裏切ったのは誰なのか
目の前にある光景に、マリータは零れんばかりに目を瞠った。
何故ならマリータの視線の先には、半年前に結婚したばかりの夫エドガーが侍女とあられもない姿で、ベッドの上にいたからである。
結婚して初めて里帰りした実家から予定より早めに帰ってきたら、夫が侍女と自分達の寝室でまぐわっているなど悪夢でしかない。
子爵令嬢だったマリータが伯爵令息だったエドガーと結婚したのは、貴族同士の完全なる政略結婚だ。
そこに愛はないとはいえ、結婚半年で浮気をされるとは思っていなかったマリータは一瞬呆けたものの、沸々と怒りがわいてくる。
そのままズンズンと二人に近づくと、エドガーに人差し指を突き付けた。
「結婚半年で浮気なんて信じられない! しかも侍女となんて!」
情事の最中に怒鳴り込んできた女主人の登場に、侍女は慌ててはだけた身体を隠そうとシーツを手繰り寄せようとするも、怒りも露わにそれを阻止したマリータと目が合い、恐怖と羞恥で泣き出してしまう。
対するエドガーはポカンとした顔で目をパチクリさせると、不思議そうに首を傾げた。
「何でそんなに怒っているんだ? 貴族が浮気をするのは当然じゃないか。子供はできないようにしてるし、何か問題でもあるのか?」
心底不思議そうに言い放ったエドガーに、マリータは目を剥く。
「問題だらけよ! 今の状況が、わからないほど頭がお花畑なわけ? 離婚よ! 離婚!」
怒りで喚き散らすマリータを他所にエドガーは涼しい顔だ。
「離婚か~。してもいいけど、君に慰謝料払えるの?」
「はぁ? 慰謝料を払うのは浮気したエドガーでしょう!?」
呆れて言い返せば、エドガーの方が目を丸くする。
「何で? 夫の浮気を理由に離婚なんてできないよ? それよりも女性の方から離婚を言いだす方が問題だ」
「何よ、それ!」
「何って、貴族典範。貴族男性は高貴な血を残すために平民との結婚は認められないが、性欲の処理として愛人を囲うことは許されている。マリータが実家に帰ったせいで、僕は性欲を処理できないから侍女と寝た。僕が浮気をしたのは君が、僕が発情した時にいなかったのが原因。だから僕はちっとも悪くない。そんな僕に離婚を突き付けた君は冷酷非道だから、慰謝料を支払う義務があるってわけ」
淡々と話すエドガーは、自分が悪いとはこれっぽっちも思っていないことが、言い分と態度からも明白だった。
「何よ、それ……」
「寛大な僕は一度の過ちなら許してあげるけど、次はないからね」
ワナワナと震えるマリータは、何故自分が許してもらう方の立場になっているのか理解ができない。
そんな彼女に追い打ちをかけるようにエドガーは溜息を吐くと、ベッドの上でまだ泣きながら震えている侍女へサッサと手を振った。
「あ~ぁ、萎えちゃった。君、もう出てっていいよ。ああ、マリータ。嫉妬してるなら今から代わりに抱いてやろうか?」
「最低!」
バターンと扉を閉め出て行った背後でエドガーの笑う声が聞こえ、マリータは血が滲むほど拳を握りしめる。
そのまま、また伯爵家を出ていった。
「許せない! 許せない! 絶対に許せない!」
実家から婚家へ帰ったばかりだと言うのに再び戻ってきた娘に、子爵家の使用人達は目を丸くするが、マリータは怒りのままずんずんと父親の執務室へ向かう。
だが父親に訴えても無駄だった。
それどころか浮気くらいで夫を詰り、実家に戻ってきたマリータに罵声を浴びせてきたのである。
そういえば父親も男尊女卑の気が強く、浮気は当たり前だったと怒り心頭に達したマリータ。
母親の取り成しで、その場は何とか収まったものの完全に不貞腐れていた。
「何が浮気は男の甲斐性よ! 何が貴族男性の嗜みよ! もげちまえ!」
用事があると外出していった父親に言われた言葉にマリータが毒づく。
「お父様も所詮は男性の味方なのよね。今だって愛人の所へ向かったの知ってるんだから。お母さまったらよく我慢しているわよね」
憤慨するマリータに「もう慣れたわ」と母親が諦めたように息を吐く。
「この国は男尊女卑が色濃いでしょう。隣国から、あんなに優秀でお綺麗な王妃様を娶り、愛らしい王女様までいらっしゃる国王陛下でさえ、愛妾がたくさんいらっしゃるのですもの」
「それでも許せないものは許せないわ! ただの屑男じゃない!」
今日ばかりは母親もマリータの暴言を黙認してくれるらしい。
怒りの気持ちを吐き出したお陰か、少しだけ気分がすっきりした気がしてマリータは冷静に今後のことを考える。
先程は怒りで我を忘れていたけれど、確かに貴族典範、いや、それだけではなく国法でさえ、女性に不利なように作られていることを思い出した。
今のままではエドガーの言う通り慰謝料は貰えず、父親にも離婚を反対されたため実家に戻ることもできない。
それは経済的に厳しいものがある。というか野垂れ死ぬ未来しか見えない。
そう判断したマリータは渋々ながらも伯爵家へ戻るしかなかった。
しょぼくれながら婚家へ戻っていったマリータが座っていた席を、母親は見つめる。
「……そうね。私も屑男だと思うわ……」
呟いた声は誰の耳にも届かなかった。
伯爵家へ戻ったマリータにエドガーから事の顛末を聞いたのか、義父の態度は冷たいものだった。
ただ義母はすまなそうに目を伏せると、あの侍女は辞めさせたと耳打ちしてくれる。
浮気はいいが浮気相手が同じ屋敷にいるのは、やはり問題あると判断されたらしい。
今後は外に囲うからと、あっけらかんと言い切ったエドガーに顔面パンチをお見舞いしたいのをぐっと堪えて、マリータは我慢の結婚生活を続け、やがて子供も生まれた。
それから数年後、マリータの実家の父親が亡くなった。
愛人の家で情事の最中に亡くなった父親は、死後とはいえ検死や調査のために多くの人に全裸を晒すこととなり失笑をかった。
しかし家の恥だというのに母親はどこか晴々とした表情だった。
マリータは長年夫の浮気に悩まされた母親がやっと解放されたのだと思うと、父親が亡くなったというのに、あまり悲しみを感じられなかった。
そのすぐ後、今度は義父とエドガーが事故にあう。
領地を視察し、娼館に立ち寄った帰りに豪雨にあい馬車が谷底へ落下したらしい。
義父は亡くなりエドガーは何とか一命はとりとめたが、両足を負傷して寝たきりとなってしまった。
娼館に寄らず真っすぐ帰ってきていれば、そんな目にあわずに済んだのに、自業自得とはいえ父親の時と同様にマリータは悲しみよりも情けない気持ちになった。
男手がなくなって大変だろうと義父の葬式の時に周囲からは心配された。
しかし元々、伯爵家の実質的な執務は義母とマリータで行っていたため、彼らが抜けても全く問題ないどころか、愛人と遊ぶ金欲しさに帳簿を誤魔化したり、視察と称した豪遊がなくなったため、むしろ経済状態は前より豊かになっていった。
一方、身体の自由が利かず苛立ちを募らせていたエドガーは、色々と面白くないらしく日を追う毎に荒れてゆく。
そんなある日、父親を見舞うため寝室を訪れた幼い我が子を、自分の機嫌が悪い時にやって来るなど気遣いが足りないと怒鳴りつけ、あろうことか殴ったのだ。
「自分がイラついているからって子供に手をあげるなんて最低!」
侍女の悲鳴に駆け付けたマリータは怯える我が子を抱き寄せ、エドガーに吐き捨てる。
浮気をされてから吐き気のする思いで閨を共にしたものの、生まれてきた子をマリータは大切に育てていた。
だからこそ理不尽な理由で恐怖を植え付けたエドガーが許せなかった。
「自分の子を躾けて何が悪い! 女のくせに口をだすな!」
どこが躾だとマリータは腸が煮えくり返る。
尚も暴言を吐くエドガーに怒りのあまり無表情になったマリータは、子供を侍女に任せ寝室から退出させると徐に口を開いた。
「ねえ、エドガー。私ね、どうしても貴方の浮気が許せなかった」
感情のない声音が寝室へ響き、エドガーが面白くないように舌打ちをする。
「そんな昔の話を今更蒸し返すな。それに浮気を許したから僕と結婚生活を続けたんだろうが」
「そうね。この国は女性が一人で生きていくには厳しいから仕方がなかった。でも私は浮気を許した覚えはないわ」
「はっ! 僕との子供だって産んだくせに、今頃恨み節か」
嘲笑するようなエドガーの視線、だがマリータの感情は揺らがない。
「子供を産むのは貴族女性の義務ですもの。でも、あの子は私のかけがえのない宝物になった。あの子がいたから執務も頑張れた」
「僕がお前を見限らず抱いてやったからだろう」
「フフフ。相変わらず綺麗なお花が咲いた頭ですこと」
「何だと?」
不快気に顔をあげたエドガーに、マリータは子供が出て行った扉の方を眺める。
「ハシバミ色の瞳とブルネットの髪、確かにあの子はエドガーと私の色をしているわね」
振り返ったマリータは先程までの無感情な表情とは打って変わって、歪なくらいに口角をあげると、エドガーを見下ろした。
「けれど、知っていて? ハシバミ色の瞳なんてこの国ではありふれているのよ? 我が家で雇っている庭師の男も、私のダンスの講師も、貴方のご友人の何人かも、ハシバミ色の瞳をしていらっしゃるわよね?」
「ま、まさか……お前、まさか!」
「あの子の笑い方は誰に似ているかしら? 話し方は? ちょっとした仕草は? 貴方はたくさんの女性に種をばら撒いたのでしょうけれど、その種を発芽させることが出来るのは貴方が見下してきた女性だけ。そして、どの種を選んだかを知るのもまた女性だけなのよ」
「許さん! 許さんぞ! すぐに離婚だ! 不貞だ! 慰謝料ふんだくってやる! 我が伯爵家に下賤な血を取り込みやがって! あの子もすぐに廃嫡だ!」
激高したエドガーが手近にあった花瓶を投げつける。
幸いマリータには当たらなかったが壁に激突し割れた破片が散らばる中、寝室の扉が静かに開けられた。
「それならば、伯爵家の血を一切引いていない貴方も廃嫡ね」
「え? 母上?」
入室してきた義母は、息子であるエドガーを無視するとマリータへ深々と頭を下げた。
「マリータさん、今まで愚息が申し訳ありませんでした」
「お義母様?」
突然の謝罪にマリータが狼狽える。
エドガーと対峙した時は怒りで我を忘れ離婚も辞さない覚悟だったが、義母が登場したことで少しだけ冷静さを取り戻し、慌てて駆け寄る。
そんなマリータに義母は力なく微笑むと、汚物を見るような視線をエドガーへ向けた。
「男尊女卑のこの国で、息子だけはそんなバカげた思考に染まらないように育てたかったのに夫に邪魔されて、結局は同じような屑男になってしまったわ」
「屑男……」
その言葉に、つい激しく同意したマリータの後ろで、動揺するエドガーが唇を震わせながら眉尻を下げる。
「は、母上……何を言いだすんですか? 父上が亡くなって気でも触れましたか?」
「気が触れる? いいえ、私はやっと自我を取り戻せた。むしろ気が触れていたのは、あの男が生きていた頃よ」
「突然、何を……」
「ずっと耐えていたのよ。本当は亡くなる間際にぶちまけて、絶望に苦しむ顔を見る予定だったのに呆気なく逝かれてしまって、ざまぁみろと思う反面、酷く落胆したの……」
心底悔しそうに唇を噛んだ義母だったが、やがて顔を上げるとすっと表情を消し、エドガーの側へやって来る。
一歩近づく毎に義母が踏みしめる花瓶の破片が寝室に響いた。
「この家に伯爵家の血を引く者など誰もいないわ」
「は?」
「先程も言ったけれど、エドガー、貴方は私の子だけれど父親は商人、貴方の蔑んでいる平民よ」
「は?」
呆けるエドガーに義母は薄く笑うと、マリータを振り返る。
「あの男に地獄を見せるために、ちゃんと親子鑑定をしたから証拠もあるわ」
手にしていた書類をヒラヒラと見せつけながら、この場には似つかわしくない、とびきりの笑顔を見せた義母に、マリータもまた華麗に笑い返す。
始めは手に職を付けないと離婚ができないと現実を見据えて、伯爵家の執務を手伝うようになったが、ずっと一緒に仕事をして行く間にマリータは義母とかなり良好な関係を築いていた。
しかし、まさか実の息子よりも義理の仲である自分の味方になってくれるとは思いもよらず、それが何よりも嬉しかった。
義母がくれた仕返しの機会を見逃さず、すかさずマリータはこてんっと首を傾げる。
「あら、それは大変ですわ。平民の血を引いていては、エドガーは貴族ではないということですもの」
「そうなのよ。もしエドガーが可愛い孫を廃嫡にしたり、マリータさんのことを訴えたりしたら、動揺してうっかり息子の出自を暴露してしまいそうなの」
「まあ、そうしたら伯爵家は終わりですわ」
「ええ、やっと邪魔な無能者達が執務から離れて経営もうまくいっているのに、身一つで放り出されてしまうことになるわね」
「それでは寝たきりの方を養っていくのは無理ですわね」
「ええ、そうね」
困ったように微笑んだマリータと義母がエドガーの顔を覗き込む。
「それで? エドガーは私と離婚して息子を廃嫡にするんでしたっけ? 私は構いませんよ。実家の父親ももういませんから、いつ子供を連れて戻ってもいいと言われていますし」
「だったら私も実家へ戻ろうかしら。勿論、屑男を連れて行く気はありませんよ? あらまあ、そうなると身一つで放り出されるのは貴方だけになるわね?」
妻と母親、双方から見下ろされたエドガーは口をはくはくさせていたが、やがてがっくりと項垂れるしかなかった。
浮気する義父とエドガーに散々煮え湯を飲まされた義母とマリータは、晴れ晴れとした顔で笑いながら寝室を後にする。
そんな彼女らとは対照的に、この世の終わりのような表情で生きるしかなくなったエドガーは、程なくして失意のうちにひっそりと世を去ったのだった。
寡婦となったマリータは、幼くして当主となった我が子を義母と一緒に支えながら、同じく寡婦となった実母を時折招いてはお茶会をするようになった。
実母は父が亡くなってから明るく社交的になったらしく、ずっと疎遠にしていた幼馴染と最近恋人関係になったようだ。
義母も義父がいた頃には許されなかった街歩きを楽しんでおり、自由を満喫している。
勿論、マリータも可愛い子供を育みながら充実した毎日を送っている。
夫への愛情はなかったが、浮気をされる屈辱から解放された三人は、今日もまた話に花を咲かせていた。
話題はこの国の王族についてだ。
気の置けない家族と思っているからこそ話せる話題である。
「だからね、王妃様は自分がお産みになった、国王陛下と同じ髪色と瞳をした王女様を大変可愛がっておられるのよ」
「ええ、有名な話よね。なんでも政務が忙しい陛下の手を煩わせないようにと、王妃様と隣国から派遣された家庭教師だけで育てられた王女様は大変優秀に育たれて、様々な功績をあげているのだとか」
実母の言葉に義母が紅茶を飲みながら相槌を打つ。
「そうなのよ。そのおかげで女性ながら立太子が認められ、男尊女卑な国法や貴族典範を撤回させることに成功したらしいわ」
「まあ、なんて素晴らしいの」
感嘆の声をあげる私に、実母と義母が同調するように瞳を細める。
「本当に有難いことだわ。これでやっと王妃様の出身の隣国のように、男女平等に近づいたのだから」
「やっと、この国も進化できたということね。あら? それなら陛下が引退なさるのも間もなくね」
「え?」
確かに王女が立太子したが国王はまだまだ若く壮健だったはずだ。
それなのに義母から突然引退の話が出て実母も訳知り顔で同意していることに、マリータはキョトンとした顔でハシバミ色の瞳を瞬かせる。
そんなマリータに実母と義母は瞳を交わすと優雅に微笑んだ。
「「どこも同じということよ」」
意味深な二人の笑みにマリータは首を傾げたが、薄茶色の瞳を甘く蕩けさせた恋人が実母を迎えに来たため、この日のお茶会はお開きとなったのだった。
そんなお茶会から数ヶ月後、二人の予想通りに国王が急な病で引退すると、王女は初の女王として即位する。
我が子を愛おしく見つめる王妃から王后となった母親の傍らには、彼女が幼い頃から付き従っている護衛騎士が佇んでおり、その髪色と瞳は奇しくも新女王と同じ色を持ち、眼差しまでもそっくりだったという。
マリータの実父と息子の父親はご想像にお任せします。
当初は、実父は母親が、義父は義母が、エドガーはマリータが、国王は王妃が、実は〇っちゃった設定にしていたのですが、そこまで殺伐とした話はどうかなと思いなおして今のお話になりました。
ご高覧くださり、ありがとうございました。




