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観測者は感情を知らない【フルサイズ】  作者: 白鐘サウザーいちご味
第二章 観測できない場所へ落ちる
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2‐1 崩れ落ちる


街の公園は、パンの匂いと子どもの笑い声で満ちている。

芝生を歩く三人と一匹。


マスターは両手をポケットに入れ、相変わらずのうさん臭い微笑み。


榛色の短髪が陽射しを跳ね返す。


「平和だねぇ。こういう時間が一番、危険予測しづらいんだ」

「それ平和じゃないですよね?」


シエルが冷静にツッコむ。


その時、視界の端で光がわずかに遅れた。


ふらり。

マスターの視界が揺れる。

次の瞬間、芝生に崩れ落ちる。


「マスター!?」

「敵襲か!?」


二人が一瞬で臨戦態勢。

ファニーは周囲の気配を読み、シエルは影の流れを観察する。


静寂。

ハトが一羽、ぽてぽて歩いている。


シロは尻尾をゆらりと揺らしながら一言。

首元の鈴が、揺れる。

音は、しない。


「……ぬし、食事をとったのはいつじゃ?」


マスターは芝生に寝転んだまま空を見上げる。


「うーん……いつだっけ……。あ、昨日の朝だ」


ファニーとシエルが固まる。


「ファニー、僕の鞄からスティック羊羹出して……」


ファニーは慌てて鞄を漁る。


「あった!なんで羊羹だけは常備してるの!?」

「糖は正義だからね」


むしゃむしゃ。


「マスター。俺たちと一緒に今日も朝ごはん食べ……て無いな。コーヒー飲んでただけだ」

「えええ、うわ、ホントだ」


マスターは羊羹を飲み込んでにっこり。


「うっかり食べ忘れてたよ」

「うっかりで命を削るでないわ」


春風が吹く。

ファニーは腕を組み、じと目。


「マスターってさ、自分のことだけバグってるよね」


シエルは冷静に補足。


「危機管理は都市レベル。自己管理は未就学児レベル」


マスターは笑う。


「バランスって大事だよね」


「どの口が言うんですか」

「どの口が言うのじゃ」


ハモる後輩と白猫。


芝生はまだ少し冷たい。

マスターはベンチに腰かけたまま、空になったスティック羊羹の包みをくるくる丸めている。


ファニーが腕を組んでじっと見る。


「ねえマスター」

「ん?」


「昨日、何食べた?」

「……えっと」


間。

視線が泳ぐ。


シエル、即答。


「コーヒーだけですね」

「うわ出た」


ファニー、額を押さえる。


「今日もそれだよね?」

「まあ……うん」

「“まあ”じゃないのよ」


マスターは肩をすくめる。


「考え事してたら、ちょっと忘れてただけだよ」

「ちょっとで倒れます?」

「結果論かな」


シエル、淡々と。


「マスターは思考優先時、身体信号をほぼ切ります」

「便利でしょ?

「不具合です」


即答。


ファニーが指をびしっと向ける。


「あとさ、自分のこと後回しにしすぎ」

「そう?」

「そう!」


一歩踏み込む。


「人のことはあんなに気づくのに、自分の限界だけ見えてないじゃん」


マスターは少しだけ目を細める。


「……癖みたいなものだよ。……そうしないと、回らなかった時期があってね」


シロは尾をゆらす。


「長く染みついたのう」


ファニーがふっと息を吐く。


「ねえ」


少しだけトーンが落ちる。


「お腹空いたって言うの、そんな難しい?」


マスターは苦笑する。


「言う前に、“まあいいか”ってなるんだよね」

「それがダメなの!」


ぴしっと即断。

シエルが手帳を開く。


「では仕組みで解決します」


カチ、とペンを構える。


「朝食、固定化。未摂食時は活動禁止」

「えっ」

「例外なしです」


ファニーがにやりと笑う。


「強制朝ごはん制度、決定〜」


マスターは少し困った顔。

でも、ほんのわずかに緩む。


「……厳しいなぁ」

「当然」

「健康管理も任務です」


二人の圧。

マスターは観念したように息をついて、肩を落とす。


「合理的に考えれば、必要なのは分かってるんだけどね」


ファニーがすぐさま返す。


「合理性だけで生きると、つまらないんでしょ?」


ぴたり。

空気が止まる。


マスターは少しだけ驚いた顔をする。

それから、ふっと笑う。


「……うん」


視線を上げる。

二人を見る。


「だから君たちと食べる」


ファニーは目を細める。


「……ちゃんと噛んでね?」

「噛むよ。人類だからね」

「さっき飲んでましたよね」

「羊羹は例外でしょ」


即否定が二人分飛ぶ。


「例外にしません」

「しないの!」


ハモり。

シロがくつくつ笑う。


「ぬし、一人だと身体を道具扱いじゃな」


マスターは少しだけ目を逸らす。


「……否定はしない」


ファニーがぱん、と手を叩く。


「はい決定!」


ぐっと距離を詰める。


「これからは“一緒に食べるまで解散禁止”ね」


シエルも頷く。


「スケジュールに組み込みます」


マスターはしばらく二人を見て。

それから、柔らかく笑った。


「……ありがと」


風が抜ける。

芝生が揺れる。


さっきまでと同じ公園。

同じ午後。


けれど。

ほんの少しだけ、“一緒に食べる理由”が増えていた。


それは空腹を満たす理由じゃない。

ここに戻ってくる理由だ。


その言葉の裏で、遠くの街灯に絡む白い糸が、わずかに震える。


風が、ほんの少し止まる。


ファニーが首を傾げる。


「……なんか、静かじゃない?」


シエルが周囲を見回す。


「異常値なし。しかし――」


マスターが、ふと空を見た。


「……引っかかるねぇ」

「何がですか?」

「うまく言えないけど」


指先が、空中で止まる。


「“流れてない”感じ」


初めて見るものではない。

だが、見過ごしていたものだ。


空気の中に、目には見えない極細の線。

誰かの孤独が、どこかへ伸びている。


まだ強くはない。


ただ。


振動している。

遠くで、小さな規則的な揺れ。


まるで。

“待っている”みたいに。


シロの尾がぴたりと止まる。

首元の鈴が、震える。


一度だけ。


――ちり。


小さすぎて、誰も気づかない。


「……観測されたのう」


マスターは軽く笑う。


「羊羹食べただけだよ?」


だが。

エメラルドの奥に、わずかな影。


平和の隙間。

甘い後味の向こう。

見えない糸が、風に揺れている。


ベンチに並ぶ三人。

マスターは空になったスティック羊羹の包みを丸め始める。


「血糖値って偉大だね」

「偉大なのは食べること!」

「次回から朝食は義務化です」


小さな笑い。

風が戻る。

鳩が羽ばたく。

公園は何事もなかった顔をしている。


だが、マスターのエメラルドが、ほんの一瞬だけ遠くを見る。


「……糸」


誰にも聞こえない声。

それは、マスター自身の視界の奥で、静かに"見えて"いた。


誰にも聞こえない声。

見えない振動。

それは街の奥へ、静かに伸びている。


電線。

ビルの影。

曇った窓。

さらに高く。


スティック羊羹の包みを丸める指が、止まる。

風は吹いている。

なのに、包装紙は揺れない。


ファニーは気づかない。

シエルも、まだ気づかない。


ほんの一瞬。

マスターの背筋が、板のように強張る。


呼吸が、止まっている。


次の瞬間。

マスターの意識だけが、そこから引きずり出される。


視界が裏返る。

色が抜ける。

音が消える。


代わりに、振動だけがある。


無数の糸。

孤独の周波。

その中に、ひときわ澄んだ揺れ。


エメラルドの波形。


――何かが、それを"視ている"。


マスターではない、誰かの意識。

判断は、まだ下されない。


ただ、“記録された”

だが、何かが近づいている。

最後に、ひとつだけ声が落ちる。


《糸は、切れない》


それは、最初からそうなっている。



観測は始まっている。



……


色が抜けた視界の、そのさらに奥。


――糸の持ち主が"視ている"、記憶の底。


暗いわけではない。

光が届かないわけでもない。

ただ、世界が“薄い”。


音は遠く、輪郭は曖昧。

けれど、ひとつだけ確かなものがある。


鼓動。


どくん。


規則正しいが、弱いわけではない。

むしろ、妙に静かで、強い。


小さな輪郭が、膝を抱えている。

榛色の髪。色の薄い、エメラルドの瞳。

まだ、何も定義していない目。


指先が、空をなぞる。

触れたはずのない場所で、極細の糸が、ぴんと震える。


――あ。


声にならない息。


どくん。


見つけてもらうのを、ずっと待ってた。


遠く。

誰かが、こっちを見た気がした。


エメラルドの色をした、何か。

自分と同じ色。

なのに、自分より大人びた輪郭。


どくん。


心臓が、跳ねる。


見つけてもらえた。

そう思った瞬間だけ、世界が少し温かくなる。


見えていない。

名前も、知らない。

けれど、確かに感じた。


待っている、というより。

ずっと、ここにいた。


どくん。


“見つけられる”ことを、望んでいいのか分からない。


届かない。

届くはずがない。

それでも、伸ばす。


どくん。


指先の向こうで、白いノイズが走る。


――誰かが、こちらを覗こうとしている。


でも、それは違う。

あの温かい色じゃない。


怖い。

記録されたくない。

数値にされたくない。

名前をつけられたくない。


それでも、糸は伸びている。

絡むためではなく。

確かめるために。


どくん。


怖い。

でも、遠ざかりたくない。

小さな輪郭が、震える指先を、もう一度伸ばす。

温かい色の方へ。


どくん。


見つけてもらえるなら。

測られても、いい。


白いノイズの向こうから、何かが近づいてくる。

怖いものと、温かいものが、同時に近づいてくる。


どちらが先に届くか、分からない。

それでも。


浮かび上がる。

小さな輪郭が、白の表層へ、ゆっくりと押し上げられていく。


――伸ばした指先が、何かへ届くより早く。


白が、揺れた。



マスター「非常食は鞄に入れておこうねぇ」

ファニー「まず朝ごはん食べよ?」

シエル「観測者以前に人間です」

シロ「空腹で倒れる主は締まらぬのう」

マスター「次は倒れないよ、たぶん」

ファニー「“たぶん”禁止!」

シエル「義務化済みです」

シロ「糸より先に飯じゃな」

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― 新着の感想 ―
空腹で倒れるまで食べないの禁止〜〜!!ww 朝ごはんさえ食べてたら1日の活力は出ますよね♪ 糸……マスターと繋がったものはなんなんだろう??
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