私の選んだ答え
痛いほど翼をはばたかせ、私は宮殿へと飛び続けた。
どれほど経ったかわからない。どれほど急いで飛んだかわからないけれど、宮殿の灯りが見えた時、私は本当に藍色の世界で白い宮殿が輝いているのだと錯覚しそうになった。まぁ、事実あちこちのアーチから洩れるクラゲの光が明るかったのだけれど。
私は一目散にカーディーンの宮を目指した。私の体感では矢の様な勢いで廊下を飛んでゆく。
廊下の中央を突っ切るように飛ぶ私に、みんなが驚きの悲鳴を上げて、飛び竦んでよけてくれたりしていた。頭の片隅でびっくりさせて申し訳なく思いながらも、私はそれを振り切って一目散に飛び続けた。
カーディーンの宮に、重たい布の扉に突進する勢いで突っ込むと、中で長椅子に座って寛いでいたカーディーンが、布がぼふんと鈍い音を立てて揺れたのに気がついて振り向いた。
「なんだ……っ!砂殿?」
カーディーンっ!
カーディーンが立ちあがりながら私を呼んだ。
それだけで蛇に襲われた恐怖が、何だったのかわからない謎のふたつの瞳が与える恐怖が、すべて吹き飛ぶほどの安堵感を覚えた。
私はぴーぴーとわめきながらカーディーンに縋りつこうと飛び付き―――……。
「一体どう……ふぶっ!?」
勢いがよすぎてカーディーンの顔面に衝突した。
びたんと張り付いた私をカーディーンが握って顔から引きはがした。
カーディーンにそんなつもりはなくても、結果的ににぎにぎされたことによる安堵感で、私はぶわっと泣きたくなった。きっと私が泣けるなら今頃わんわんと大泣きしていたことだろう。泣けないのでこの気持ちを吐きだす為に、鳴いてみた。
くぴーくぴーと大鳴きする私に困惑したカーディーンが、とりあえず私をなだめる為に頭を優しく撫でながら、従者にモルシャを呼びに行くように指示を出している間も、私はくぴぴーと鳴き続けた。
「なるほど。それは恐ろしい思いをしたのだな。身体能力としては森で生きるのに問題なくても、砂殿の気持ちが野生で生きるのに適していなかったようだな」
モルシャが到着して私の森での出来事を全て聞いたカーディーンが、冷静にそう言った。
なんでもいいよ。とにかく怖くてあんな場所で眠ったり出来ないっ!あんな風に毎日蛇とかにびくびくしながら過ごすのなんて絶対嫌。
私は長椅子に座りなおしたカーディーンの膝の上で尾羽をぶるぶると下げながら、あの時の恐怖を思い出してわなわなと言った。
臆病者と言われても構わない。弱虫と言われてもいいから私は誰かとおしゃべりしながら遊んで、ゆっくり安全に誰かの体温を感じながら眠りたいと心から思った。私が森で得た答えはそれだった。
私はカーディーンに話しかけた。
カーディーン、あのね……私、決めた。
カーディーンは目で私に続きを促した。その静かに凪いだような瞳の輝きをまっすぐ見つめて、私は自分の今の正直な気持ちを告げた。
私がカーディーンを不運から守る。だから私を蛇とか怖いのから守って一緒に眠ってほしいの。
「それは、私の守護鳥となるということか?」
うん。……私ね。やっぱり守護鳥とか加護する相手とか、そういうの……よくわかんない。だから守護鳥として相手を選べって言われたら、やっぱり出来ないと思ったの。
私はそこで一度言葉を区切ってから、改めて言葉を紡ぐ。
けどね。森で生きるか、人と共に生きるかって言われたら私は人と一緒に生きたい。そして怖いのから守ってほしいの。
カーディーンなら、きっと私を守ってくれる。だってカーディーンは国で一番強いんでしょ?だからきっと蛇からだって、私を守ってくれると思ったの。そのカーディーンが、不運に見舞われるのを私が防げるって言うなら、私がカーディーンを不運から守りたい。これはえっと、なんだっけ……あ、そう!タイトウなトリヒキってやつだよ。
「なるほどな。砂殿を蛇から守ることが対等な取引で、加護を受ける条件か」
カーディーンはそう呟いて、小さく笑った。
もちろん蛇だけじゃないよ?怖いこと全部だからね?
私にとっては、とっても大事なことだ。
私は守護鳥として、自分が選ぶ相手以外が加護を得られないという事実には、きっと耐えられない。だから考え方を変える。
自分が怖いものから守られるため、生き残るためにカーディーンを選ぶのだ。守護鳥としての使命感とかじゃない。
私は守ってもらうならカーディーンを選ぶ。魔力も足りなくて自信のない守護鳥としてじゃなくて、自分のために、カーディーンを選ぶ。……これは、カーディーンにとって嫌なこと?
私は静かにカーディーンの返事を待った。
カーディーンはしばらく考えた後、静かに答えた。
「いや。……とても栄誉なことだ。私が先祖から受け継いだ力は誰かを守るための力だ。そして、己の努力でその資質を高めた自負もある。私は美しいわけでもなく、政を動かす特別な才もない。だが、誰かを守れと言われれば、それだけは自信を持って一番だと言えよう。
砂殿が、私に守ってほしいと望むならば、強さを理由に私を選び加護を与えると言うのならば、それは武人たる私にとって誉れである。おそらく、砂殿にとって私ほどふさわしい王族はいないであろう」
そっか、カーディーンが私にふさわしいんだね。じゃあきっと、私もカーディーンにふさわしいと思うよ。
私は自信を持ってそう言った。私は美貌とかじゃなくて、強さを求めて相手を選んだ。守護鳥としては正統派じゃないけれど、どうせ私は砂だし、月の兄弟達とはちょっと違ったっていいよね。
カーディーンがモルシャに目配せすると、モルシャは静かに一礼して、壁に控えていた従者達と一緒に部屋を去った。
カーディーンの宮には私とカーディーンの二人だけになった。
カーディーンは私を膝から手に移し、目線が合うように持ちあげた。私は、今から何か特別なことがあるのだと、夜風でひらひらと揺れる薄布の音が聞こえそうなほどの静寂で悟った。私にできる限りの真剣な表情でカーディーンを見つめた。たぶん、はたから見た違いはわからないと思う。
「砂殿。そなたに我が御魂名を捧げ、加護を乞う。我が御魂名のもとに、そなたをあらゆる恐怖から守り抜き、安寧の夜を齎そう。その見返りに、我が血の縁に陽報を賜び給へ」
カーディーン…………何言ってるの?
何やら重々しい空気で大事なことを言われた気がするのだが、さっぱりわからない。私にわかる言葉でお願い……。
モルシャがいなくなったので質問が出来ない。困った私が小首をかしげてきょとんとしていると、カーディーンが察して言い直してくれた。
「つまり、私の御魂名を受け取ってもらい、守護鳥になって欲しいと言うことだ。かわりに砂殿を蛇や恐怖から守ろうという約束だ」
なるほど、そういうことならわかった!
私が両の翼を広げてくぴっと返事をすると、カーディーンは額の長い帯を解いて額を晒した。眠るときと入浴のとき以外でカーディーンがあの帯をとるところを初めて見た。そして軽く咳払いして私に告げた。
「我が名は、カーディーン・クシュア・トゥラ・アファルダート。これまで通りカーディーンでも、クシュアでもどちらで呼んでも構わぬ」
クシュアがカーディーンの御魂名なんだ。でも言いにくいからカーディーンって呼ぶね。
私の声は聞こえていないだろうが、私はカーディーンにそう言った。
「そして、そなたにはカティアという名を贈ろう」
カティア……?それ、私の名前?
そう言えば守護鳥になったら名前がもらえるんだった。そして私って今、実は名前なかったんだ。完全に忘れていた。
カティア。私の名前がカティア。カーディーンの名前とおそろいの、一緒ってしるしの名前だ。そう思うとなんだか尾羽がむずむずするような、くすぐったいような嬉しさが広がった。
カーディーンが私に向かって少し頭を下げた。私はその額に顔をそっと押しつけた。額のぬくもりを感じて、じんわりと心が温かくなった。
今、私とカーディーンの縁が結ばれたんだ。なんだか嬉しくて落ち着かなくて、カーディーンの手で何となく足踏みしてしまった。このうずうず感をどう表現したらいいのかわからない。
「カティア。そなたが私の守護鳥だ」
噛みしめるような声で、私を見つめながらカーディーンが小さくつぶやいた。
私はそれに小さくぴっと鳴いて答えた。カーディーンは小さく笑った。私も嬉しかった。嬉しかったのでカーディーンの周りをくるくると回るように飛んだ。
カーディーンがモルシャや従者達を呼びもどして私に御魂名を贈ったことを話すと、普段は静かな従者達がわぁっと一斉に声を上げた。
私がびっくりしてカーディーンの頭の上で髪の毛に隠れると、カーディーンの周りに集まった従者達が口々にカーディーンに加護があったことを喜んでいた。
「砂様、いえカティア様!我が主に加護を与えて下さいましてありがとうございます!」
「カーディーン様の守護鳥様はわたくし達の主でもございます!どうぞ今まで以上になんなりとお申し付けくださいませ!」
「カティア様。いつぞやは失礼をいたしました。そして本当にありがとうございます」
カーディーンの頭の上の私を見上げて、口々にお礼を言われた。まだ守護鳥としての実感すらないのにお礼を言われても困るよ……。
けど困惑しながらも、どこか嫌ではなかったのは、カーディーンが本当に従者達に好かれているのがわかって、私のことも好意的に見てくれているからなのだろう。
従者達の喜びの波がひとしきり落ち着いたところで、モルシャが「カーディーン様達はおやすみのお時間をとうに過ぎておりますよ。さぁ、もうおやすみになりませんと」と促して就寝準備に入った。
カーディーンが就寝準備をしている間、モルシャが私に話しかけてきた。
「砂様……いえ、既にカティア様でございますね。カティア様がお心のままに選ばれたのが、守護鳥としてカーディーン様のお傍にいらっしゃるという答えで本当に嬉しゅうございます」
モルシャの心が沁み出たようなその声は、私に歴代の守護鳥としての自負を持てないまま苦しみ、森に帰っていった砂達を、鳥司として支えられなかった無念や後悔が含まれて、その謝罪をしているような気がした。
なんとなくそう思ったから、私はモルシャに言った。
モルシャ。私は自分のためにカーディーンを選んで、他の砂もきっと、自分のために森を選んで帰っていったんだよ。それに私はモルシャが大好きだから、前の砂達だってモルシャや鳥司は大好きだよ。
「はい、カティア様。ありがとうございます」
モルシャは目元の皺を深くして笑った。
森は楽しかったけれど、人と生活して丁重に尽くされ守られることに慣れた私には怖くて恐ろしかった。けれど、候補を選ばずに守護鳥の巣の区画からすぐに森に帰ったのならば、きっと森での生活や楽しいことを見つけることが出来たのだろう。そうであると信じたい。
また機会が会ったら改めて森に砂を探しに行きたいな。
砂の私でもちゃんと守護鳥として、頑張れるんだよって姿を見てほしい。いつかカーディーンに相談してみよう。
そんなことを考えていたらカーディーンが戻ってきたので、モルシャと就寝の挨拶をして別れ、カーディーンとベッドに入った。
クラゲの灯りが隠され、部屋は森の様に暗くなった。けれど不思議と森の様に恐怖は感じない。
「おやすみ、カティア」
おやすみ、カーディーン……ううん、今夜だけはクシュアって呼んじゃおうかな。おやすみクシュア。
私はカーディーンの体温を隣に感じながら目を閉じた。
もし次の守護鳥に砂色が産まれたら、その時には砂色の私がカティアと言う名前をもらって、守護鳥としてちゃんとやっているよって見せてあげられるといいな。
出来ればその時には、今よりもうちょっと大きくなっているといい…………切実に。
夢の中の私は、今よりちょっと大きくて凛々しくて、綺麗でかっこいい守護鳥だった。
カーディーンの肩に止まり、カーディーンと視線を交わして何かお話しているようだった。
これはきっと、明日からの私の姿だ。
だって私は、カーディーンの守護鳥なのだから!
ここまでで一区切りです。お付き合いいただきましてありがとうございました。
次回から第二章になると思います。