第一話 森の薬草摘み
木々の間から差し込む陽光が、緑の葉を淡く照らしていた。
アルヴェシアの森は、今日も静かだった。
風が吹くたびに枝葉が揺れ、鳥たちのさえずりだけが森の奥へと響いていく。
「ここらへんに群生していると思うんだけど……」
木々の間から差し込む光を柔らかな赤毛に浴びながら、軽やかにエルフの少女が歩いている。
少し後ろを銀髪のまっすぐな髪を揺らせて、華奢なエルフの男の子が続いている。
「あっ、これこれ」
赤髪の女の子、エレナが指さした先には、岩陰に群生する小さな草があった。
「これ?」
銀髪の男の子、リオルは不思議そうな表情で応えた。
「うん。それ、傷薬に使う薬草なの。葉っぱが傷ついてないものを選んでね」
「分かった」
リオルはしゃがみ込み、根元を傷つけないよう慎重に薬草を摘み取った。
摘み取った薬草を籠に入れ、ふとエレナの方を見る。
同じ草を摘んでいるエレナの足元に青い生物が跳ね回っていた。
エレナのペットであるスライムのポヨである。
丸い身体を弾ませては、地面に落ちた木の実を追いかけ、どんどん離れていく。
「ポヨ、あんまり遠くに行くなよ」
リオルが声をかけると、ポヨはぴたりと動きを止めた。
そして、こちらを向くように身体を傾ける。
「大丈夫よ。ちゃんと見てるから」
エレナが笑いながら言った。
「そうは言っても、こいつ、目を離すと何をするか分からないからな」
「ポヨは賢いもの。ね?」
エレナが呼びかけると、ポヨは嬉しそうに跳ねた。
その勢いで木の実にぶつかり、木の実がころころと転がっていく。
ポヨは慌てて追いかけ、草むらの中へと消えていった。
その様子を見て、リオルは小さくため息をついた。
「……いいよな、ポヨは」
「何が?」
「何も考えなくてよさそうで」
「何それ。ポヨだって、いろいろ考えてるかもしれないじゃない」
「そうかな」
リオルは自分の手に目を落とした。
長く尖った耳に、すらりとした身体。
森に暮らすエルフとして生まれたことは、誰が見ても明らかだった。
けれど。
「俺、本当にエルフなのかな」
「え?」
「だって、エルフって魔法が得意なんだろ?」
エレナは少しだけ首を傾げた。
「そうね。エルフは魔法の扱いに長けているって言われてるわね」
「でも、俺は全然だ」
リオルは籠の中の薬草を見つめた。
「魔法だってまともに使えないし、森の中を歩いていても、特別何かに気づくわけでもない。ほかのエルフみたいに、自然の声が聞こえるわけでもないし」
「自然の声って……。そんなもの、誰にでも聞こえるわけじゃないわよ」
「そうなの?」
「そうよ」
エレナは呆れたように笑った。
その足元で、ポヨが草むらから顔を出した。
身体の上に小さな葉っぱを乗せたまま、二人の様子をうかがっている。
「でも、エルフは魔法が得意なんだろ?」
「得意な人が多い、ってだけでしょ。みんながみんな、すごい魔法を使えるわけじゃないわ」
「それでもさ」
リオルは自分の手を握った。
「何か1つくらい、エルフらしい長所があってもいいと思わないか?」
「リオルには剣があるじゃない」
「剣?」
「おじいさんに教わってるんでしょ?」
「ああ。でも、あれはエルフだからできることではないし」
「そんなことないと思うけど」
「……まあ、いいや」
リオルは話を切り上げるように立ち上がった。
エレナはそんな彼を見て、少しだけ表情を和らげた。
「でもね、リオル。エルフだからって、みんな同じじゃないのよ」
「それはそうだけど」
「ふふっ。」
エレナは小さく笑った。
ポヨがエレナの足元に近づき、彼女の靴に身体をすり寄せる。
エレナはしゃがみ込んで、ポヨの身体に乗っていた葉っぱを取り除いた。
「ほら、ポヨ。そんなところで遊んでると、また葉っぱだらけになるわよ」
ポヨは嬉しそうに跳ねた。
アルヴェシア女王国。
大陸の南方に広がる深い森と、そこに暮らすエルフたちの国。
人間の国々とは異なる文化を持ち、古くから自然とともに生きてきた。
森の恵みを受け、薬草や木材を採り、独自の文化を受け継いできた。
その一方で、森の外へ出ることを望まない者も多い。
人間との交流は限られ、外の世界を知る機会も少なかった。
リオルは、そんなアルヴェシアで生まれ育ったエルフの少年だった。
そして、彼にはもう1つ、気がかりなことがあった。
「……なあ、エレナ」
「なに?」
リオルは少し迷ったあと、ぽつりと尋ねた。
「洗礼を受ければ、エルフになれるかな?」
「え?」
エレナは思わず聞き返した。
「どういう意味?」
「いや、洗礼を受ければ、エルフらしい力が手に入るんじゃないかって」
「そういうことじゃないと思うわよ」
「そうかな」
「だって、洗礼はエルフになるための儀式じゃないでしょ?」
「……まあ、そうだけどさ」
リオルは少しだけ肩を落とした。
「でも、そうね……」
エレナは少し考えてから、口を開いた。
「私が去年、洗礼を受けたときは、自分がどんな魔法を使えるようになるのか、楽しみだったわ」
「エレナはそうだったんだな」
「うん。創造の力を選んだのも、薬を作るのが好きだったからだし」
「“創造“の力を選んで、“知識“の力を授かったんだよな」
「そう。そっちは神様が決めてくださったの」
エレナはそう言いながら、籠の中の薬草を1つ手に取った。
ポヨがその手元に近づき、薬草の匂いを嗅ぐように身体を伸ばす。
「ポヨ、それは食べちゃ駄目よ」
エレナが注意すると、ポヨはぴたりと動きを止めた。
そして、何事もなかったかのように、くるりと向きを変えて草むらへと跳ねていった。
「“授かりし力“って、どんなふうに決まるんだろうな」
リオルが尋ねた。
「さあ? 神様の考えることなんて、私にも分からないわ」
エレナは肩をすくめた。
「でも、洗礼を受けるときに、自分で選べるのは“選びし力“だけなのよ」
「“選びし力“と、“授かりし力“……か」
リオルは考え込むようにうなずいた。
洗礼。
それは、この世界に生きる多くの人々が、人生の節目に受ける神聖な儀式だった。
人々は洗礼を通じて神々の加護を受け、自らの魔法の属性を授かる。
世界には、それぞれ異なる力を司る十二柱の神々が存在する。
光、闇、大地、海、空、炎、生命、死、知識、夢、時、創造。
それぞれの神が司る力は異なり、魔法の性質もまた、その属性によって変わる。
洗礼を受ける者は、まず自分の意思で“選びし力“を選ぶ。
そして、もう1つの“授かりし力“は、神々の意思によって授けられる。
自分で選んだ力と、神から授かった力。
2つの力を合わせて、その人の魔法の基礎が形作られるのだ。
エルフが洗礼を受ける年齢は、一般的に十六歳から二十歳。
アルヴェシアでも、リオルは十六歳を迎え、洗礼の日が近づいていた。
「リオルは何を選ぶつもりなの?」
エレナが尋ねた。
「まだ考えているんだよね」
「大地とか?」
「うーん……」
「生命もいいんじゃない? 薬草にも詳しくなれるかもしれないし」
「それも考えたけどさ」
リオルは少しだけ視線を落とした。
「俺が本当に欲しいのは、そういう力なのかなって」
「どういうこと?」
「……いや、何でもない」
リオルは首を振った。
自分が何を望んでいるのか。
それすら、まだはっきりとは分かっていなかった。
エレナはそれ以上、追及しなかった。
代わりに、籠の中を覗き込んだ。
「そういえば、銀葉商隊はいつ帰ってくるの?」
「三日後だよ」
リオルはすぐに答えた。
「三日後?」
「ああ。イグニノから薬瓶を買い付けてくるはずだ」
「良かった。もう少しで薬瓶が無くなりそうなのよ」
「そんなに作ってるの?」
「うん。最近、薬を作る量が増えてるから」
「そりゃ大変だな」
「他人事みたいに言わないでよ。リオルだって、薬草を摘んでくれてるでしょ?」
「まあ、それはそうだけど」
リオルは苦笑した。
そのとき、ポヨが草むらから勢いよく飛び出してきた。
何かを見つけたのか、二人の周りをくるくると跳ね回る。
「ポヨ、どうしたの?」
エレナが尋ねると、ポヨは足元でぴたりと止まった。
その身体には、小さな木の実がくっついていた。
「また木の実を追いかけてたのか?」
リオルが笑う。
ポヨは答えるように、ぽよんと大きく跳ねた。
銀葉商隊。
それは、リオルの父レイブンが率いる商隊の名前だった。
近隣の町レイナを拠点とし、大陸各地を巡って商品を運ぶ。
薬草や薬、工芸品などを各地へ届ける一方、外の国々からさまざまな品物を仕入れてくる。
その中には、アルヴェシアでは手に入りにくいものも多かった。
今回、商隊が向かったイグニノも、その仕入れ先の1つだった。
リオルは、父たちが旅先でどんなものを見て、どんな話を聞いてくるのかを想像した。
商隊が帰ってくる日が近づくと、自然と心が弾む。
外の世界の話を聞くことができるからだ。
「帰ってきたら、また面白い話が聞けるかな」
「そうね。珍しいものもあるといいね」
「うん。今度はどんなものを持って帰ってくるんだろうな」
「楽しみね」
エレナは籠を持ち上げた。
「よし。今日はこれくらいでいいかな」
「もう終わり?」
「うん。これ以上摘んでも、使い切れないもの」
「そっか」
リオルは籠を覗き込んだ。
薬草は十分な量が集まっていた。
「じゃあ、帰ろうか」
「そうね。ポヨ、帰るわよ」
エレナが呼ぶと、ポヨは草むらから飛び出してきた。
そのままエレナの足元まで跳ねてくると、彼女の小さな鞄の中へと潜り込んだ。
「よし、いい子ね」
エレナは鞄を軽く叩いた。
鞄の中で、ポヨが小さく跳ねる。
二人は草むらを出て、森の小道を並んで歩き始めた。
木々の隙間から、遠くにアルヴェシアの町並みが見えていた。
「じゃあ、またね、リオル」
「ああ。またね」
いつもと変わらない、穏やかな一日。
けれど、リオルの胸の中には、洗礼への思いが静かに残り続けていた。
*夕暮れ時。
リオルの家では、食卓に料理が並べられていた。
「リオル、ガウル。ご飯よ」
リオルの母レティシアの声が、家の中に響いた。
「はーい」
リオルは返事をしながら、椅子に腰を下ろした。
向かい側には、狼の耳が生え若干長く突き出した鼻先を持つ少年、ガウルが座っている。
ガウルはリオルと同じくらいの年頃で、幼い頃から兄弟のように育ってきた仲だった。
「俺さ、今日は村のみんなと角猪を捕まえに言ってたんだけどさ、結構たくさんいてさ。」
ガウルが口を開くと長くとがった犬歯が覗いている。
「捕まえないと畑も荒らされるし、俺も結構頑張ったんだけど、何頭かは逃しちゃったよ。」
「そうか。それは大変だったな。」
「今度はお前もいこうぜ。」
「ああ、そうだな。」
ガウルがリオルを見て尋ねた。
「お前は薬草摘みか?」
「ああ。エレナと一緒にね」
「ふーん。で、どれくらい採れたんだ?」
「結構とれたよ。薬瓶がもうすぐ無くなるって言ってたから、早めに切り上げたんだけどね」
「薬瓶?」
「親父たちがイグニノから薬瓶を持ち帰ってくるのを待ってるってさ」
「そうか。今回はイグニノからか」
「そうだね。三日後に戻るね。」
ガウルの表情が和らいだ。
「オヤジたちももうすぐ帰ってくるな」
「ああ。そうだね」
リオルも笑顔でうなずいた。
ガウルの父バウスも、護衛として銀葉商隊に加わっている。
キャラバンが旅に出ている間は夕飯を一緒に食べるのが常だった。
リオルの母、レティシアが二人の前に料理を置いた。
おいしそうな香りにガウルの鼻がぴくぴく動き、尻尾が揺れた。
「今度はどんな話を聞かせてくれるかしらね」
レティシアが食卓に座りながら言った。
「そうだね。楽しみだね」
リオルはそう言って、食卓に並んだ料理に目を向けた。
「いただきます」
三人の声が重なった。
こうして、リオルの一日は静かに終わろうとしていた。




