第二話
「あ、おい!待てバート......君!!!」
後ろから聞こえる叫び声に耳もかさず、バートは全力で逃げ走った。
先程までの出来事が現実かどうかすらも理解しきれていない今の彼の頭にとって、あのスーツ男の言葉は受け止めきるには常軌を逸しすぎていた。
学校帰りという一日の終わりでただでさえ疲弊していた状況に加わった過度なストレスにより、彼は考えることを放棄せざるを得なかった。そして、脳が"その場から迅速に離れよ。その男は危険だ"と指令を下したのだ。
「はぁっ...はぁ......訳わかんないってもぉ!」
バートは苛立ちを露わにした。しかし、自分でも何に腹を立てているか分からなかった。
それなりに走っただろうか。彼は走る足を緩めた。直前までの緊張もあってか、息は大きく乱れ、心臓はどっくんどっくん脈打っている。喉も乾いている。
「み、水......」
彼は目に留まったコンビニに吸い込まれていった。
バートの自宅から学校までの間にはコンビニが三軒ある。彼を襲った先程の出来事が比較的自宅近くで発生した事実を考えると、彼が今入店したコンビニが学校近辺の店舗であることは、バートがかなりの距離を無心で走り続けたことを示していた。
そんな要らぬ気付きもあってか、どっと疲労が押し寄せた彼は、店内の一番奥の隅に位置する飲料ゾーンに向かいながら深い溜息をついた。
その時だった。
「――いや、その、さっきはすまなかった。結論から話せ、と昔よく叱られたもんでね」
聞き覚えのある声に思わずバートは動きをピタリ止め、声がした右側の棚に目をやった。
「やあ、追いついちゃった」
さっきのスーツ男だ。バートは理解を拒んだ。というのも、こちらは軽装にも関わらず今の一連の逃走でこんな汗だくになったというのに、スーツをカッチリ着こなす彼は汗ひとつかいていない。というか、息も全く乱れていない。
そして極め付けは、この店舗「テークマート ヨコハマコクーン第七号店」はバートの学校関係者しか利用できないよう入り口に学生証・職員証の感知センサーが取り付けられている。
それを持たないものがうっかり店のドアをくぐろうものなら、いかにも侵入者を知らしめるようなやかましいブザーが非情にも鳴り響く仕掛けだ。
バートも春までは学生証をカバンに入れていたものだから、よく忘れてこのドアをくぐり、ブザーの晒し者にされたものだった。今学期では肩身離さず持ち歩いている。
と言うのにこの男ときたら、学生でも職員でもないのに、ブザーなしでどうやってこの店に入ってきたと言うのか。
バートはもう逃げる気力も、何か言う気力もなく、ヘロヘロと、背にある袋菓子の棚にもたれかかった。
スーツの男は言った。
「僕はディアン・シオン。さっきも言ったけど、2080年の人間だ」
バートは、ディアンと名乗るその男の目をじっと見つめている。
ディアンは、ふむ聞いてくれてはいるのかな、と思いつつコホンと咳払いして続けた。
「さっきも言ったように、君はいま命を狙われている。さっきの異空間も、君を意図的に陥れるためのものだ」
バートは虚ろな目で、未だディアンを見つめている。
「信じられないかもしれないが、22年後の君と僕は、兄弟以上の存在なんだよ。そして戦友だ。一緒に会社を立ち上げて、今や世界を牽引するようなすごい――」
ディアンが立て続けに話していた次の瞬間、バートは先程までの無気力が嘘かのような俊敏さで再び逃走を図った。
「......っな!君と言う奴は!」
バートは身をかがめ、凄まじい勢いでディアンの左脇を通り抜けた。今度こそ、この怪しいスーツ男を振り切ってやろうというつもりだ。
「全く...恨むなよ!!......それっ!」
ディアンがそう叫ぶと、バートの背中に何か柔らかい小さなボールのような物がぶつかった。その瞬間、彼の体は金属と化したかのように動かなくなった。いや、動けなくなったのだ。
地面にコロコロ転がる球状の物体を拾い上げると、ディアンは、アレストボールさ、と説明した。
「ごめんよ、驚いたよな。一種の子供の遊び道具だよ。昔あっただろ?ブーブークッションとかいうやつ。未来の世界での所謂あの手のイタズラグッズだ」
バートは叫んだ。
「わ、わかった!話は聞くから!頼むから殺さないで!!」
ディアンは、だから僕は助けに来たんだって、と溜息混じりに言いつつ、バートの背中をバシッと叩いた。
ふっと自由を取り戻したバートは、動けるようになったことに安堵しつつ、そういえばあの固まった状態でも一応口はきけたな、と比較的そこまで重要ではないことに感動していた。
その後、二人は近くのコーヒーショップへと場所を移した。
「色々怖がらせてしまったようだし、ここはお詫びさせてくれ。僕の奢りだよ」
ディアンはホットコーヒーとキャラメルフラペチーノを注文し、支払いに移ったが何やらもたついている。
「えっと、あの...大丈夫?」
バートが不安そうに尋ねると、ディアンはきまり悪そうに言った。
「僕のクレカ...この時代じゃ使えないみたいだ......」
それを聞いたバートは、ああそういうことなら、とすかさず店員に支払いを申し出た。
プライドが傷付いたか、ディアンはありがとうと呟きつつもどこか不満げな顔をしている。
その後二人で席につくと、早速バートはディアンに一言聞いた。
「で、どこまでが本当なわけ?」
ディアンは思わずコーヒーを吹き出しそうになる。
「...っな!僕がデタラメを言っていると思っているのか!?」
しかし無理もない話だ。バートはつい一時間ほど前までごく普通の日常を送っていた。それがいきなり命の危機にさらされ、謎の未来男に出会い、極め付けは、自分が殺されると聞かされたような状況だ。そのまま腹落ちする方がどうかしている。
「いや、でもね。ディアンさん。あんたがただ者じゃないっていうのはどうやら信じるしかないみたい。だって現に不思議なことが沢山起こってるんだもん」
事実、バートの目から見ても、ディアンの一連の行動の数々は、彼が"未来人"であることを表すには十分過ぎるように思えた。
「第一さっきのテークマート。ディアンさん、あんたあそこどうやって入ったのさ。あの店学生証がないと入れないはずなんだよ」
そう問いただされたディアンは、ウーンとしばらく口をすぼめると、ある物を左手の平に置いてバートに見せた。
小さいおはじきのような物体がそこにはあった。よく目を凝らすと、難解かつ緻密な構造が見て取れるような複雑な形状をしていた。耳を澄ますとピュイーンというような耳をつんざくような音が時折聞こえる。
バートは思わず見入ってしまった。こんな繊細で美しいものは見たことがない。
バートは尋ねた。
「なに......これ?」
少し置いてディアンは答えた。
「"転移チップ"だよ。人体を含めたあらゆる物体を別の次元に転移させる。わかりやすく言うと、超小型のワープ装置みたいなもんだね」
彼の話を聞くに、どうやら先程ディアンがバートを闇から救い出した時は、この装置を使ったようだった。
バートはまだ半信半疑だったが、好奇心を抑えられない様子でもあった。
「すごいな...未来にはこんなものがあるんだ......」
それを聞いたディアンはヘラッと笑って答えた。
「――それ、キミが作ったんだよ。バート。作ったのは君自身だ」
バートはしばらくアングリ口を開けて静止した後、冗談よしてくれ、と笑った。戸惑いを誤魔化すかのように。
しかしディアンの顔は真剣そのものだった。そして彼は続けた。
「僕がいた未来の世界には、この転移チップは全部で"ごつ"あるんだ。ひとつは僕が持っているこれ、残りの四つは未来の君と、本社の保管庫と、それから...」
バートは逃すまいとディアンの話を静止した。
「ちょ、ごめん。それよりさ、"ごつ"ってなによ。気になって内容入ってこないって」
ディアンは、一体何を言い出すんだとでも言いたそうな顔をして、別にいいだろ、と怒った。
「まったく...昔からの癖なんだよ。ちなみに君、大学で僕と出会った時もそれと同じイジリをしてきたぞ」
バートは、ごく自然に放たれたディアンの"大学で"という発言を聞いて、彼が本当に未来の人間なのかもしれないと思いだした。
そして続けて質問した。
「そういえばいま本社の保管庫とかなんとか言ってたけど、本社ってなんのこと?」
ディアンは「ああ」と言うと、再び真剣な顔に戻り、静かに答えた。
「さっきも少し触れたが、今から9年後、君と僕は一緒に会社を立ち上げるんだよ。ソフトウェア開発に傾注して、10年も経てばIT業界を牽引するような大企業になる。本当だ。君は実に優秀なんだよ」
バートは誰の話をされているのか分からなかったが、黙って聞き続けた。
ディアンは続けた。
「細かい事情はあとで整理してから話す。正直僕もまだ混乱しているからね。でもひとつ分かっているのは、君の命を狙っているのは、未来での僕らのライバル企業『サイクロン・コア・システムズ』の人間だ」
ディアン曰く、世界で初めて転移チップを開発したのは未来のバートだと言う。しかし、その3年後にその技術を応用して、空間転移技術による没入型エンターテインメント事業を立ち上げたのは、サイクロン・コア・システムズ、通称「コアーズ」だった。
「さっき君が襲われた黒い霧は、コアーズの空間転移技術の応用だ。システムのバグの中に君を取り込んで、塵も残らないようにしたかったんだろう。そして、その技術統制を行えるのはコアーズ社内の人間に限られる」
バートは言葉もなかった。いま目の前で話されていることが本当なのか、彼には確かめる由もないが、ただただ真剣な眼差しで話を続けるディアンの態度からして、これを作り話だと端から否定する気にはなれなかった。
「俺は......本当に殺される...?」
不安そうにバートが尋ねる。
ディアンはすかさず答えた。
「させないよ。その運命を変えるために僕が来たんだから」
なんて心強いのだろう。彼なら信じられるかもしれない。バートがそう思った矢先、向かいに座るディアンの顔が一瞬にして強張った。
そして次の瞬間、彼のけたたましい声がコーヒーショップ内に響き渡った。
「バート!!伏せろっっ!!!」
(つづく)




