二話 町
待ち合わせの場所ワーステイル方面の関所に予定より十分は残して到着すると既にそこには依頼主の三人と木造の馬車一式が見えた。馬車は特に古くもなければ新しくもない、普通と言った体だ。
もう向こうには情報がいっているのでナキが行っても大丈夫な筈なのだが、なかなかどうして初対面の人に話かけるのは勇気がいるものである。何度繰り返しても馴れる気がしない。
すると向こうのボーイッシュな女性、トーラがナキの姿を見つけ駆け寄ってきた。
「今回の依頼を受けてくださったナキさんですね」
確認の言葉にナキは頷いた。
「この度は急な依頼に応じて下さりありがとうございます」
思いもよらない丁寧な対応に少々面をくらってしまった。何ともまあ礼儀の正しい人だ。今まで何回も護衛の依頼を受けてきたがここまで初対面な人に礼儀の正しい人はそうそういない。商人なら尚更だ。行きの護衛をしていた商人は態度が横柄というわけではなかったが無口で無愛想で旅の間、時間を潰すのに難儀した。
それに比べてこの女性はどうだ。見目麗しく愛想も良いので近くにいても気が楽だ。後の双子の姉妹も容姿端麗で眺めていても嫌な気はしない。ただネックなのは男女比が一対三否一体四か、これは少々気づかれする。
「私はトーラ、この商人の御者をやっています」
「あ、これはご丁寧にどうも。ナキです。こっちは相棒のアイラ」
肩のアイラを示しながら紹介する。
「ま、仲良くしてあげてもいいわ」
その言葉にトーラは驚いたような顔をしてアイラを見つめた。
「なによ、妖精が知らない人間に挨拶したのがそんなにおかしいわけ」
それを見咎めたのかアイラがトーラを見やった。
「あ、いえ、そんなわけでは。珍しかったものでつい……すいません」
どうやら本当に彼女は礼儀正しいようだ。今のにはマジマジと見つめた事と驚いた事への謝罪が含まれているのだろう。
元来妖精と言うものは人を嫌う。それはゴーストの様に趣味嗜好が違いすぎるからでは無く単純に妖精は人が嫌いなのだ。清麗にして清廉な妖精達にとって人は粗野で野蛮で汚らわしい存在だと言われているらしい。滅多に神聖樹の森から出ない事からエルフと並んでモリビトと呼ばれている。
故に本来なら妖精であるアイラがナキの紹介とは言え自ずから口をきいたのだから褒めるべき所なのだが、人がいる手前その事で褒めていいか判断がつきかねていた。もっとも褒めた所でツンケンとした態度を取られるだけだろうが。
馬車の近くに着くとアスフィール、ついでライラが挨拶をして来た。
「アスフィールと申します。この度はお世話になります」
「ライラだ」
アスフィールの方は春に芽吹く新芽のような柔らかな笑顔と共にナキに挨拶して来たのだがライラの方は冬の訪れと共に去りゆく草木の様に簡素な挨拶と不機嫌な顔が一緒になってやって来た。
「俺はナキでこっちはアイラ、今回はよろしく頼む」
二人共妖精の姿を見ると少しだけ目を見開いた。
「よろしくお願いします」
「ふん」
「もうっ、ちゃんと挨拶しないとダメよライラ」
あまりの愛想のなさにアスフィールが聞かん坊を窘める母の様に、やんちゃ盛りの弟を窘める姉の様に優しく注意する。
しかし、ライラの方はと言うとふん、と鼻を鳴らし馬車の中へと入り扉を閉めてしまった。それを見たアスフィールは気まずそうに苦笑いをする。
「ごめんなさい、あの子昔から男の子が苦手で」
「気にする事ないさ、こっちには根っからの人嫌いがいるから」
そう言ってアイラの方を見ると不機嫌な顔をした。
「じゃ、改めてよろしく」
右手をアスフィールに差し出す。それをアスフィールは見た目通りの優しく柔らかな手で握り返した。
「こちらこそよろしくお願いします」
城壁に組み込まれる形である屯所での検査を終えるとナキ達はいよいよメンフィスの首都を出た。
街と街とを繋ぐ大理石の様に白い通路、通称魔除けの通り道。その名の示す通りこの石は魔物を退ける効果を持つ石だ。その通路を挟むようにして欝蒼と生い茂る木々達のざわつきがここは人の住まう場所では無いと警告している様に聞こえる。
この道はメンフィスとワーステイルの二国を繋ぐ道の中で一番近いのだがその分リスクも有りこの道を通る商人や旅人は余り多くない。
この道に限った事ではないが、街の外部には強弱に関わらず数多くの多種多様の魔物が存在している。そのため人間は巨大な城壁を街に作り境界を定め反映して来た。
後ろを振り返ると森と白色の地面と空との境界が溶け曖昧になった今でもポツンと人を外の脅威から守る壁が見える。
それをナキは馬車の屋根に乗ってぼんやりと眺めていた。その肩にはお約束と言わんばかりにアイラが乗っている。
時々馬車の車輪が道路にある窪みの上を通る時以外は概ね快適と言える。
「暇ね」
「そうだな」
男嫌いのライラに話かけても無視されるか鬱陶しがるだけだろう。ならアスフィールはどうだ、と考えるも年齢の近い女性と共通の話題何てナキには思いつかない。
それならばトーラはどうだろうか、屋根から少しだけ顔を出し御者をしているトーラを見やる。ゆっくりと進む馬に目をやるトーラの首筋がチラリチラリと見える。
「何処に目をやってんのよ」
アイラが覚めた目でナキを見つめている。気がつくとアイラはナキの肩から離れて宙を舞っている。
「いや、別に」
そっとトーラから視線を外し屋根の中央部分まで移動し仰向けになる。少々ゴツゴツとした感触が背中を伝い脳に響くがさしたる問題では無い。手元にカバンを手繰り寄せるとゴソゴソと何かをと取り出した。
白い布製の袋に入れられていたのは色とりどり、多種多様な形をした甘い甘い細工飴。主に動物をモチーフとした飴達はどれも今すぐにでも動き出し、森に逃げてしまいそうだ。その中で一際小さな、しかし精緻な動物の形を保っている飴を取り出す。
「アイラも食べるか?」
その言葉にアイラは頷くと掌から飴を取った。
ナキも手頃な飴を取り出し口に放り込む。
この旅はひょっとしたら体感時間が短くなるのではと思っていたナキだったがそれは大きな間違いだったようだ。
暇に身を任せ口中で飴を転がし寝転がる。アイラもナキの腹の上に寝転がりナキの長い髪を玩んでいる。
ふた振りの刀は共にして小脇に置いてある。
空は憎々しい程晴天で時折雲に隠れる時に心地良い風がナキを優しく撫でる。すると心地良い風の匂いに混じって仄かに香る血の臭いがナキの顔を叩いた。
その臭いを鼻が捉えるやいなや直ぐに状態を起こす。飴を噛み砕き、今朝買ったばかりの刀に手を伸ばした。
アイラを見やると少し嫌そうな顔をしている。
臭いの発信源と思われる場所とはまだ距離は有るものの確実に近づいてくるのが分かる。
「トーラさんこの馬車止めてくれませんか」
「分かりました」
言うが早いかトーラが馬車を止める。
ナキは馬車の屋根から飛び降り、馬の前に立つ。アイラもナキの近くに浮遊する。
その様子をトーラは一連の動作を確りと見ていた。すると急に止まった馬車を不思議に思ったのかアスフィールが扉を開け降りてきた。
「どうかしたのですか?」
「魔物がこっちに近づいてきてるから馬車の中に戻っといた方がいい」
その言葉に少しだけ顔を強ばらせたが素直に聞き入れてくれたようだ。
「お二人共、気をつけてくださいね」
その言葉と共に馬車へと乗り込んだ。
そこらへんにありふれた言葉だが、会って間もない人に言われるとなかなかどうして信用された気になってくる。
「トーラさんも中へ入っていた方がいいですよ。念のために」
一瞬葛藤が垣間見えた気がしたが従ってくれたようで、こちらからも気遣いの言葉をナキに投げかけてくれた。
何も相手が現れるのを待ってやる必要は無いのでアイラを護衛として残し森の中へと入っていく。
現れたのは足が六つ、目が五つある狼らしき魔物。身の丈は馬と同じくらいの体躯をしている。初めて見る魔物だがこの道に近寄れるのだから強さはCの上程度だろう。まかり間違ってもナキが負けるような事は無いだろうが油断は禁物である。何せナキは守らなければならない者がいるのだ。許されるわけがない。
血が滴っている口で狼型の魔物は威嚇する。
「グルルル」
それに呼応するようにナキの刀に巻いてあったさらしが独りでに解かれる。
「試し切りには少し物足りないか」
抜き身の刀を右手に携え鋒を魔物に向ける。
先に動いたのはナキだ。
ナキと魔物の距離はおよそ十メートル程、その距離を瞬く間に詰め準備運動だと言わんばかりに軽く真横に一閃する。それを魔物は後方に跳び避ける。巨体に合わない俊敏さだ。
次はこちらの番だと言わんばかりに魔物が跳びかかってくる。
バカ丁寧な攻撃、低脳な獣型の魔物に相応しい直線的な攻撃だ。正面から受けてやる義理も無いので歩幅一歩分横に避けるとすれ違いざまにまた真横に一閃。それだけで魔物は口から上下に分かれ絶命した。
あまりのあっけの無さ過ぎる結末にナキは落胆した。
これでは刀の性能を試す事も出来なかったではないか。嘆いていても仕方のない、血払いをするとまたさらしが独りでに刀に巻き付いた。
本来なら狩った魔物で有効活用出来る部位を剥ぎ取るのだが、依頼任務中はそういうわけにも行かない。商品に臭いが移ったら大変だし、食料品なら万が一があってはならない。そういうゴタゴタがあると商品の賠償云々と面倒な事になるのでギルドは護衛依頼中の剥ぎ取りは禁じている。
準備運動にもならなかった事に名残惜しさを感じつつ馬車へと戻った。
夜、道路の脇に一定の間隔で建っている小屋の近くに馬車を止めるとナキ達は中に入った。小屋は二階建てで壁の所々には道路と同じ石が使われていて魔物を避けるのに一役かっている。
この石は皓洗石と呼ばれ魔物を退ける不思議な力を持っている。古くから人々が使ってきた石なのだが原理は解明されておらず多くが謎に包まれた石だ。加工は用意であらゆる場所に分布しており採取出来るという優れ物だが、ある一定の強さを持つ魔物には効果が無いという事実もある。
この道は皎洗石を敷き詰めて整備したはいいものの強力な魔物が頻繁に現れ並の人達は近づかない。と言ってもBランク程の強さを持っていれば安全に通れるレベルだ。
小屋の中で静かな夕食をとり睡眠と言う事なのでナキは三人を二階へ見送った。部屋は三室しかなくナキの寝るスペースは自ずと一階のソファーへと限られた。アスフィールとトーラは申し訳なさそうにしていたが仮に部屋が四部屋あったとしても侵入者対策としてナキは一階で寝ただろう。その事を伝えたら二人共も最後にお休みと言って部屋へと向かった。
今日一日で進んだ距離を考えると明日の夕方にはアナスの町に着くだろう。そこからワーステイルとメンフィスの国境には八日程だろうか。更にそこから四日程で首都テイニアに着くだろう。
ソファーに体を沈め刀を抱きかかえるようにして目を瞑った。
アイラもナキの近くに身を沈め眠りについた。
夜中に異常は無く、恙無く朝を迎えた。意外な事に一番初めに起きたのはライラだった。階段を降りる音がナキの耳に入り意識を呼び起こさせた。だが態々それで起きあがる必要も特には無かったのでもう少し体を横にしていようと思ったのだが、扉が軋み開く音がしたので慌てて起きた。
「どこ行くんだ?」
「お前には関係ない」
余りにも素っ気ない一言と共にライラは扉を閉めた。
ナキはため息をつくと二振りの刀を持ちライラを追いかけた。
「何故ついてくる」
鬱陶しそうなライラの言葉にも何処吹く風とばかりにナキは答えた。
「何処に行くかは知らないが、この近くは皎洗石の効果で魔物が余り寄り付かないと言っても危険な事には違いない。そんな所に護衛対象を一人で歩き回らせるわけにはいかないだろ」
「それならば、アスフィールも同じ事だ。そちらを守ればいいだろう。自身の身くらい自分で守れる」
いや、それなら俺を雇う必要は無いだろうとナキは心の中で思ったのだが、ライラは男嫌いであるから単に嫌いな男に守られるのが嫌なだけなのかもしれない。
少し森を深く入った所に僅かに開けた場所があった。その広場の中央付近に步を進めるとライラは歩みを止め深く深呼吸をした。
ナキは手頃な石に座り事の成り行きを身守る。
ライラの周りの空間が少しだけ揺らめいた。その空間辺りの魔力の密度が高まった時に見られる現象だ。辺りに魔力を散らす事無く一箇所に集め留まらせる事は人間には簡単に出来る事では無い。それは高度な技術を収めている事にほかならない。そして類稀なる魔力を保持している事の証明になる。
確かにこれならナキ自身必要無いかもしれないが、魔法使用者は往々にして後方から魔法を発動し敵を倒すのが常だ。強力な魔法を使うにはそれなりの時間が必要だ。そして精神を集中させる環境も。よって魔物と一対一で対峙するのには適しているとは言い難い。最も何事にも例外はある様にこれにも例外はあるのだが。妖精やエルフなどが最たる例だ。彼らは人よりも魔法を上手く使える。精神も人程高める必要はなく高い威力の魔法を使える。
一通り魔力の収縮と体内への吸収を繰り返すと、ライラがナキを振り返った。
「何だ、まだいたのか」
ライラが心底鬱陶しそうにナキを見やった。
恐らくは自身の実力を見せれば帰るだろうと思ったのだろうが、生憎魔力の集中に気を取られすぎて周りが分からなくなるようでは、ライラを放って帰るわけにはいかない。
その事を伝えるとライラはふんっ、と鼻を鳴らしそっぽを向いた。が、ナキが帰らないのと知ると諦めて帰路につこうとした。
「お前って魔法使えたんだな」
「お前に話す義務は無い」
帰路に着く短い道すがらライラに話しかけたのだがすげなく、袖に付いた土を振り払うが如く断られてしまった。まあ、ここは無視されなかった事に喜ぶべきところかは意見が分かれる所だが。
「どこ行ってたのよ! 起きたら近くにナキが居ないからびっくりしたじゃない」
小屋に戻ったらアイラが小さい体を目いっぱいナキの目の前に広げ抗議している。その後ろではアスフィールとトーラが朝食の用意をしていた。
「おはようございます、ライラ、ナキさん」
と、後ろの二人が声をかけてきたのでナキもそれに応じる。
「おはようです」
そう言って頭を軽く下げる。ライラは既に席に付いていた。
「態々すいません、昨日に続いて今朝のまでご馳走になって」
テーブルの上には四人プラス妖精一人分の朝食が用意してある。
「大丈夫ですよ、三人分作るのも四人分作るのも手間は同じようなものですから」
そう言ってニッコリと微笑む。
トーラ、アスフィール、ライラの順に右から座り、その対面にナキが座りアイラは机の上にペタンと座った。
ジャガイモを使ったスープにベーコンを焼いた物をパンに乗せ最後に数種類の果物が添えられていた。
アイラ様には全て妖精サイズに切られている果物が出された。
簡単だがナキには決して出せぬ味の朝食を味わい一行は再び出発した。
旅は快適、天気は快晴、今日も今日とていい旅日よりだ。晴れている方が魔物が近寄ってきた時に気づきやすい。それに雨が降ると馬車の中に入らなければならなくなる。落ち込んでもいないのに雨に打たれる趣味はナキにもアイラにも無い。おまけに荷物が積んである馬車に人が三人入れるスペースは無い。
ナキは屋根に寝転がり手で日光を遮りながら欠伸を一つ。
「そういえば、その刀どう? 使い勝手はいいの?」
「あんな奴斬ったくらいじゃまだ分かんねえよ。せめてもう少し歯ごたえがありゃなあ」
今度は腰に差したままの刀に手をやる。
特に会話も無いまま馬車にあるがままに揺られていたナキが少し疑問に思った事をトーラに聞いてみる。
「トーラさん達って何で三人で商売してるんですか?」
屋根から頭だけ出しトーラを見下ろす体勢で質問を投げかけた。
「何で、とはどう言う事でしょうか?」
「女性三人で商売の旅って珍しいから気になってつい、答えたくなかったら無視してもらっても構いませんけど」
その問いに後ろからでは分からなかったがトーラは少し考える素振りをした後口を開いた。
「この旅はお二人にとっての試験なんです」
「試験?」
オウムのように聞き返すナキにトーラは答えた。
「はい、お二人の父親が娘に店を任せられるのかどうか、その試験なんですよ。私はお目付け役兼御者の役割を担っているのです」
「商人の息女も大変なんですね」
「こんな事をしている所はそう多くは無いと思いますけどね」
そう言ってトーラは苦笑いする。
「それなら店はメンフィスにあるんですか?」
「ええそうですよ」
「確か今回の商売は果物を売りに行くんですよね」
「ええ、ワーステイルは果物が有名ですからいかに上手く他国の果物を売るか、そこが今回の試験の内容なんです」
二人の話は恙無く進んだ。
空は快晴で森も風のそよめきで微かに囁くのみ、仄かに耳をくすぐる音が何とも心地よく、また時折訪れる静寂が安らぎを形作る。
―――嵐が訪れるとも知らずに。
予定は大分繰り上がり昼過ぎにはアナスの町に付いた。アナスの町はメンフィスの首都メンフィシニアに近い割りには活気が無く規模も小さく商人の往来も少ない。
その理由の一つとしてはアナスの町周辺には比較的強い魔物が出やすく、しかし外壁の強度はさして高くは無いため魔物の侵入は多い。その為強い冒険者を雇えない商人はこの町を迂回し遠回りしてでもメンフィシニアに行く傾向が強くアナスの町は商人から距離を置かれている不憫な町である。
屯所で簡単な検査を終えるとナキ達は町へと入っていく。
メンフィシニアと比べると明らかに人通りの少ない町を馬車の屋根に乗りナキは行き交う人々を見下ろしている。
木造五階建ての建物には野兎の宿屋と書かれた看板が備え付けられておりそこが宿だと言う事を如実に表している。
護衛依頼の時は基本宿代は依頼主持ちになる。その反面食費は自分で何とかしなければならないのだが、今回の依頼主は食事まで出してくれるという待遇で何とも言えぬ幸運である。
二人部屋一つと一人部屋二つを取ったナキ達は荷物を置いて食事の買い出しに出かけることになった。
トーラ自身一人で行くと言っていたのだが、食事を出して貰っているのにも関わらず何一つ手伝いをしないわけにもいかないので、念のためアイラにアスフィールとライラの護衛を任せ買い物に出かけた。
「こんなことに付き合ってもらいありがとうございます」
「いいんですよ、昨日の夕飯も今日の朝食も頂いたのに何も手伝わないわけにはいきませんし」
初めてでは無いにしろ一度しか来たことの無い人間にとってはいかに小さい町と言っても気を緩めれば即迷子になる。それをナキは今までの経験から痛いほど分かっていた。道に迷わない様にここから宿までの道順を懸命に記憶していたのだが……
「どこだ、ここ」
いつの間にか隣からトーラの姿がいなくなり見覚えの無い町並みが広がるばかりである。食材が入った袋を両手にぶら下げて茫然と立ちすくむ。町を行き交う人々が自分を笑っているような、そんな被害妄想に囚われかけると後ろから肩をツツンと叩かれた。トーラかと思い振り返ると残念ながら中年の男だった。
「ちょいといいかね、そこの若者君」
よれよれの服に締まりの無い顔には締まりが無くヘラヘラっとしており、おまけに無精髭まで生やしている。一見するとどこぞの酔っ払いかと見間違えるほど覇気が感じられない。
ただ目の前にいる男の存在が只者ではないとナキの感が告げていた。男の腰には剣がひと振り挿してあるが何もそれだけではない。隙だらけに見えるその風体は見るものが見れば隙など無いことがありありと分かる。
「何か用ですか」
不審臭が漂う男にナキは眉をひそめ何時でも逃げられるよう重心を僅かにだが後ろに倒す。
「そう警戒しなさんなって。こんな風貌だが怪しいもんじゃないんだ。ホントだよ」
言葉を重ねる毎に胡散臭さが増していく男に無視して行ってしまおうかと思った矢先に男はある物を取り出してきた。
手のひらサイズの金版に王冠を剣が貫いている紋様が刻まれている。
「こういうもんで」
ヘラヘラと笑った顔のまま男は笑った顔で金版を懐にしまう。
どうやらここで逃げたら後々面倒な事になるだろう事は必須、諦めて男の話を素直に聞くことにする。
ナキが話を聞く気になった事が分かると男は前置きもそこそこに話を切り出した。
「実は人を探していてね、二人いるんだけど一人は金髪つり目でもう一人は金髪なんでけと優しそうな感じの顔立ち、この二人は双子だそうなんだけどどうだろう、心当たりあったらオジさん嬉しいなー、なんて」
この男は本気で言っているのだろうか? そんな人間はこの世に五万といるのは分かりきった事だというのに、その程度の特徴で見つかるとでも思っているのだろうか。
「顔写真とか無いんですか。まあ、あってもこの町の住人じゃ無いから分からないかもしれないけど」
「残念だけど諸々の事情があって写真も似顔絵も無いんだよねぇ。あと君に聞いたのはこの町の住人じゃ無いからだよ。彼女らも旅をしようとしてるって聞いたからひょっとしたら知ってるんじゃないかと思ってね」
「どうして町の人じゃ無いって分かったんですか」
「ん? ああ、実は君が宿から出るのを見かけてね。その時は話しかけなかったけどもう一度君を見つけた時これは運命だ、何て思ってね声をかけてみたんだけど」
気色の悪い運命だなと思ったがそれを何とか飲み込み苦笑いを浮かべた。
「はぁ、やっぱりこんなんで見つかるわけ無いよなぁ。損な役割だよな」
ヘラヘラした笑みはなりを潜め心底めんどくさそうな表情が現れる。
「そういえば君と一緒に女の人もいたよね。彼女は何か知らないかな?」
そう言って辺りを探しそこでナキの現状を悟ったようだ。
「ははぁ、君もしかして今迷子になってるかんじ?」
「ええ、まあ」
別段見知らぬ町で迷子になっても恥ずかしい事では無いのだが、ナキはそう思える程神経は太めでは無かった。
「野兎の宿屋ならこの道を真直ぐ行って二番目の角を右に曲がれば直ぐだよ」
そう言って身振りを交えて道順を押してくれる。
「あ、わざわざどうも」
「いえいえ、困った時はお互いさまと言う事で。と、言うわけで何か分かったら僕に教えてよ。この町の中央付近にある屯所にいるからさ」
男が立ち去ろうとした時に今度はナキから声をかけた。
「その二人は何したんです?」
「僕みたいな下っ端にそんな情報は伝わって来るわけないじゃない」
じゃね、と後ろ手で手を振りながら男は去っていった。
男に教えられた道を辿り右に曲がろうとした途端、いきなり人が飛び出してきて思わずぶつかりそうになった。
「あっ、良かった無事だったんですね!」
出てきた人影はトーラさんだったようでナキは見つけるや心配そうな声をだした。
「すいません、少し道に迷ってしまって」
「いえ、無事ならそれでいいんです」
迷惑をかけてしまったと言うのに全く怒る様子も無いトーラに尚の事申し訳がたたなくなるナキであった。




