第八話『すれ違った指先』
──冒険者ギルド。
簡潔に言えば、何か頼みたい事がある者がギルドへ依頼を出し、それを冒険者が請け負い解決するという仲介の場を設ける組織。
その他、仕事の斡旋、物の売買、貨幣の両替など、効率や損得に目を向けなければ、あらゆる分野に手を伸ばしている事が特徴である。
依頼の難易度や金額は、内容によって様々。中には『竜種の討伐』なんて超高難易度の依頼も存在するため、そういった依頼に対する適切な実力の目安として『冒険者ランク』という指標が存在している。
ブロンズ、シルバー、ゴールド、プラチナ、ダイヤモンド、そしてエーテル。
合計六つの級が存在し、上に行けば行くほど基本的には実力者という事になる。才能がない者の頂点は『ゴールド』と言われており、それ以上のランクは分かりやすく人数が少ない。具体的にはゴールドまでの冒険者が全体の七割ほどだ。
中でもダイヤモンドは世界に四組しか存在せず、エーテルに関しては現在該当者、該当パーティーが存在しない。
古の時代には存在していたという記録もあるが、それも口伝や古代文字によって書かれた文書によって残っている程度である。
最も特徴的なのは、ギルド試験と呼ばれるテストに合格さえすれば──即ち合格できるほどの実力と最低限の教養さえ持ち合わせていれば誰でも所属できるという点だろう。
平民出身の者が冒険者ギルドに夢を見る事は多い。だが誰かが思いつく事は大抵の場合、他の誰かも思いついているものであり、競争相手は数えきれないほどだろう。
しかしそれが冒険者ギルドの人数拡大へと繋がり、そしてそこから実力者が輩出される事によりギルドの信頼と知名度は上がっている。
必然的に人が多く集まり、情報も飛び交い、喧騒の絶えない組織。
それこそが冒険者ギルドなのである。
「──馬車の手配が出来た」
喧騒に包まれるギルド中で。
金髪の青年、ヴェンデッタは椅子に座るフェイへとそう話しかけた。
「出発は明日の夜明けだ。それまでに色々準備すんぞ」
「は~い」
二人の目的地はシェリル王国王都『フォイリア』。そのためには当然脚が必要であり、彼らはそれを確保するために冒険者ギルドへ出向いていたのだ。
ここ冒険者ギルドの依頼の中には、他所の場所へ移動するための護衛を募っているものもある。大抵そういう依頼は報奨金がタダ同然に設定されているが、これを受注する者は大体自分もその場所へ移動したい者であるためだ。
即ちこれは、脚を提供する代わりに護衛をしてくれという形式的な依頼である。
本来冒険者ギルドへ所属していないフェイは依頼を受けられないのだが、実はギルドへ所属し、シルバー級冒険者であったヴェンの付き添いとしてねじ込む事が出来た。
「それにしても、まさか冒険者だったなんてね~」
「俺は旅をしてたからな。そういう時に護衛の依頼を受けられれば金が浮くだろ? こういう事体を見越しての行動だ」
「賢いけど、世知辛いねぇ……」
裏の世界に触れていたとしても、鐘を節約しなければならないヴェンの懐事情に微妙な顔を浮かべるフェイ。感づかれた事を疎ましく感じたのか、ヴェンは『ケッ』と悪態をついた。
ちなみに最初、フェイも登録しようと思ったのだが、それは辞めておいた。
フェイは数年間この街で活動していた商人である。下手に名前を知られていれば勘繰られて厄介であり、偽名を使う事も考えたが、登録は急ぐべき事でもない。必要があるのなら別の街へ移動した後に行えばよいのだ。
「とりあえず……食料だな。食えねえ物はあるか?」
「よっ、と」
ギルドの端で喧騒を眺めていたフェイは、勢いよく椅子から跳び立った。
「特にないかな。ていうか吸血種って多少変な物食べても大丈夫そう」
「意外と弱いぞ。吸血種はあくまでも『再生力』に強いからな。生憎、耐久面は強くない」
「へぇ、どうせ治るから紙耐久なんて──すっごい面白いね!」
「まだお前の琴線がわからねえ」
くだらない会話をしながら、二人は入り口の方へと歩いて行く。
「食材を買い揃えたら次は道具の調達だ。ナイフも新調しなきゃいけねえし、お前の『銃』の弾丸も必要だ」
「これ? 補充なんて出来るの?」
「そっくり複製は出来んだろ。大事なのは銀である事だ」
「それもそっか」
『魔法具』とは基本的に本体が重要であり、それはフェイの持つ銃も例外ではない。つまり弾丸に多少違和感があっても問題なく使えるだろうというのが二人の見解であり、特別な事情がない限りその通りだろう。
「今のままじゃ心もとないのは確かだね」
懐から弾丸を取り出し、フェイはそれを摘まんで覗き込む。
銃の持ち主であった吸血種が所有していた弾丸の予備は、合計で六発。使った分を含めず、現在中に入っているのが三発。
合計で九発と、万全とは少し言い難い数である。
当然吸血種と遭遇するかどうかは分からないが、この魔法具は単純に殺傷能力が高い。通常の戦闘においても役立つ事だろう。
「……」
最後に。
フェイは弾丸を仕舞い、ギルドを見渡す。
その視界に彼らはいない。
自分の事を特別に思ってくれたであろう、水色の少女も。
だがそれも仕方が無い事だ。
最後に一目見ておきたい気持ちがある事は確かだが、出来ないのならそれも運命である。
「うし、行くか」
ヴェンが外への扉に手を掛けようとして──
「───」
一手早く、ドアを開けて中へ入って来た人物とフェイは目が合った。
水色髪の美しい少女。
以前会った時と比べ、少しやつれており、目元は赤かった。
「あ」
ふと、かすれた声が漏れる。
すると少女は瞳を微かに大きくした。。
そして、一言。
「──フェイ?」
顔も声色も雰囲気も何もかも違うはずなのに。
テトのそういう物理的な制約を飛び越えた銀の鈴のような声は、確かにフェイの鼓膜を震わせた。
~~~~~~~~~~~
「───」
ギルドを包む喧騒とは裏腹に、フェイとテトの間には束の間の静寂が訪れた。
視線を合わせながら互いに何も喋らない
何も知らぬヴェンが少女へ問いかける。
彼女は突然涙を流した。それを純粋に心配したのだろう。
「ぇ、あ、あれ。なんで私涙なんか」
「体調わりいなら家に帰んな。依頼でも受けるのかもしれないが、不安定な精神だといくら実力があっても成功しねえぞ」
それが釈迦に説法である事をヴェンは気づかない。
だが少女は気にする素振りも無く、『ごめんなさい』と一言謝っただけだった。
「野暮用だから大丈夫よ……心配しないで」
「……おう、そうか。ならいい」
何か、感づいたらしいヴェンから視線が送られてくる。
フェイは少しだけ顔を伏せながら、それを無視して歩き出した。
「……」
「……」
「……」
そしてその歩みが、少女の横を過ぎた時。
「───っ、ねえ!!」
少女は、声を張り上げた。
フェイは振り返らずに答える。
「なにかな」
「……その、えっと……フェ、フェイルア・アルグランスという子を知らない……?」
「なんでそれを私に?」
「それは、その……貴方が──彼に似ていて」
いっそ懇願にも聞こえるような少女の言葉に、フェイは答えない。
すると彼女は、すぐに諦めたような声を出した。
「っ、あはは……ごめんなさい。彼は普通の男の子だし、貴方みたいに可愛い人じゃないのに……」
少女の一度止まった涙が、再び流れ出す。
「その、そのフェイって子が、数日前から行方不明なんです……その人は私達の、私の、大切な人で……何か知りませんか……?」
「……さて。兵士に聞くのが一番いいかと思います」
「そう、ですよね。ごめんなさい。あれ、変だな私……」
ヴェンは黙って聞いている。余計な口を挟まない彼の配慮が、ただただ嬉しかった。
「……もし、よかったらなんですけど、貴方の名前を聞いて良いですか?」
「───」
「突然なんですけど、なぜか気になってしまって……似てるから、かもしれませんけど」
「エクリプスです」
なぜ答えたのかは、彼自身も少しわからなかった。
「ただの、エクリプスです」
「ありがとう、ございます……」
「行くよ、『相棒』」
「…………………………おう」
ヴェンは何か言いたい事があったようだが、それを飲み込んでくれた。
次にフェイは少女の言葉を聞くと、結局一度も振り返る事なくドアをくぐり外へ出ていく。
「──死んじゃったの? どこへ行ったの? 嫌だよ、フェイ……」
どんな顔をすれば良いか、彼には少し分からなかった。
~~~~~~~~~~~~~~
「で」
宿へ戻るなりヴェンは椅子に座り、足を組みながらそう切り出した。
「さっきの事だが……」
「……」
「お前の選択は正しかったと思うぜ」
「……驚いた」
対して、フェイはベッドに寝ころびながら返事をする。
「てっきり責められるのかと思ってたよ」
『なんで正体を明かさないんだ』、『泣いてる子になにもないのか』。
なんて言葉を掛けられるのだとばかりフェイは思っていた。だが違った。ヴェンはただ行動を肯定したのだ。
「人間から『吸血種』になった奴と以前の知り合いとのいざこざなんて、良くある話だ。お前ほど劇的じゃねえが、吸血種になった人間ってのは容姿が変化する。中には以前より美形になるだけで面影を残して変化する場合もある。そうなったら色々問い詰められて面倒なのさ」
「へぇ……」
「あの子の場合、お前が失踪している現状に涙を流す程、感情が入っていた。大方お前の事が好きか、肉体関係でもあったんだろ?」
「前者、になるのかな」
「羨ましい話だ」
この言葉はおそらく、テトの容姿を指して言ったものだろう。
彼女は他の冒険者から求婚されるほど可憐で麗しい。そんな彼女に好かれていたなんて羨ましいという事である。
ヴェンデッタという人間は根底におぞましいほどの復讐心を持つが、同時に人間社会を楽しく生きようという気概にも満ちている。
有り体に言えば『俗っぽい』人間で、それ言動にも表れていた。
「好きな相手が失踪して、それをまだ探していて……そんな相手が実は生きていたなんて知れたら、人間はどう動くか分かったもんじゃない。それに人間を『辞める』事に対して嫌悪感を持つやつも多いからな。お前の正体があの子にバレた場合、下手したら心中を図られる事もある」
『実際、あった』。
彼は重苦しく続けた。
段々と彼を理解し始めたフェイからすれば、この反応はヴェン自身ではなく、親しい誰かにそれが起きたのだろう。
彼は自分の事となると案外あっさりしているのだ。
「あの子はそんな人じゃないよ」
「なぜ言い切れる。お前があの子の人となりを知っているからか? だとしても、それは日常の中で起きうる事に対する認識だ」
僅かに頭を動かした彼に連動し、耳のピアスが揺れる。
「非日常に遭遇した時、人間ってのは非常識な行動をする。お前が吸血種になる前と、なった後の行動は違うだろ? そォいうこった」
「……なるほどねぇ」
自分の事を指して言われれば、フェイは何も言えなくなってしまう。
とても耳の痛い話である。
「──それはそれとしてだ」
サングラスを外し、その手入れをし始めたヴェン。
彼の言葉にフェイは僅かに視線を送る。
「こういう人間の時にあった事には──きちんとケジメをつけておいた方がいい」
「その心は?」
「俺たちはもう二度と表の世界を歩けねえ。俺たちは例外かもしれないが、太陽の下を歩けない性質を持っているからでもあるし、基本的に他者の血肉を食らう生き物でもあるからだ」
二人は、人間ではない。
人の皮を被り同じ生活を送れるだけで怪物。
最終的に相容れる事はない化け物である。
「だからこそ、『清算』が大事なんだ。『あの時こうしておけばよかった』、『アイツはいまどうしているだろうか』……そういう後悔と人間性が、判断を鈍らせる」
「……そして、殺し合いの世界では鈍った奴から死んでいく」
「俺たちの目的は、遥か遠いところにある。愛ゆえに殺すんだろ?」
汚れが取れたサングラスをヴェンはかけ直す。
そしてこちらを向いた。
「──甘さが許されるのは今のうちだ。ケジメをつけろ、『相棒』」
様々な意味を込めて、ヴェンはフェイの事を『相棒』と呼んだ。
「…………だとしたら」
少しの逡巡と、少しの葛藤。
それを経てフェイはゆっくり上体を起こす。
「こうして何も知らせない事が、僕のケジメだ」
「……」
「何かを知ればあの子は動いてしまうかもしれない。なまじ力を持ってるから、その力を僕の為に使おうとするかもしれない。そうなるぐらいなら、悲しんで貰った方が良さそうだ」
「放置すんのか?」
「人聞きの悪い言い方だね」
フェイはいつも通り、浅く笑った。
「君の言う通り、こんな状況じゃあの子がどう動くか僕にはわからない。だったら、傷ついて悲しむかもしれないし、少しの間立ち直れないかもしれないけど、何も知らない方がいいと思うんだ。下手に巻き込みたくない」
「……」
あの夜に溶けたフェイの人間性が、少し表に出てきている。ヴェンも彼らしくないと思っているだろうが、それを黙っているのは気遣いからだろう。
「そんな訳で、これから僕の事を外で呼ぶときは『エクリプス』って言うように。頼むよ?」
「……いいぜ」
ヴェンはその言葉を聞くと、ゆっくり立ち上がった。
「お前がそう思ったのならそれでいい。結局俺は部外者でしかねえからな」
「悪いね」
「悪かねえ。頭『吸血種』のお前の意外なところが見えておもしれぇぜ」
「君もいい性格してるよねぇ……」
「そりゃ褒め言葉か?」
「あたり前じゃないか」
フェイは毅然と答えた。
「普通に貶してる」
~~~~~~~~~~~~
その後、ヴェンはナンパをするために外出して行った。
彼曰く『予想以上に早い出発になったから手早く楽しんでくる』との事らしい。普段の飄々とした態度とは裏腹に、彼の下半身事情は爛れているようだ。
そこでふとフェイは吸血種になった後、性欲を全く抱かない事を思い出し、ヴェンに尋ねたのだが───
『あ~……それについては今度教えてやるよ。少し特殊だ』
『でもヴェンは『廻祖』だから』
『当然別。普通の人間と同じ様に性欲もあんぜ』
との事である。
食事においても人や同族を喰らう事もできるし、睡眠欲に関しても吸血種は基本的に夜に活動する生き物のせいか、あまり眠くならない。
人間社会に溶け込み、半分は他種族のヴェンと共に行動する都合上、フェイも夜に寝ている訳だが、時々朝に眠くなる事がある。
商人としての生活が長かったが故に眠気や早朝には慣れているが、もうそんな常識を守る必要がないと思えば更に眠気も増すというものだ。
その結果、朝はヴェンに担がれて外へ出る事もあった。
「~♪」
月光が差し込む部屋の中、椅子に座りながら月を鼻歌混じりに眺める。
相棒が外へ向かったが、既に買い出しや身支度は住んでいる。これ以上するべき事もなく、特に用事がないフェイは少し暇だった。
「~~♪」
太陽はフェイには効かない。
だとしても、吸血種のせいか、ルナの眷属であるせいか、フェイは夜の方が過ごしやすかった。こうして静かに部屋で過ごしているだけでも安らぐのだ。
『失礼します、お客様』
「ん」
そうして月光欲をしていると、ドアが軽く三回叩かれた。
同時にドアの外から聞こえてきた声に、フェイは意識を向ける。
「は~い?」
『ええと、ヴェンデッタ様とエクリプス様宛に手紙が届いています』
「……? はいはい」
椅子から飛び跳ねる様に立ちあがり、ドアを開ける。
そして宿の従業員から手紙を受け取ると、彼女は頭を下げて戻っていった。
ちなみにだが、フェイは追加料金を支払いヴェンの部屋に泊っている。最初は別の部屋を取る事になってたのだが、すぐ出発する事になり態々その必要もないと判断したのだ。
「ありがとうございま~す。……なんだろ」
去っていく従業員に手を振り、フェイは渡された手紙を眺める。
怪しいところもないが、特徴もない平凡な手紙だ。開け口には赤い封蝋印が押されており、きちんと手が加えられた手紙であるという事がわかる。
「馬車の事で何かあったかな……でも態々手紙出さないだろうし」
「──ん? フェイ、どうした?」
「あれ?」
僅かに部屋の外に出たまま悩んでいれば、階段を上がってきたヴェンに話しかけられる。
「どうしたのはこっちの台詞だよ。さっき出てったばかりだよね?」
彼が外出したのはほんの数分前で、いくら彼が『早い』としても、そもそも目的地にすらたどり着けない様な程の時間だ。
普通に考えてヴェンがここにいる筈がない。
フェイの疑問にヴェンは首に手を当てると、少し息を吐いた。
「財布忘れちまってな。取りに帰りに来たんだよ」
「へ~。間抜けだねぇ」
「うっせ。そういうお前はなんでドアの外に……その手紙はどうしたんだよ」
「あぁ、これね」
話を逸らすようなヴェンの言葉に、フェイは手元の手紙へ視線を移す。
すると彼も傍に近寄ってきた。
「なんかさっき従業員の人が届けてくれたんだ」
「ほォ~……どれどれ」
「開けてみるね」
──フェイがナイフを取り出し、封蝋印を剝がすのと、ヴェンがそこに刻まれた『印』を視認するのは、ほぼ同時だった。
「っ、待てッ!」
ほぼ同時だったが、それでも。
僅かにフェイの方が早い。
「その紋章は──ッ!」
「え?」
そして手紙を開封し、その文章が解き放たれた瞬間。
フェイの両腕が突如として燃え上がった。
「はぁっ!?」
「──ッ!」
瞬間、ヴェンは右手を伸ばし、フェイの首根っこを掴んだ。
そして開かれていた扉の中へ彼の体を投飛ばし、室内へを放り込む。
「ぎゅぶっ」
部屋の床を跳ねるフェイを追いかけるようにして、ヴェンも扉を勢いよく閉めながら室内へと入った。
その間もフェイの手首から先は燃え上がり、しかしカーペットや壁に延炎する事もなく、肉体だけを蝕み続けている。
間違いなく普通の火炎では無かった。
「チッ……!」
ヴェンは舌打ちをしつつ懐から鉄製のナイフを取り出し、すぐさま肉薄してフェイの両肘を切断。燃え上がった患部を取り除いた。
切断された肘から先の肉は燃え続けていたが、やがて最後まで延炎する事はなく燃え尽きた。
「いっったぁ!?」
突然両腕が炎上したかと思えば、次に切断されたフェイが思わず声を上げる。しかし吸血種としての再生能力が働き、自動的に両腕が生えそろった頃には、彼は何が起きたのかを理解していた。
だがそれは『何が起きたのかを』理解しただけであり、現象を理解した訳ではない。未だ彼の脳内は疑問符で溢れるばかりである。
「手紙を開いたら突然光が両腕を……今のなに!? 突然すぎるんだけどッ!?」
「『術式』だ」
床へ落ちた手紙を拾い、ヴェンがこちらへ近づいてくる。
彼が炎上する様子はない。だが僅かな指先で手紙を掴んでいるのを見ると、まだ警戒はしているらしい。
「術式……? てか、手紙触って大丈夫なの?」
「恐らく問題ねえ。『術式』は行動を触媒として発生する魔法形式……開けた後に害はねえだろうさ」
「行動を触媒……つまり、僕が手紙を空けた事によって魔法が発動したって事?」
「あぁ。平民や冒険者は中々知れねえような高等魔法知識だ。お前が知らねえのも無理はない」
基礎的な魔法は平民であろうと習得する事は出来るが、日常生活に役立つ以上の魔法は、専用の学校へ通うか、知識を持ち魔法を習得している者から直接習う必要がある。
ヴェンがどこでその知識を知ったのかは分からないが、少なくとも情報について他人より詳しい商人であったフェイは、『術式』について知らなかった。
「そして発動したのは恐らく、聖属性の魔法だろう。つまりは俺たちのような闇の存在にのみ効果を発揮する魔法だ」
彼は手紙を開き、文章へ目を通す。
瞳が上下し、その度に見開かれていった。
「んだと……!」
「何が書いてあったの?」
「……」
フェイの問いに何も答えず、ヴェンは一度手紙を閉じた。
「……聖属性の魔法を使うような連中は、俺たちを敵視してる連中って事だ。そして『術式』のような高等魔法知識を所有し、それを利用した搦め手を好む様な組織は──」
彼は手紙の表をこちらへ向ける。
一度切られた封蝋印が形を取り戻し、いまフェイの視界に飛びこんだ。
杖が十字に交差し、更に斜めから交差している。
四本が交差したその形は、まるで日輪の様だった。
そして、日輪をトレードマークにしている組織をフェイは知っている。
この世界において最も大きく、最も知名度を誇る宗教。
「──『星聖教会』。ここしかありえねェ。コイツは先制攻撃を仕掛けてきたらしいな」
「っ……」
「読んでみろ」
ヴェンに促されるまま、渡された手紙を開いた。
そこに書かれていたのは簡素な文だ。態々手紙を用意するほどの量ではなく、数秒足らずに全てを読めてしまう程に、短い文章。
だが、内容はフェイを動揺させるのに充分な内容だった。
『「レイメイ」のダイヤモンド級冒険者、テトの身柄は預かった。
返してほしければヴェンデッタ、そしてエクリプスの二名のみで、マクシム北部の壊れた教会へ来い。
──星聖教会特殊部隊隊員、最後の一人、ピエトロ=スワロチェフ』
これはつまり、ルナが蹂躙したはずの特殊部隊の人間には生き残りがいて、その生き残りにテトは誘拐され、彼女を餌として二人はいまおびき寄せられているという事だ。
「目的は恐らく、俺たちを殺す事だろう。星聖教会は悪しき存在を殺すためには手段を選ばねえ。一つの手段としてあの嬢ちゃんを誘拐したんだ」
「……」
「どうする、フェイ。お前はどうしたい」
「……」
フェイは、その問いに。
「アハッ」
ゆっくりと手紙を閉じて、笑った。
「当然、殺しに行こう。テトを救い出して、このピエトロとか言う奴に──僕たちに喧嘩を売った事、後悔させてあげようじゃないか」
「ハッ、第一声がそれかよ。だがいいぜ。そうこなくっちゃなァ……!」
こうして二人は、ドアの外へ歩き出す。
目的地はマクシム北部の壊れた教会。
即ちルナとフェイが初めて出会った場所だ。
~~~~~~~~~~~~~~~
なぜ、テトが標的にされたのか。
なぜ、彼女は誘拐されたのか。
なぜ、実力者であるはずの彼女が、そんな結末を迎えたのか。
その真相のために、時間はフェイが手紙を受け取った時から数十分ほど前に遡る──