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9.セシルの困惑

「ただいま! セシル!」


 バアンと大きな音を立てて重厚な扉が開くやいなやアレックスが満面の笑みを浮かべながらその瞳に最愛のセシルを写した。


「お帰りなさいませ」

 片やエントランスの中央部分ではセシルはその表情を動かすことなくその場で一礼をするのみ。しばしエントランスに静寂が訪れる。

 見送ってくれた時のように自分の胸に飛び込んで(正確には自ら引き寄せただけだが)くれると思っていたアレックスは広げた手を下ろせずにいた。そしてその姿勢のまま首を傾げる。

「セシル?」


 顔を上げたセシルに何か言いたげな視線を送るアレックス。その表情を見た瞬間、セシルの周りに氷の結晶が舞う。


「お疲れでしょう。わ、わたくしお茶の準備をしてまいります!」

 セシルにしては珍しいほど大きな声を出してそのまま足早に奥へと消えた。その様子をぽかんとした表情で見てその場に佇むアレックス。


「ミア、私は何かしただろうか……。やはり1人この邸に残したことで寂しい思いを……」

「ふふ、そうかもしれませんが、旦那様が心配しているようなことはありません」

 アレックスがミアを見るとミアが笑顔を見せる。


「今日帰って来られる旦那様のために、奥様は朝早くからクッキーを焼いておられましたよ。よろしいのですか、いつまでもここにいて」

 その言葉にハッとしたアレックスは俊敏な動きでダイニングへ急いだ。






 向かいでセシルの焼いたクッキーを嬉しそうに頬張るアレックスを見つめるセシル。一瞬でも気を抜くとすぐに氷の花が舞ってしまうため、必死に表情を取り繕って感情を抑えている。

 自分の気持ちに気づいてからというもの、この邸を何度凍らせかけたか。さすがにそれでは駄目だとセシルはアレックスが帰ってくるこの日まで必死に感情をコントロールできるようにしてきた。

 それは今までは当たり前のようにできていたこと。それなのに今こうしてアレックスを前にするとどうもうまくできない。セシルはそれがもどかしかった。


「美味しいよ、セシル」

「ありがとうございます」

 頬が緩みそうになるのを耐えてセシルはお茶の入ったカップに口をつける。

「あ……」

 小さく声をあげたセシルは慌てたようにカップを置き立ち上がる。


「セシル?」

「あ、申し訳ありません。お茶を淹れ直します」

 アレックスが何を悟ったかのようにカップに手を伸ばし口をつける。

「うん、美味しい! 私は猫舌だからちょうどいいよ」

 そう言ってにっこりと笑うアレックスにセシルは申し訳なさそうに眉を下げる。


 女神の力は完全に抑えていたと思っていたセシル。だが、淹れた時は湯気が立っていたお茶は随分とぬるくなっていたのだ。

「申し訳ありません……」

「セシル、私は女神の力を持つ君のことが好きなんだ。好きな人に淹れてもらうお茶がこれほど美味しいなんて初めて知ったくらいだ。このクッキーも、すごく美味しいし。ありがとうセシル」

「アレックス様……」


 はらり、と氷の花が舞い散る。その真っすぐな言葉に、アレックスの笑顔や優しい眼差しに、セシルは胸を高鳴らせる。胸が温かくなるのと比例して部屋の温度はどんどん下がっていく。

 自分の気持ちを自覚してから何度も邸の温度を下げてきたセシル。そのことで使用人たちには随分と迷惑をかけたと思っている。


 できるならアレックスのように自分もちゃんと気持ちを伝えたいと思っているものの、アレックスのことを考えるだけで使用人たちを凍えさせてしまったセシルとしてはなかなか口にすることができないでいた。もしこの気持ちをアレックスに伝えたら……。それこそ邸中を凍らせてしまうのではないか。そうなれば自分によくしてくれている使用人たちだって無事ではいられない。そう考えると怖くてその一歩を踏み出せないのだ。

 

 だからこそなんとか以前のように感情を、女神の力を完全に抑え込もうと思っていたのだが、やはりアレックスを前にしては思うようにコントロールが効かない。それでもなんとか表情を抑え心を落ち着かせながらゆっくりと息を吐きながら椅子へ腰掛ける。



「そうだ、さっき着替えに部屋に行った時バルトが言っていたんだけど、夜会に着て行くドレスが出来上がったそうだね」

 セシルが必死で感情を抑えようとしていることなど気づかない、ましてや自分に想いをよせていることなど露程も思っていないアレックスがクッキーに手を伸ばしながら楽し気に話しかける。


 アレックスの言う夜会はここより西に行ったところにあるスタンリー伯爵家で催されるもの。それはこの周辺に領地を持つ者たちの集まりで、毎年暖かくなった頃に開催されている。

 いつもは情報交換のためのものだが、今回はアレックスとセシルの結婚の挨拶も兼ねているため二人で出席することになっている。


 そして今回主催するスタンリー伯爵家だが、実はアレックスの母親の実家であり、今は母の兄であるハウエルが領主となっている。ウェッジウッドから馬車で3時間ほどの場所にあるスタンリー伯爵家は隣国との国境にあり、農業を主とするかなり長閑な領地である。また、その隣国とは友好関係を築いているため希少な農作物をやりとりしていることでも有名なのだ。


「はい、ちょうど昨日届いたそうです」

「一緒に見に行かないか?」

「はい」


 今回のドレスはセシルがこの地に来てからアレックスと一緒に選んだものである。ただその頃のセシルは自分の好みというものがわからず、ただただアレックスの言葉に頷いていただけだった。それでも記憶しているデザイナーが描いたドレスのデザインはどれも素敵なものだった。



 アレックスに手を引かれ2階の一室に足を踏み入れると、そこには二つのトルソー。それぞれドレスと男性用の正装が着せられている。

「まあ……」

 届いたことは聞いてはいたもののまだ見ていなかったその二つの正装にセシルは感嘆の声をあげた。

 

 アレックスの瞳の色であるロイヤルブルーとセシルの髪を思わせる光沢のある白銀のドレス。そこに意匠を凝らした金色の刺繍や様々な薄いブルーの小さな宝石があしらわれている。それは部屋の灯りでキラキラと上品な輝きを放っていた。

 そして隣の男性用の正装。こちらはドレスと対になっていることが一目でわかるほど色もデザインも似通っている。


「私たち二人の色を入れてもらったんだ。私の希望ばかり伝えていたからセシルが気に入るか心配だったんだけど」

 ロイヤルブルーの瞳と金色の髪を持つアレックスと、ホワイトシルバーの髪とアイスブルーの瞳を持つセシル。衣装は確かにその色が使われている。そして王宮で様々なドレスを見てきたセシルからしてもそのデザインと刺繍の素晴らしさは群を抜いていた。


「どちらもとても素敵です」

 感動したように瞳を揺らしながらアレックスを見るセシル。その表情にアレックスは心底安心したように息を吐いた。

「良かった。でも、そうだな。これを着たセシルをエスコートするのが楽しみだ」


 じわじわと温かいものが胸にこみ上げてきたセシルはぱっと視線を二つの衣装に向ける。限りなく白に近いシルバーの衣装はアレックスにとてもよく似合うだろう。

 そのことを想像して思わず氷の結晶を出してしまうセシル。それに気づき気を引き締めるように口を結ぶとそれはすぐに消えた。

 夜会の会場であるスタンリー伯爵家を凍らせるわけにも、皆が楽しむ夜会で出席者たちを凍えさせるわけにはいかない。

 夜会では絶対にこの力を抑えなければ、と思うセシルであった。



◇ ◇ ◇



 その日の夜更け。

 執務室で神妙な面持ちでペンを走らせるアレックス。

「旦那様……、魔の森はやはり……」

 机にお茶を置きながらバルトが気遣うようにアレックスを見る。


「ああ。今までとは全く空気が違う。スタンピードに関しては古い文献しかないから確かなことは言えないが、今の魔の森は異常だ。来ると考えていた方がいいだろう」

「では近隣の方には」

「今、手紙を書いている。今度の夜会でも少し時間をもらうつもりだ」

 アレックスはペンを置き、息を吐きながら目の前のカップを手に取る。その湯気のたつカップを見つめてふとその表情が緩まる。

 数日ぶりに会ったセシルはどこかぎこちなくはあったが、出発前と比べて気を許してくれるようなそんな雰囲気があった。自分のために作ってくれたクッキーと淹れてくれたお茶の味は一生忘れないとアレックスは思ったものだ。ふとした時に女神の力が出て紅茶をぬるくさせて困惑する様子もとても可愛らしく愛おしかった。アレックスの表情がどんどん優しいものになる。


 普段のアレックスは表情が変わることはあまりない。だがセシルの前でだけ。セシルを前にするとアレックスの表情は途端に崩れるのだ。その事実は笑った顔しか見たことがないセシルは知らぬこと。


「何があっても必ず護る……」

 アレックスの思いは昔から変わらない。セシルが安心して暮らせるように。そのためにはどんな努力も厭わない。


 だからこそ、確証はないものの用心することに越したことはないと考える。何もないと楽観的に考えるよりは何かあるかもしれないと考えた方が護りやすいから。

 今度の夜会はこの近隣の貴族たちが集まる。その場で魔の森の異常を知らせることで近隣の領地も何かあった時に対応ができる。何せスタンピードの資料は少ない。アレックスとしては打てる手は全て打つつもりでこの有事に備えるつもりなのだ。


「バルト、手紙はでき次第すぐに送ってくれ」

 アレックスは表情を引き締め、再びペンを握った。

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