世界
それは、両方とも獅子と女性を描いた絵だった。
一つは、七つの顔を持った、獰猛そうな獅子の上に、全裸の少女が跨っている。
向かい合わせにあるもう一つは、穏やかな顔をした獅子の首に、妙齢の女性が背中から手を回している絵だった。
私はちょうど絵と絵の中間に立って、双方を交互に見返した。
これは…、見たことがある。どこかで……。
遠い記憶が急に戻って来たかのような、鋭い違和感を頭に感じる。
私は、どこかで、この少女に、この女性に、会ったことがある。
私は、この人たちを、よく、知って、いる………。
「何をしているんだ!そんなところで立ち止まっちゃ駄目じゃないか!」
子供が戻ってくる。その声には、明らかな不快感が波打っている。
私は、少女が跨っている獅子の顔をよく見ようとした。
顔は七つある。しかし、ぼんやりと霞がかかったようで、よく見えない。
それでも、じっと目を凝らして霞の先にあるものを見ようとする。
段々と顔が見えてきた。表情が、見えてきた。霞が、晴れる。
その顔は、私の顔だった。そして、私の顔の隣には、子供の、ピエロの顔が、あった。
「何をしているんだと言っているだろう!早くこの部屋から出るんだ!僕の言うことが聞けないのか!」
声はすでに怒気を含んでいる。あからさまに、攻撃の匂いがする。
私は右手の人差し指と中指を真っ直ぐに伸ばし、残りの指を軽く握って印を結んだ。
ゆっくりと、指先を額に当てる。
私は十字を切った。
上から、下。
今度は指先を肩に当てる。
左から、右。
魔術とは反対の方向に、指先を動かす。
胸の前で両手を組む。そして唱えた。
「アーメン」
気づくと、私はカフェのギャラリースペースに一人で立っていた。
子供の顔をしたピエロは、もうどこにもいない。
私は娘が描いた絵を見た。獅子の顔は、六つしかなかった。
私の携帯が鳴った。年上のガールフレンドからだった。要件は電話に出なくてもわかった。
娘は見つかった。案の定、海外にいる父親のところに行っていた。
私は美術の先生に電話をかけ、そのことを伝えた。
翌日の日曜日は、予定があることを思い出して、行けないのだということを伝えた。
先生はそれ程残念な様子ではなかった。
「先生はクリスチャンなんでしょう」
確認することも忘れなかった。
ピエロが私に語ったように、太古の昔、人類はエーテル体に住処を持つものたちのマリオネットだったのだろう。
やがて人類は神話を生み出し、奴等との繋がりを断とうとした。
それが世界各地に伝わる世界創世神話であり、知識を得た人類が楽園を追放された話だ。
だが、神話はまだ稚拙だったため、奴等の方にもつけ込む隙が十分にあった。キリスト教が誕生したのをきっかけに、人類はエーテル実体たちとの関係を完全に断ち、自分たちの足で歩いて行こうとした。
神の世界と人間の世界とは完全に分かたれ、神の世界に行くための唯一の代理人としてイエス・キリストを立てた。
それでもエーテル実体たちは人類とのコンタクトを諦めず、奴等と繋がる方法を魔術やタロットカードという形で残した。
キリスト教の力は強く、魔術は死に絶えたかに見えたが、近代になって、エリファス・レヴィやマクレガー・メイザース等の手によって復活され、現代はまた、その隆盛を取り戻しつつある。
私は現代社会における問題の全てをキリスト教が解決出来るとは思っていない。魔術の復権も意味のあることだと思っている。
エーテル実体たちとの交流は、人類にさらなる進化をもたらすだろう。
だが、エーテル体の中を無防備で歩き回るのは、いささか人類にとっては時期尚早と言えるのかもしれない。
現代に入り、二人の魔術師が、それぞれタロットカードを新しく復刻した。
一つはアーサー・エドワード・ウェイトのウェイト版で、アールヌーボー調の美しいデザインで世界的な大ヒットとなった。
もう一つはアレイスター・クロウリーのトートタロットで、より魔術の世界に浸りたい人たちの間で人気があるが、クロウリー自身は、狂気の中で身を滅ぼしていった。
私は先生の絵が、ウェイト版の審判のカードに似ていることに気付いた。
ウェイトは敬虔なクリスチャンだったのだ。
彼はタロットカードにキリスト教の解釈を持ち込み、審判のカードは本来は最後の審判という名前になる予定だったという。
私はキリスト教式に十字を切ることによって、エーテル実体との通路を断ち切ったのだった。
年上のガールフレンドは私と会わなくなった。少し、娘との関係を見直したいとのことだった。
他のボーイフレンドとはまだ続いているのかわからないが、娘の高校の先生と会うのはやはりやめた方がいいのではという結論になった。
先生とは、職員室で会ったときに軽く話をするくらいだ。




