魔法省新年祝賀パーティー ③
ラミレスさんに気遣うフリをして体良く夫の元から遠ざけられた私。
レグランとラミレスさん、本当はあの二人が夫婦となるべきだったんじゃないか。父の横槍で私は二人を引き裂くように妻の座に収まってしまったのではないだろうか、そんな考えが頭の中でグルグルと渦巻く。
酷く気分が落ち込み、なんとなく悪心も感じた私は、少し頭を冷やそうと人知れず会場を出てホテルの庭園へと向かった。
ホテルのロビーから庭園へ出る大きなガラス扉を開けて一歩二歩と足を踏み出す。
すると冬の夜の冷たい空気が私の全身を包んだ。
コートが無いと寒いけど、今の私には冷たい空気が昂った感情を静めてくれるので丁度いい。
目の前には隅々まで手入れの行き届いた庭園が広がっている。
少し、夜の庭園を歩いてみようか。
そうすればきっと平常心を取り戻せて、なんでもなかったかのように会場に戻れるはずだから。
私は庭園へ向かうために歩きだそうとした…が、その瞬間グイッと後ろから腹部に手を回され引き寄せられた。
前へ一歩歩き出すどころか一歩後退させられて硬い胸板に背が当たる。
私が驚いて後ろからホールドする人物の方へと視線を巡らせると、
「……レグランっ……?」
そこには私を見つめる深緑の瞳があった。
「どこに行く気だリオナ。まさか夜の庭園に一人で出るつもりだったんじゃないだろうな」
「え……?ええ、少し人に酔ってしまったみたいだから気分転換にと思って」
嘘。
本当は自分の居場所がなくて逃げ出したのだ。
だけどそれを正直に言うのが惨めすぎて、私は彼に嘘を吐く。
「会場からリオナの気配が消えて焦ったぞ……ホテル内は転移魔法禁止区域だから急いで後を追いかけたら夜の庭園へ一人で出ようとしているのを見つけた。俺がどれだけ肝が冷えたかわかるか」
そんないつもと変わらない様子で淡々と言われても……。
え、でも会場を出て真っ直ぐに庭園に来たのだからそんなに時間は経っていないはず。
という事は私が会場を出て直ぐに居ないとわかったの?
「少し散歩しようと思っただけよ」
とりあえずそう言葉を返すと、レグランは眉間にシワを寄せた。あら珍しい。
「一人だなんて危ないだろう。セキュリティがしっかりした一流ホテルとはいえ不埒な客が居ないとは言いきれないんだ、茂みにでも引きずり込まれたら取り返しがつかない事になるかもしれないんだぞ」
ただでさえ妻としての存在意義が見い出せずに気落ちしているところへそんな風にまるで子どもを諭すように言われたら、さらに苛立ちが募っていくばかりだ。
「まるで子ども扱いね」
「子どもとは思ってないから心配しているんだ。庭園に出たかったならなぜ俺に言わない」
「あなたに?挨拶回りに忙しいあなたに言えるわけないじゃない。どうぞわたしの事はお構いなく会場に、ラミレスさんの元に戻って。彼女を一人にしてもいいの?」
いやだ。
これじゃただのワガママな女だ。
夫の仕事を理解せず駄々を捏ねるだけの身勝手な女だ。
「ラミレスは一人でも大丈夫だ、それより」
「そうよね、彼女は優秀な女性だものね。凄いわ、とても信頼しているのね。そりゃそうよね、私なんかよりずっと長く一緒にいるんだものね」
お願い、もう言いたくない。
これ以上嫌な女になりたくない。
早く立ち去って、私を一人にして。
ちょっと嫌な事があったくらいでこんなにも気持ちを掻き乱されて意固地になる自分がますます嫌になる。
もう、本当にお願いだからほっといてほしい……
夜の冷たい空気で心の中まで冷えきっていく。
思わず蹲りたくなる衝動を必死に抑えて私は俯いた。
だけどその瞬間、ふわりと温かい何がが私の体を包み込む。
「……え?」
自分の身に何が起きたのか、それを確かめるべく視線を巡らせると夫の礼服のジャケットが見えた。
レグランがジャケットを脱ぎ、それで私の体を包んだのだ。
そして次に私と同じ、だけど少しだけ違う香りが鼻腔をくすぐる。
身を包むジャケットごと今度は彼の大きな体に包み込まれ、抱きしめられているのだとようやく理解した。
レグランの掠れた声がすぐ近くで私の耳朶をかする。
「こんなに体を冷やして……だめじゃないか……」
「レグラン……」
「俺はキミに、暑い思いも寒い思いもして欲しくない」
「なぁにそれ。生きている限りそれらとは無縁では生きていけないわよ」
「それでも、キミにはいつも笑っていて欲しいんだ。……女性が喜ぶ事なんて何も知らない、気の利いた言葉ひとつ言えない俺が言うのはおかしいが……」
彼の声が、温かな体温が、冷たくなった私の心の体に染みていく。
ああ……困る……どうしようもなく安心出来てしまう。
この腕の中にいれば何も怖いものはない、そう素直に思ってしまうほど彼に抱きしめられて不安定だった心が落ち着いてゆくのがわかる。
これでは本当に幼い子どものようだ……。
でも、この場所が私だけの居場所であってほしい、誰にも渡したくない、そう強く感じてしまう。
今日の私はかなり情緒不安定だわ……気分の浮き沈みが激しく、感情のコントロールが上手く出来ない。
さっきまであんなに心が嵐のように乱れていたのに今は不思議と凪いでいる。
レグランに抱きしめられただけでこれなんて、我ながらチョロすぎるじゃない。
でも、やっぱり彼が好きなんだもの。
我儘だとはわかっているけど、彼にとって私が一番であって欲しいと願ってしまう。
私は彼の腕の中で身動ぎ、顔を見上げようとした。
だけどその時、少しだけヒステリックな声が聞こえる。
「グライユル室長っ……?」
その声がした方を見ると、レグランを探しに来たであろうラミレスさんが中庭に出るガラス扉の所に立っていた。
そして大きく目を見開き、抱き合う私たちを凝視している。
レグランはジャケットに包まれた私を懐に抱きながら彼女に言った。
「丁度良かった。私は今日はもうこれで帰るよ」
レグランのその言葉にラミレスさんは焦りを滲ませる。
「ええっ?ま、まだパーティーは終わっていませんよっ」
「早く帰って妻を休ませたいんだ。様子がおかしいと思った時にすぐ帰るべきだった」
「で、でもまだ挨拶回りも途中ですっ……!」
「問題ない。今日、必ずコンタクトを取りたい人物には接触出来た。それに会場に居るなら挨拶に回るべきだが、居ないのなら誰も何も思わない」
「ですが室長っ……そ、それなら馬車を手配しますから奥様を先にお帰しになられてはっ」
「妻を他人任せにするつもりはない。私が居なければキミも後は自由に出来るだろう、パーティーを楽しんでくれ」
「そんな、室長が居ないのに……」
ごく小さな声でそう言うラミレスさんの隣をレグランと共に通り過ぎる。
既に疲弊していた私は夫に従うままロビーのクロークに移動した。
ラミレスさんも黙ってそれについて来る。
そして預けてあるコートを受け取るためにホテルの人に声を掛けるレグランを待つ私に、ラミレスさんが小さな声でこう言った。
「貴女、妻という立場にありながらレグラン・グライユルのお荷物でしかない事を、ちゃんと理解してます?」
「……え?」
「彼の何の役にも立てないなんて、私ならとても耐えられないわ。身の回りの世話なんて、家政婦にだって出来るものね」
「それ、どういう意味ですか?」
「……さぁ?それくらいご自分で考えたら如何です?それともお父上に泣きつかれますか?」
「そんな事するわけないでしょう」
「そう。そこまでお子様でなくて良かった」
私にそう言い捨てて、彼女は会場へと戻って行った。
その背中を見て、私は強くこう思う。
「………あの人にだけは絶対に負けたくないわ」
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リオナの闘志に再び火が点いた!
次回、ラミレスsideです。