森でのあれこれ
朝、仕事に向かうカーディーンを見送った後、私はモルシャと一緒に、森の入口にやってきた。
昨日モルシャが、事前に準備を進めてくれていたのかもしれない。私が森に行くのは驚くほどとんとん拍子に準備が整った。
モルシャは森の入口で立ち止まり、手の平の上の私に告げた。
「我々鳥司は、この森の管理のお役目を王家の方々より承っておりますが、基本的にはむやみやたらと立ち入ることを禁じられております。ゆえに、この森で過ごされる間は砂様御一人になります」
わかった。たぶん朝になったら戻るつもりだから、明日の朝、迎えに来て。
「畏まりました」
モルシャは深々と私に頭を下げて、私が森へ飛んでゆくのを見送った。
森の中は白や赤や金が基調の神殿や、カーディーンの宮から見る見渡す限り砂しかない砂漠と違い、木々の茶色と草の緑にあふれていた。
日差しは変わらないはずだが、どことなく涼しいような気さえした。気のせいかな?
私は木のうろを覗き込んだり、枝から枝に飛び移ったり、あちらこちらを探索するように飛び回った。
その後、記憶を頼りに私達兄弟が生まれた守護鳥の巣を発見した。
生まれたばかりだったし、鳥司に運んでもらったからちょっとおぼろげだったけれど、意外と覚えているものだなぁ。
迷子にならないことがちょっとした自慢だが、私の記憶力ってなかなかのものじゃなかろうか。
一人で自分を絶賛しながら周りを見渡したが、同意してくれる相手が誰もいなかった。
そっか、私今一人だもんね。
たまに振り切ることはあっても、私の周りには常に鳥司や他の誰かがいる環境にいたけれど、今この場には私しかいないんだった。
そっか、森で暮らすってお喋りする相手がいないってことなのか、と私は実感した。
私は自分が産まれた巣にちょこんと座ってみた。記憶にあるよりすごく小さくて、この巣じゃ兄弟全員入ることはできないな、と考えた。元々私達全員この巣の中に入っていたのに、今は入れないだなんて不思議。成長の証ってやつかな。
巣から見上げる空は、生まれた時と同じ緑の枠に囲まれたような青い青い色をしていた。あの頃は世界が全部大きく見えたけれど、今の私はその大きな世界が自分の翼の届く範囲だと知っている。
私は空を見ながらぼけーっとしていたのだが、そこでようやくこの森に来た目的を思い出した。
そういえば森の生活を選ぶか、守護鳥としての生活を選ぶか一人で考えてみる為にきたんだっけ。
思いだしたところでお腹がすいたので、その辺の食べられそうな花や葉っぱをもしゃもしゃした。
ついでに土からにょこっと顔をだしたぐにゃぐにゃの虫も食べた。……今森にいるからいいよね?食べちゃだめなのは宮殿とかだもんね!
私が食べたぐにゃぐにゃ虫は、名前がわからないけれど、つるんとした喉越しの虫だった。これは珍味!
適当にお腹が膨れたところで退屈になってきた。
何か遊ぶものないかなーと食後の運動を兼ねて辺りを散策する。
大きな花弁が口を開けるように空を仰いでいたり、木から垂れさがるような花があったり、くるくると木に巻きつくように咲いている花々や果実、岩に苔蒸す緑まで、目につくものすべてが新鮮だった。
月の一の兄の好物のコムの実がなっているのを見つけた。
へぇ~……。これ、カーディーンの膝くらいまでの小さい木になってる実だったんだ。
今度ナーブにあったら教えてあげよう。いや、やっぱりやめておこう。もしかしたらここにあるコムの実全部食べちゃうかもしれないし、一人占めしてくれなくなるだろう。ここは私だけの秘密のコムの実なんだ!
宮殿では見たことのない花や草を眺めたりつついたりして、虫を追いかけて遊んだ。
よくしなる細い枝や、木に絡まる蔦をたどって遊ぶのはなかなか楽しかったけれど、ずっとそればっかりではつまらない。しばらくしたら飽きてしまった。
飽きたので散策を兼ねて、砂色の守護鳥がいないか探してみることにした。いつでも巣に戻れるように、巣を中心として円を描くように範囲を広げてぐるぐると探してみる。
あれー……?全然見つからないなぁ。
疲れた私は枝で休憩しながら首をかしげる。
守護鳥だからそんな遠くにいるわけない、と思っていたんだけど、鳴き声なども聞こえない。森の範囲がどれほどあるか全体が把握できないので自分がどれほどの範囲を探したのかも見当がつかないが、少なくとも私が行動出来る範囲にはいなかった。
もしかしたら、この森は私が思っているよりもかなり大きいのかもしれない。勝手に小さい森だと思いこんでいたのだろう。
私と同じ砂と会うのもこの森のお泊まりの目的だったし、森で生活するなら仲間になれると思っていたのだけれど、その当てが外れてしまった。疲れてしまったので守護鳥の仲間を探すのは諦めよう。もしかしたら、私の前の砂色の守護鳥ってかなり前にしかいなかったのかもしれないし。確認してくればよかったな……。
そして探している間に空が赤から紺に変わってきたので、私はさっさと寝床に決めた守護鳥の巣に戻ることにした。
森は段々暗くなってきた。夜でも人が活動する宮殿と違って、森には灯りがない。クラゲがいないとここまで辺りが真っ暗なんだと初めて知った。私はなるべく早く巣に戻って寝てしまおうと考えて巣に急いだ。
巣に到着した私は、飛んだり遊んだりして疲れたこともあり、さっさと眠ってしまおうと目を瞑った。
けれどカーディーンや兄弟達と眠る時と違って、自分以外の体温がないのに不安を覚え、なかなか寝付けなかった。
慣れない環境で緊張していたせいか、私の耳はしゅるしゅるという、這いずるような小さな音を拾った。その音が聞こえた瞬間、背中からぶわっと全身の羽毛が立ちあがるように緊張が走り、私は自分の本能が告げるままに迷わず自分の周囲に魔力の膜を張った。
刹那、私に迫った大きな口が私の膜に阻まれてほんの少しだけ怯んだ。
私はその瞬間を逃さないですぐさま空に飛び上がった。大きな口が私を追いかけてきたけれど、地面に縫いとめられるように、途中でがくんと止まった。
私はかなりの高度まで上がってから自分を襲った脅威を確認した。
大きな口を開けたそれは蛇だった。恨めしそうに私を睨みつける瞳だけが、暗闇の中で光っているようで恐ろしい。
蛇はまだ私を獲物として狙っているようで、巣を横断するようにお腹で踏みつけて、私に少しでも近づこうとじりじりと移動している。
私は高度を保ったまま、近くの木の枝に移ろうとして方向を変えた。
すると、木の葉の向こう側の何かと目が合った。
赤いふたつの瞳が、じっと私を凝視していた。
また蛇?違うもの?暗い森の中の暗い影がなんだかわからない。わからないけれど、確実に私を見つめていた。
緊張と静寂の中で研ぎ澄まされた聴覚が、風の音と蛇が這いずる音、赤いふたつの目の呼吸音、そしてよく聞けば、小さな唸り声のような音が聞こえた。
地面からは小さく草を踏む音が等間隔に近づいてくる。私は魔力の膜を張り直して緊張し続けた。
すると、すぐ近くの木の葉が大きくしなったかと思うとそこから影が私に向かって飛びだした。身構えて膜の魔力を厚くしたのとほぼ同時に、膜に何かがぶつかるような衝撃があり、私は空中で少し体勢を崩した。
私はぐらりと傾いて落ちそうになったが、地面には蛇が口を開けていると言う恐怖がよぎって何とか空中で持ちこたえた。
私にぶつかった何かの影は地面に落ちたようだったけれど、落ちた瞬間、地面にいる別の捕食者がひらりとそれを咥えてどこかに走り去っていった。なので結局私はその影が何か分からなかったけど、どう考えても仲間が受け止めて巣に逃げ帰ったのだとは思えなかった。
あの影は私を食べようとして、そしてたまたま私がそれを防いだから、今度はあの影が誰かに食べられてしまったのだ。下手をしたら、食べられていたのは私だったかもしれない。
誰もが守護鳥と言うだけでちやほやしてくれた人の世界とは違い、森の中で私が守護鳥だからとか砂色だからなんて関係ないんだという事実を頭にたたきつけられた。
確かに私は守護鳥としては非常に身体能力に優れている。森での生活にも適応できる運動能力があるのだろう。でも、そんなもの森に住まう生き物たちはみな当然のように持っているのだ。そして、その中で私は自分の力だけで生きていかねばならないのだと言うことに初めて思い至った。
一人でいることのさみしさや森の中の見たこともない楽しさよりも、心に強く擦り込まれたのは恐怖だった。
自分が捕食されるという感覚にひやりとした恐怖を覚えた瞬間、私の頭はカーディーンやモルシャでいっぱいになった。
やだやだ怖い怖いっ!カーディーン!助けてカーディーンっ!!
ここが敵地で、私の安息の場所がないとわかった瞬間。恐怖が羽全体にじんわりと広がった。
私の居場所はここじゃない!強く、そう思った。
私は恐怖に震えながら夜の森を必死で宮殿に向かって飛んだ。