表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
観測者は感情を知らない  作者: 白鐘
第一章 境界
6/29

6 模倣



………

……


ある任務。


まだ彼が機関にいた頃。


民間の怪異を処理するはずだった。


対象は小さな祟り。

被害は軽微。


だが。


依頼主はこう言った。


「怪異のせいにすれば保険が下りる」


つまり。


嘘だった。


人間の悪意を怪異に押し付けた。


マスターは事実を暴いた。

結果。


依頼主は彼を逆恨みした。


「正義ぶるな」

「余計なことをするな」


守ったはずの人間に、拒絶された。


その夜。


一人で帰る途中。 


彼は思った。


どうしてこんなに苦しい。

いやだ、怖い。


沈黙。


―なら、必要無い。


小さく。


――僕には要らない。


その瞬間。


人間を“対象外”に定義した。


―――それが、始まり。


………

……


商店街。


「こんにちはー、先生」


マスター


「やあ」


「この前はどうも」


「どうも」


柔らかい笑顔。

角度まで同じ。


去っていく人々。


ファニー、じと目。


「マスター、今の人だれ?

なんか胡散臭いほほ笑み浮かべてたけど」


マスター


「知らん」


シエル


「……は?」


マスターは歩みを止めない。


「おそらく近所の人だと思うが、顔は覚えていない」


さらり。


「だが親しげに話しかけられたなら、そう返す」


「えぇ……」


「そのほうが、人間関係は円滑に進む」


沈黙。


「マスター。それは円滑とは言わない」


「そうかい?」


本気で首を傾げる。


ファニーがぽつり。


「うすっ」



シロが静かに見つめていた。



商店街の端。


ファニーが呆れ顔。


「それ雰囲気で生きてるだけ!」


マスター、少し考える。


「大体合っていれば問題ない」


シエル、低く。


「情報の蓄積がない。

関係性の記録がない。

それは信頼ではなく、模倣だ」


マスターは小さく笑う。


「それでも笑顔は返ってくる」


ファニー、ぽつり。


「……なんか、怖いんだけど」


その瞬間。

足元の水たまりが、波打つ。


ぴちゃん。


足元の排水溝から水が跳ねる。


黒い。

濁り。

泡立つ。


シロの瞳が細まる。


「来るぞ」


マンホールの隙間から、水が逆流する。


ただの水ではない。


粘つく。

形を持とうとする。


人の顔のような歪みが浮かぶ。


そして。


それが、さっき挨拶してきた男の顔になる。


にたり。


同じ笑顔。

同じうさん臭さ。


ファニーが息を呑む。


「……なに、あれ」


シエルの声が鋭くなる。


「擬態型。街の表層を模倣している」


水の塊が、次々と“親しげな顔”を作る。


「こんにちは」


「助かりました」


「いつもありがとう」


同じ声。

同じ調子。


マスターの表情が変わる。

穏やかさが消える。 


静かに指を鳴らす。


「定義、水は流れるもの」


ぐにゃり、と形が崩れる。

だが完全には消えない。


水は下水へ戻らず、路上に留まる。


シロが低く言う。


「均衡を学習しておる」


ファニーが歯を食いしばる。


「気持ち悪い……!」


水の顔が、マスターを見る。


「知らん」


その言葉を、真似る。


ぞわり。


シエルが理解する。


「マスターの“曖昧な関係性”を媒介に増殖している」


街の表面だけをなぞる水。

本物を知らず、笑顔だけをコピーする怪異。


マスターが静かに呟く。


「なるほど」


少しだけ、目を伏せる。


「それは確かに、円滑ではないね」


水が一斉にうねる。

下水道の蓋が浮き上がる。

黒い奔流が、夜へ溢れ出す。


黒い水は、路面を這う。

にたり、と笑う顔がいくつも浮かぶ。


「こんにちは」


「いつもありがとう」


「助かりました」


だがその声は薄い。

温度がない。


シエルが即座に理解する。


「こいつは“関係性”を吸っている」


ファニーが眉をしかめる。


「え?」


「挨拶。愛想。曖昧な繋がり。

深度の浅い人間関係を模倣し、取り込み、増幅している」


水面に浮かぶ顔が、揺れる。

マスターの表情をなぞる。


“知らん”


それすらもコピー。


シロが前に出る。

尾をピンと立てて膨らませる。


「本来ならば、わしが喰らえば済む」


白い光が広がる。

水が蒸発する。


……だが。

中心部だけが残る。


黒い核。

濁りの塊。


シロが低く言う。


「……特異個体か」


ファニーが拳を握る。


「倒すしかないでしょ」


水が跳ね上がる。

無数の“笑顔”が襲いかかる。


マスターは静かに指を鳴らす。


「定義、水は器に従う」


下水の流路が浮かび上がる。

見えない溝が街に走る。

水が引き寄せられる。


だが核だけは動かない。


シエルが叫ぶ。


「中心は概念だ! 物理ではない!」


水の核が、膨張する。

街灯が歪む。


“表面だけの繋がり”。


それを吸って肥大化している。


マスターが一歩前へ。

目が静かに冷える。


「なるほど」


ほんの少しだけ、笑う。

でもその笑みは温かくない。


「それなら」


「定義、関係性は選択制」


空気が裂ける。


街に張り巡らされた“薄い繋がり”が切断される。


挨拶だけの縁。

曖昧な笑顔。

覚えていない関係。


ぷつり、ぷつり、と音もなく断線する。


水の核が悲鳴を上げる。


形を保てない。

膨張が止まる。 


ファニーが息を呑む。


「……それ、街の人たち」


シエルの目が揺れる。


「今、意図的に“浅い繋がり”を削いだな」


マスターは淡々と言う。


「必要最低限でいい」


黒い核が砕ける。

水が一斉に崩れ落ち、下水へ吸い込まれる。


静寂。


シロが小さく息を吐く。


「強引じゃの」


ファニーがマスターを見る。


「今の、どういう意味」


マスターはいつもの柔らかい顔に戻る。


「不要なものを整理しただけ」


でも。

シエルは気づく。


ほんの一瞬。


マスターの瞳に映ったのは、

“切り捨て慣れた者の目”。


過去。


命令拒否。

銃弾停止。

選別。


守るために、切る。

躊躇が、ない。


シロが静かに言う。


「均衡は戻った。

だが代償はあるぞ」


マスターは肩をすくめる。


「挨拶が少し減るだけだよ」


ファニーがぽつり。


「それ、減っていいの?」


マスターは答えない。


ただ、街を見上げる。

どこか遠く。

静かに。


シエルが低く言う。


「……マスター」


一歩近づく。


「あなたは、どこまで削れる」



夜風が吹く。


均衡は戻った。


でも。


――何かが少しだけ、薄くなった。



マスター「ぷつりぷつりといえば、イクラだねぇ」


ファニー「その例え今いらない」


シエル「海産物に責任転嫁するな」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ