砂漠での諍い
「そういえば、カティアは魔力の結界がいまひとつ苦手だとモルシャから聞いたな」
食後、私の食べているサボテンを嗅ぎつけたカーディーンのトカゲが私のサボテンをつけ狙い、私がそれを渡すまいと攻防戦を繰り広げた結果、主にカーディーンの手によって私のサボテンが死守され、私がご満悦で勝利味のサボテンを噛みしめていると、恨めしそうなトカゲに鼻息で飛ばされてケンカになり、怒った私をカーディーンがにぎにぎをしながらなだめている最中に、思い出したかのように呟いた。
うぅっ!!
せっかくにぎにぎで緩んでいた体がぎくりと強張った。
私が力なくくぴーと鳴いたので察したのであろうカーディーンが少し考えた後、口を開いた。
「ならばせっかくだし、今試してみるか」
ん?試す?
そういうとカーディーンは私を手に乗せたまま、少し離れたところにいる部下の一人に声をかけた。
「私めがけてナイフを投げろ」
「はい」
真顔で飛んでもないことを言い出すカーディーンに、こちらも軽い口調で快く応じた部下の人が、どこからか出てきたナイフを何のためらいもなくカーディーンの顔面めがけて投げつけた。
何してるのーっ!?
私が慌てて自分とカーディーンを包み込むように、薄い魔力の膜を張る。
けれど、鋭く飛んできたナイフは私の弱い膜をまるで泡がはじけるようにあっさりと通過して、そのままカーディーンに突き刺さろうとしていた。
カーディーンっ!!
私が声にならない悲鳴をあげていると、カーディーンは全く動じることなく片手でナイフをぱしっと受け止めた。
「ふむ、やはりナイフを弾くことは叶わぬか」
なるほど、と言いたげな口調でナイフを手で弄るように確認し、小走りで近寄ってきた部下になんでもないような顔をしてナイフを返した。
「うん?どうしたカティア」
カーディーンが、片手に乗ったまま茫然としている私に気づいて声をかけてくれた。
か、カーディーン危ないよっ!!顔にナイフ刺さっちゃうところだったよ!何してるのごめんね、私守れなかったよ!?
私がくぴーくぴーとおろおろ鳴きながらカーディーンの頬に縋りついて額を擦りつけるのを、カーディーンが「怖い思いをさせてすまぬな」などと見当違いのことを言ってなだめていた。だから違うって。
カーディーンは私をよしよしと撫でてなだめながら、見当違いなまま私を励ましてくれた。カーディーンを心配しているのに伝わらない。私はしょんぼりと尾羽を下げた。
「カティア、嘆くことはない。先ほどの様に私はあの程度のことは日常的に起こるのでな。飛来してくるものを反射的に避けたり受け止めたりすることは造作もない。カティアはゆっくりと魔力の訓練に励めばいい。私の手が空いているときは訓練に付き合おう」
いつも通りの生真面目な表情で、声に労わりを乗せて私にそう言ったカーディーンは、私を肩に乗せて「そろそろ出立する」と部下の人達に声をかけた。私はもそもそとカーディーンの頭に移動した。
大トカゲで砂漠を進むカーディーンの頭の上で微振動を楽しんでいることしばらく。
私の耳に、遠くの方でざくざくと慌ただしく砂を蹴りあげる音が聞こえてきた。
なんだか胸騒ぎのする音だったので、高く高く飛びあがってその場で旋回しながら音のする方を見てみた。
すると、遠くの方で砂煙が上がっているのがわかった。沢山の何かがばたばたと走っている……と言うよりはまるで何かから逃げているようだ。
「カティア、移動するぞ!」
その場で旋回しながら動かない私を、カーディーンが声を張り上げて呼んだ。
カーディーン!何かこっちにくるよ!
私が威嚇の鳴き声を上げると、声の鋭さにカーディーンが異変を察知してくれたようだ。一番目のいい部下を一等高い砂山に登らせて私の示す方角を確認させた。
「隊商です!何かの群れに追われている模様っ!」
部下が叫んだ瞬間、カーディーンが鋭く声を上げた。
「救助に向かう!行くぞっ!!」
ぴしりと空気の変わった部下の短い応えを受けて、カーディーンは進路を隊商の方に切り替えた。
私はカーディーンに呼ばれてカーディーンの肩にとまると、カーディーンが服の合わせを少し緩めて私をその中に放り込んだ。
服の中でもごもごと動くことで、なんとか顔だけ出せた。ちょうどカーディーンの鎖骨付近にうまいこと落ち着くことが出来た。前見てなきゃ状況がわからないもんね。カーディーンを守らなくちゃ!
隊商は大きな砂漠狼の群れに追いかけられていた。
荷馬車の車輪が悲鳴を上げるような軋みをあげ、それを引く大きな角豚達は低く鳴きながら懸命に砂を蹴りあげて走っている。
角豚達は既に疲労が蓄積している。けれど足をゆるめることはない。商人達が打ち込む鞭と怒声がそれを許さないのもあるが、砂漠狼に囲まれてしまえば命がないことを本能で察しているのだろう。
隊商は決して少ない人数ではなかったが、取り囲む砂漠狼の数が輪をかけて圧倒的なのだ。その狼達が輪を狭めて徐々に獲物を追い詰めていく様は、くすんだ黒の煙が徐々に首を締めあげているようにも感じた。
ついに狼の群れが隊商を取り囲み、隊商の身動きが取れなくなった。商人達の顔に絶望の色が浮かんだ。
その時、雄たけびにも似た声を上げたカーディーンの軍が狼の群れを断ち切るように割り込んだ。
「あぁっ!カーディーン様っ!!」
商人の一人が大きく声をあげると、商人達が希望の光を求めてカーディーンの名前を呼んだ。
カーディーン達はトカゲから飛び降りるように狼と隊商の間に立ちはだかり、既に腰から抜いた、たしか月刀剣と言う名前の少し曲がった細身の片刃刀を狼に向けている。
低く唸り声を上げる狼と、カーディーンの軍が呼吸すら許さない緊迫感の中、睨みあう。
誰かの、ジャリ、と言う砂を強く踏みしめるような音が契機だった。
狼達とカーディーン達が一斉に動き出した。
大きく跳躍しながら鋭い牙と爪で襲いかかる狼に、月刀剣と己の拳や蹴りを使ってひたすら蹴散らしていくカーディーン達。
隊商は小さく固まるように身を寄せ合って角豚をなだめつつ、自衛の為の武器を構えながら油断なく様子をうかがっている。大トカゲ達は体を盾にする様に隊商を囲み、狼達に鋭く息を吐き出すような威嚇をしている。
私はカーディーンの首元でぷくっと最大級に頬を膨らませていた。
あたりには狼の唸り声と悲鳴、カーディーン達軍の人の声と動き回る音だけが砂の音とともに幾重にも重なって聞こえた。
カーディーンは狼を斬り伏せながら、部下の人達に短く指示を飛ばしている。
私はカーディーンの首元で頬を膨らませている。他にできることがない。威嚇の鳴き声を上げようかと思ったけれど、狼の唸り声に怖くなって声が出なかった。……私はここでカーディーンを応援するんだ!
その時、ひときわ大きな風が足元の砂を巻き上げて礫のように襲ってきた。
そこにいた全ての生き物が砂の洗礼を受ける。視界が狭まり、辺りが砂色の霧の中に覆われたようだった。
カーディーンも砂が目に入る前に片腕で顔を覆った。私はすぐさま魔力の結界を張った。
狼の牙を受け止めることはできないけど、砂くらいなら負けない!
巻き上げる風がごうごうと吹き続ける中、目に砂が直撃しないとわかったカーディーンが片腕を外して警戒した瞬間、砂煙の中から突然飛びかかる狼が現れた。
カーディーンは油断なくそれを月刀剣で斬り伏せた。狼の爪で一度破れた魔力の結界を、私はすぐに張り直した。これでカーディーンだけは砂で視界をやられることはない。
砂煙の中、カーディーンが飛びかかる狼を果敢に切り倒す。
もう一度大きな風が吹いた時、辺りを覆っていた砂煙も吹き飛ぶように消えていった。
砂煙がはれると、狼の群れは半分ほどに減っていた。カーディーン達は怪我をしている者こそいるものの、誰も地に伏してはいない。
砂漠狼の群れの中の、おそらくボスなのだろう狼が短く吠えたかと思うと、狼達はすばやく砂山の向こうへ消えていった。
隊商の間にほっと安堵の息をつくような空気が流れた。しかし、カーディーンは短くそれを遮った。
「陽が傾き始めている。急いで王宮へ帰還する。我らに合わせて追従せよ!」
カーディーンが告げると、隊商達は慌てて隊列を整え直し、カーディーン達は大トカゲに乗って隊商の周りを囲む様な形でカーディーンを先頭に王宮へと急いだ。
その段になってようやくカーディーンの首元から出てきた私に、カーディーンが柔らかな声で言った。
「カティアのおかげで助かった。隊商を見つけたのもカティアだ。私の守護鳥カティアに感謝を捧げたい」
そうだね。私のおかげだよ!感謝はムーンローズでくれると嬉しいな!
褒められたことがこの上なく嬉しい私は、やはり聞こえないだろうと思いながらもご機嫌でそう言った。
「そうだな。後でムーンローズでも用意させよう」
私の声が聞こえたわけではないだろうけれど、まるで私の気持ちが届いたかのようでなんだかとっても嬉しかった。
くぴっ!と答える私の声に、カーディーンが小さく笑った。