6.嵐の前の静けさ
雪が解け、ウェッジウッドに短い暖かな季節がやってきた。
執務室でペンを走らせてたアレックスはふとその手を止めて自身の後ろにある大きな窓へと体を向けた。そこにある光景に強張っていた表情が自然と柔らかなものへと変わる。
二階にある執務室から見えるのは色とりどりの花が植えられた庭の一角。そこにはベンチに座りながら本を読むセシルの姿が。時折花を見てはその口元が微かに弧を描くのをアレックスは見逃さない。すぐに本へと視線が移されるも、弧を描いた口元はそのままだ。
アレックスとともにセシルの好きなもの探しを初めて早半年。少しずつセシルの好きなものが増えてきたことにアレックスは嬉しさを隠せない。
いちごや桃といった果物。スイーツではそんな果物がたくさん載ったタルトがお気に入りだ。そしてあの日、蔵書に目を丸くしていた時はすでに過去のもので、今ではすっかり本を読むことが好きになっていた。ジャンルを問わずとにかく色々読んではアレックスや侍女たちと感想を言いあったりしている。今は歴史的な背景を持つ物語に嵌っている。それを見てアレックスが蔵書数をすぐに増やしたことは言うまでもない。
そして今も囲まれている花。どんな花も好きなようだが、色は青や白が特に好きなようである。
今までに知ったセシルの好きなものを思い浮かべるアレックスの表情はことさら優しい。アレックスにとってセシルの好きな物を知ることが今一番の楽しみなのだ。
「嬉しそうですね」
「そうだな」
執務室でアレックスと共に業務をこなしていた執事のバルトの言葉にアレックスが返す。
この半年でセシルの表情も随分と読めるようになったと嬉しく思っていた。なかなか表情には出さないし、感情もまだまだ抑えてしてまうが、それでも邸の使用人たちも少しづつセシルの小さな感情の機微を感じ取るようになってきていた。
だからこそ、バルトの言葉はセシルのそれに対するものだと思っての返答だった。だが、隣から聞こえてきたのはバルトの笑いが漏れた声。
「嬉しそうなのは旦那様のことですよ」
「な……」
目じりの皺を濃くするバルトに図星をつかれて二の句が継げないアレックス。
「暖かくなってあちらに奥様がいらっしゃることが多くなってからというもの、旦那様の窓を見る頻度が……」
「わ、わかってる。だが仕方がないだろう」
「ええ、そうですね。旦那様がどれほど奥様、セシル様を待ちわびていたか私もよくわかっていますので」
先代公爵の時から執事として仕えるバルトはアレックスがこの地にやってきた時からこの邸にいる。当時、線の細い美少年だったアレックスがやってきたときは長くは続かないだろうと誰もが思っていたし、バルトもその例に漏れずそう思っていた。だが一度も弱音を吐くこともなくただひたすらに訓練に打ち込む様子を見てその考えはあっさりと覆された。
アレックスが23になるときには細かった体は見違えるように大きく強靭なものに、女性に見間違われるような顔はその黄金比ともいえる整った顔立ちはそのままにそれでも男性の精悍さを兼ね備えたものへと変貌していた。だからこそ前公爵が跡目を譲ると言っても領地の者たち含め誰も文句はなかった。
そしてその日から始まった領地経営勉学の教鞭を取ったのがバルトであった。アレックスの生い立ちも良く知るバルトはアレックスがこの邸で最も信頼する人物であり、悩みや相談を打ち明けることはもちろん軽口を叩ける数少ない人物でもあった。
そんなアレックスの昔からのセシルへの想いも知っているバルトだからこそ、セシルがこの地に来ることを知った時は心から喜んだものである。
「セシルが来てもう半年。これからもっと好きなものを増やして、セシルにはずっと楽しく過ごしてもらいたい。今まであの子がどれほど頑張っていたか知っているから」
「そうでございますね」
アレックスと同じように窓を見るバルトの目も優しく細められる。
「今は幸い魔物被害の報告書も上がってきていない。だから私が傍でセシルを甘やかしたいんだ。欲を言えばセシルから甘えてきてくれるのが一番なのだがな」
「これから先、まだまだ時間はありますよ」
「そうだな。一生一緒にいるんだ」
「旦那様のお気持ちはお伝えにならないのですか?」
「大事に想っていることは伝えている。それ以上の気持ちは……、今はまだセシルを悩ませるだけだろうし、その話をするにはセシルとの出会いもはなさいないといけないだろう……。あの頃のことはセシルは忘れているだろうし、私もそれでいいと思っている……」
その頃を思い出したのか、アレックスの顔が複雑なものになる。その思いをくみ取ったバルトはそれ以上聞くことをやめた。
「セシルとはあの日、セシルがウェッジウッドに来た日に始まったんだ。そこからまずは信用と信頼を得て、気持ちはそのあとでいい。私がセシルを大事に想っていることを知っていてくれさえいれば」
「旦那様を昔から知る身としては、実に感慨深い半年でした」
一番傍にいたバルトでさえアレックスが女性といるところを見たことがなかった。その理由も知っているし、アレックスの気持ちを尊重しているバルトからすればこの先アレックスが婚姻することはこの先きっとないだろうと思っていた。
それなのにまさかアレックスが唯一気に掛ける女性であるセシルをこの地に迎え入れ、さらには今まで見たことのない笑顔を振りまくアレックスの姿を見られるとは人生何が起こるかわからないと思った半年だったのだ。
「女性には目もくれず手紙やお誘いなども全て断り、領地の者たちからは女性には全く興味がないとまで言われていた旦那様が。そのうちこの邸では見目麗しい男性を囲うようになるのではと言われていた旦那様が! まさか長年大事に思われていたセシル様をお迎えすることになるとは……。長生きはするものですな」
「バルト……、お前はまだ50だろう……。というか何だその噂は。領地のみんなが言っていたのか? どうりで最近変な視線を感じると……、ではなく! ともかくだ! 私が女性を苦手としていたからこそ、セシルと婚姻することもできたのだ」
胸を張ることでもないと思うが、それでもアレックスの言い分は尤もだった。女神が嫉妬深いというのはかなり有名な話。女神が祝福を与えたいとし子にはいとし子だけを愛する者しか伴侶として認めないことはどの文献にも載っていることであった。その条件で言えばアレックスは十分すぎるほどの資格を持っていた。
「この半年でかなり信頼はされているように思える。もう少し甘えては欲しいが、それでも自らの気持ちを話してくれるようにはなった。これからももっとセシルに信頼されるように頑張るさ」
「式の日取りも決まりましたしね」
「そうだ。半年後の式を挙げるころにはセシルには心から笑ってもらえるようにしたい」
つい先日この地に慣れてきたセシルに結婚式を挙げることを相談したところ、半年後に上げることが決まった。その式に思いを馳せるようにアレックスの顔が優しく甘くなる。
その様子を見てバルトは嬉しそうに目を細めた。
「左様ですね……」
セシルがアレックスを見る視線は当初よりもだいぶ変化している。それは信頼はもとより、もう少し進んだ想いを含んでいる。そのように感じるのはバルトだけではなく、恋愛に疎いアレックスをのぞく邸にいる者たち。人々の細かい感情を読むのに長けているアレックスだが、こと恋愛においてそれが当てはまらないのはその必要が今までなかったから。使用人たちからすれば二人の関係はもどかしくも思えるが、それでも恋愛に不慣れな旦那様と、感情を抑えることに慣れてしまったセシルとの恋愛模様はゆっくりと進めるべきだろうという結論に至った。これから先皆でこの二人の幸せの行く末を見守るつもりでいる。
「だが、式の前に……」
声のトーンが落ちると同時にアレックスの視線が鋭く手元の資料へといく。それを見てバルトの顔も真剣なものになる。
それは報告書。ウェッジウッドの魔の森近くを警備している兵士たちからのものだ。
先ほどアレックスの言っていた魔物被害が上がっていないという言葉。これに嘘はない。本当に1件も上がっていないのだ。
魔の森近くの砦には魔物の目撃情報も事細かく報告するように徹底されている。それには毎日何かしらの魔物の目撃はあった。時には襲ってきたなどという被害も少なくない。
大抵は砦の兵士たちだけで事足りることだ。大型の魔物といった上位ランクの魔物が出た時にはアレックス指揮のもとウェッジウッドの兵士たちが総がかりで討伐することがある。それも1年に数度のこと。
それを行ったのはもう1年ほど前。それから半年ほどで魔物の目撃情報が減り、ここ数か月に至っては目撃はゼロが続いているのだ。
「嵐の前の静けさ、か……」
古い文献に載っている出来事がある。それはおおよそ150年ほどの周期でやってくるウェッジウッドの災厄。
前回それが起きたのは138年前。おおよそということであれば150年にあたるかもしれない。
「はじめはセシルの氷の女神の影響かとも思っていたが……」
「はい。ですが、セシル様はこちらに来てから一度も氷の女神を顕現させてはいません。それに、魔物の目撃情報が減り始めたのはセシル様が来られる少し前になります」
「やはり、来ると思っていたほうがいいな」
「そのように考えていた方がよろしいかと。今から備えるに越したことはありません」
ばさりと書類を机に置き、椅子に背を預けゆっくりと目を閉じる。
「それが来る前は必ず魔物の数が減り、やがて静かな時が流れる。それは嵐の前兆。来る災厄のカウントダウン……か」
アレックスの言葉にバルトが神妙に頷く。二人の間に重い沈黙が流れる。
「来るのか……、スタンピードが」




