月の光とお別れの儀
ファディオラの魂がリオラに会いに月へと行ってしまってからすぐ、ファディオラの葬儀が行われることになった。
葬儀に向かう前日の夜、私はカーディーンと一緒にお風呂に入っていた。
私がカーディーンと一緒にファディオラの葬儀に行くと駄々をこねたら、モルシャやカーディーンが色々話し合った結果、鳥かごに入るならという条件で連れて行ってもらえることになった。
まだ雛の私が外に出るのは危険だし、初めての外に心躍らせた私がどこかに飛んでいくことを我慢することは難しいから、初めから鳥かごに入れて出られないということを目に見える形で私に示し続ける為だと言われた。
私がそれでも行くと言うと、カーディーンが連れて行ってくれると約束してくれた。
そして私は「それでは準備をしよう」と言ったカーディーンと、お風呂に入ることになって現在に至る。
葬儀に向かう者は特殊なお風呂に入らないといけないらしい。
通常通りの入浴を済ませた私は、カーディーンの従者が準備してくれた特殊なお風呂にカーディーンと向かった。
カーディーンが砂風呂に入る際に使用する、月明かりが差し込む大理石のお風呂にはたっぷりと水が満たされていた。
そして、そのお風呂に私達より先に入浴しているものがいた。
ゆらゆらゆったりとした動きで揺れるそれは、広いお風呂を我が物顔で泳いでいる。
つるつるした表面が、泳ぐ動きに合わせてふよんふよんと動いている。
丁度カーディーンの握りこぶしぐらいの大きさの、深めの器をひっくり返したような頭のそれは、私も良く知る生物だった。
私はお風呂を悠々と泳ぐそれから視線を放さないまま、カーディーンに尋ねた。
……カーディーン、これクラゲだよね?
「あぁ、クラゲだ」
クラゲってあの照明のクラゲだよね?ちょっと光が弱いけど。
「その照明のクラゲだ。ただし照明のクラゲとは種類が異なり、大切な行事の前の行水に用いる特殊なクラゲだな」
私のよく知るクラゲは、アファルダートで照明として飼われている生物のひとつだ。
ガラスの器に水と共に入れて、毎日餌を与えるあれだ。みんな単純にクラゲ、クラゲと言っているけれど正式名称が別にあったはずだ。私は知らないけど。
クラゲは暗いところが怖いらしく、辺りが暗くなると自分が発光することで無理やり周りを明るくしようとする、なかなか力技を使う生き物だ。
眠るときは眩しいので、厚手の黒布で覆ってしまう。正直、暗いのが怖いなら夜に眠って朝に活動すればいいのにと思うけど、そうすると人間の夜の活動時間が極端に減ってしまうので、困ってしまうそうだ。クラゲは人間の生活にとって欠かせない生き物なのだ。
月の光のように白っぽくて強い光を放つので「海の月」という別名もある。
ちなみに、太陽の光のように温かい色の光を放つ魚もいる。国民はどちらかといえば、この魚の方を照明として利用しているらしい。こちらも名前は覚えてない。
理由は魚の方が飼育が楽だかららしい。昼間に日の光が当たる場所で、大人の腰くらいまでの大きな瓶に水をたっぷり注いで、指半分ほどの大きさのこの魚を数匹入れておくと、数え切れないほど増えては勝手に世代交代が行われてゆくので、人の手がかからないのがいいらしい。
この小魚を夜になったら瓶から適当に器に汲みあげて照明として使い、必要なくなればまた瓶に戻せばいい。瓶は夜の間のみ蓋をしておけばいいというお手軽加減だ。小魚なので、小さな器に入れると移動する際の持ち運びが簡単だ。
ただしクラゲよりは光が弱い。なので広くて大きな貴族の屋敷や王族の宮殿などはクラゲ、一般的な家庭では小魚が照明の役割を果たしている。
そのクラゲが風呂に大量に泳いでいた。
照明のクラゲより淡くて青い光を放っている。正直、照明としては弱い光だ。
これに入るの?
「そうだ」
ということで、私とカーディーンはクラゲがふよふよしてる水風呂に浸かっている。
正しくは、カーディーンはクラゲと一緒に行水しているけれど、私は違う。私がカーディーンのお風呂に入ると溺れてしまうので、小さな器に風呂の水を汲んで、その器を風呂に浮かべ、私はその中に入っている。
なんでお水と私が入っているのに、器は沈んじゃわないんだろう。不思議。
私がぷかぷかと不安定に揺れる器でバランスをとっていると、カーディーンが私の器を指でちょんとつついた。
器はつつかれてぐらぐらしながらカーディーンと離れるように流される。それに近くを遊泳していたクラゲがぶつかって、またカーディーンの方へぐらぐらぷかぷかと流されていた。
……カーディーン、ちょっと楽しんでない?
私はカーディーンが器をつつきながら、ちょっと楽しそうに唇の端を持ちあげて私を見てるのに気づいてるんだからね!
ちなみに私は水に浸かるのは平気だけど、カーディーンは少し寒そうだ。
人間って羽毛がないもんね。
「砂殿の羽毛は温かそうだな」
私は器から飛び出して、裸のカーディーンの肩にちょこんととまった。
足から伝わるカーディーンの体温は高かった。
カーディーンもあったかいけどね。
「そうか」
私はカーディーンの肩に乗ったまま、夜空を見上げた。
空には大きな月と、輝く白い砂をちりばめたような星が広がっている。
ねぇねぇ、カーディーン。ファディオラの魂は月にいっちゃったんだよね?だったら残った体はどうするの?
「体は夜の砂漠に還すのだ。夜の砂漠は月の神が作り上げた海の世界だ。だから体は夜の砂漠の海に沈め、砂漠の海に生きる者達の糧となる。
そうすれば砂漠の海の生き物たちが朝がきて月の世界に帰るときに、体も一緒に月の元に連れて行かれると言われている」
なるほど。魂ってなんか飛べそうだけど、人間の体は飛べないもんね。
「死ねばどんな生き物も動けなくなるものだ」
そう言われてみればそうだね。飛べても飛べないね。
私の言い方が面白かったのか、カーディーンは息をこぼしたように小さく笑った。
その振動で、肩が動いて私も揺れた。これ、ちょっと楽しい。
そうしてしばらく二人で月を見ながら話をしたり、私がクラゲに乗ろうとしてつるんと滑っておぼれそうになったりして行水が終わり、私はカーディーンとベッドに入って眠りについた。
翌日、カーディーンの宮には、私を入れるための立派な鳥かごが用意されていたのだが、私が鳥かごに入ることに対して、私よりカーディーンや鳥司達の方が微妙な顔をしていた。
守護鳥である私を鳥かごに入れるのは罰あたりと言うか、なんとなく罪悪感がこみあげてくるらしい。
え?私、普通に入って特に何も思うところなんてないんだけど……。「親友とか家族を檻に入れる感じ」って言われてもよくわからないよ。
何度かやっぱり鳥かごはやめるか?でもそのままだと必ずはしゃいでどこかにいってしまうだろう、などと様々な意見を出し合っていた。結局、私が鳥かごの中のぷらんぷらんする止まり木を気に入って遊んでいるのを見て、鳥かごで運ぶことに決まったらしい。
鳥かごの扉を綺麗な紐で丁寧に蝶々結びをして閉じて「ここをひっぱればでられますからね」って何度も言われた。出てほしいのか、出てほしくないのかどっちなの?
そんな出発前からちょっとしたごたごたがありつつも、私はカーディーンとともにファディオラの葬儀に向かった。
ファディオラとの別れの儀は昼から夕方にかけて行われた。
砂漠は昼の時間は太陽の神の世界で、砂の上の生き物が砂を踏みしめて生き、夜の時間は月の神の世界で、海の中の生き物が砂を泳いで生きている。
そしてそのどちらでもない境の時、夕方は、昼と夜の生き物が入れ替わる時間のため、全ての生き物が砂漠から一時姿を消すのだ。
アファルダートの葬儀はすべて、このわずかな夕方の時間を狙って行われる。
大勢で移動すると時間がかかるため、葬儀は身内とごく一部の親しい者のみで行われる。それは王族であっても変わらない。それ以外の人は、あらかじめ葬儀を行う方角が知らされているので、夕方にその方角に向けて別れの言葉と祈りを捧げるそうだ。
ただ、王族はただでさえ血族の人数が多いので、身内の中でも国王とその妃達とその子供達と、それぞれの護衛と王妃ファディオラの従者達の一部という結構な人数になったので、移動は速やかに行わなければならなかった。
私はカーディーンが運んでくれたらしいのだけれど、鳥かごには私が外を見て興奮したり、他の王族たちが私が鳥かごに入っていることに対してびっくりしないようにといったこと等を配慮して、鳥かごには刺繍が沢山してある薄布をかぶせられた。光は入ってくるけど外はよく見えない。たぶん外から見た鳥かごも同じだろう。
なので、私は不規則な振動で止まり木が揺れるのを楽しみながら葬儀の場に向かった。
別れの儀では何か色々言ったり、やることとかあったのかもしれないけど、薄布で見えなかったし、ちゃんと聞いてなかったのであんまり覚えていない。
私はカーディーンと一緒に、ファディオラにお別れの言葉とカーディーンの部下が採って来てくれたムーンローズを贈った。カーディーンが別れの挨拶をするときに私の鳥かごも近づけて、薄布をずらしてファディオラに会わせてくれた。
ファディオラは目をつぶっていた。私がくぴーっと大きな声で鳴いてもぴくりともしなかった。
死とか……お別れとか、悲しいとかはよくわかんなかったけど、ファディオラがもう遊んでくれないのがさみしいと思った。
私のお別れを最後に別れの儀が終わり、みんなはファディオラだけを砂漠に残して、口数少なく足早に宮殿に戻ってきた。
宮殿に戻ってくると、葬儀に向かったみんなや、行かなかった他の王族も含め、沢山の人が集まって大きな広間でみんなで豪華なご飯を食べた。
基本的にどこかが外に面していたり、外から風や空気がたっぷり入る造りの宮殿には珍しく、締めきられた月明かりの入らない大広間だった。天井には大きなガラスの器の中で無数のクラゲが広間を煌々と照らしていた。
美味しいご飯とお酒で、亡き人の楽しい思い出を語りながら、出来るだけたくさんの人と色んなお話をしながら過ごすらしい。一人でいたらだめらしく、親しい人が亡くなった夜は、誰かとおしゃべりしながら過ごさなきゃいけないようだ。
ファディオラの従者から、私に手の平くらいの壺いっぱいの花蜜が贈られた。ファディオラが私とのお茶会で倒れて、私をびっくりさせてしまったことを詫びる為に準備していたものだと言う。
私はその花蜜を飲みながら、カーディーンと月の一の兄が選んだ守護候補の王子と、ファディオラの寝室で会った女性の王族にファディオラの花蜜の美味しさと、ファディオラとのお茶会の様子や私が聞いたリオラとファディオラの思い出話を話した。月の一の兄をはじめ他の兄弟達は、今日は守護鳥の巣の区画に戻っているらしい。
カーディーンは静かに頷きながら、王子はどこか懐かしそうな目をして相槌を打って、女性は時々鼻をすすったり目を擦りながら笑って聞いてくれた。王子に、花蜜を少しおすそ分けした。たぶん一の兄が食べるだろう。一の兄だって少しだけファディオラに会ったんだし、ちょっとだけならあげてもいいかなって思った。単純に私一人だと花蜜が駄目になる前に食べきれる気がしなかったからだ。私が一人で食べ切れたら絶対あげない。
その後、カーディーンの宮に戻ってきて、今日は早々に寝るのだと言われた。
カーディーンに、親しい者の葬儀があった日の夜は決して砂漠と月を見てはいけないと言う決まりがあると言われた。その決まり通りに、砂漠と月が一望できるカーディーンの宮の石柱のアーチは、薄い布が全て降ろされて外が見えないようになっていた。
なぜと尋ねると、大切な人を連れていってしまう月を恨めしく思ってしまうからだと教えてもらった。
私は就寝の準備を終えたカーディーンとベッドにもぐりこんで、ぴっとりとひっつきながら目を閉じた。
ファディオラはもう月についたかな?リオラにちゃんと会えたんだろうか。
でも、別れの儀の時に見たファディオラはゆったりした簡素な服を着ていたから、きっとリオラが見たら怒るかもしれないな、と考えた。