海砂での戦い
高く高く空に舞い上がった私は遠くを見る。
音がする方には動きまわる小さな点の様な影とひとつの灯り、そして大きな細長い影がひとつだ。
カーディーンに見えた光景を伝えると、カーディーンが声を張って部下の人達に言った。
「『渡し』の一族が一人、おそらく大蛇に襲われている!我らは大蛇の討伐に向かう。弓と槍を構えよ!」
強く厳しい声の後に部下の人達の応えが重なり、張り詰めた空気が周囲の温度をさらに冷たくした。
亀鯱も何かを感じ取っているのかほんほんと鳴いている。亀鯱なりの威嚇音かもしれない。私は肉食獣の気配と亀鯱の威嚇音を感じ取って頬を膨らませている。
私はささっとカーディーンの首元にもぐりこんだ。戦闘が始まる時はここが私の定位置だ。
しばらくすると、大きな細長い影にしか見えなかったものが姿を現した。
大きな蛇だった。砂を撒き散らしながら砂の中にもぐったり出たりしている。
そしてそれと対峙しているのは、灯りをくくりつけた小舟に乗った小柄な人間と、その小舟を囲むように動き回っている狼だ。
昼間によく見る灰色の狼とは違い、やや耳が大きくて肌色の様な白色。その白色の体にはこげ茶色の縞模様がある。模様だけならば虎の様だが、顔や尻尾は狼に似ている。
そして何をどうやっているのかはわからないが、ゆらゆら波打つ砂の上に四本の足でしっかりと立っていた。どうやっているのだろう?
船の周りを囲んで威嚇しているが、威嚇しているのが大蛇なので、どうやら小舟の人間の味方の様だ。カーディーン達とトカゲや亀鯱のような関係なのかもしれない。
そしてその頭上を大きく旋回しているのは一羽の鳥だ。大きな体とそれに見合った翼、ギラリとした爪に鋭いくちばしの猛禽だ。
どちらにせよ肉食獣が威嚇し合っているこの場において、私に安息の場などない。頬は限界まで膨らんでいる。
大蛇は砂に潜ってその波で小舟が大きく傾いた。
「加勢する!」
カーディーンが小舟の人間に向かって叫んだ。
小舟の人間が振り返って叫んだ。フードをかぶっていて、夜なので顔がよく見えない。
「大蛇は砂に潜ったところだ!出てくるから気をつけろ!」
小舟の人間が高い声で叫び返した。
ざぶざぶとした砂の音以外は何も聞こえないほど静かに、皆が周囲を警戒している。
すると頭上を飛んでいた猛禽が、ある一か所でばさばさと羽ばたきながら大きくけーんと鳴いた。全員が声の方に注目する。
「あの下から来るぞ!」
小舟の人間が叫び、持っていた奇妙な長い杖を向けた。先端にぶら下がる丸い石がりーんと高い音を出す。
狼達がその周囲で唸り声をあげ、カーディーン達は弓を引き絞っている。
一拍の静寂の後、砂面が大きくたわんで勢いよく大蛇の頭が飛びだした。
がばりと大きく口を開いて獲物を丸飲みにしようと、両の目がぎろりと小舟を睨みつけている。
カーディーン達が一斉に矢を放つ。矢のいくつかが胴に突き刺さり、大蛇の動きが止まった。そこへ狼達が爪や牙で噛みついてゆく。
大蛇はたまらずその身を振って狼達を振り落とす。大蛇が身動きするたびに砂面がたわんで小舟がぐらぐらと動いている。船が未だ転覆していないのは、フードの人間が波の揺れに合わせて器用に重心を移動させているからだ。
私はカーディーンに降り注ぐ砂を魔力の膜で防いでいる。
部下の人達は槍を構えて蛇の胴に近づきすれ違いざまに切りつけている。それは大蛇の体からみれば小さな傷であっても、確実に大蛇に苦痛を与えているようだ。大蛇はしゅるしゅると唸りながらもがき、一番近くの部下の人に襲いかかった。
部下の人はかろうじてその牙を逃れたものの、そのまま砂に潜った余波を間近で受け、亀鯱が跳ね飛ばされた。重そうな亀鯱がほんの少しとはいえ浮くほどの衝撃だ。部下の人は空中に投げだされ、そのまま砂に叩きつけられた。亀鯱も同じように砂面に叩きつけられたがこちらは体重の重さのせいか、叩きつけられた衝撃でぐったりと砂の上に浮いていた。
「グヌハっ!」
部下の人が吹き飛ばされた部下の人を見て叫んだ。
グヌハと呼ばれた部下の人はじたばたと抵抗しているが、みるみる内にその身体が砂にのみ込まれていく。沈む恐怖にあげた悲鳴が耳をつんざくようだった。
その言葉にならない悲鳴は溺れるという行動を知らない私に恐怖を伝染させるに十分だった。溺れたら、上がってこられないのだ。
一番近くにいた部下の人が、すぐにグヌハの元に駆けつけようとしている。しかしずぶずぶと沈むグヌハは既に首まで砂の中で、最後の悲鳴をすら砂に飲まれて消えてしまった。最後に残ったのはグヌハがあがくように砂の中で動いたのだろう、その小さな抵抗が、砂面に小さな波紋として現れた。
あぁ、砂にのまれたら見えないんだ。見つけることも出来ない砂の中で沈む恐怖、そして呼吸が出来ない苦痛、さらにあの大蛇が砂の中にいるのだ。
「グヌハ、グヌハっ!手を取ってくれ!どこだグヌハぁっ!!」
部下の人は砂に手を突っ込んで必死にグヌハの名を呼んでいた。
もうだめか、と思った時、少し離れた場所でざばんと浮上する影があった。
すぐに皆が警戒すると、それは一匹の亀鯱だった。そしてその背中にはぐったりとしたグヌハの姿があった。皆がほっと安堵の息をつく。
「気を抜くな!まだ大蛇はこの下にいる!」
カーディーンがするどく部下の人達を叱咤した。
すると、また猛禽がけーんと鳴いた。その下にはぐったりと気を失ったようなグヌハの亀鯱がいる。
猛禽がひらりと旋回してその場を離れた瞬間、今度こそ先ほどとは比べ物にならない衝撃とともに長い影がグヌハの亀鯱を咥えて頭を月に届くかのように大きく伸ばして姿を現した。大蛇に首の根元を食わえられたグヌハの亀鯱は、空中でぐったりとしたままだ。いや、よくみるとびくびくと震えるようにひきつけを起こしていた。
そのすきをついてまた狼が胴に噛みついて、雨の様な矢が降った。
カーディーンの放った矢のひとつが、大蛇の左目を貫いた。大蛇が先ほどまでとは比べ物にならないほどの抵抗を見せた。暴れる大蛇に吹き飛ばされて狼達がなぎ倒され、小舟の人間が叫ぶような指示で狼達を動かして、また大蛇に立ち向かっていく。
ついに部下の人の槍が大蛇の胴を大きくえぐり取った。のたうちまわる大蛇は動きが鈍くなり、そこにさらなる追撃を加えようとカーディーンや部下の人達が突撃していく。
互いの命を叩きつけるような勢いだった。
どれほどの時間が経ったのだろう。
カーディーンが両の目を潰し、部下の人達が喉をえぐり、狼達がつけた無数の傷から大量の血が流れ、ついに大蛇はぐったりと息を引き取った。
皆がじっとりと汗を掻き、大蛇の最後の呼吸が消えるのを確認した後、カーディーン達は一息つく暇もなく、すばやくその場を離れた。
小舟の人間はカーディーンの隣に船をつけている。なぜかそこにリークが乗っていた。亀鯱の速度によく小舟がついてこられるなと思っていたら、小舟から無数の紐が伸びていて、それをくくりつけた狼達が前を走っていた。狼達が船を走らせているようだ。
カーディーン、どうして逃げるみたいに急いでるの?
「みたいではなく、逃げているのだ。大蛇の流した血で、別の生物がやってくるかもしれない。これ以上の戦いは危険だ」
呼吸をかすかに乱しながら、答えてくれた。
遠く遠く、大蛇の影すら見えなくなったところで、少し低めの岩山に登って休憩をとった。
そこでみんながようやく息を吐いていた。
そして意識を失っていたグヌハの様子を見たり、水を飲んだりして休んでいる者と、警戒を怠らないように周囲を見回している者がいた。
部下の人の一人が、水を飲んでいるカーディーンに近づいてきた。
「カーディーン様、御報告いたします」
「聞こう」
「軽度の負傷者が数名、重傷は一名、死者はおりません。グヌハの亀鯱は既に息絶えておりました」
「グヌハを助けたあの亀鯱は誰のものだ」
「リョンドの亀鯱です。グヌハが投げ出されたときに、自分は小舟に移り、亀鯱に救助の指示を与えた様です」
「……結果としてグヌハが助かったので今回は不問に処す。が、リョンドには自分の亀鯱を手放すようなことをせぬように肝に銘じさせろ」
「畏まりました」
一礼して部下の人は去っていった。
なんで人助けをしたリークが怒られなくちゃいけないんだろうと首をかしげていると、カーディーンが私の仕草で疑問を察してくれたらしい。小さな声で諭すように教えてくれた。
「海の砂漠で己の足場である亀鯱を手放すのは、愚か者のすることだ。これで万が一リョンドの亀鯱に何かあれば、リョンドは宮殿に帰ることが出来なくなってしまう。例えるならばカティアが砂漠で翼を失うことに等しいのだ」
それは大変だ。飛べなくなってしまったらと考えて、私はぶるりと尾羽を震わせた。
カーディーンはそんな私を優しく撫でながら、くるりと後ろを向いて少し歩いた。
カーディーンは、同じように岩山に登ってきて小舟がどこかに流されぬように岩山に楔を打ちつけている小柄な人間の背後に立ち、声をかけた。
「お前は渡しの一族だな。『砂色の蛇には触れてはならない』これは砂漠を渡る者達すべての知る箴言だ。我らにはお前が何故大蛇と争っていたのかを問う義務がある。面を見せよ」
カーディーンの問いを聞いて、小柄な人間がくるりと向き直って立ち上がった。背はカーディーンの半分より少し高いぐらいだ。
ゆっくりした仕草で、ぱさりとフードを取り払った。
零れたのは淡い水色の髪、そしてその下に覗く褐色の肌がある。輝く褐色の頬には白い水の流れを模したような不思議な模様がある。カーディーンをまっすぐ見つめているのは意思の強そうな金色の瞳だった。
手首に布を巻きつけているから女性なのだろう。小柄な人間はゆっくりと言葉を紡いだ。
「私は、渡しの一族のスーハ。スーハ・シャヌゥだ」
スーハと名乗った人間はぐっと杖を握った。杖がりーんと鳴り響いた。