1 影
第三章 第一話 影
「袋詰め戦争」
夕方のスーパー。
蛍光灯は無機質に明るく、 タイムセールのアナウンスがやけに陽気だ。
怪異の匂いはない。
平和。
レジ前。
四人は並ぶ。
そして静かに始まる。
袋詰め戦争。
■ マスター
袋を開く。
ガサ。
商品を見つめる。
「袋に入れば持てるよねぇ」
パンを入れる。
その上に豆腐。
みかん。
最後に洗剤。
持ち上げる。
袋の底が不穏に鳴る。
ガタ……。
ファニーが覗く。
「どうして洗剤が頂点なの?」
マスター、真顔。
「重いほうが、落とさないでしょ」
一瞬、沈黙。
シエルが眼鏡を押し上げる。
「理屈が逆だ」
クロードは何も言わない。
言わないが、全てを語っている目だ。
■ ファニー
袋を広げる瞬間、瞳がきらりと光る。
牛乳は土台。
豆腐は中央。
パンは天井。
長ネギは隙間へ。
立体パズル完成。
マスターが呟く。
「……天才?」
ファニー、得意げ。
「生活力は戦闘力」
■ シエル
重量分散。
破損リスク最小化。
持ち手応力計算。
袋がやけに理知的に仕上がる。
ファニーが笑う。
「買い物に理論持ち込むな」
シエル、淡々。
「最適解は存在する」
■ クロード
無言でマイレジカゴを置く。
整然。
「当然だ」
詰め替えゼロ。
マスターが抗議する。
「それはズルでは?」
「準備不足を戦略とは呼ばない」
正論が刺さる。
そのとき。
ピッ。
レジに一瞬ノイズ。
画面が赤く瞬く。
すぐ戻る。
店員が笑う。
「最近ちょっと不安定で」
店員の声が一瞬遅れる。
赤い警告ランプが消える。
誰も気にしない。
帰り道。
マスターの袋だけやけに重い。
持ち手が食い込む。
内部で重心が暴れている。
ファニーが笑う。
「なんでそんな重いの?」
マスター、肩をすくめる。
「重いほうが、落とさないでしょ」
さっきと同じ言葉。
今度は少し、声が硬い。
シエルが見る。
クロードも見る。
横断歩道。
信号待ち。
ファニーが足踏み。
「早く帰ろー!」
その声に。
マスターの鼓動が一拍だけ乱れる。
この景色を、
二度目のように思い出す。
―既視感。
視界の端に、高架下。
影が揺れた気がした。
瞬き。
消える。
歩き出す。
袋からみかんが一つ転がる。
ころころとアスファルトへ。
ファニーが拾う。
「危なっ」
マスターが呟く。
「……落ちるなよ」
みかんに向けた声。
でも。
ほんの少しだけ。
違う意味を帯びている。
シエルがそれを聞く。
何も言わない。
夕陽が四人の影を伸ばす。
笑い声。
平和。
まだ未来は、観測されていない。
ただ。
影の目だけがこちらを向いている。
■ 高架下
夕方。
コンクリートの湿った匂い。
頭上を通過する電車の轟音。
規則的な振動が足元を揺らす。
歩道の端。
影が、ひとつ多い。
人影の形。
顔はない。
目の位置だけが、黒い。
ファニーが一歩前に出る。
「怪異、確定」
シエルが淡々と続ける。
「接触型の気配。注意しろ」
影が、揺れる。
■ 接触 :ファニー
「いくよ!」
触れた瞬間。
世界が薄まる。
色が抜ける。
音が消える。
崩れた駅構内。
倒れている“誰か”。
赤い何かが床に広がっている。
だが輪郭が曖昧。
誰なのか分からない。
映像、断絶。
「……なに、今の」
小さく息を吐く。
■ 接触 :シエル
「解析のため再接触」
屋上。
灰色の空。
強風。
手から滑り落ちる何か。
視界の端に、人影。
だが顔は見えない。
音はない。
切断。
「最悪確率の断片提示か」
冷静。
だが、わずかに眉が寄る。
■ 接触 :マスター
怪異が、こちらを向く。
黒い目の穴。
静かに。
触れる。
色がある。
音がある。
匂いがある。
非常灯の赤。
粉塵の匂い。
警報が鳴っている。
床に広がる血。
ファニーが倒れている。
呼吸が浅い。
シエルが壁に寄りかかっている。
動かない。
自分だけが立っている。
手が震えている。
そして声。
「……遅かった」
その声は自分と同じ抑揚だった。
ファニーが手を伸ばす。
「マスター……」
かすれた声。
シエルが歯を食いしばる。
「死にたく、な、……」
ノイズ。
映像が歪む。
怪異の声だけが鮮明。
『観測済み』
■ 現在
高架下。
振動。
影が囁く。
『観たな』
マスターだけに。
そして。
『二度目だ』
一瞬。
視界が重なる。
背中。
ひとりで立っている。
振り返らない。
瞬き。
消える。
マスターの口が、無意識に動く。
「……三度目?」
シエルが即座に言う。
「未来は観測で収束する。未観測に戻します」
ファニーが動きを止める。
「なら、観なかったことにしよ!」
マスター。
胸の奥に赤い光景が焼きついている。
それでも。
微笑む。
「未来は未定義だ」
空間が歪む。
怪異の輪郭が崩れる。
黒い目の穴に、ひび。
その奥に。
一瞬だけ。
見覚えのある、終わった目。
怪異、消滅。
高架下を抜ける。
ファニーが言う。
「未来とか、趣味悪いよねー」
「確率提示だ。確定ではない」
「未来は未定義だよ」
少しだけ、硬い。
ファニーが歩きながら笑う。
「お腹すいたー!」
その台詞。
知っている。
――また、既視感。
一瞬だけ。
ほんの数秒。
“二度目”。
マスターの指先が、わずかに震える。
気づかないふりをする。
二人の間に、さりげなく立つ。
距離が、いつもより近い。
ファニーの手首を見る。
生きているか確認するように。
無意識。
……
…
深夜二時
時計が二回、低く鳴る。
家は静まり返っている。
ファニーの寝息。
シエルの規則正しい呼吸。
クロードは無音。
リビング。
マスターが目を開ける。
自分の意思ではない。
目が、開かされる。
窓の外。
街灯の下に、立っている。
自分。
いや、違う。
影が濃い。
輪郭が曖昧。
目だけがはっきりしている。
冷たい。
それが、窓をすり抜ける。
音はしない。
『こんばんは』
声は穏やか。
感情がない。
マスターは動けない。
身体は凍ったまま。
「……誰だ」
影が答える。
『君の先』
『君の残り』
『君の代替』
少し首を傾ける。
『名前は要らない』
間。
影がソファの前に立つ。
近い。
同じ顔。
だが、目が違う。
何も守っていない目。
『もう三度目だ』
静かな声。
マスターの瞳が揺れる。
「何が」
影は答えない。
代わりに、手を伸ばす。
触れない。
触れていない。
なのに。
マスターの胸の奥が、引き抜かれる感覚。
温度。
笑い声。
夕飯の匂い。
ひとつずつ。
糸を抜くみたいに。
影の手に、光が集まる。
淡い色。
ファニーの笑顔。
シエルの横顔。
ふたつ分。
マスターが声を絞る。
「…やめろっ」
影は淡々と告げる。
『これは均衡だ』
『君は、重くなりすぎた』
『落とさないために』
『軽くする』
マスターの視界が滲む。
二人の名前が、遠くなる。
顔が、ぼやける。
感情が、薄れていく。
――守る。
理由は消える。
意味も消える。
それでも、守る。
影がささやく。
『十分だ』
光が消える。
影も消える。
時計が、三時を打つ。
マスターの瞼が、ゆっくり閉じる。
マスター「ホットサンドにすればいいねぇ」
ファニー「自分が洗剤で潰したやつ!」
シエル「合理的解決」
ファニー「……なんかテンション薄くない?」




