たくさんの月の中のひとつの砂
「砂殿、どうしたのだ?何やら落ち込んでいるように見えるが」
私が元気がないのにすぐに気付いたカーディーンが、長椅子に座りながら私に尋ねた。
私はぱたぱたと飛んでカーディーンの手にとまり、ファディオラの宮に遊びに行ってからファディオラが倒れたことまでを話した。
カーディーンは静かにそれを聞いてくれた。
カーディーン。ファディオラはどうして倒れちゃったの?
カーディーンは一度考えるように目を伏せ、そして静かに私に告げた。
「ファディオラ様は昔から御身体が弱かったのだ。最近になって、たびたび大きく体調を崩されるようになったので、医師や従者達、我々も常にファディオラ様の体調を気にかけていたのだ」
私ファディオラが元気じゃないのに遊びに行っちゃったの?
私がぺしょんと尾羽を下げながら尋ねると、カーディーンは柔らかくそれを否定した。
「医師が許し、ファディオラ様自身が望まなければ、砂殿と会ったりはしなかったことだろう。ファディオラ様が心から望んで砂殿と会ったのだ。砂殿が無理をさせたわけではない」
思い返せば、ファディオラは私を出迎える時「こんな恰好で申し訳ない」と言っていた。
ファディオラは、リオラと常に美しく着飾っていることを約束していたのだ。それはリオラがいなくなっても守り続けた約束だったのだろう。
そのファディオラがゆったりした飾らない服を着ていた。つまり着飾っていられないほど、体調が悪かったのだろう。私が心配しないように、表面上はにこやかにしていたんだ。
ファディオラ、早くよくなったらいいのに……。
そう言った私の頭をそっと撫でながら、カーディーンも小さく言った。
「あぁ……本当に、早くよくなってくださるとよいのだがな……」
そう言ったカーディーンの声が、いつもよりちょっと低く聞こえて、私はカーディーンの手にぴっとりとくっついた。
カーディーンは私を労わるように、そっと撫でてくれた。
それから数日後、私はファディオラのお見舞いに向かうことにした。
今回は先触れのお手紙は書かなかった。書いてもファディオラが読めないからだと説明された。
私がファディオラの宮に向かうと、寝室のベッドまで案内された。
大きなベッドを囲むように従者が静かに控え、医師が一人枕脇に立っていた。
そして、顔合わせの時にもいた王族の女性の一人が、ベッドのそばの椅子に座っていた。
私がモルシャの手の平に乗ったまま静かに入室すると、王族の女性が私に気がついた。
「まぁ……砂様。お母さまと交流があったことは聞き及んでおります。よろしかったらどうぞお母さまにお声をかけてくださいますか?」
王族の女性はどうやらファディオラの娘らしい。そう言って私に手を伸ばしてきたので、私はその手に移動した。女性は私をベッドの中のファディオラに近づけて優しくファディオラに語りかけた。
「お母さま。砂様がいらっしゃいましたよ。お母さまに会いにきてくださったのです」
ベッドの中のファディオラは、まるで眠っているようだった。
女性の声は少し震えていた。
私がファディオラの名前を呼ぶようにぴぃーっと鳴いた。
すると、ファディオラの瞼が少しだけピクリと動いて、のろのろと持ちあがった。
「お母さまっ!」
女性と医師が覗き込むと、ファディオラはぼんやりしたような瞳で女性を見つめて小さく名前を呼んだ後、ゆっくりと手を持ちあげてその頬をするりとひと撫でした。
「……リオラの声が、聞こえたような気がしたの……。わたく、しのリオラが帰って……きたの?」
小さくつぶやかれた声には生気がなく、そのままわずかに首を動かして辺りを見回した。
けれどその瞳に私は映らなかった。
ファディオラは小さく「リオラ……?」と呟いた。
ファディオラがリオラを探しているのなら、ファディオラがリオラのフリを望むのなら、私はリオラのフリをしてあげるのに。
砂色の私は月色だったであろうリオラのフリが出来ない。気づいてすら……もらえなかった。
私ちょっと兄弟を呼んでくるっ!!
私は尾羽をきゅっとあげて、飛びだした。
私に出来ないのならば、兄弟にお願いすればいいのだ。
リオラはメスだから、姉達の誰かに頼むのがよいだろう。私はリオラの姿を知らないけれど、私達みんなリオラが産んだ子供なのだからたぶん似ているはずだ。
私はわき目も振らず飛び出したのだが、ふと姉達が今どこにいるのかがわからないことに気がついた。
おそらく守護候補の王族と一緒にいるはずなのだが、その王族がどこにいるのかすらもわからない。
モルシャを置いてくるんじゃなかったと後悔し、どうしようとおろおろしながらとりあえず廊下をひたすら飛び続けていると、廊下の向こうから人影が現れた。
「おや、砂殿ではないか。鳥司もつけずにこんなところでどうしたのだい?」
末の妹、何をやっているんだ?
私の目の前に現れたのは月の一の兄と、兄を肩に乗せた王族の男性だった。
私はその王子に突進するような勢いで飛びつき、私を受け止めた王子の手の中で肩の兄を見上げて叫んだ。
私と一緒に来て!ファディオラがリオラに会いたがっているの!
私がひたすらファディオラ、ファディオラが!と急かし、きょとんとしたままの一の兄と、何となく状況を察したらしい王子を連れて、私は来た道を引き返してファディオラの寝室に戻った。
中にいた王族の女性が慌ただしく入室した私達を見て、小さく「お兄様……」と呟いた。
私はそれには目もくれず、ベッドにそっと着地して、一の兄にも同じように来てと促した。
一の兄が私と同じようにベッドの上に降りてきたので私は兄に向ってお願いした。
ファディオラがリオラを呼んでるの。けどリオラはいないから、ちょっとだけリオラのフリをしてほしいの。
何故そんな真似をしなくちゃならないんだ。いないなら仕方ないだろう?それに俺はリオラじゃない。
でもファディオラが悲しそうなの。ほんとはリオラがいないってことくらいファディオラだってわかってるよ。でも会いたいって思ってるんだから、ちょっとだけリオラのフリしてファディオラに撫でてもらって?
いやだ!俺はリオラじゃない!
リオラのフリを押し付けてる私の方が、無理なお願いをしている自覚はあるし、一の兄の言っていることは間違っていない。だけど強情な一の兄のことを、ちょっとわからず屋って思っちゃう。
私と兄がくぴー、くぴーと言い合っていると、またファディオラが小さく瞼を開けて、兄の姿を視界にとらえた。
「リ、オラ……」
ファディオラが小さく手を伸ばしたけれど、兄はその場から動こうとしなかった。かろうじて頬は膨らませていないけれど、緊張して警戒しているのがよくわかる姿だった。
私が後ろからぐいぐいと押しても、兄はその場からピクリとも動かなかった。
その兄の姿がファディオラの瞳にどう映ったのかは分からないが、ファディオラは小さく笑うように唇の端を少し持ち上げて、また静かに目を閉じた。
私……間違ってたかなぁ……。
ぽつりと呟いた私に、私達のやりとりを静かに見ていた王子が柔らかいまなざしで言った。
「息子として、リオラ殿に会いたいと願う我が母の望みをかなえようとしてくれた砂殿の気持ちを、私はとても嬉しく思う。きっと我が母も、砂殿の優しさを有難く思ったことだろう。我が母に代って感謝を告げさせてほしい」
王子は私に優しく慰めの言葉をかけてくれたけれど、私はやっぱりへこんだまま、カーディーンの宮へ戻ってきた。
カーディーンは私を優しく迎えてくれて、私はカーディーンにファディオラの宮でのことを話した。
私が月色だったらよかったのに……そうしたらリオラのフリくらい、いくらでもしてあげたのに……。
私がそう言うと、カーディーンは生真面目な口調で「それは少し違う」と言った。
「ファディオラ様が砂殿を見てリオラと呼ばなかったのは、砂殿を砂殿としてきちんと認識しておられたからだと私は思う。砂殿はファディオラ様への優しさでリオラ殿のフリをしようとした。リオラ殿のフリをしようと願った心は砂殿のもので、きっとリオラ殿には思いつかなかったことだろう。砂殿が砂殿であったから生まれた願いだ。そしてファディオラ様がそんな砂殿をきちんと認識することが出来たのは、砂殿がその美しい砂色であったからだろう」
カーディーン……。
私がカーディーンの言葉に、カーディーンを見上げるように見つめた。
「他の月色の守護鳥は皆月色だ。それぞれわずかな差はあれど、見知った者でなければそれぞれをきちんと認識するのは難しいだろう」
まぁ、そうだね。みんな守護鳥の姿だからね。私だけが砂色だもん。
私がまたぺしょんと尾羽を下げると、カーディーンは私の頭を人差し指でごしごしと撫でながら、小さく言った。
いつもは絶妙な力加減で撫でてくれるのに、今日は少し強めにごしごしされた。まるで私の悲しい気持ちをごしごしと拭き取るような、不器用な労わり方だった。
「沢山の美しい月に囲まれれば、たった一つの砂がどれほど美しく存在感があるか知っているだろうか?そなた達守護鳥が集まった時、まず皆が認識するのが砂殿であることを」
そうなの?
私がきょとんと見上げると、カーディーンはしっかりと頷いた。
「少なくとも私は、守護鳥の集団という認識の中で、砂殿だけを一羽として認識していたな。
だからきっと皆、砂殿だけは間違えない。砂は我が国に様々な恩恵をもらたす砂漠の象徴だ。月はもちろん貴いが、砂も我々にとっては大切なものなのだ」
そっか。そうだといいな。
「あぁ、少なくとも私にとっては大切な友だ」
ファディオラも友だと思ってくれているかな?
「さてな、それはわからぬな」
…………上げて落としたね。
私が少し憮然として言うと、カーディーンは至って真面目に答えた。
「私は私だからな。ファディオラ様の御心はわからぬ。砂殿が砂殿であるように、な。だから砂殿が友だと言うのならば、ファディオラ様と砂殿は友なのだと思う」
そっか、じゃあ私がそう思ってるから友だね。
「そうだな」
結局カーディーンが私に言ったのは、私が間違っていたかどうかは、私のしようとしたことを受け取るべきファディオラにしかわからないということだ。
ただ、そうしたいと私が願ったのならば、それはきっと私の中では間違いではないのだろうとそう言った。
慰めでも労わりでもない、私の行動を私自身に肯定させる言葉だった。
けれど私はカーディーンのその言葉で自分のしたことが少し、間違いではなかったのだと思えた。間違っていたかどうかは、ファディオラに聞けばいいのだから。そして間違っていると言われたのならば、ファディオラに謝ればいいだけの話なのだ。
だから私はファディオラが元気になったら、もう一度遊びに行こうと思っていた。
ファディオラのくれる花蜜もまた飲みたいしね。
けれど私がファディオラに、私のしようとしたことは間違いだったのかと尋ねることは、ついぞ出来なかった。
ファディオラは数日後、月の神の元に還ったリオラに会いにいったまま、アファルダートに二度と戻ってこなかったからだ。