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夜の砂漠と二つの月の光

 私はぞわぞわと背中を這いあがるような不安と闘いながら、じっとカーディーンの頭の上でやってくる黒い影を見つめていた。

 影が全体を認識できるほど近づいてきて、ざばりと砂をかきわけるようにして姿を現した。

 首の長い亀のような印象の生き物だと思った。色は黒に近い灰色と肌色に似た白っぽい色の部分がある。顎の下からお腹にかけてが白っぽく、外側は黒に近い灰色だ。この生き物は海砂の中というよりは砂面ぎりぎりを泳ぐ生き物なので、下から見られるお腹は砂と同化するように、砂上に晒すことが多い背中や顔は、夜にまぎれるように黒に近いと言われていると、カーディーンが教えてくれた。

 胴の部分だろう場所が盛り上がっているのであそこに乗るのだろう。だが亀のように甲羅があるわけではない。こぶと言えば駱駝という生き物は胴の部分が山のように盛り上がっていると聞いたが、どちらかといえば亀の甲羅のようになだらかな山だ。硬くて分厚そうな皮膚は鮫の様にぬらぬらざらざらとしている。

 私で言う翼にあたる部分には硬そうなひれがあり、足はないようだが胴が長く細くすぼんでいきその先端に大きなおひれがついていた。

 長い首をもたげてカーディーンにすり寄っている。砂から首しか出していないのに頭の位置がカーディーンの顔より少し低いくらいの位置にあった。首……ながい。

 長い首の先にある頭は、首の長い鳥に似て丸と楕円の間の様な形をしている。横に倒した花のつぼみにも似ていると思った。すぼんだ花弁の先が鼻だ。頭の真ん中よりも後ろ辺りから後ろに向かって二本の角が生えている。

 私が大きな目だと思った部分はただの丸い模様で、その下に目立たなく小さくあるのが本当の目だと言われた。

 大きな目のように見える模様を可愛いと思うか、少し怖いと思うかで印象が変わる生き物だと思う。だがカーディーンに頭を撫でられて喜ぶように「ほおぉん」と鳴いているのはちょっと親しみがわく。


亀鯱きしゃちという生き物だ。好奇心が強く利口で集団行動することが得意だ。さらに砂面ぎりぎりの浅い部分を泳ぐ生き物なので、人間を乗せて深く潜らず移動することが出来るのだ」


 へぇー。よろしくね、亀鯱。


 仲良くなれるかもしれない、と思って私が少し身を乗り出すようにして挨拶をすると、亀鯱は私に向かってがぱりと口を開けた。

 びっしりとするどい歯が並んでいた。くぴーと鳴いてささっとカーディーンの髪の毛に隠れる。


「……カティア、亀鯱は肉食だ」


 私の本能は間違っていなかったようだ。



 亀鯱との挨拶でひと悶着あったが、とりあえず見回りに向かうと言うことでカーディーン達は亀鯱に乗って海砂にでた。

 私はカーディーンの近くを、亀鯱との速度を合わせるように飛んでいる。亀鯱は頭を砂に沈めて角とカーディーン達を乗せている胴の上部分だけを砂の上に出しつつ泳いでいる。たまに顔をあげたり、あげたまましばらく泳いだりしているのは何か理由があるのだろうか。

 そして一緒に飛んでいて気付いたのだが、亀鯱の方がトカゲよりも速度が速い様だ。

 トカゲと並行して飛ぶとちょっとゆっくりだから、景色を楽しむことが出来るけれど、亀鯱と一緒だと風を感じることが出来て楽しい。翼に冷たい夜風を切る感覚を覚えると、私は今夜の空を飛んでいるのだと実感できた。

 あとカーディーン達の足元がつるつるな理由が分かった。あそこは海砂に浸かってしまう部分だからつるつるだったんだ。


 それにしても夜の砂漠って不思議。地面が動いてるから今どこにいるのかがわかりにくいね。


「そうだ。昼の砂漠よりも夜の砂漠の方がずっと渡るのが難しいのだ。砂の中には生き物が泳いでいるし、目印も大きな岩山くらいしかない。普通の者がこの砂漠に出ようとすれば手段は船になる。そうすると大きな波で転覆する可能性もある」


 夜の砂漠って怖いね。


「そうだな。だが怖いばかりではないぞ」


 カーディーンがそう言った時、遠くにほのかな灯りが見えた。


 あれ?カーディーン、向こうで何か光ってるよ?


 間隔はまばらだがひとつやふたつではない、いくつもの光がちらちらと見えた。


「あれは夜の砂漠の名物のひとつだな」


 カーディーンがそう言った。

 近くまでくると、その光の正体がわかった。

 海砂の上に浮かぶ小舟の灯り魚の光だった。


「彼らはアファルダートの漁師だな。夜の砂漠が彼らの仕事の場だ。海砂の下を泳ぐ魚を獲っているんだ」


 近くの小舟のおじさんが砂からさばりと網を引き上げた。

 すると網からざらざらと砂がこぼれてゆき、網の中にはびちびちと跳ねる魚が残った。


 へぇー、お魚ってあぁやって獲るんだね。


 あとでカーディーンに教えてもらったのだが、漁師の人達も砂漠では必ず集団行動をとるらしい。砂漠に一人で挑むのは自殺行為なのだそうだ。

 そしてもし何かの理由ではぐれてしまった小舟がいたりしたら、船の集団まで連れて行ってあげるのも夜軍のお仕事のひとつらしい。


 そういえば今ってどこに向かってるの?


「今は麦の木林に向かっている。麦の木林は昼と夜の二度見回りしなければならないのだ」


 カーディーンはそう言いながら、迷いなく亀鯱を泳がせている。


 ねぇねぇ、カーディーン達はどうやって自分の居場所を把握しているの?


「ひたすら地図上のどこに自分がいるかを把握し続けることだな。軍の者は皆地図と目印を頭に叩き込んでいる。そしてたえず目印を確認しながら方向を修正しているんだ」


 じゃあ自分のいる場所がわからなくなったら迷子になっちゃうんだね。


「そうだ。だから集団で行動し、常に状況の把握に努めているのだ。あとは簡単な位置を知る方法として、灯り魚を海砂に逃がせばいい」


 逃がすとどうなるの?


「灯り魚は海砂では生きることが出来ないので、すぐに死んでしまう。だが死ぬまでのほんの一瞬だけ、なぜだかきちんと宮殿の方角に向かって泳ぐのだ。つまり灯り魚が泳ぐ方向に宮殿がある」


 灯り魚ってすごいんだね。


「しかしこの方法は、同時に自分の灯りを手放す方法でもある。夜の砂漠で灯りを失うことは心に大きく恐怖をもたらす。そして持ち運びの器に入れられる灯り魚は多くない。寿命の短い灯り魚がいつ死ぬかもわからないので複数匹入れているのだ。その中の一匹とはいえ方角を確認するために手放すことは、よほど切羽詰まった状況でなければ出来ない手段だろうな。普通なら、灯りで自分の居場所を知らせつつ、我ら見回りの軍に助けられることを考えるだろう」


 しかし、そもそも夜の砂漠に出る者は少ないし、それらの人間は皆夜の砂漠の恐ろしさをよくわかっているから、よほどのことがなければ集団から離れることなどないだろう、とカーディーンは言った。

 そんな話を聞きながら、麦の木林へと向かう。私は途中からカーディーンの頭に乗って休憩している。亀鯱の頭の上には絶対に乗らない。

 私が頭の上に乗るのはカーディーンとトカゲだけだからね!

 そんなことを考えていると、カーディーンが「そろそろ麦の木林が見えてくる頃だ」と教えてくれた。

 けど、こんな真っ暗じゃ麦の木がいくら大きくても、遠くから見えないんじゃないだろうかと考えていると、遠くに白い何かが見えた。

 ん?と思って見ていると、真っ暗な場所に白い絨毯の様な光があった。今度は灯り魚のような太陽に似た色の光ではなく、どちらかと言えばクラゲに似た、白っぽい光だ。


 カーディーン、あそこに光る絨毯があるよ?


 その絨毯から生えている黒い影がおそらく麦の木だろう。だが、麦の木の周りは砂しかなくて、あんな白い絨毯などなかったはずだ。一体だれが敷いたのだろう。

 私が首をかしげて考えていると、カーディーンが少し楽しそうな口調で言った。


「たしかに光の絨毯のようだが、あれは絨毯ではないぞ。カティアの良く知る大好きなものだ」


 私の良く知る大好きなもの……?


 その答えは風が教えてくれた。

 冷たい夜風が私に芳しい香りを運んできた。


 これ……ムーンローズだ!!


「その通りだ」


 麦の木に近づくにつれてムーンローズの香りがどんどん強くなっていった。

 しかも一輪や二輪ではない。数え切れないほど沢山、ムーンローズの香りが溢れている。

 そしてようやく私は白い絨毯の正体がわかった。

 麦の木の周りに絨毯の様に咲き誇っているのはムーンローズだ。しかもその青白い花弁からは月の光に似た白い光が零れている。

 零れるように光を湛えたムーンローズが麦の木の周りに広がって、その光で麦の木の幹や枝がうっすら照らされていた。波もこの一帯だけは穏やかでほとんど揺れていなかった。

 昼の輝く太陽の光と青い空の下の生命力にあふれた姿とは全く異なる、真っ暗な夜と輝く星の下に現れたムーンローズの水盤から零れるような光の絨毯と、空に大きく浮かんだ白い月が紡ぐ輝く銀糸の様な光。ふたつの白い輝きに照らされた麦の木の姿は影のように浮かび上がり、とても神秘的で幻想的な光景だった。


 カーディーン、このムーンローズ光ってるよ!?


「ムーンローズは光る花だ。厳密にはカティアも好きなあの花蜜が光っている」


 その言葉を受けて、私はぱたぱたとムーンローズの絨毯に飛んで行った。

 大きな花のひとつに留まって花弁を覗き込むと、確かに青白く光っているのはたっぷりと満たされた花蜜だ。

 顔を突っ込んで飲んでみる。うん、いつもと同じ……いや、いつもよりずっと美味しい花蜜だ。ただ口の中に入れた瞬間に光らなくなった。

 遅れてやってきたカーディーンがぷつんと音を立ててムーンローズを手折った。すると、ほんの数秒で花蜜が光らなくなってしまった。


「この光はムーンローズが根を張り、砂漠で咲き続けている時しか見ることが出来ないのだ。そしてムーンローズは群生する花だ。その光は砂漠において目印であり、闇を照らす心の支えであり、そしてこのムーンローズが群生している場所は波が穏やかだ。この花は麦の木と砂漠の渡り人を守る守り花と言われている。私がこの花を好きな理由だ」


 なるほど、ムーンローズってすごい花だったんだね。


 幻想的な光景の中、私はカーディーンの話を聞きながら、もっしゃもっしゃと心ゆくまでムーンローズを食べていた。


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