スパゲティミートボール
物心ついた頃から操縦桿を握っていた。ジェネレータを揺籠に、地獄のような訓練の毎日を送り、ブースターに背中を押されてビルのように巨大な人型兵器で幾度と戦場を、死線潜り抜けてきた。歴戦の兵士、歴戦のパイロット、それが僕。今この瞬間にもその経験が鍛え抜かれた精神が僕を生かしている。なんて、それら全てがハッタリで経験もなければ本当の記憶でもないことは物心ついた頃から知っていた。今この瞬間にも感じている三次元に及ぶ重力やメインカメラに捉えた敵機の嵐のような銃撃に耐えていられるのも、経験や精神がものを言っている訳ではなく、耐えられるよう作られた都合の良い身体だからということも知っている。僕はただそれを利用しているに過ぎない。闘争を、本当を求めるこの身体で、罪のない命を刈り取る。
これが新時代の戦争、戦争代行会社の所業。戦争資金は代行を依頼してきた国から依頼料として億や兆を超える金額が振り込まれる、噂では娯楽として富豪達の賭博に利用されてそこからも資金を得ているとかいないとか。戦場はいつだって太平洋に浮かぶ鉄の人工島、戦争代行会社はその比較的安全な沿岸部に集まっては挙って人造人間や兵器の研究開発施設を建てている。おかげで物騒な場所だと言うのに人口は割といるし(ほとんどが人造人間)、日用品店から娯楽施設まで充実しているし、果てには観光客だってくる、奇妙な島。とは言ったもののここで人造人間として産まれ、戦いの日々を強いられる僕には活用しない他なかった。
治療を終えていつも通りのバーに入店する、そこは広く活気もあるバーで飲み物はマスターが、料理はつまみをメインに奥の厨房で作られている。しかし僕が好きなのは酒やつまみではなくスパゲティミートボールだ、通うようになった頃知人に存在を教えてもらった思い出の品。カクテルや特別なドリンクを頼む訳でもないのにカウンターに着いて、見知った顔を見たマスターは悪態を吐き厨房へ一つ注文を入れて、ついでにコップ一杯の水を注ぎ届けてくれる。
「五百だ。」
「四百もいかないだろ。」
「三百七十。」
恒例のやりとりを済ませて差し出された端末に手をかざし決済を終えてただの水に喉を鳴らした、いつぶりの美味い水だ。こうしているとどこの席にいたのか決まって絡んでくる奴がいる、ラリアットよろしく後ろからぶつかってきてはヘッドロックをする。勢いでぶちまけた水をマスターが嫌な顔をしながら始末し、太い腕と筋肉なのか脂肪なのかわからない程度に膨らんだ胸に圧迫され苦しむ僕。この光景もまた恒例だ。
「よう小僧、見違えたよ!どこどこの戦争だったか……すっかり忘れちまった。だがそんなことはどうでも良い、あのいけすかねェ弾幕野郎をぶちのめした時はスカッとしたよ!」
ない左腕の代わりにグリグリと額を押し付けてくる。そこから香るアルコール臭と空のジョッキからもう何時間も前から飲んでいることを察した。
「飲み過ぎだ、この老兵め。」
「誰が老兵だ、オレァまだ四十も超えちゃいねェってんだ。」呷いだジョッキが空なことに気づき、マスターに追加の酒を注文する。
「やめてくれ、出費も嵩む。」マスターが開けたビール瓶を制して飲んだくれを説く。
「めでたい日なんだ、飲まなきゃやってられっか!」僕の手を押しのけてマスターからビール瓶をぶん取った。
「あんたが潰れて困るのは僕なんだ、今日はもうお開きだ。」更にそのビール瓶を僕が横取る。
「うるさい、飲むっつったら飲むんだ!」
隻腕というハンデが怒りに拍車をかけ、乱暴に掴み掛かりビール瓶に奪った。手元から離れたビール瓶は制御を失い、でたらめに暴れる飲んだくれに振り回され、そして。
僕の頭に激突した。ガラス片と中の液体が四散して、スパゲティミートボールの皿を運んでいたウエイターが止まり、店内に静寂を生んだ。幸い丈夫な身体のおかげで外傷はなかったものの相手も同じく人造人間だ、頭部へのダメージは計り知れない。軽い目眩に耳鳴り、軽度の脳震盪の可能性。僕は病み上がりで功労者だというのになんたる仕打ちなどと自分を棚に上げた思考が怒りと共に巡ったが、そんな感情はすぐに霧の中へ消えて自然と症状へ対策を探る思考に切り替わった、人造人間特有の思考転換。とりあえず帰って安静だな、癪だが事実それ以外余計なことをする必要はない。ウエイターにテイクアウトへ変更を伝え、心ばかりのチップを払う。
「あ、その、悪い……」流石にやり過ぎたと感じたのだろう、ばつが悪そうに呟く。
「満足したら帰ってきなよ。」少し注意が甘かったのかも知れない、反省しながら心ばかりの抵抗として、心にもない言葉を言った。
料理が詰め込まれたプラスチック容器を受け取りバーを後にする。纏わり付いたガラス片と酒で周囲の注目を集めながら発展したネオンの街並みを歩く、こんな姿で高速バスを利用する気にもなれず歩く、ひたすらに歩く。街の喧騒から少し遠のいた頃、堅苦しい施設が姿を現した。顔パスで警備を超えて宿舎に辿り着き、迷わず自分の部屋へ直行する。シャワーで酒とガラス片を落とし、服を着替え、打たれた箇所を冷やしながら食べ損ねたスパゲティミートボールに手をつける、拳くらいのサイズがあるミートボールにかぶりつくのが美味いんだ。口周りをトマトソースで汚しがっつく。美味い、美味いけど何かが違う。それもそのはず、なにせ僕が本当に好きなのは彼女の作ったスパゲティミートボールであってバーや他の飲食店で提供されているそれではないのだから。彼女の手料理に惚れた、あの出来事は直近ながら代行会社で送った戦争の日々で一番僕という存在を大きく変えた。あれは今日みたくカウンター席で殴られて始まった。
「――お前のせいだ!」間髪入れずにガラス片と中の液体が、血が四散する、視界が揺れて耳鳴りがする。バーの喧騒が嘘のように静まり返った。続けて
「お前が、お前のせいでアイツは……アガットは死んだんだ!アイツの受けた痛みはこれの比じゃない、わかってるのか!?」背が高く筋肉質の男が激怒する。目は真っ赤に充血し潤んで、瓶を握る手には青筋が浮かび震えている、僕ら程ではないが鍛えられた身体だ。
アガットが死んだのは何日も前、戦争の最中敵エース機体から弾丸の雨を浴びせられて死んだ。辛うじて帰ってきたのはインナーの切れ端だけ、回収班曰く機体は胴体部に穴が空くようにして大破、コックピットは跡形もなかったそうだ。それもそのはず、だって彼は……。
「お前を庇って死んだ、かわいい後輩ができたと言ってた、俺が守ってやるんだと嬉しそうに語ってた。だけどこんなことって、ないよ……。犬死にじゃないか。」
返す言葉もなかった、僕がミスをしてアガットが盾になった、それは紛れもない事実だから、謝罪することさえ憚られた。何も言わず彼と親しかった人物から罵倒され、大衆から非難の視線を浴びる。然るべき罰を受けるという人造人間に予めプログラムされた行動だ。もう僕を庇ってくれる人はいない、人間も人造人間も、誰一人として。そう思っていた。
「そこまでにしてやんな。」
声が響いた、注目が声の主へ移る。怒る男の背後、僕の隣で隻腕の女がジョッキを呷る姿が映った。美味そうに喉を鳴らし汚いため息を漏らす。
「失敗を一番理解してるのはそこの小僧だろう?だったら外野が出しゃばるまでもねェよ、やりたいようにやりゃせりゃいい。」酒を注いで再び呷る。
意表を突く発言者に男は少し面食らったが、すぐに食い下がった。
「それじゃあ報われない、コイツのせいでアガットは――!」
「過ぎたことにいつまでもしがみ付いたって報われやしねェよ!」ジョッキをテーブルを叩きつけた大喝一声、あまりの重圧に男は萎縮したが構わず彼女は続けた。
「アンタは人間みたいだから教えてやる、アタシたちは捨て駒なんだよ、戦争の道具、人間の身代わり。それはアガットも同じだ、相応の意志と覚悟を持って戦場に出たんだろう、それを汲み取ってやるのが小僧の今の使命だ。」
隻腕の女はグイッと男へ顔を寄せる。
「それともなにかい、アンタは本当の意味で犬死ににさせたいのか?そうなればアンタも同罪だ、奴を死なせて覚悟を踏み躙った。」
「そんなことない!」
「いいやそんなことある、今この瞬間にもアンタは奴を踏み躙っている、覚悟を継ぐ小僧の邪魔をしている。異論があるなら言ってみな。」ジョッキを呷りため息を吐く、差し詰め勝利の美酒といったところか。男は口をつぐみ狼狽え、あてつけに割れた瓶を僕へ投げつけバーを出て行った。一嵐去った店内には喧騒が蘇り、ウエイターがそそくさと掃除を始める。隻腕の女もつまみを追加して飲み直しているようだった。
「助けてくれてありがとう。」
「ルームメイトが死んだ後に、ルームメイトが通っていたバーに来るとはね。」
お礼を言ったはずなのに背中を刺された、でもごもっとも。何も言えない、飲めずにいたドリンクはガラス片が浮き酒と血で濁っていてふと伸ばした手を思わず引っ込めた。沈黙していると突然カードキーを渡された、部屋番号は今使っている部屋の隣だ。
「アタシん家使いな、あんな奴に絡まれた後じゃ夜な夜な眠れねェだろ。」
「そうさせてもらう…………ありがとう。」
「礼なら酒で返しな。」
最後のが冗談なのか本気なのか当時の僕にはわからなかったが、今になって思えばあれは本気だったのだろう。
怪我の治療を済ませた後、貰ったカードキーで部屋に上がれば変わらない光景が広がっていた。奥に収納があり右の隅にシャワールームが、中央にテーブルがあり両サイドに壁に埋まったベッドを含む個人スペースが、手前に玄関とキッチンがあるパイロット二人用の生活スペース。違う点を挙げるとするならテーブルに空いた缶ビールとつまみの袋が散乱していることと、右側の個人スペースで毛布や下着が散乱していること。これらを除けば僕がアガットと過ごしていた部屋と何ら変わらなかった。
必要最低限の物を左側の個人スペースと空いている収納に片し、汚れた服を洗濯機に放ってシャワーで酒とガラス片を落とす。着替えを身につけて髪を拭きながら次の戦いへ思いを馳せた。戦争代行会社が行う戦争を掻い摘んで説明すると両陣営が攻撃と防衛を交互に行い二本先取で勝ちが確定する、謂わゆる戦争ゲームみたいなもの。参加する機体数や種類は依頼主の意向や支払われた金額によって変動し補欠はない、一度戦争が始まればチームの増員は不可、それに加えて各社が有するエースパイロット又はエース機によって大きく戦況が変わる、結果を予測しずらいものになっている。現在は二回戦目、僕らの陣営は防衛チームが戦いに臨んでいる。彼らが勝てば三回戦目、最後の大将戦、真っ向勝負が始まる訳だが正直勝機は薄い。何と言ってもアガットを失ってしまったことが一番の痛手だ、彼は自陣営のエース枠として今まで戦ってきた。それほどの人材を失った今、幾ら敵陣営も消耗しているとは言えエース枠のパイロットも機体も生存している敵方が圧倒的に有利と言える。頼れる者がいない現状、金星を勝ち取るには僕自身が戦いを運ぶ必要がある。ここまでは良い、数がいる分不確定要素が多すぎることも良い、エースさえ墜とすことが可能なら、そうエースを墜とすことが僕に可能だったならの話。一つ前の戦いで僕は実質的に負けている、僕の技術と機体では確実に同じ轍を踏む、偽りの技術と偽りの経験では応用のしようがない。
「本物があれば、本物なら僕でも打開できるんだろうな。」本物と言って脳裏に浮かぶのはアガットだ、ルームメイトということもあってシュミレータや実戦に同伴したがあれこそが本物だった。彼の機体だってそうだ、装甲と安定性を無視したスピード重視の特注機体、更に特徴的なのは固有のグラップラーと高貫通弾を扱うレールガン、戦場を飛び回っては敵の要所を的確に崩すヒットアンドアウェイの戦術は正しく経験が織り成す戦いだった、だからこそ敵エースとも渡り合えた。だと言うのに僕は、どうしてあんなところで……。
経験者、エースに選ばれた男、偽物を本物へ変えたパイロット、彼を言い表すならそういう言葉が出てくる。偽物の僕とは大違いだ、本物で応用が効く経験があって人望もあって、改めてアガットという存在の大きさを自覚する、惜しい人を失った。
「あの人なしで僕に何ができるだろうか……。」無力感に打ちひしがれる。
不意にカードキーの認証音が響いた、続けて扉がスライドして開き隻腕の女が姿を現す。手にはホロウィンドウを幾つも開いた端末が握られていて、何かやり取りを行った形跡が見られた。
「悲壮感に浸っているところ失礼するよ、無力なアンタに朗報がある」
と前置きを置いて彼女は続ける。
「詳しくは格納庫で話そう、ついてきな。」一方的にそう告げて部屋を出ていく。慌てて部屋を出て先を行く隻腕の女を追い駆けた。
「まず先に言っておこう、今のアンタじゃ確実に負ける。アガットの援護なしじゃ奴に辿り着くどころか雑兵で足止めをくらうだろうね、それじゃあ困る。だから開発部に頼んでアンタの汎用機をカスタマイズしてもらった。」
驚いた、どうしてそこまでと思ったが、バーで僕を擁護した裏にはこれがあったのかもしれないとも思った。
僕が詮索を始める前に彼女は続ける。
「いくら汎用機とは言え、設計にも想定されていないカスタマイズだ。当然偽の経験があっても難しい操作になる、わかるね?」
設計にもない、その言葉に震えた。つまり僕は今、ゼロから一を生み出すことを求められている、兵器を操るために産まれた人造人間にもプログラムされていない兵器を操る。僕が本物になる、偽物から本物になれるということなのだ。
高揚を感じる僕を一瞥して、隻腕の女は笑みを浮かべた。
「その様子なら心配なさそうだね。」辿り着いた格納庫の操作盤に手を掛ける。
「さあ、お披露目の時間だよ!」
開け放たれた大扉の向こうには一見すると馴染みのあるメカメカしい格納庫に二足歩行の汎用機が立っていた。違いが現れたのは格納庫内の全貌が顕になった時だった、左腕には格納されたワイヤーと鉤爪を格納したフックで一つのグラップラーが装備されている、これが困難な三次元の動きを可能にする。世話になっていた機関銃は肥大化し上部にはレールガンの銃身が、銃後部にはブルパップ方式にレールガン用の薬室や弾倉などがやや無理矢理に取り付けられている、言わずもがな単機で出せる火力が増した。まさに規格外といった印象を受けた。
「回収班に頑張ってもらった甲斐があったよ。」
感慨深く隻腕の女は呟く。そして真剣な面持ちで振り返った。
「ここからが本番だよ、アンタにはこれから仮想戦闘で再現してもらった宿命、ジャガーノートと戦ってもらう。」
ジャガーノート、アガットの高機動機体を墜とした敵のエース機体、高火力機体だ。八本の銃口から成るガトリングを主体に構成され、重量や装甲の厚さを加味するとタンク機体とも捉えられる厄介な奴だ。奴の弱点はただ一つ、速度、言い換えれば小回り。僕の機体にグラップラーが装備された理由はこれだろう、汎用機では高機動に劣ることは目に見えているが、何もないよりはマシだ、この仮想戦闘を通りて深く実感した。グラップラーで掴んだ地点を中心にブースターを点火することで周期的な高速移動が可能になった、案の定速度は劣るがそれでも雨のような銃撃を耐え抜くには十分だった。後は奴の機体を破壊するだけ、幸いにも防衛戦はうちのエースの活躍により大勝を納めたらしく予定よりも早く二回戦が幕を閉じた。
ついに明日が最終決戦となったある日の夜、隻腕の女は僕に手料理を振舞ってくれた。それは拳サイズのミートボールがトマトソースを浴びたパスタを寝床にゴロゴロと並んだ一皿、ミートボールスパゲティだった。彼女曰く、昔はルームメイトの門出を祝ってよく振舞っていたらしい、これはその名残だと。ミートボールが大きいだけあって肉肉しくパスタもトマトソースと絡んでそれが美味い、スパゲティなのに肉料理を食べているようで元気が出てくる。
「懐かしいな、アイツもこんなふうに食べてた……」調理器具を片しながら呟く。昔のルームメイトのことを言っているのだろうか、その人がどんな人で今どこで何をしているのだろうか、詮索したいことがたくさん浮かんだが今自分すべきことではないと一蹴して目の前の料理を楽しむことに専念する。明日からの決戦に備えて英気を養うこと身体のコンディションを整えることが今僕がすべきことだ、もし件の人物が既に亡くなっていたと仮定して悲しい話で心が乱れてもみろ、やってきたこと全てが台無しだ。夢中でミートボールスパゲティに齧り付き、平らげた。彼女に頼んで皿洗いくらいはやらせてもらうことにした、精神統一の意味も含めて。
「ジャガーノート、今まで戦ってきた奴はあくまで再現に過ぎない。これまで積んできた全ての経験で本物を潰せばアンタは本物になる、自分を信じて行け、アガットのように。」
隻腕の女の鼓舞が背中に染みる、おかげで覚悟ができた、これで僕は奴に勝つ。
因みに彼女がこうも僕を鼓舞するには理由がある。その理由というのは……、ただ一つ心配があるとすれば…………、僕は仮想戦闘で未だ一度も奴に勝てていないことだ。
警報が緊張を盛り上げて指示が怒号に乗る、整備員やパイロットが慌ただしく駆け回る格納庫を僕も駆けた、ながらにグローブを身につけ抱えていたヘルメットを被る。未だ温かさを残した梯子を登って操縦席に着ついて変わらない手順でチェックリストをつけていく、オールグリーン。考える必要なんてない、この緊張感でさえ味方だとわかれば何も不安がる要素はなかった、プログラムされた思考だとわかっていても頼れる頼らざるを得ないことが少し癪に感じる。アガットは、本物はどうだったのだろう。プログラム通りだったのだろうか、それでも恐怖して不安がっていたのだろうか。今では知りようもないがこの戦いで本物に近づく、その時に何か掴めるだろう、そうけりをつける。新調された得物を手に加わった機動力を確かめて、ブースターが炎の赤き軌道を描いて格納庫を飛び出した。
朝焼けを眺めながら鉄の人工島を沿岸から中央方向へ航行し続けること十数分、旧時代の都市を模した戦場を目視できた、既に持ち場で待機状態にある機体が幾つもあることから僕らが最後尾だったことを察する。遠方では敵機のメインカメラやブースターが夜空の星々の如く不気味に輝いている、開戦の時が近いということだ。機体前部ブースターの補助を借りて火花を散らして地を擦り着陸する。長距離航行をオフにしてその他動作確認、燃料メーターを確認した。残り約八割、汎用機が丸一日程度戦い抜くには十分だろう、汎用機が汎用機として戦うのならばの話だが。
正午になりかけた頃、突然信号弾が三つ打ち上がった。カウントダウンが始まった。続けて信号弾が二つ打ち上がる、ジェネレータが唸りシリンダーが力み鋼が地を掻く。信号弾が一つ打ち上がった、僕の機体も同様に屈み開戦に備える。メインカメラが遠方の輝きに微かな揺らぎを捉えた。
開戦を告げる信号弾が盛大かつ豪華に打ち上げられる。数多の鉄塊がそれぞれの軌道を描いて不規則に弾かれる、倣って僕の機体も弾かれる、鉄の波が衝突した。弾丸は嵐となり、砲撃が地面が穿ち、機体が爆ぜる。刻一刻と敵が、味方が消えていく。少しでも緊張の糸が緩めばその事実を間に受けてしまいそうで、目を背けるために敵を討つ。摩天楼を盾に引金に指をかける、銃口を離れた複数の軌道が装甲を裂き貫き機能を削ぐ、最後には命までも。
右翼で戦っていた僚機の過半数が潰えた、敵軍は勢いのまま本陣へ轢き潰しに来るに違いない。これから正面と右翼側からの攻撃に耐える必要がある、本来汎用機はこれに間に合わせらる機動力を持っておらず、圧倒的な不利的状況下でジリ貧の防戦を強いられる、本来なら。しかし今の機体にはアガットから引き継いだ機動力の源、グラップラーがある、今この戦況をひっくり返せるのは僕だけだ。
摩天楼の一角にフックを射出する、ワイヤーが空気を裂き飛び出した鉤爪がビル壁に食い込み固定する。燃料を投下してブースターを点火、急加速、振り子の要領で戦場を飛ぶ。ワイヤーが軋み仮想戦闘で散々耐えた凄まじい横方向の重力に襲われた、血液が身体下方に集中して擬似的な貧血に見舞われる、視界が闇に覆われていき意識が遠退いていく。たがここでこそ人造人間、この瞬間のために調整された身体、対策を取らなくとも知らなくとも視界や意識がそう簡単に途切れることはない。今この瞬間だけはこの身体に感謝した。
陣を展開させている機影を四つ確認、固定を解除、勢いのままこちらを視認していない敵機を踏み潰した。潰れた鉄塊から紅い液体が飛び散る。間髪入れず射撃、不意打ちに対応しきれていない敵機が無慈悲にも散った。残り二つ。ワイヤーを回収しブーストダッシュ、砲撃が残像を捉えた。敵機が応戦の姿勢を見せる、近場の建造物にフックを伸ばし固定、ブーストで銃撃を回避。ながらにレールガンに電力を充填、銃身が開口し電撃を帯びたレールが露見する、メインカメラが重なる二つの機影を捉えた。
「今ッ!」
電撃を纏った銃弾が射出される、空気を切り裂き唸るその様は雷の如し。判断の隙も与えず一機目を穿ち、衰えず二機目も貫いた。流石うちのエースを支えた得物、何度見ても目を見張る威力だ、敵機を討つ点においても射撃反動においても、グラップラーで機体を固定していなければ地に足をつけて耐えの姿勢をとっても安定しない、空中での射撃は尚のこと不可能だろう。
バッテリーを兼ねた弾倉を変える。レールガンの残弾は今消費した分を含めて三発、取ってつけたこのレールガンでは三発耐えるのが限界だった、それ以上を撃てば銃が瓦解する、故に三発。ジャガーノート戦に備えてこれ以上の使用は控えるべきだな。そうこうしているうちに待機していた人員が崩れた布陣を補填し終えていた。踵を返して今度は敵本陣への攻勢に出る。
グラップラーとブースターを合わせた安定した高速移動、これが戦いを運ぶのに大いに役立った。瓦解した陣形を補填するまでの戦線維持、回避困難な攻撃をいとも容易く潜り抜ける回避性能、敵陣を我が物顔で過ぎ去る移動性能が僕に全能感を与えた。仮想戦闘で積んだ経験が活きている、ゼロから一を生み出せたと実感する。自然と高揚感が増していき動きに自信が溢れてくる。僕が戦場の支配者だ。
日も沈み始め、慢心が顔を覗かせ始めた頃、その出鼻を挫く出来事が起きた。
戦場全体を取り巻いていた嵐のような銃撃が一つの束となって僕に襲いかかってくる、咄嗟にフックを飛ばしブースト、摩天楼に紛れ嵐をやり過ごした。身に覚えのある状況、仮想戦闘で何度も体験した銃撃、間違いない。奴に、ジャガーノートに辿り着いたんだ。
周りで起きてる戦いが、銃撃が砲撃がまるで遠い喧騒のように感じる。顔を出せば摩天楼を縫ったすぐ先、死屍累々の光景に染まった噴水広場に奴はいた。八つの銃口から成るガトリングを構えた要塞のような機体が王者の風格を漂わせ立ち尽くしている。空気がひりつく。あれが本物、アガットを墜としたエース、僕の宿命、緊張の糸が張るのを感じた。計器を一瞥する、機体状況は至って良好、残り燃料は四割か三割程度。奴を相手取るには心持たない数値だが、そんなことは言ってられない。状況から察して敵将へ出向いた遊撃部隊は全滅、他にここまで辿り着けたのは僕だけ、戦い全体もジリ貧になりつつある。つまりこの戦争に終止符を打てるのは僕だけだ。幸か不幸か、偶然にも奴の機体には大将を示すペイントが施してある。
奴を仕留めれば、この戦いは終わり、僕は本物になる。終わらせてやる、なってやる!
ブースターを点火し勢いよく摩天楼を飛び出した、呼応するように八つの銃口が機体を捉え回転を始める。流石の反応と言うべきか、おそらくこのまま攻勢に移れば間違いなく蜂の巣にされるだろう。その前に場を整える必要がある。
発砲を察してフックを使いすかさず摩天楼に飛び込んだ、案の定残像を追って銃撃が始まる、空気をも揺るがす攻撃に背筋が凍った。幾つか建物が崩壊する音がした、しばらくを置いて銃撃も鎮まる。恐怖する自らに鞭打ち、見計らって再び摩天楼を飛び出す。これを広場の外周に沿って繰り返す、これまでも刺客を潰すために散々撃ちはらしたことだろう、弾切れも近いはずだ。その瞬間を僕は狙う。
レールガンに電力を充填、並び立つビル群を盾に何度も何度も好機を窺った。
そして遂に、奴の得物が空回った。ジャガーノートを仕留める瞬間が今、ここに――!
「ッ!?」
爆発音。どうやら今まで残像を追うだけだった遂に、それもワイヤーに直撃したらしい。当然ワイヤーは切れ、衝撃で機体がふらつきレールガンが奴の機体を掠める。外した、好機を逃した。慌てて下部の機関銃を放つが分厚い装甲にはまるで歯が立たない。銃撃を受けるもジャガーノートは冷静だった、バックパックから伸びるベルトを千切り、新たなベルトを繋げ直す。メインカメラが再び獲物を捉えた。
ゾッとする、そういば初めて死にそうになった時もこの構図だった。アガットの力を借りて、それこそ虎の威を借る狐のように敵陣へ侵入し遊撃に出ていた、そんな時に奴を見た。八つの銃口が僕を捉え回転し、嵐を起こした。本来ならあそこで死んでいた、だけど死ななかった、アガットが身を挺して守ってくれたのだ、機動力と勢いを活かして機体を蹴飛ばして身代わりになった。仮想戦闘でも原因は様々にされど同じように散っていった。走馬灯が巡っていく、そして最後に行き着いた先が……。
「それじゃあ報われない、コイツのせいでアガットは――!」
懐かしいバーでの記憶。
「アンタは人間みたいだから教えてやる、アタシたちは捨て駒なんだよ、戦争の道具、人間の身代わり。それはアガットも同じだ、相応の意志と覚悟を持って戦場に出たんだろう、それを汲み取ってやるのが小僧の今の使命だ。」
………………僕の使命。
そうだ、こんなところで折れている場合じゃない。覚悟を、アガットの意志を僕が汲み取らなくて誰が汲み取るんだ。
「ジャガーノート、今まで戦ってきた奴はあくまで再現に過ぎない。これまで積んできた全ての経験で本物を潰せばアンタは本物になる、自分を信じて行け、アガットのように。」
恐怖が消えた、いや吹っ切れたが正しいか。どちらにせよもう迷いはしない。
ブースターを点火、長距離航行をオンに。銃口が光ったその瞬間に地を蹴った。グラップラーの補助はないこの状況で、先のヒットアンドアウェイを経験だけで再現する。砕けて広がった外周を沿い後ろから迫り来る死の嵐に巻き込まれまいと必死で逃げ続ける。その様はさながらイライラ棒だな。流石に小回りが効かず、摩天楼に紛れるなんて小細工はまともにできそうにない。レールガンの弾倉を交換する、最後の一発だ。この状況から求められるのはただ一つ、空中から奴にレールガンを命中させること。しかしそれには安定して射撃できる確固たる瞬間が必要だ。
そのことで一つ思い出したことがある、格納庫で初めてカスタマイズされた機体を目にした時のことだ。
「――ああ、それと言い忘れていたことが一つ。」
隻腕の女はグラップラーを示した。
「あれには普段使いの物とは別に予備の物が装備されている。注意点があるとすればワイヤーが弱いことだね、使い時には細心の注意を払うんだよ。」
予備のグラップラー、まさにこの時のためにあると言ってもいい。
機体内部の温度が上昇しているの感じる、まるでサウナだ。それもそのはず汎用機用に開発されたジェネレータやブースター、装備された全てに無理を強いているのだ。多分機体は赤く燃えているに違いない。燃料も残り一割を切った、限界を試されている。
レールガンに電力の充填を開始する。
銃身が赫く焼けついてきた。
この強靭な身体も度重なる重力に耐え続けて限界を迎えつつある、その証拠に視界も意識も呼吸さえも絶え絶えだ。操縦桿を握る手が震える、燃料切れを示唆する警告音が心拍数を煽ってくる。
お願いだ保ってくれ、僕が本物になるんだ。悲鳴をあげる身体に言い聞かせた。
その時だった。
不意に嵐が止んだ。振り返れば納得した、あれだけ立て続けに撃ち続けたんだ銃口が焼けてオーバーヒートを起こしている。初めてジャガーノートが焦りの色を見せた。
今しかない、勘がそう叫んだのだ。
グラップラーをジャガーノート目掛けて射出する、鉤爪が装甲に食い込み固定された。奴はそれを振り解こうと踠く、とんでもない馬力だった、機体は振り回されワイヤーが千切れブースターの勢いもある中僕の機体は空へ打ち上げられ摩天楼を超えて、丁度奴の真上へ到達した。
重力から解放されて視界がクリアになる。ふと開戦前に見えていた敵陣を見た、砲撃を行っていた機体が潰れ黒煙を吹いている、側には未だ戦い続ける僚機の姿が。恐れるものはもう何もない。
ジャガーノートを照準に捉え銃身が開口した、電撃を帯びたレールガンが露見する。グッドタイミングだ。
「今度こそ外さない。」
引金を引く、雷鳴が轟いた。電撃を纏った弾丸が空気を裂き、こちらを見上げる重装甲の機体目掛けて猛進。その身体を容易く貫いた。
獲物を探していたガトリングが止まり、崩れるように機体が折れていく。すると、戦場の中央部から終戦を告げる信号弾が打ち上がった、続けて勝者を告げる信号弾も。
やった、やったんだ。僕らの勝ちだ。僕は本物になれたんだ。そう思えば張り詰めていた緊張の糸が切れ、僕と機体は重力に倣って、落下した。
懐かしい話だ、戦場の整備期間を含めれば一ヶ月程の出来事になるのかな、長いような短いような戦争だった。感慨深い。
最後の一口を咥える。そんなことをしているとノックが響いた、玄関の方からだ。口の中がミートボールで埋まって声を出せずにいると外から声がした。
「その、悪かった。瓶で頭を殴っちまって、酒も飲み過ぎちまって。悪いと思ってる、本当だ。だから、その……本当に、すまん。」
どうやら怒っていると勘違いしているらしい、正直そんなに怒っていない。彼女と僕は恩師と居候から始まり長いのか短いのかわからない付き合いになるが、酒絡みの面倒事は戦争代行の仕事に比べたらかわいいものだと実感したし、あの一ヶ月で慣れた。だから怒りという怒りは湧いてこない、どちらかと言うと反省に近い。彼女は酒が飲みたきゃ朝からでも飲む、それくらいには自由な人でそれを制御してやる人員が必要だ、その役割が僕。今まで恩人であり師でもあった彼女へ遠慮がちになっていたが、今回で甘やかしが過ぎていたことが身に沁みてわかった。少しくらい締め出したって良いだろう、僕にできるのかはわからないけれども。
「……反省しているのか?」ようやくミートボールを飲み込めた僕は扉の方へ尋ねる。
「うん、反省してる。」
「これからはどうするんだ?」締め出す口実を探りつつ時間を稼ぐ。
「……少しでも飲む量を減らす。」
「できるんだな?」締め出す口実を……。
「できる。」
「………………。」………………。
口を継ぐんだ、これ以上言葉が出なかった。どうやら僕はまだ遠慮しているらしい、彼女に鞭を使っているつもりなのにまるで自分にもダメージが通っている。すぐに白旗を上げた、彼女には伝わらないけど。口周りを拭いて扉を開ける。
「悪かった……。」
「もういいよ。」開口一番に謝罪とは彼女らしくない、かなり反省しているようだ。上がるよう言ってテーブルに向き合って座る。
気まずい、空気が重い。何か空気を変えられる話題を投下しなければ……。
「あー、そういえば僕、あれからどれくらい眠ってたんだったかなぁ?」わざとらしく話を振る。
「二、三週間。よく生きてたと思うよ、かなりの高さから落ちてたじゃないか。」
ホロウィンドウを開き公開された当時の映像を探し出す、彼女の言う通りかなりの高さから落下していた。下手していたら死んでいただろう、本当によく生きていたな僕。
「飲み仲間と鑑賞してたらファイアレッドって連中は呼んでいたよ、ジャガーノートを翻弄するアンタの機体が赤く炎みたいに燃えていたからだと。」
少し元気が戻ったようだった。それとアガットみたく、僕にも名前が付いたらしい。この人の飲み仲間か、碌な人がいなさそうだと率直に思った。
「僕は、本物になれたのかな。」
「なんだい、藪から棒に。」
「奴を討った時はもちろん思ったんだ、本物になれたって。だけど、改めて思えば実感がなくて。」
完全に調子を取り戻した隻腕の女は僕の発言を聞いてため息を吐いた、ある映像を探し眼前に突きつけてくる。そこには機体を赤くしてジャガーノートの周りを飛び回る例の映像が。
「アンタはこんなにいかれた行動を取るようプログラムされていたのかい?」
「そんなわけない」と首を横に振った。
「だったらアンタは本当だ、プログラムにない戦術をアンタ自身が編み出して実行に移したんだ。自信を持ちな。」
「そうだな」と僕は頷いた。
「さ、お祝いだ。あの時みたくスパゲティミートボールを振る舞ってやるよ。」意気揚々と立ち上がる彼女を前に僕はぎょっとした。
「さっき食べたばかりだぞ。」トマトソースで汚れたプラスチック容器を示す。
「めでたい日なんだ、黙って振る舞われるんだよ。アガットの分もね。」
最後の一言だけ聞き取れなかったが、僕が追加のスパゲティミートボールを食べることに変わりはなかった。この身体が大食いにも対応していることを記憶を弄り祈りながら、出来上がるのを待つ僕だった。