第2話 見てください。これがSNSで炎上している投稿です
ぽめちゃんの飼い主こと山木さんが、応接室を出てから、私たちは事実確認を終え、炎上対応の次の段階へと移っていた。
水越えみがスマホをこちらに向ける。
「これ、やばくないですか?リプ欄がまるで処刑場って感じ。中には『チョコが危ないのは常識』って声をあげてくれてる人も居るけど『企業が殺した』とかって……まるで魔女裁判を見てるみたい。よくこんな、確証もないことを関係が無い人たちが言えますよね。」
えみは、新卒2年目で、ぱっと見はスタイル抜群の美人。
だが口がすごく悪い。毒舌。けど、火種の嗅覚は天才的だ。企業広報がまだ気づかない段階で、えみはもう燃える兆しを嗅ぎ取ってる。
初回投稿から一昼夜が経っても、数千件のリツイートと「いいね」は伸び続けていた。
拡散を後押ししてるのがいつものような連中。いわゆる燃やし屋だ。
『動物好きママ』
『消費者の味方bot』
『解説系インフルエンサー』
SNSで火種に群がる蛾のような常連たちが、きれいに連携していた。タグ、投稿タイミング、引用リツイートの構図。
燃やし屋は 正義を装って叩き、バズらせて、再生回数やフォロワー数に換える連中だ。
「こっちも、早めに動く必要がありますね」
羽場が立ち上がり、企業の広報担当に電話を掛けて打ち合わせのセッティングを行う。そこから協議と調整を経て、その日の夕方には、企業の公式アカウントに以下の投稿が掲載された。
《ご意見への見解》
・当該商品は、人間向けの一般食品です。ペットへの給餌は想定されておりません。
・販売履歴および成分検査の結果、異常は確認されませんでした。
・SNS上での拡散により、誤解を招く可能性がある点についても注意喚起しております
・当社は今後も、事実に基づいた誠実な対応を行ってまいります。
無機質な文面だが、それでいい。
感情に感情で返すのではなく、事実を冷静に返す――それが、火を消すいちばんの方法だ。
この投稿に反応するかのように「冷静すぎて逆に信用できる」って投稿が出てきた。
「声がでかい人より、静かに見てる人に届けばいいですね」
羽場の低い声が部屋に落ち着きをもたらす。
私は、無意識のうちにうなずいていた。
翌朝、店舗本部から一次被害報告が届いた。
羽鳥課長が資料をめくる。
「速報ですが、店舗売上は前週比で約1割減。返品対応、取引先との調整、配送センターの在庫処理まで影響が出ています。
全体影響額は、このままだと全体に波及して1000万円を超える見込みです。PB商品の棚替え交渉も、一部難航しているとの報告がありました」
「たった一つの投稿で、ここまで……」
羽場は静かに答える。
「人は、わからないものを悪だと決めつける。でも、事実が積み重なれば、声の大きさより“正しさ”が勝つときもある」
その日の午後、カンレイ堂に一本の電話が入った。
名乗ったのは、ぽめちゃんの飼い主――山木さんだった。
「……すみません。投稿……削除しました。まとめサイトにも削除申請を出しました……」
声はか細く、今にも消えそうだった。
「昨日、あの子のこと、改めて診てもらったんです。動物病院で先生に話したら、やっぱり……チョコレート中毒の症状だったようでして……」
電話越しの沈黙。その先は、なかなか言葉にならない。
「投稿が広まって企業のせいだと言い切ってしまった自分を、今は本当に後悔しています」
羽鳥課長が、静かに応じた。
「お辛い中、事実の再確認をしてくださったことに感謝します。
ただ、企業側にも実害が出ています。売上の低下だけでなく、店頭では『動物を殺した会社』と罵られた従業員もいます。」
「……本当に申し訳ありません。謝罪文を提出させてください。できるかぎりのことはしたいんです」
「お気持ちは受け取りました。謝罪文を確認したうえで、社内で対応を協議します」
一週間後。
企業では、名誉毀損および業務妨害に関する訴訟提起を視野に入れ、法務部を中心に準備が進められていた。
すでに投稿は削除されていたが、再拡散や他店舗への風評被害など、判断すべき要素は多かった。
社内では、訴訟提起の是非についての最終判断は、いまだ保留されたままだった。
だがその一方で、被告側から正式な謝罪文が提出される。
そこに綴られていたのは、言い訳でも感情的な言葉でもなかった。
「感情に任せて動いたことを深く反省しています。
ぽめちゃんを失った悲しみを、誰かのせいにして紛らわせようとしていました。でも、それが無関係な多くの人を傷つけていたことに、ようやく気づきました」
羽鳥は、謝罪文を読み終え、小さく息を吐いた。
私は思わず問いかけた。
「……あれだけ被害が出たのに、企業が訴訟に踏み切らないのって、甘く見られませんかね?」
羽鳥は一瞬、黙って書類に目を落としたあと、低く答えた。
「もちろん、損害額だけを見れば、訴えるべき案件だ。売上は落ち、現場対応にも追われ、企業の信頼にも深く傷がついた。
だが、それでも訴え続けることが最善とは限らないんだ」
日向はわずかに眉をひそめた。
「どういうことですか?」
羽鳥は静かに説明を続ける。
「まず、今回の訴訟提起によって、社会的なメッセージは十分に発信できた。『企業は感情ではなく、事実で判断し、必要なら法的措置も取る』そういう姿勢は、広く伝わった。
それができた時点で、こちらは1つ目の目的は果たしている」
「でも、まだ挽回できてないのに……」
「確かに、完全な回復はしていない。だが、あとはどこで線を引くかだ。反省し、謝罪し、調停での誠意ある対応を見せた人間を、必要以上に追い詰めれば逆に、企業が報復的だと見られるリスクがある。それは二次被害であり、ブランド毀損だ。それこそ、数字には出ない損失になる」
「……じゃあ、もう何もしないんですか?」
「違う。終わらせたわけじゃない。ここで踏みとどまるだけだ。訴訟は報復のためのものじゃない。火を消すために水をかけたら、今度はその水で誰かを溺れさせるわけにはいかない。俺たちがやっているのは、正義の押し返しじゃない。線引きだよ、日向」
その言葉が、胸の奥に静かに沈んでいくのがわかった。
たしかに昔の私なら、怒っていたかもしれない。
最初のころの私なら、『なんで許すの?』って感情で突っ走ってたと思う。
でも今は少しだけ、わかる気がする。
人を追い詰めるのは簡単だ。
でも、本当に難しいのは、「どこで止まるか」を決めること。
私たちがやっているのは、誰かを倒す仕事じゃない。
燃え広がる火の中で、ギリギリのところで人間らしさを取り戻す仕事なんだ。
「……羽鳥先輩、ありがとうございます。私、たぶんまだ、感情でしか動けてないかもしれません」
「それでいいさ。今はそれでいい。でもな、事実を重ねていけば、感情は自然と整理される。……逆もまた、然りだがな」
羽鳥はふっと笑った。
その笑顔が、どこか寂しげに見えたのは、気のせいじゃないと思う。