8.自覚する想い
静かな自室で、セシルはふと窓の外を覗く。手には白いハンカチと針と糸。だがハンカチに刺されたものは1時間前から変わっていない。
「奥様。ハーブティをお淹れしましたので休憩にいたしましょう」
明るい声で言いながらセシルの前のテーブルに湯気の立ったカップが置かれる。
「ありがとう」
アレックスが魔の森に行くのを見送ったのは昨日の朝。アレックスの望み通りに出かける前は先日と同じくハグをした。使用人たちの前ということもあり、セシルはあの日よりも恥ずかしさを感じその分アレックスの胸に顔を埋める結果となった。
そんなセシルの行動に思わず額にキスを落とすアレックスを周りの使用人たちは温かい目で見守ったことは言うまでもない。使用人たちから見てもセシルのその行動は可愛らしくアレックスのその行動も致し方ないことだと納得のものだった。
アレックスのその行動によりまたしても氷の花を降らせることとなったセシル。それはセシルが使用人たちの前で初めて力を顕現させた瞬間であった。
そして一日経った今日。
朝、いつものように起きて朝食を食べに行くときにアレックスの姿はなく、ここにきて初めて一人で食べる朝食は何だか味気なくいつもより静かに感じた。子どものころから一人でいることには慣れていたはずなのに、なぜか落ち着かない気持ちになったことが不思議だった。なぜかわからないが、気を抜けば部屋の温度が下がってしまうこの事態にセシルは困惑を隠せない。だがそんなセシルの困惑とは裏腹にセシルの部屋にいる侍女たちの顔はどこか嬉しそうである。
ここにいる侍女を含め使用人たち一同、女神の力のことはアレックスから聞いていた。それとともにセシルの女神の力が顕現することはセシルが感情を持つと自然なことでもあると説明してきた。この力が見られることはセシルが気を許していることに他ならないと。だから皆セシルから女神の力が出ていることを嬉しく思っているのだ。
そうでなくとも昨日アレックスを見送るときに初めて見たセシルの出す氷の花は寒さなど気にならないほどとても綺麗なものだった。そしてそれは初めて自分たちの前で感情を出してくれた証なのだと感動すらしていた。
最近はセシルの小さな表情の動きから感情を読むことができるようになってきていた。だがそれでも細かなことまでは気づきにくかった。そこにきてこの女神の力、である。昨日の華やかな氷の花とは違い、今は細かな氷が部屋を舞って室温を下げている。空気もどこか重く、それはセシルの寂しさからきたものだと部屋付きの侍女であるミアは感じ取っていた。
「今日は天気もいいですし、庭にお散歩でも行かれますか?」
ミアは明るい声でセシルにそう提案する。
「でも庭も凍らせてしまったら……。あ、ごめんなさい、部屋も寒いですよね」
言ってすうっとセシルの顔から表情が消え、それと同時に部屋を舞う氷も消える。
「奥様、大丈夫ですよ。私、寒さには強いんです。ウェッジウッドの生まれですしね」
「まあ……」
そう言ってお茶目にウインクするミアにセシルの頬が少し緩む。すると今度ははらりと二人の目の前に氷の花が舞い落ちた。
「ふふ、綺麗ですね」
「綺麗……?」
今まで氷の女神の力をそのように見たことがなかったセシルは不思議そうにミアを見る。
「綺麗で、可愛いです。奥様と一緒です」
「え……」
ちょうどハーブティに舞い降りた雪の花はしばらくその形を残して、その後すっと消えた。その様子を見ながらそう言ったミアにセシルは驚いたように瞬きをする。
「奥様、寂しいときは寂しいと言っていいのですよ。いえ言えなくとも、そう思うことは悪いことじゃないです」
「寂しい……」
胸にぽっかりと穴が開いたような、なにかが足りないような、そんな気持ち。幼い頃確かに持っていた感情だ、とセシルは気づく。
両親に抱きしめてもらえなくなった時。常に一線を引いて接することになった時。
今となってはどれも女神の力を抑えるために必要であったことだと納得している。でもあの当時はどうしようもないほどの寂しさを感じていた。
それと同じ感情だと気づいて、セシルの頬がうっすらと赤く染まる。子どもと同じ感情を持ったことに対する恥ずかしさからだったが、でも明らかにそれとは違うということも感じていた。
アレックスに対して両親と同じような愛情を感じているかと言われれば、そうとも言えるしそれとはまた違うものであるともいえる。今までは自分に芽生える感情を抑えるばかりでそういった感情はどういうものかを考えることすらしてこなかった。
だが今は違う。感情を持ってい良いと、好きなものを探そうと、そんなことを言われたのは初めてだった。ウェッジウッドに来てからセシルの生活は一変した。セシルにとってアレックスとはいろんなものを与えてくれた人。
何を言われても何をしていても何も感じたことがない元婚約者とは違う。
初めて会った時に笑顔で出迎えてくれたアレックスには驚きとともにどこか懐かしいような胸の奥が擽られるようなそんな奇妙な感情を持った。それからというもの表立ってでるほどの感情ではなかったが、アレックスの温かな笑顔や自分を見つめる甘さを含んだ瞳、そして自分を大事に想ってくれているという言葉や態度。アレックスが与えてくれる全てに感情が揺れた。
長年の癖でそれらの感情は完全に抑え込んではいたが、それでも少しずつその感情は大きくなってきていた。朝起きてその笑顔を見るだけで嬉しくなったり、他愛のない話をしているだけで心が温かくなったり、忙しくしていると心配になったり。
考えないようにしてきた自らの感情を一度自覚してしまえば、それはあっという間にセシルの中で大きな感情となって芽生える。
そんな時にアレックスからの告白である。
真っすぐ自分に思いを伝えるアレックスに驚いたのと同時に嬉しいのに泣きたくなるようなそんな感情がこみ上げた。今すぐアレックスの胸に飛び込みたい、そんな衝動まで駆られる始末だ。だからこそ、アレックスからの触れてもいいかという問いに素直に応じた。
ここにきて初めて読んだミアおすすめの恋愛を題材にした物語を思い出す。主人公の女の子が素敵な男性と出会って恋に落ちる。様々な試練を乗り越えて二人は永遠に結ばれる。その中に書かれている胸を焦がすような想いとかはよくわからない表現だけれども、ぎゅっと苦しくなる気持ちだとかいつもその人のことばかり考えているんだとか、そういった気持ちはセシルにも当てはまる。
その事実に気づいたセシルの脳裏にアレックスとのハグが思い出される。間近に感じが体温や香り、息遣い。途端にセシルの部屋の室温が5度ほど下がる。
その冷気が心地よいと感じるほどセシルは体中が熱くなっていた。今にして思えばあの時はなぜ氷の花を降らすだけの感情に留まったのかわからないくらいセシルの胸中は穏やかではない。
「どうしましょう、ミア……。わたくし、アレックス様のことをお慕いしているみたいです」
赤くなった頬を抑えながらミアを見るセシルの顔は誰が見ても困惑した表情だった。そのことに嬉しさを隠せないミアが満面の笑みになる。
「まあ、奥様。それは大変喜ばしいことですわ」
「で、でも……。ああ、床が凍って……。もうどうやって抑えたらよいか……」
狼狽えながらも懸命に女神の力を抑えようとするセシル。それはとても可愛らしく、ミアはずっとその様子を見てられると思ったが、さすがに部屋の温度が下がりすぎた。それは寒さに強いミアであっても身震いしそうなほど。
それでもそこはさすが公爵家の使用人。どれほど寒かろうが、主人の前でそんな素振りは見せることはしなかった。




