三話 異変
「終わったわよー」
アイラの間延びした声にベットに寝そべっていた首をナキは持ち上げた。見ると髪の先端から小さい雫を滴らせたアイラが浮かんでいた。小さいながらも端整な顔立ち、しなやかで東洋の陶器の様な肌は眩しく色気こそ皆無な体つきだが優美で繊細な体は妖精の名に恥じる事の無い美しさと愛らしさを持っていると言うのに、それに加え水の雫が反射する光を纏ったアイラは一層と美しかった。
「なによ、私の顔に何かついてる?」
どうやらマジマジと見つめすぎたようでアイラは怪訝そうな顔でナキを見つめている。
「別に何でもねえよ」
見とれていた、と正直に言える筈も無く適当な言葉でお茶を濁した。
「ま、いいわ。それより夕食前にお風呂入っちゃいなさい」
まるでナキの姉であるかのようにアイラは振舞う。恐らくはアイラは宿の食堂には来ないだろう。何せ不特定多数の人間のみならず、様々な種族が出入りし飲み食いする場所は妖精にとって嫌なものなのだろう。 それでもギルドには最初は我慢して入っていたみたいだが。
「分かったよ」
着替えを持ち、今し方アイラが出て行った部屋へと入っていく前に帯を緩め外しておく。
脱衣所で旅の時にはいつも愛用しているローブを脱ぐ。このローブがなかなかどうして優れたもので防刃に始まり、複数の魔物の繊維から編まれたこれは汚れがつきにくく防臭の効果もあり水に濡れても直ぐに乾く事から長旅には重宝している。着心地も良くこれ一着あれば衣服は殆ど要らないと言っても過言ではない。
だからと言ってローブの下が生まれたままと言うわけにもいかず着ていた下着を洗濯籠に移す。
そして、左の目に巻かれている包帯にそっと手を触れる。この包帯を外すのには毎度の事ながら少々躊躇われる。包帯巻いたまま風呂に入るわけにも行かないので意を決して包帯を解いた。
裏に様々な文字が書かれた包帯が籠に落ちるのとほぼ同時にナキの左目が見開かれた。上下左右にナキの意思とは関係無く動く瞳から伝わってくる映像に目眩がする。急いで左手で左目を覆い隠す。
急いでシャワーを浴び頭と体を洗うとそそくさ体を拭き服を着、寝室へと戻っていく。
「悪いアイラ、包帯巻いてくれ」
そう言ってナキはカバンから包帯を取り出しアイラに渡す。
急いでいるのでナキの髪の毛はまだ大分濡れていた。
「しっかり拭いてから来なさいよね」
そう言って風の魔法を発動させるとナキの髪を手早く乾かす。少し熱めの風がナキの頭を撫で雫を飛ばし、髪の毛が乾いていく。
「すまん」
一通り髪の毛が乾いたのを確認した後アイラは包帯を巻き始めた。包帯の裏には脱衣所に置いてあるのと同じ様に幾つもの文字が記されている。
ロールでは無く一つのまとまりとして有る包帯を魔法を使い適度な強さでナキの左目に巻きつけていく。最後まで巻きつけそこでようやくナキは一息付いた。
「いつも悪いな」
「問題無いわ、いつものことだし」
カバンから今度は櫛を取り出すとナキは長い髪を梳いていく。そして鎖骨辺りで一纏めにして前に垂らした。
本当ならばすぐにでも洗い物はした方が良いのだが今はもう少しだけゆっくりとしたく再びベットに寝転がり寝返りをうつ。
柔らかいベットの温もりが何とも心地よく下手をするとこのまま眠ってしまいそうだ。
すると唐突にドアからノックの音が響いた。
渡りに船とばかりにベットから体を上げると返事と共に扉を開ける。
「今晩は、ナキさん」
扉の外にいたのはアスフィールだった。
「あ、今晩は」
柔らかな笑顔と共に扉の前にアスフィールは立っていた。
「これから夕飯を食べるんですけどナキさんもご一緒にどうですか? 一人では少々味気ないので」
「二人はどうしたんですか」
一瞬、三人の内一人だけがハブられる映像を浮かべてしまい僅かに悲しい気持ちになってしまった。
「二人は話があるらしいので先に夕飯を食べてしまったらしいのですが、どうでしょう」
「あーちょっと待ってください」
ナキは隙間を少しだけ開けドアを閉めるとアイラに呼びかけた。
「アイラはやっぱり食堂に行かないのか?」
ベットで寝そべっていたアイラは気怠げに声を上げる。
「行かなーい」
「なら食堂で果物でも貰ってくるけど何かリクエストはあるか?」
そこでアイラは少しだけ考えてから言った。
「なんでもいいわ」
「そうか、なら行ってくるな」
アイラを残し部屋を出ると外にはアスフィールがやはり柔らかい笑みを浮かべ立っていた。
「俺なら大丈夫ですよ」
後ろ手でドアを閉めアスフィールの横に並ぶ。
「そう、良かった」
さして長くもない廊下だが殆ど何も知らない女性と歩くのはえも言われぬ気まずさというか気恥かしさと言うものがある。
するとその事を察してくれたのかは分からないが有り難い事にアスフィールの方から言葉を投げかけてくれた。
「妖精さんと仲が良いんですね」
隣に立って歩くアスフィールが楽しそうに尋ねてきた。
「アイツとの付き合いも長いから―――」
指折り数えながら年数を数える。
「俺が十の時にアイツとあったから今年でもう六年になりますよ」
アスフィールを見やると顔に驚いた表情を浮かべていた。
「どうしたんです?」
はっきり言って今の短い話の中に驚く所なぞ一つも無かったように思われるのだが何か引っかかる所でもあったのだろうか、それ程まで驚いた顔をしていた。
そして自分が驚いた顔をしているのに気づいたのであろう、すいませんと少し顔を赤くした。
「ナキさんって私と同い年だったんですか? 私も十六なんですよ」
ほんの少し声を弾ませてアスフィールは続けた。
「でも凄いですね、ナキさんって。私と年が同じなのにもう一人で自立して仕事までして」
そんな些細な言葉の端々にまで行き渡る一種の気品の様なものにナキは気づいた。
「どうかしましたか?」
半ば無意識の内にアスフィールを見やっていたようでナキは少々の気まずさを感じた。
「何でも無いですよ」
表情を無理矢理繕いアスフィールに見せる。するとアスフィールはあっさりと誤魔化された。
食堂に着くまでの間ポツリポツリと話しているとある提案をアスフィールはして来た。
「お互い同い年ですので無理して敬語を使う必要はありませんよ」
どうして無理がバレたのかは分からないが敬語を使わなくていいのは楽で有り難いので、その申し出を受けさせてもらう。
「ありがとう、えーと……」
「アスフィールと呼び捨てにしてもらって構いませんよ」
「アスフィール、そっちも無理して敬語を使わなくても」
「いいえ、私は普段からこれですのでこちらの方が話しやすいのですから」
世の中には珍しい人もいたものだ、とナキが感心しているといつの間にか食堂に着いていた。
丁度食堂の隅の二人席が空いていたのでそこに向かい合わせる形で腰をかける。
写真付きのメニューを開き、肉のボリュームが多そうなやつを選び注文する。対してアスフィールは魚介系のメニューを選んだようだ。
料理が来ると雑談もそこそこに食べる方にナキは集中した。
幸い料理の量は大分違ったものの食べる速度にも大分差があったので二人はほぼ同時に食べ終わった。
「美味しかったですね」
「そうだな」
料理に舌づつみを打った後、席を立ち移動した時、唐突にそれは起こった。
アスフィールの首にかけられていた楕円形のアメジストに埋め込まれたロケットペンダントの優しい青色の鎖がプツリと切れた。
「あっ」
慌てて手を伸ばそうとするも時すでに遅く、無情にもロケットペンダントが地面にぶつかりそうになるも、その寸前にナキが膝を折り曲げロケットペンダントをキャッチした。
「よっと」
切れた部分を見ると鎖が完全に分かれてしまい、小手先の技術だけではどうしようもなくなってしまっている。
「どうしましょう」
アスフィールの声は食事の前と打って変わって沈んだ声を発する。
「これ大事な物なのか?」
「ええ、亡くなった母の形見なんです」
それを聞いてナキはふむ、と顎に指の第二関節を曲げ当てる。
「ひょっとしたら何とかなるかもしれない」
「本当ですか!」
ナキの言葉を聞いた途端突然目の前に希望が差し込まれたかのような表情を見せた。
「たぶん………だけど、アイラなら直せると思う」
「あの妖精さんですか?」
「ああ、火と土の魔法で直せると思う。このロケット預かってもいいか」
「でも、ご迷惑ではないのでしょうか」
相手が妖精だから気を遣っていのだろうアスフィールは少し遠慮気味なのだがその顔には頼りたいけど頼ってい良いのだろうか、という疑問が浮かんでいる。
「問題無いと思うけど、大切な物なんだろ」
「はい」
「なら大丈夫だって。アイツ、ああ見えて面倒見がいいからさ」
そう言うと安心したのか少しアスフィールが微笑んだ。
「ありがとうございます」
「礼なら直った時アイラに言ってくれ」
「はいっ」
先程とは打って変わった明るい口調にナキの顔は少しほころんだ。
このまま部屋の戻ろうとしてナキはまだアイラの食事をもらっていない事に気がついた。
アスフィールのペンダントをポケットにしまうとアスフィールを先に部屋に戻すと食堂の厨房で金と引き換えに数種類の果物を買った。
部屋に戻ろうとするとふにゃけた声がナキの背中から投げかけられた。
「あれー? あの時の少年君じゃないか、さっきぶりだねぇ」
振り向くとヘラヘラした表情を顔に貼り付けた兵士の男が座って食事を取っていた。顔にニヤニヤっとした笑みも今回は貼っつけている、不思議な表情だ。
「おっさんはあの時の兵士さん」
「ああ自己紹介がまだだったね、ナナト・フーベルトって言うから良かったら覚えてね」
相手にだけ名乗らせる訳にもいかずナキも名乗った。
「ナキです、覚えても覚えなくてもどっちでもいいから」
「うんうん、ナキ君だね。よろしく」
そう言って手を差し出してきたのでナキも一応右手を伸ばし相手の手を握り返す。
「それでさあ、ナキ君と一緒にいた女の子可愛かったよね。彼女?」
「違いますよ、護衛依頼のクライアントです」
「へえー、そうなんだ。二人共若いのに偉いねえ」
「はあ、どうも」
話の真意が掴めず疑問を抱いたまま生返事をする。
「どれくらい二人で旅をして来たんだい?」
「後二人程いるから二人じゃありませんよ。それに会ってまだ数日しか経ってません」
ナキは小さな嘘をついた。本当は更に妖精が一人いるのだがフーベルトのから発せられる不気味な感覚がナキに嘘をつかせた。
「そうなんだ。その二人も美人?」
「ええ、まあ」
これ以上フーベルトと居るのはナキの精神上余りよろしくないのでそうそうに話を切り上げる事にする。
「もういいですか?」
少し声が苛立ってしまっただろうか。
「ごめんごめん、引き止めちゃったね。ありがとう」
「じゃ、これで」
短い挨拶が終わりきらない内にナキは步を進めた部屋に戻って行ってしまった。
部屋に着くなりナキは深々と溜息をついた。
「はぁ~」
扉に寄りかかりそのままズルズルとへたり込む。
「何なんだあの男」
最初に会った時は極僅か、それこそ髪の毛一本程の違和感を感じるか感じないかその程度しかなかったのだが、二度目会った時には確かに感じた。ヘドロの様に触れた所から絡みついてくる様な感覚が右手から伝わってきそうで床に右手を擦りつけた。
「ふぅ」
一息ついてアイラが寝転がっているベットに腰掛ける。
ナキの一連の奇異の動作を見ていたようで不思議そうに声をかけた。
「何面白い事やってんのよ」
その問いかけにナキは今さっき感じた事を話した。
「ふーん、アイツ以外にナキがそんなに怯える相手がいるなんてね」
「べ、別にビビってねーし。それに師匠にだって怯えてるわけじゃねえよ」
ただ心を覗かれてそうで不快なだけだ、と最後に蚊の羽音のような声で呟いた。
「それよりさアイラこれ直せないか?」
ポケットから取り出したのは光を吸い込んで柔らかく反射させているアメジストに埋め込まれたロケットペンダント、優しい青色の鎖は途中から切れてしまっている。
それをじーっと眺めた後アイラがポツリといった。
「誰のよこれ」
「アスフィールの」
「ふーん」
何故か意味ありげな視線をナキに向けた後フーベルトと似たようなニヤニヤした顔を作った。
「惚れたの?」
「はあっ?」
「ま、いいわ。そうね………これくらいなら一晩もかからないと思うわ」
「いやいや、全然良くないぞ。何アッサリからかってアッサリ流そうとしてんだよ。そんなんじゃねーよ」
「はいはい、分かったわよ」
おかしい、言葉を重ねる度に無い墓穴を自ずから掘っている感覚に襲われる。
「ただ、アスフィールの母親の忘れ形見らしくてさ」
「相変わらず家族が絡んでくると弱いわね」
けっ、と吐き捨てる様にそっぽを向く。その頬が少し赤くなっていたのは東洋に伝わる武士の情けというやつで黙っておいてやった。
「じゃあこれ頼んだぞ」
ベットの近くに置いてある備え付けの小型の棚の上、ランプの近くに置いた。
「お休み」
そう言ってランプの灯りだけを残して残りの照明を落とした。
火のように揺らめくランプの暖かな光に照らされてアイラの小さな体が闇夜に浮かび上がる。
―――まったくしょうが無いわね。
アイラの腰掛けるすぐ近くで眠るナキの表情をみやりくすりと笑う。
ロケットに手をかざすとゆっくりと魔法を発動させる。アイラの手にかかればこの程度に魔法は音を出さずに発動させるのは朝飯前―――とそこでまだ夕飯を貰っていない事に気がついた。
一度魔法を中断し、暗視の魔法を自身の両目にかける。
ランプの灯火以外に光源の無い薄暗い部屋がはっきりと見える。そして入口近くに置いてある袋を見つける。飛んで中身を確認すると数種類の果物が収まっている。
「食べ物を雑に扱うなんて、まったくもう」
魔法で果物を中に浮かすと順繰りに食べた。ものの数分の出来事だった。
「さてと」
ベットに戻るともう一度魔法をかけ直す。すると目に見える速度で青い鎖が修復されていくのがわかる。あっと言う間に直った鎖部分を見直し本当に直っているか少々力を入れて確かめるも異常は見当たらなかった。
「あら? これ蓋に魔法がかかってる?」
試しに蓋を開けようとするも魔法のせいで硬く閉ざされており開く事は無かった。
―――こんな仕掛けされると中身見たくなっちゃうわね。
魔法を解析するための魔法を発動する。幾重にも重なった複雑な幾何学模様を順に確認してい、どの様な解除の魔法をどの様に、どの様な順に使っていけばいいのか確かめる。最後の魔法を解析し終わるという所で魔法の発動を止めた。
―――ナキに怒られちゃうわね。
魔法を発動させる前に何とか理性で欲求を押さえつける事に成功した。
暗視の魔法を解除しナキの枕元に寝転がる。ナキの長い髪を毛布の代わりにして―――。
どうしよう、とナキは寝転がったまま薄く目を開ける。勢い余って寝についてしまったが普段はこんなに早くは寝たりしない。
どれくらいの時間が経っただろうか。暗闇の中で目を瞑っていると時間の感覚が分からなくなる。時計を確認しようと体を起こそうとすると、髪の毛が何かに引っ張られる感覚を感じた。
そうっと体を向けるとアイラがナキの髪の毛にくるまって寝ているのが確認できる。
何時もの事だ。ナキとアイラが寝るとき、アイラは必ずナキの髪の毛にくるまる。
アイラ曰くナキの髪の毛はすべすべで気持ちが良いそうだ。
熟睡しているアイラの寝顔は花の蕾のように可憐で愛らしく、その寝顔を無下にする事は躊躇われた。
「仕方無いか」
ぼそっと呟いたナキは再び横になろうとする。時間なんて起きてから確認すればいいのだ。そう思い目を瞑ろうとした矢先鼻腔がある臭いを捉えた。
それは砂糖を煮詰め何倍にも濃くしたような臭い、一嗅ぎするだけでは妖精が好きそうな匂いと錯覚するかもしれないが、数秒も嗅いでいると甘すぎる臭いに目眩がし吐き気がしてくる。
「これはっ」
口元を抑え、先程まで思っていた事を頭の隅に置きやりアイラを起こす。
「なによ………何この臭い」
アイラも起きて直ぐにこの臭いに気がついたらしく眉間に皺を作る。
「とりあえずこの臭い部屋の隅に集めてくれないか―――なるべく静かに」
「わかったわ」
アイラもこの提案に賛成だったらしく一も二もなく頷いた。
何処からともなく部屋に風が吹き臭いを隅に追いやる。その間にナキは帯を手早く絞めると刀を二振り佩く。
「なんなのよあの臭い。気持ち悪いったらありゃしないわ」
アイラが怒り気味の口調でナキに問うた。
「夕暮草辺りの薬草を乾かした物を砕いて火を点けたんだと思う。睡眠薬の一種だな」
「それって!」
この臭いがタチの悪い悪戯で無い事を悟ったアイラは驚いたような声を出す。
「恐らく野盗………じゃないか。強盗か? それにしても大胆な手を使いやがるな」
ドア付近に近寄り床に這い蹲る形で頭をつけ、外の様子を伺う。複数の足音が床から伝わりナキの耳を叩く。
「ねえ、ナキ」
アイラが後ろから話しかけてくるが今はこのドアの向こうで起きている事に神経を集中させたいので無視する事にする。
「ねえってば」
足音は全部で六つ、どれもこれもが音を殺して歩いているが振動まではそうそう消せる訳が無い。そしてどれもこれもが訓練を積んだ者の歩き方をしているのも分かる。
「ちょっと話き―――」
「ああもうっ、少し静かにしてくれよっ」
小声で怒ると言う奇妙な事をやってのけたナキだが直ぐに不味ったと思った。
「な、なによぅ」
「あ、いや、悪いけど静かにしてくれ」
アイラが少し涙目になってナキを見るものだからとてつもない罪悪感に駆られてしまう。小さい見た目も相まって小動物をいじめている様な感覚に陥ってしまう。だからと言って実際は小動物程非力では無いのだが。
一度気を落ち着けて床に耳をつけドアの外にもう一度耳を澄ます。
そして直ぐに疑問が湧き上がってくる。
ついさっきまで外から聞こえていた足音が聞こえなくなってしまっている。
「やばっ」
反射的に体をドアから離し距離を取る。
次の瞬間ドアから三本の剣が飛び出してきた。
何も無い空間を通り過ぎ、手応えの無さに疑問に思ったのか剣を引っこ抜くとドアを蹴り破ってきた。ドアから中に侵入して来た奴らは三人、つまりもう三人は皆が寝ている間にお仕事というわけだ。ナキが愛用している暗黒色のローブよりも更に暗く重い、闇の帳をそのまま着込んだかのようなコートを身に纏っていた。
ナキはアイラと侵入者を遮るように立っている。
気配で幾らか相手の動きが分かるからといって目が見えにくいのは痛い、そう思っているとアイラがナキの右目に暗視の魔法をかけてくれた。まさに阿吽の呼吸だ。
ナキの右目は確りと相手の姿を確認する。三人とも背格好は似たようなもので構えている剣はどれもか細くショートソードと言うよりはエストックやレイピアと言った形を持っている。刺突を目的とした武器のようだ。
ナキも師匠から借り受けた刀を抜刀し左足を半歩引き右手で正眼に構える。
鋭く早い攻撃が三方向から僅かなタイムラグで飛んでくる。最初に飛んできた刺突は眉間を狙った突き。手首を捻り捻り込むように繰り出される攻撃をナキは首を右に傾け躱す。次いで二擊、三擊目の攻撃がナキの横に移動していた黒ずくめから両脇を狙って放たれる。それを一歩後ろに下がり回避する。
剣がナキの目の前で剣同士が擦れ澄んだ音を出してクロスした。
「あんたら何もんだ」
刀を正眼に構え相手に問うも無論返事が返ってくるわけでもなく、代わりに更なる刺突が繰り出される。後ろに少しずつ後退しながらも相手の攻撃を捌く。
窓が備え付けられた壁際まで後退し、もう後が無くなったナキに終いとばかりに三つの刺突が襲ってきた。
ナキはそれに臆すること無く上へと飛んだ。
全ての刺突が壁に突き刺さり貫通する。
天井にへばりつく形で立つナキが相手の背後を取るように床に飛び移ると一度素早く刀を真横に振った。鋭い斬撃が切り裂くのは三人の侵入者では無く、三人が立っていた床の部分が斜めに切り裂かれ壁と床の接地面が破壊されゆっくりと地面に崩れ落ちていく。
三人はバランスを崩すも無様に地面に激突するようなことは無く、体勢を立て直すと綺麗に着地を決めた。
静まり返った町に床だった一部が落ちけたたましい音が大きく響き渡った。
「アイラはアスフィール達の所へ行ってくれ」
いつの間にかナキの横に浮かんでいたアイラに声をかけた。目に浮かべた涙もいつの間にか引っ込んでいた。
「分かったわ」
そう言って壊されたドアから飛んで出て行った。
「さてと」
ナキは宿屋の自室から飛び降り床へと降り立つ。
侵入者達はまだ戦うようで戦闘体勢を解かない。ならばナキも向かい討つために構える。正眼では無く鞘を手で持ちそれに刃を収める、居合の形でなのだが。
三人は密な連携で再びナキに襲いかかってくる。踊るようにステップを踏み先程の狭い部屋では行えないであろう動きで襲いかかってくる。
一人目が正中線に穴を開けるようにナキの体に真直ぐと突きを出す。体を真横にずらし躱すと追撃するように剣を横になぎ払ってきたのでナキは剣と体の間に鞘を差し込み防いだ。
そして鞘から刀を抜き出すと共に体を回転させ相手の頭部を皮切りに体を前後に両断させようと振るう。残念ながらそれはもう一人の男によって阻まれてしまう。
金属質な音が周囲に撒き散らされ霧散した。
最後の一人が離れろと言わんばかりにナキの即頭部、耳の穴から脳を貫くように放たれるもそれはバックステップで危なげなく躱す。
再び刀を鞘に戻し相手を観察する。
一人一人の実力は高いがそれでもナキ自身には及んでいないのは分かる。相手の連携を以てしても脅威にはなりそうにない。
それを確認すると一番中央の敵に最大の速度をもって斬りかかる。
歩法 奪乖、縮地をベースに改良と試行錯誤を繰り返してより早く隠密に移動を可能にする業。
瞬き一つ程の間もなく瞬時に相手の懐に身を低くして飛び込んだ為、一瞬だが相手はナキの姿を見失った。
たかが一瞬されど一瞬、そのほんの僅かな好きが致命傷に繋がり命を落とす。
左脇腹から右肩にかけて斬り上げる。相手は何とかそれに反応しようとするも間に合わず胴体が斜めに切り裂かれ、肉が擦れる音を響かせながら啼き別れる。
しかし相手もプロなのか仲間の死に同様する事無く身を屈めているナキに上段から刺突を喰らわせようとする。ナキは鞘を地面に突き立て体を持ち上げる事で回避した。
相手の頭は丁度ナキの肩程まで下がってきている。
少し腕を曲げ力を溜め伸ばし鞘から手を離す。ほんの少し元の位置から浮いたナキは体を回転させながら刀を振り二人の首を落とした。
血振りを行い納刀しいざアイラ達の元へと行かん、と空を蹴り上げようとした瞬間アイラ達のいる筈の部屋の壁が窓ごと吹き飛び盛大な音を静まり返った安常処順の町に響き渡らせた。
宿に使われていた材料の破片がナキに降り注ぐが、それから顔を庇う事も忘れてしまう程ナキは茫然としてしまっている。
「ばっばか! やりすぎだアイラ!」
壁は吹き飛び壁だったものがあった場所には綺麗な丸い穴が空いてしまっている。
「アタシじゃないわよ!」
アイラが怒りながら丸い穴の壁から姿を見せた。
「じゃあ誰が―――」
そこまで言ってナキははっと顔を上げた。今朝―――かどうかは正確には分からないが―――ライラが見せた魔力の操作、あれが出来ればこれ程の穴をあける事は雑作も無いだろう。
そこまで考えたナキの右目にアスフィールとライラ、トーラの姿が飛び込んで来た。
アイラが暗視の魔法をかけてくれたおかげで三人の表情は確りと分かったがアスフィールの表情が申し訳なさそうな顔をしているわけがナキには分からなかった。
騒がしい足音が聞こえて来るのを感じるとトーラがアスフィールを抱え三人は飛び去っていってしまった。
「へ? あ、おい、ちょっと!」
ナキがあっけにとられているいる間に三人の姿は家屋や背の高い建物に遮られあっという間に見えなくなってしまった。
急いで追いかけようと空を蹴ろうとするもときすでに遅く、人の気配がどんどん強くなっていくのが分かる。一瞬このまま逃げてしまおうとも考えたが、直ぐにその考えを棄却した。
部屋にギルドカードが置きっぱなしにしてしまった為、身元なぞ隠しようもなく一発でバレてしまい面倒な事になる事必須。と、なると残りは―――
「アイラ、悪いけど俺の荷物からギルドカード以外全て持って暫く何処かに隠れていてくれ」
「ナキはどうするのよ?」
「仕方無いから屯所で事情を話す。その間に荷物見られるのは非常に不味いからな」
「良いけどなるべく早く出てきなさいよ」
それだけ残すとアイラはナキ達の部屋へと舞い戻っていった。
それとニアミスする形でナキに声がかけられた。
「いやー今日だけで三度目だねえ。本格的に運命を感じちゃうな」
背後から不吉な声が聞こえ慌てて振り返る。
そこにはやはりと言うかなんというかフーベルトが駆け寄ってきた。
「ナキ君がやったって事でいいのかな」
不思議な事に今のフーベルトの声にはヘドロのような不快な感覚は無かった。
「ええ、まあ」
「そう、じゃあ屯所までついて来てくれるかな」
確認口調だが有無を言わせぬ迫力を持っており、昼間最初に会って感じた己の感が間違っていない事を明白としている。
「いいですよ」
もとより面倒な事が起きないようにするつもりだったので逆らう気の無いナキは素直に同意した。
「ありがとう、助かるよ。でもゴメンね、これも規則だからさ」
そう言って手錠を取り出し、申し訳なさそうにナキの手首にかけた。
「それじゃあ行こうか」
周囲にはいつの間にか他の兵士がナキを囲むようにして立っていた。




