リョンドの心と咲かずの想い
次の日、カーディーンを門のところでマフディル達と共に見送った私は、カーディーンの宮に戻ってきた。
昨日、カーディーンがお庭で遊んでいいって言っていたの。何もないから私の好きなようにしていいんだって。だから今日はお花の種を植えるんだ。だからお庭に行きたい。
「畏まりました。それでは庭園に参りましょう」
私はリョンドに連れられて、カーディーンの宮の庭園に向かった。
私は庭園で土のよさそうな場所を探して歩き回り、気に入った場所が見つかるとそこに立ってリョンドに言った。
ここ!ここの土がいい感じだと思うから、ここにお花の種を植えたい!
「……庭園のど真ん中ですが、本当にそちらに花を植えるのですか?」
リョンドが少し困惑したように言った。いいんじゃないかな?人ってお庭の端にお花を植えるのが好きだけれど、ここの方が土もよさそうだし、お花だって端っこに咲くより真ん中に咲く方が、色んな人の目に留まっていいと思う。私がお腹すいたときに、お花の存在がよくわかる場所にあれば、食べごろを把握しやすいし。
気を利かせたモルシャがリョンドに花の種の入った袋を預けると、カーディーンの従者を連れて宮の中に戻って行った。二人きりにしてくれたのだ。リョンドは受け取った袋の中の種を見て、鋭く目を細めてから何事もなかったかのように、そっと袋の口を閉じた。
リョンドはしゃがみ込むと、無言で私が選んだ場所の土を掘っている。私はちょこちょこでてくる小石を咥えて運んでどけた。お手伝い!
土を掘るリョンドに、私は尋ねた。
リョンド、リョンドはどうして怒っているの?
「…………答えたくありません」
リョンドは私に視線を合わせないように土を掘りながら答えた。
なんで?
「カティア様に私の気持ちをお伝えしたところで、何がどうなるわけでもありませんから」
私がリョンドに嫌なことをしたの?
「カティア様が私に与えて下さることで嫌などと言うことはございません」
でもリョンドは嫌なことがあったから怒ってるんでしょ?なら私が悪いなら謝らなければいけないと思うの。でないと仲直りが出来ないから。
「仲直り?」
リョンドがようやく私に視線を合わせた。
私、リョンドと仲直りしたいの。また前みたいに笑ってほしいから。
その言葉を聞いたリョンドは少しだけ唇をかんだ。くしゃりと歪んだ表情は困惑と、小さな怒りが浮かんでいた。
私がじっとリョンドの言葉を待つと、リョンドは観念したように小さく息をこぼしながら告げた。
「カティア様は……鳥司になる者達のことをどこまでご存知でしょうか」
鳥司?私は小首をかしげながら答える。
私達守護鳥のお世話係の人だよね?私達とおしゃべりが出来る人達のことだよ。
「では、鳥司はどうやって選ばれるかご存知ですか?」
私が知らないと言うと、リョンドが教えてくれた。
アファルダートの人々は、生まれた時と生まれてから六年たった時に、鳥司となれる能力があるかどうかを、全ての国民が必ず確かめなければならないらしい。
そして鳥司となれる能力のある人間は、生まれに関係なく鳥司とならなければならないのだ。
鳥司は国鳥に仕える特殊なお仕事で、名誉ある仕事なので鳥司に選ばれることは喜ばしいことなのだと言う。
じゃあモルシャやリョンドが私とおしゃべりできるのは、その鳥司に必要な能力があるからなんだね。
「左様でございます。……そして私が本来なりたかったのは、鳥司ではなかったのです」
なりたくないって言った。言ってはいないけれど、リョンドは確かに鳥司になどなりたくなかったのだと言った。
ここが大切なことなのだとわかった。尾羽のぴりぴりした感じでわかる。
リョンド、丁寧な言葉なんか使わないで。あの時の様に、リョンド自身の言葉でしゃべって。お願い。
「ですが私は鳥司で、カティア様は仕えるべき守護鳥様です」
今関係ないの!
「関係はございます」
もうっ!いいから、あの迷子の時みたいにしゃべって!じゃないとなんか駄目な気がするの!
私がくぴーくぴーと鳴きながら地団太踏むように催促すると、リョンドは少し戸惑ったものの、私の願いを汲んで小さく了承して話し始めた。
「俺は……クォンバーツ家の……不義の子供だった」
クォンバーツ家と言うのがなんの家かは知らないけれど、不義の子と言うのが番いの相手以外との間にできた子供だと言うことは私にもわかる。
そして、この国では複数の女性と番うことは許されていない。例外は血を絶やすことが許されない国王だけだ。
つまりリョンドは、番っちゃだめな相手との間に出来た子供だと言うことだ。
「母親は俺の存在をひたすらに隠した。己の罪の証だからだ。だから俺は、必ず受けなければならない鳥司の見極めを受けなかった。母親が俺の存在を公にすることを拒んだからだ」
リョンド曰く、鳥司の確認はそのまま国民の人数などの把握にも繋がっているのだと言う。
つまりその見極めを受けなかったリョンドは、存在しなかった子供だったのだ。
「けれど母が死に、生活が苦しくなってどうしようもなくなったある日、亡くなる前の母が言っていた父の屋敷を訪ねたことがあった。その時は使用人になるために屋敷を尋ねたのだが、すぐに父に自分の息子だと言われた」
リョンドが母似の容姿と父似の髪と瞳の色だったから、すぐにわかったらしいと言っていた。
父は母に似て美しい容姿のリョンドを、息子として手元に置きたがった。けれど奥方がそれを許さなかった。
「奥方様は母と俺を断罪する権利を持っていたのに、俺にきつく当たることはあっても断罪はなさらなかった。家の体面のためなのか、子供自身に罪はないと言う気持ちがどこかにあったのか……俺は今でもわからないままだ……。まぁそうして、俺は奥方様とはうまくはいかなかったが、奥方様の息子でクォンバーツ家の跡取りであるクーフェイ兄上とは仲が良かったんだ」
『お前、もしよかったらさ……俺の弟にならないか?』
クーフェイはリョンドを初めて見た時、そう言った。
リョンドが頷くと、クーフェイは弟が出来たと喜んで、リョンドをあちらこちらに連れまわしては、色んな事を教えてくれたらしい。
それまでひっそりと隠されるように小さな世界で育てられてきたリョンドにとって、クーフェイが見せてくれること、教えてくれることのすべてが新鮮で、初めて子供らしく無邪気に遊んで過ごせた時間だったそうだ。
クーフェイも、純粋に自分を慕って後をついてくるリョンドを、実の兄弟のように可愛がった。
リョンドは表向き、使用人からクォンバーツの家に養子にとられたことになった。
「俺はリョンド・セイニ・クォンバーツを名乗ることを許された。…………嬉しかった。兄と同じ家の名を名乗り、兄の弟となれたことが、とても……とても」
リョンドはそう言って遠くを見つめて小さく笑った。とても、誇らしそうな笑顔だった。
奥方が元気な間は肩身の狭い思いをしたけれど、クーフェイが矢面に立ちかばってくれたらしい。奥方が家を切り盛り出来ないほど衰え臥せっていることが多くなると、リョンドの自由が少し増えたそうだ。自由が増えたリョンドは、勉強をして文官を志した。
新しいことを覚えて兄に報告すると「俺の弟はすごいな!」と褒めてくれたのが嬉しかったのだ。
奥方はリョンドが家を乗っ取ろうとしているのではと疑って、リョンドが文官になるのを邪魔しようとしたけれど、それを阻止して文官になることを手助けしてくれたのは、他でもないクーフェイだった。
「表向きの理由や俺の立場なんて俺にはどうでもよくて、俺はただ兄の為に生きようと思っていた。その手段が俺にとっては文官だった。俺は文官になりたかった」
リョンドの兄はからっとした太陽の様な性格で、難しいことをたくさん考えるのは少し苦手だったらしい。そしてリョンドは難しいことを考えるのが苦ではなかった。
だから、リョンドは兄の為に難しいことをたくさん勉強して、兄の為に役に立ちたかったのだと言う。
「俺はようやく文官になった。兄も自分のことのように喜んでくれた。
これからだったんだ。
跡取りの兄を支える為の力をつけていく矢先だった。そこで……迷子の小鳥と出会った」
私のことだ。
自分の尾羽が下を向いたのがわかった。
「俺は昔から、生き物の感情を何となく読み取れる力があった。知能の高い生き物は幼子の様な、つたない言葉を伝えてくることもあった。けれどそんな話をしたって周りから白い目で見られるだけだったから、ずっと心に秘めていた。初めてそのことを打ち明けた母が、怯えたような顔で自分を見たことが強く印象に残っていて、自然と誰にも言わないようになったのだと言う。
初めてその小鳥の声を聞いた時は少し驚いた。幼い子供のようだったけれど、きちんと会話が出来るほど、はっきり生き物の言葉がわかったのは初めてだった。迷子の小鳥は自分のことを守護鳥だと言っていた。色が全く違うから、俺はそれを可愛らしい誇張だと笑って相手にしなかった。小鳥を望む場所まで送って別れた」
翌日、慣れない仕事に四苦八苦しているリョンドの所に、鳥司がやってきたらしい。
その鳥司達に連れて行かれたのが守護鳥の巣だった。そしてそこで生まれて初めて見極めを受けたリョンドには、確かに鳥司となる能力があったのだと言う。それも、普通の鳥司よりよほど強い能力だった。
リョンドはそのまま鳥司となることを余儀なくされた。
それはクォンバーツ家との、クーフェイとの別れを意味していた。
「鳥司となる者は身分に左右されない。つまり身分を捨てなければならないのだ。…………俺はクォンバーツの名前を捨てなくてはならなかった」
兄弟の証を奪われたのだ、とリョンドは言った。
とても、とてもさみしそうだった。
「行き場のなくなったこの感情を、俺は仕えるべき主にぶつけた。何も知らない小鳥の主に……。自分より幼い主相手に、俺は八つ当たりをした。従者としても、人としても褒められた行為ではない。…………一体何をやっているんだろうな、俺は」
私は土で汚れたリョンドの手に、自分の額をぐりぐりと押し付けながら、リョンドに謝った。
ごめんね。私がリョンドのことをみんなにお話したからなんだよね?私がリョンドとお話したことを言わなければ、リョンドは文官でいられたんだよね……。
「どうか謝らないでください。鳥司にとって守護鳥様の言葉は絶対なのです。私に許さないなどとと言う選択肢は存在しないのです。……もう全ては終わったことです。私は家の名を捨て、鳥司になった。もう文官にも、兄のいる家にも戻れません」
私はおそるおそる尋ねた。
リョンドはお家の名前を捨てなくちゃならなかったことに怒っているの?それともお兄さんの弟じゃなくなったことに怒っているの?文官になれなかったことに怒っているの?どれ?
私が尋ねると、リョンドは小さく笑いながら、困ったように言った。
「どれなのでしょうね。夢を、家の名を奪われたことに対して、私の中での怒りは既に静かに収まりつつあります。今では一体何に対して自分が怒っているのかがわからないのです」
私はただ、カティア様に八つ当たりがしたいだけなのでしょうね。
そう言ってリョンドは会話を打ち切った。
リョンドの八つ当たりは、鳥司と守護鳥という立場が許さない。鳥司のすべては守護鳥の為にあるものとされているからだ。
私が守護鳥じゃなくて、リョンドが鳥司じゃなかったら。そうしたらリョンドは私に八つ当たり出来て、怒ることもできたんじゃないのかな。けれどそれが出来ないから、リョンドは突き放したように丁寧な態度で私に接しているんだ。私はその態度から、リョンドの怒りを感じたのだろう。
どうしようもない沈黙の中、リョンドが穴を掘り終えたので、私が種を咥えて穴にそっと放り込んだ。リョンドはじっと私の行動を待っている。
どうしたの?土をかぶせないの?
「想いを種にかけないのですか?」
リョンドはきょとんとしている。私もきょとんと首をかしげた。
「知っていてこの種を植えようとしたのではないのですか?」
そういえばこの種何なの?どんな花が咲くの?
リョンドは「知らなかったのか……」と口の中で呟いてから教えてくれた。
「これは咲かずの花の種です」
咲かず?お花咲かないの?
「咲きません。この花は芽が出て蕾が出来るのに、そのまま花開くことなく、実をつけることなく枯れてしまう花なのです」
……お花としてそれはどうなの?
思わず聞き返してしまった。
リョンドは淡々と告げた。
「花開き実ることのない想いを抱く者はこの種を植えます。そして自分の想いをこの種に与えて土をかぶせるのです。誰かと一緒にこの種を植えるときは、相手との関係性によって意味が変わります」
怒っているリョンドとそれを気まずく思っている私の組み合わせなら、怒っている気持ちや気まずい思いを種に与えて仲直りをしようと言う意味になるらしい。従者達の誰かが気を使ってくれたのかもしれない。
なんだ……お花咲かないし、そんな由来なら茎とか芽も食べちゃだめなんだろうな……。
せっかく咲かせて食べようと思ってたのに……。
じゃあリョンド。この種に好きな気持ちを与えていいよ。
「カティア様……?」
私は何も聞いていない。知らないから!ここにはリョンド以外誰もいないの。どんな悪口言ってもいいの。だから好きな気持ちをぶつけていいよ。
私はそう言って、リョンドに背を向けるようにぴょんと体を反転させた。
しばらく痛いほどの静寂が続き、私の尾羽とリョンドの髪が風を受ける音だけが続いた。
私がリョンドの方を向きたくて仕方がない衝動を堪えながらじっとあらぬ方向を眺めていると、本当に、囁くように小さな声が聞こえた。
「鳥司なんて…………嫌いだ」
聞こえた。
それがリョンドの、花咲いてはいけない気持ちなのだ。
私がくるりと向き直ると、リョンドは穏やかな瞳で私を見て小さく笑った。
リョンド。鳥司は嫌い?
「いいえ。選ばれた者しかなれぬ、名誉ある役職です」
そっか。
リョンドの笑顔は「諦め」だった。何を諦めたのかは分からないけれど、リョンドが何かを諦めて嘘をついたことだけはわかった。
「風が強くなってまいりました。宮に戻りましょう」
リョンドがそう言ったので、私は静かにカーディーンの宮へと戻った。
それからお部屋で一人遊びしたり、考え事をしたり、魔力の結界の訓練をしたりしながら過ごしていると、カーディーンが戻ってくる時間になった。リョンドは私に話したことで、すっきりする部分が少しはあったのかもしれない。
笑顔はないけれど、静かな表情で控えている。
リョンドとは今日はここまでで、この後はモルシャがお世話をしてくれる予定になっている。
分かれ道まで来た時、私はリョンドにずっと考えていたことをなるべくなんでもないように告げた。
リョンド。さっき謝ったのやっぱりなしにする!
「はい?…………畏まりました」
少し穏やかになっていたリョンドの目が微妙にぴくりとした。ちょっと怪訝に感じたようだ。リョンドは表情に感情がよく出るのでわかりやすい。まぁ私の比べる相手が、いつもにこにこしているモルシャと、生真面目な無表情のカーディーンだからかもしれないけれど。
リョンドは私に別れの挨拶をして巣の区画に戻って行った。
私はモルシャとカーディーンのお出迎えに門に向かう。
今日はリョンドのお話を聞いて、色んなことをいっぱい考えたので、沢山遊んだわけじゃないのにすごく疲れた。これ以上難しいことは私にはわからないから、カーディーンに一緒に考えてもらおう。
カーディーンに報告することがいっぱいできた。
私は門の前で、カーディーンの帰りを今か今かと待ち構えた。