちゃだめなの?
私の代わりにリークが聞くと、スーハはちょっと弾んだ声音でリークに教えてくれた。
「『夜の砂漠を渡るならば、食らう側の獣をともにせよ』って言う言葉があるんだ。夜の砂漠で肉食の生き物に狙われたら逃げることが困難だ。だから肉食の生き物に狙われにくくするために、食らう側の生き物を連れておく。そうすればその生き物を怖がって余計な危険が近寄ってこない。
逆に昼間ならば食われる側の生き物を連れるのも友好的だ。昼間の食らう側の生き物は体力がないんだ。だから体力のある、もしくは逃げ足の速い食われる側の生き物は心強い。万が一食らう側の生き物に囲まれた時は食われる側の生き物を囮にして逃げればいいというな。昼間は人間も砂の上を歩くことが出来るからな」
スーハがそう言って知識を披露した。リークは半分知っていることだったようだが、それなりに驚いたように頷くふりをしていた。カーディーンや部下の人達はどこか微笑ましげな眼差しすら浮かべてその様子を見ていた。どうやら完全に知っている知識を誇らしげに披露している子供扱いしているようだ。
そしてあまりにも沢山の肉食動物が群れをなしていたからか、その後は特に大きな問題もなく宮殿へと帰って行ったらしい。
私は途中で眠たくなってカーディーンの袋にもぐりこんだので、あんまり覚えていない。