2.新たな婚約者
氷の女神を出現させたあの夜会があってから、瞬く間にセシルが氷の女神のいとし子だという噂は王国中に広がった。
王宮内にある私室からほとんど外に出ることのないセシルは知る由もないが、王宮の外ではセシルの姿を一目見ようと身分関係なく人が押し寄せるほどいとし子の存在は稀有だ。なにせ王国では実に200年ぶりの女神の顕現だったのだから。
この世界で今までに確認されている女神は炎・風・雷・大地・氷の5柱。これら女神の力は人の扱う魔法などとは比にはならぬほど絶大。そしてその力を使役し扱えるのは女神の祝福を受けた「いとし子」のみ。
本来女神の祝福を受けるのは10歳前後の少女だとされているのだが、セシルが氷の女神の祝福を受けたのはわずか3歳であった。
女神の力はいとし子の感情に左右されるため、不安定な感情を持てば女神の力は暴走してしまう。3歳で祝福を受けたセシルが泣けば、あたりを冷気が覆いつくしあっという間にその場を凍らせてしまうほど。
その絶大すぎる力は争いを生むことが多く、この王国では秘匿案件となっている。そのため祝福を受けたその日からセシルは王宮の特別な施設での生活を余儀なくされた。それまで両親から愛されて育ったセシルは悲しみ泣いて暮らした。その度にその部屋は凍り付き、誰も近寄れないほど。
あまりにも幼いいとし子に国王は両親共にその施設で暮らすことを提案。そこで両親と共に感情を抑える特訓をした結果が今である。表情を抑えることで感情を抑えられるようになったセシルはいつしか「氷の仮面をかぶった令嬢」と揶揄されることにもなったわけだが、特訓の成果からかそんな陰口くらいでは感情を揺さぶられることはなかった。
そんなセシルだが、現在馬車に揺られながら窓の外の風景を眺めていた。
人目を避けるように王宮の裏手から馬車に乗り込んだのが数日前。セシルが馬車で向かうのは王国最北端にあるウェッジウッド領。王都からは馬車で1週間ほどかかる距離にある。
魔の森と呼ばれる魔物が数多く棲む広大な森と接したその領地は王国の護りの要と言われている。古来よりウェッジウッドの領主は魔法や剣技に優れた者ばかり。それは魔の森にいる魔物を王国へ寄せ付けないため。そのために領主はもちろん、ウェッジウッドの領地の兵士たちも猛者ばかりなのだ。
なぜセシルがそんな領地へ向かっているのか。それはあの夜会があって数日後に国王と謁見した時のこと。
アンドリューの起こした婚約破棄騒動の謝罪を受けたのち、新たな婚約先を打診されたのだ。
女神のいとし子は、女神の持つ圧倒的な力を王国外に流出することを阻止するためにどこの国でも王族もしくはそれに準ずる高い身分の家に嫁ぐことになっている。そのことはセシルも十分理解していたし、今回の婚約破棄があってもいずれまた他の貴族との婚姻の話を持ってくるであろうことも読んでいた。
何せ幼いうちにセシルが第一王子の婚約者に内定したのも女神のいとし子あってのことだから。もちろんセシルがいとし子であることを知っていたのは国王夫妻とセシルの両親そしてごくわずかな使用人のみだが、自分の置かれた立場を理解していたセシルが婚約の事実に気づくのにそれほど時間はかからなかった。だからアンドリューとの婚約が破談となっても王家からまた別の貴族との婚約を打診してくると踏んでいたのだ。
ただ、それが思っていたよりも早いことに驚いたくらいだ。それでもその話を聞いた時のセシルの表情が驚いているだろうとは誰も思わないほどの無表情ぶりだが。
国王より打診されたセシルの嫁ぎ先、それが今セシルが向かっているウェッジウッド領の領主であるアレックス・ウェッジウッドだったのだ。
さすがのセシルもその名を聞いて少しだけ眉が上がった。
アレックス・ウェッジウッドといえば、この王国で知らぬ者はいないほどの有名な人物。彼は今対峙する国王の年の離れた弟、つまりは王弟なのだ。
女神のいとし子の嫁ぎ先としての身分は確かに納得ができる。さらにはウェッジウッドの領主を任されるほどの実力者。剣技はもちろん、もとより高い魔力を持つ王族の中でも魔力の多さやそれを扱う魔法の腕も一番だと言われるほどの実力を持っている。身分も能力も申し分のない相手ではある。……のだが、実はこのアレックス、誰もが口にするほどのある噂がある。
大の女嫌い。
王族の色でもある金色の髪に青い瞳を持ち、その造形は大層見目麗しく、鍛えた体躯に洗練された所作で女性の人気は王国一と謳われるほど。だが、そんなアレックスの隣に女性が立っている姿は今まで誰も見たことがないと言われている。それは噂には疎いセシルでも知っているほど。
そんな噂を持つアレックスなのだからどれほど優れた人物であってもさすがに婚姻は無理では、とセシルが思わず口を開く。
「恐れながら陛下……」
だが、セシルが最後まで言葉を継げる前に国王がそれを手で制する。
「シルバーストーン伯爵令嬢が何を言いたいかはわかる。だが、この話はアレックス本人たっての希望なのだ。私もアレックスであれば地位も能力も文句はないと思っておる」
国王の言葉に瞬きを一つ。それがセシルの驚きの表情である。本人であるアレックスからの話とあれば、セシルに否定の言葉はない。もとより打診とはいえ王命に近い婚姻なのだ。
セシルはスカートを摘まんで頭を下げる。
「国王陛下の仰せのままに」
婚約を結んでからすぐにでも婚姻をしたいとも言っていると聞き、セシルは不思議には思いつつも国王の話に首を縦に振るしかなかった。
それから1週間ほど準備をした後、ウェッジウッドへ出発して2日。あと5日ほど馬車を走らせればウェッジウッド領に入る。
馬車の中から景色をぼんやりと眺めるセシル。特殊な幼少期を送ってきたセシルは王都から出るのも初めてだった。少し逸る気持ちはあったが、長年の特訓からその気持ちすら表情とともに抑え込む。それはセシルにとっては息をするのと同じくらい自然なこと。
両親との別れも淡々としたものだった。これはセシルが両親から愛されていないとかそういった事情からではない。
セシルが氷の女神のいとし子であるがための両親なりの気遣いなのだ。セシルの両親は誰よりもセシルを心配し、その身を案じてきた。だからこそセシルの感情を揺さぶるようなことは決してしない。感情を抑える特訓をしてきたのは幼いセシルだけではなかったのだ。それを理解しているセシルも両親に感謝しながら簡単な挨拶だけ済ませて馬車に乗り込んだ。
そんな理由から色々な思い出のある地を離れるものの、はたから見れば人形が馬車に乗っているのではと見間違えるほど、彼女の表情は動かない。
馬車に揺られること7日目の朝。セシルは窓から見える真っ白な雪景色に目を奪われていた。女神の力で氷を見ることはよくあるが、王都は比較的温暖のため雪を見たことはなかった。地面も建物の屋根も真っ白で、さらにはふわふわと降ってくる雪が綺麗で。
そんな光景を見ていると、あっという間にウェッジウッドの領主であるアレックスの邸に到着した。
馬車の扉が開かれ、窓から見ていた雪景色が目の前にーー、ではなく視界に飛び込んできたのは恐ろしいほど整った顔を持つ男性の輝くばかりの笑顔だった。




